龍神は月を乞う

なつあきみか

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第四幕〈クラウド〉

宿主と龍の御徴 11

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 社交によくある曖昧な拒絶とは対極だった。
 明瞭で、誰が聞いてもその意味はひとつしかない。
 対する宰相は僅かに眉を寄せ、けれどすぐに一歩下がって黙礼でそれを拝受した。
 ここで食い下がっても得るものはないと踏んだようだ。
 それはそうだろう。場所も場所だし、相手も相手だ。こんな衆目のど真ん中でやることじゃない。
 クラウドもそれきり宰相には構わずに、待たされていた友人へと視線を移した。
「さて。挨拶も済んだことだし、ここは五月蝿いから移動するか」
 うるさいときた。
 周りはみなお行儀のよい貴族ばかりなので、話し声が喧しいなんてことはない。
 だが五月蝿い。おもに視線が。
 半月ぶりに姿を見せた龍の太子は言うに及ばず、今日はその傍らに美貌の貴公子を伴っているとあって、確かに注目の密度は鬱陶しいほどだ。
 そっと周囲を見やり、納得の顔で肩をすくめた青年は、連れの女性とともにクラウドの言葉に従った。


「…なんだか火花が散って見えるわ」
 テラスへ向かうクラウドを立礼で見送ったセイラは、怪訝そうに小さく呟いた。
「――お姉さま…、」
 そんなセイラの袖を引いたのは隣に立っていたシュリだ。
 背後に控えた取り巻き令嬢までは届かなかった呟きも、すぐ隣のシュリにはしっかり届いたらしい。
 セイラは肩を竦めてもとの席に腰をおろした。
 さがって、と言うように周囲の令嬢たちを手振りで払い、向かいの席に座ろうとしていたシュリを隣に手招く。
「どのみち周知のことでしょう。そもそも宰相はクラウドさまに対して少々狭量よね」
「…それはその、…どちらかというとクラウドさまにも一因がおありかと…」
「…まあね」
 それこそ周知というか、公然の事実だ。秘密どころの話ではない。

 若干十五で家督と爵位を継いだクラウドだが、実際はその一年もまえから大人びた郭遊びをこなしていた。
 貴族の十四で色事といえば、閨の作法を始めようかという年頃だ。
 それを自ら花街におりて夜ごと日ごとの郭遊びと聞けば、あの宰相でなくとも厳しい態度や苦言を呈したくもなっただろう。
 当時から大人も顔負けのクラウドは、自堕落な生活態度に眉を顰める年寄りはいても、体躯を含め年齢の枠などとうに超えた規格外だったわけだが。
 貴族の郭通いは嗜むものであり、耽るものではない。
 誰に諭されるまでもなく、当のクラウドが最初から淡々としていたからか。
 好色のようでいて、――実際、クラウドほど色事に長けた男は年嵩の好色家ぐらいだろうが、彼らとクラウドが決定的に違うのは、クラウドは貴族の娘には絶対に手をつけないことだ。
 親からのお膳立てにしろ、令嬢自身の意思にしろ、クラウドを誘惑したい末端の皇族や令嬢方は際限なくやってくるが、それが一度として成功したためしはない。
 クラウドは遊郭でしか女を抱かない。それ以外には用がない。
 端からそういう「遊び」だからだ。

 クラウドに小言を浴びせるのが日課だったリヒトが断言していたので、セイラは周囲よりそれを理解していた。
 だからこの年下の従姉妹のことも、無碍に遊ばれる心配はしなかったし、それどころか意外と可愛がられているようで安心していたのだ。
 ――が。
 
「あのお連れさまのことは? 詳細は聞いていて?」
「…いえ、詳細までは」
「でもクラウドさまにとって重要な方なのは確かよね」
「はい、おそらく」
「……そう、」
 セイラは今日が初耳だった。
 つまり先ほどのリヒトからの紹介が情報のすべてだ。
 隣国の王子のお忍びと聞けば大層な秘密のような気もするが、相応の相手に相応の身分を明かしたのだと考えれば、それ自体は特におかしなことでも何でもない。
 カムリは東の辺境領だし、ナーガで随一の名門貴族だし、隣国の王子と親交があったとしても特に不思議ではないと思う。
「……」
 だったらなぜ、リヒトはそういった事実をセイラに話していなかったのか。

