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第五章

蛸蜘蛛桜屋敷反転攻勢 #18 東京ネズミを罠に掛ける

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   後れ毛をアップに纏め上げ恥ずかしいほどうなじを晒した僕の首筋を、城太郎がねちっこく舐め続けている。
 珍しく城太郎は、僕の「耳を噛じるな」という命令を未だに守っている。
  耳を舐めて最後に前歯でコリコリと噛り始めるのが城太郎のお定まりだった。

    鏡台の鏡に、喉裏を見せて映っている上気した僕の顔は、我ながら色っぽい。特に今日は眉が上手く描けた。
 自然な眉のラインを意識したメイク、なんてお笑いぐさだ。
    自分の眉を細く削った時点で、女は男の頭の中にしか存在しない女の顔になる事を夢見ているのだ。
   つり上がり端に向かって細く消えていく人工的な毒婦の眉。
  もちろん仕事が終わったらすぐに眉は元に戻すのだが。

「綺麗だよヒア、、。たまらないほど好きだ。やはり君は肉色をした僕のラバードールだ。君に辿り着くまでに、随分寄り道をしたものだ…、」
 今の僕は、緋色の長襦袢しか身につけていない。
    今回のコスプレが隠れ宿の純和風旅館での出来事だという設定で苦手な着物を着ている。
    城太郎が用意したものだから、とてもしつかりした着物だが、ちゃんとは着れてはいない。まあどうせ脱ぐのだし、明日は普段の自分に戻れる。

「ドールって、ラバーは明日の約束でしょ。」
「そうじゃないんだ、、ヒアはもうそのままで、魂の宿ったラバードールなんだよ、、、ああこの鼻、、この唇。」
 城太郎の唇が僕の鼻を包み込む。
    舌先で鼻の穴を探っている。

「は、ふうっ、僕になりたいのね。お前、僕の中に入り込んで僕になってしまいたいんだろう。」

 僕は城太郎のキスを逃れ、彼の髪を掴んでその顔を仰け反らせながらSモードに入っていく。
    城太郎の顔の中では唇が一番すきだ。乾いた唇の皺の一本一本、そしてその流れ。
 彫りが深くて小柄な顔、そろそろ中年と言ってもおかしくない年齢だが、この男の女装が美しいのは実験済みだ。

「これからお前にも化粧してやるよ。ただしその眉毛はそり落とすからね。僕の顔が好きなんだろう?僕の顔そっくりにしてあげる。でもそうしたら、二度とお前は城主にはなれないからね。」

      ………………………………………………………………                                

 この日常のスケッチは、金輪際、愛について触れるものではない。
    ただ、人はどれほど他人に対して無関心を装うとも、完全に自己完結し他者に寄りかからないで生きていけるものではないから、多少は「愛」の匂いがするかも知れない。
 でもそれは安物のカーラジオから流れ出てくる「名曲」程度の値打ちしかない事だけは心に留め置いて欲しい。

    そうでなければ、『感情』の爆発によって他人を燃やし尽くしてしまう「僕」という人間があまりに哀しく思えるから、、。

     他人から女装した時の僕は「神秘的なオンナ」とよく言われる。
     自分自身で『よく頑張って装っているね』とヒアという人間をからかってやっているぐらいだから、神秘的などとは、お笑いぐさにしか過ぎない。

 僕は「何者」でもない。
   というか何者かになろうとした年頃に、それを邪魔されている。
   だから神秘的に見える。
   そしてちょっと考えれば、年を経ても叔父さんになるわけでも叔母さんになるわけでもない人間に、社会における安住の場所が約束されていないのはすぐに判る事だ。
    …だから疲れる。

 でも、母親になりたくない、あるいは、父親になりたくない、挙げ句の果ては、永遠の少女や青年でいたい人間からすると、僕の外見は神秘的で時には魅力的に映るらしい。
 しかし彼らは、その僕が、彼らの抱いている幻想ほど滑稽なものはないと断じている事を知っているのだろうか、、。

 鶴継君はそんな僕の崇拝者の内の一人だった。
 鶴継君は城太郎の弟で、本当なら調査の為に藤堂に潜り込んでいる僕と付き合ってはいけない人間で、しかも城太郎の仕掛けた罠の先兵である筈が、現在では半分思い人、半分下僕のような関係を僕と結んでいる。

 いつもならこの様な邪魔くさい関係などすぐに処理してしまうのだが、鶴継君の異常なまでの清潔さと、しかしそれを他人に強要しないというアンバランスがとても気に入ってしまって、ずるずると敵対する密偵同士の恋愛のような事を続けているのだ。

 例えは悪いが、彼は風呂上がりに使う清潔なバスタオルのようなものだ。
    鶴継君は己の清潔さで僕の密偵という不潔さをぬぐい取ってくれる。

 もっともこれは僕流の過剰な表現で、実際には僕の前で跪き、僕の足の裏や指先で自分の顔や耳をなぶられるのが好きな「足拭きマット男」と言った方が似合っているかも知れないのだが。

   ………………………………………………………………………

「城太郎兄さんの講座を聴講してみませんか?いえ講座といっても身元を隠した上で行われる限られた人々への配信なんですけどね。」
 ある日、鶴継君が涼やかな目元を微かに神経質にひきつらせながら僕に話を持ちかけてきた。
    鶴継君の口からはいつもミントの匂いがして、そのせいで彼が話す内容は総て清潔に思えた。
    かって彼が扮したヤモリ男の面影など、どこにもない。

「城太郎が、、正体を隠して配信?」
「  東京ネズミの名前なら判るでしょ?」
 東京ネズミの事は僕も知っていた。
    脳神経が専門でありながら文化文明論のフィールドで有名な仮面のコラムニストだ。
    何よりもそのユニークな被り物の外見でマスコミ受けが良い。
    だが、露出回数は公共の電波では少ない。本人がその数を絞っているらしい。
    城太郎と東京ネズミとの関係を考えれば当たり前だった。

「いいけど、イザその実講座に参加するとなると人数を絞ってるらしくて、凄い倍率と人気だって聞いてるよ。そこに無理やり入り込んで、たちんぼして聞く位ならノーサンクスだわ。」
「東京ネズミは僕の大学の特別招聘講師でもあるんですよ。兄さんのライブ配信もそれでやってる。僕は聴講生の枠も融通が効くし。それにちょっとしたプレイを考えているんです。」

「あなたの大学?ご立派なものね」と混ぜ返しそうになってそれを止めた。
    彼らのこの地方での権力と、彼らの父親の影響力を考えると、鶴継君が自分の通っている学校を「僕の大学」と表現するのはあながち的外れではなかったからだ。
 第一、城太郎も普段の何気ない会話の中で「僕の大学」と当該校の事をそう呼ぶが、その意味は当に文字通り『僕のモノ』なのだろう。

「…もうご存知でしょうけど、城太郎兄さんは僕と同類の人間なんです。とても罪深い。同じ業を背負っている。」
   ヤモリ男の事をいっているのかも知れない。
    確かに最初は、あのスーツの中身が城太郎なのか鶴継君なのか僕には見分けがつかなかった。
「・・まさか鶴継君、僕が例の事件のこと探っているの兄さんに喋ったんじゃないでしょうね?」
「、、、」
     肯定の沈黙、、分かりやすい青年だった。

「どうせバレる…。…僕の事はいいけど、鶴継君がどうなっても知らないよ。」
「いいじゃないですか、本当に城太郎兄さんがそれをやって来たなら、彼は正規のルートに従って裁かれるべきだ…。それにあの人なら必ずヒアさんに屈して、貴女の専属奴隷になる。つまり罪はどんな形であれ、裁かれる。」

 いやSM関係が成立するのはクラブの中だけのことだ。
   現実的に見れば、お金を払って貰っているのは僕たちの方で、余程の状況でない限りこの関係が逆転することはない。
   鶴継君の主従が逆転した「専属」という言い回しがおかしかったが、ここで鶴継君に隙を見せるつもりはなかった。