 考えられるのは、それがカムリ家の社交というより、クラウドの個人的な由縁ということだ。
 現にリヒトもそういう前置きで紹介してくれた。
 つまりセイラの身分に応じた紹介は出来ても、それ以上やそれ以外のことはクラウドの許しがいる。――たとえ身内でも、リヒトの独断で話題にしていい人物ではない、という判断のもと。
 だからクラウドから聞かされていたシュリは知っていて、そうでないセイラは知らなかった。
「………」
 そう考えると、あのクラウドがシュリを己の妃候補として遇している、――と思えなくもないのだが。

「…とても美しいけれど、どんな方なのかしら」
 呟いたセイラに、シュリはちょっと考えるように小首を傾げてみせた。
「先ほど少しお話しした感じだと、意外と大らかで穏和な印象でした。お優しい笑みを返してくださって」
 大らかというのはセイラも同じ印象だ。こちらも少し言葉を交わしただけだが。
「――でも、」
「はい」
「…ええと、レスタさま…だったかしら、クラウドさまとは、特別なご関係なのではなくて?」
「はい、そのようにお聞きしています」
 僅かに言い淀んだセイラとは対照的に、シュリは至極あっさりと答えた。
「………。貴女のそのあっさり加減はなんなの」
 厳密には恋慕でないにしろ、くだんの人物はシュリがお兄さまと慕い、間近に迫った輿入れ先でもあるクラウドの、『情人かもしれない青年』である。ふつうはもっと心中複雑になるのではないか、というのがセイラの心情だ。
 しかしそんなセイラとは裏腹に、シュリはやっぱりあっけらかんと答えるのだ。
「あっさりというか…。だってあんなに、あんっなにお美しい方ですのよ? わたくし目から星が散るかと思いましたもの。クラウドさまがそれはもう大切に大切に、牡丹の花の如く愛でておられるのも納得というものですわ」
「…そ、そう……」
 シュリの町娘精神はセイラのまえでも健在だった。


     * * * 


 さて一方。
 広間を出たクラウドたちがあらためて腰を落ち着けたのは、庭園に張り出した屋根付きのテラスだった。
 半分屋外なので明るいし、屋根も高さがあって程よく開放感がある。
 姿は見えるが声は聞こえない位置に近衛を配し、リヒトはようやく少し気の抜けたような息を吐いた。
「リヒトの息が重い」
「ふたりも問題児かかえて俺の気が休まると思うか…」
「問題児」
「ふたり」
「復唱するな」
 もう一度、今度は盛大に長い溜息を吐き出したリヒトは、問題児ふたりを放って同席の男に視線を移した。
「すまなかったな、あんな場で待たせて」
「いや、あの場は宰相に譲るのが正解だろう」
「それはそうなんだが…。ともかく、やっと落ち着いて話せそうだ」
 視線でクラウドを窺うと、クラウドも先を促すように黙ってリヒトに頷き返した。どこまでも横柄な弟だが、兄も慣れたものである。
 気を取り直したリヒトは、まずはレスタに同席者の紹介を始めた。
「レスタ、紹介が遅くなってすまない。こちらは親交のあるイズナ侯爵家のアトール殿と、彼の細君のエリシャ殿だ」
 立礼をとろうとする若い夫妻に、レスタが手振りでそれをとどめる。
 一瞬迷うそぶりを見せた両人だったが、クラウドも続けて不要の意を示したことで、男は妻とともに姿勢のよい座礼で応えた。
「…では着席にて失礼いたします。ご同席の栄誉を賜わりました、イズナ侯爵家継嗣、アトールと申します。こちらに控えますのはイズナ・エリシャ・リード、北より迎えました私の妻にございます」
 エリシャと申します、と優雅に一礼した濃茶色の髮の女性に、レスタは軽く目を瞠った。
 言われてみれば、確かに眸の色がオリーブ色をしている。目鼻立ちもナーガのそれとは若干異なる。
「エリシャの生家は祖父の代と、それ以前にもナーガ貴族とは何度か婚姻を結んでいたそうです」
「リードは生家からの持参地、生家は辺境のアムネリスと申します」
「アムネリス…」
 聞き覚えがあった。というより、レスタはその名を知っていた。