「そういう問題じゃないの。プラダやヴィトンがスーパーの袋物売場にたくさん並べられても意味がないでしょ。それに僕の所属するクラブがお客さんのプライバシーを完全に守るからなの。で秘密が漏れたら、僕が首になるか、お客様がお客様としての価値を失うか、そのどちらかって事。」
    クラブ所属の下りは、口からでまかせだった。
    でもこの潜入調査の出口が、幾つもあるわけじゃない点で、丸っ切りの嘘ではなかった。

「、、まだ例の事ははっきり喋ったわけじゃないです。それに今度の事は僕から兄への発案なんですよ。」
「プレイと受講とどういう関係?」
「完全武装したヒアさんの姿を見たいんです。多分、それは兄も同じの筈だ。」
「貴方のお兄さんとのプレイはライトなものなの…本物じゃないのよ。どんなに異常な事をやっていても、それはお金で成立してるだけ。…それを完全なドミナとスレイブにするのは無理かもよ。」
「…そんな事はないと思う。これはヒアさんにもチャンスなのに、もったいない。」

「・・プレィって何を考えてるの?」
「ヒアさんは完全武装した上から普通の服を着て、受講するんです。城太郎兄さんは講座の真ん中で25分間の休憩を挟むから、その時、東京ネズミ教授に兄さんの好きなラバー被せて犯してやってください。その後、何食わぬ顔をして二人は元通り講演者と受講者の役割を続ける。ホントは兄さんの役、僕もやってみたいけど、映像が撮れないし、僕は今んとこ、大学の教授じゃない、、。」
「確認しとくけど。これって本当に鶴継君の思いなの?下手するとお兄さん、本当に破滅しちゃうかもしれないよ。」
    いやするだろう。シャドウバンへの依頼者達は復讐の為に、この仕事を所長に持ち込んできたのだから。

 でも答えはどちらでも良かったような気がする。
     この時点で僕の気持ちはこの企てに魅力を感じ始めていたからだ。

「本気ですよ。三人娘の内の一人は僕の友達だった。でもヒアさんが割り切れないなら、教授も僕もこのコース外プレイ単独で金を払います。それに教授は自分の秘密をドミナであるヒアさんに握られることになる、、やり方によってはこれはヒアさんにとって安全なゲームになる筈だ。やり方を間違えなければね。」
    兄から教授に呼び名が変わっている。もうその気になっているのだ。

「ドミナとして本当に崇拝される事が、安全に繋がるとは一概に言えないけどね、、。」
 それは危ういバランス上の問題だった。しかし僕にはパイロキネシスという最後の超暴力的な切り札もある。

「プレイに使うアイテムは僕が総て用意しました。主にマーキス製です。気に入ってもらえますよね。サイズは僕が選んだんだから間違いないと思うけど、ヒアさんが承諾してくれたら今すぐ試着してもらおうと思って今日持ってきてるんです。」

 海外からの輸入品でしかもセミオーダーだから、鶴継君は僕と出会った初めの頃からこの計画を考えていたに違いない。
   僕は鶴継君が玄関際に置いた大振りのジュラルミンのケースに視線を流した。
 マーキスのラバーコスチューム、、それで僕の気持ちは決まった。

「それちゃんと見せてちょうだい。」
 鶴継君がフリスビーをくわえて戻ってくるレトリバーよろしくケースを抱えて駆け戻ってくる。
 ケースのふたが開けられた瞬間に、頭の芯がとろけるようなラバーの甘い匂いが立ち上ってきた。

「ねぇ着せてくれるんでしょ。」
「勿論です。」
「おニューだけどいっぱい汚しちゃおうかな。」
 鶴継君の膝の上に手を乗せてそうささやいてあげる。
    鶴継君の目が血走っている。

「いいですよぉ、、本番までにすぐに綺麗にしちゃいますから。」
「嘘。どうせ持って帰って、ああヒアさんになりたいとかなんとか言いながら僕の汗だらけのラバースーツ嘗めちゃうんでしょ。」
    繊細な人間には言葉責めも効く。
 鶴継君はもう興奮しきって涙目になっている。
   勿論、その後の3時間、僕たちはたっぷりラバーセックスを楽しんだ。
   これは僕の仕事の余禄だ。
   いや本当に楽しんでいるのは僕に取り憑いている曾祖母の千代かも知れなかったが…。




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