 アムネリスといえば、国境を挟んでノエルの『斜向かい』とも言える位置関係のカレリアの貴族だ。
 ノエルとじかに隣接しているのはナーガ西のカムリとカレリアのオルディエだが、このオルディエの隣の隣に位置するのがアムネリスである。
 ノエルと隣接しているわけでもないし、家同士の交流もまったくないが、レスタとアムネリスには多少の因果を含んだ関係がある。
 そしてこの因果こそが、レスタの髪や肌の色に起因するという、そういうアレだ。
 家名だけでも知っているのは当然だった。

 ここまでの相関図をざっと浚ったレスタは、無言でクラウドを横目に見やった。
「探したらコイツがど真ん中だった」
「………」
 主語どこ行った。と思ったレスタだが、面倒くさいのでそこは流した。
 これを意訳すると、カレリアのアムネリス家と血縁のあるナーガ貴族を探したら、過去じゃなく現役のイズナ・アトールに的中した、という感じだろう。
 なにが? というのは一旦置いておいて。
(…いやまあ、分かるけども…)
 アムネリスはカレリアの辺境貴族で、カムリにもノエルにも比較的近くて、いまとなっては遠くて薄いはずが、ある意味どこよりも『近くて濃い』レスタの血縁だ。
 そのアムネリスと現在進行形で姻戚関係にあるのが、クラウドの友人でもあるイズナ侯爵家の継嗣。
 なるほど。間接なのに思いっきり直線で繋がっている。まさしくど真ん中である。
 だから何がかというと、これはきっとレスタの背景図の裏取り、なのだ。
 クラウドは本来のレスタの肩書きではなく、ナーガやカムリとの親交、カレリアやアムネリスとの血縁を強調したい。
 交流の有無にかかわらず、アムネリスがレスタの外見の要因であるのに変わりはなく、そのアムネリスから細君を迎えたナーガのイズナ・アトールは、カムリ・クラウドと親交がある。
 だからレスタもクラウドを介し、イズナやアムネリスと繋がっている、――そういう背景図。
 そしてその図はクラウドにとって、邪魔でしかないレスタの肩書きとは違い、よほど有用で好ましい描線なわけだ。
 うん、分かる。分かるけど。

「…親交っていつから?」
「二年と少しだな。去年は婚儀にも顔を出した」
「…婚儀」
 ナーガ貴族の婚姻は、慣例に則って十五歳前後から許嫁選びが始まり、成人まえでも男子が十六歳になれば婚姻は可能だ。
 けれどアトールはクラウドと同じくらいか年上に見えるし、婚儀が去年なら十六で早々に結婚したとは考えにくい。
 というより、よっぽど急ぎたい事情でもなければ、ふつうはまだ選定の最中だろう。
 その選定にクラウドが裏で手を回した、――とまでは言わないが、たとえばイズナ家(他の高位貴族も含む)がカレリア貴族との婚姻を考えていたとして、その候補にアムネリス家があろうとなかろうと、推薦状の一枚や五枚クラウドもリヒトも書きそうだ。
「……うーん」
「なんだその反応」
「いや…うん、」

 クラウドって根回しできる生き物だったのか。

 いや当然するだろうし、クラウドが動けば広範囲に強固な連携を築くだろうことも容易に想像できるわけだが。
 だからこそ特に必要のない政治的手法だとも言える。
 それを二年まえからやっていたのだ。あのクラウドが。
 レスタを見てカレリアを想起しない者はいないし、実際にナーガにもカレリアにも知己を得れば、それだけで何かと話が早い。行動も起こしやすい。
 もちろんそれ以外の目的も思惑も、クラウドが自らの益をきっちり推し量った上での根回しだろうが。
(…まあそこは抜け目ないしな…)
 まったくクラウドっぽくないのに、ものすごくクラウドらしい。
 つまるところ、これはレスタを恙なくナーガに迎え入れたいクラウドの、いわば地均しなわけだ。
 それならクラウドが白羽の矢を立てたイズナ・アトールも、先の評価どおりということだろう。
 過ぎれば毒だが不足もない。どちらにも偏りのない、――これぞど真ん中、ということだ。
 納得したか、とクラウドが目線で問うてきたので、レスタはうんと頷き返した。
 クラウドのことなら大抵は分かるレスタである。


 というわけで、中断してしまった紹介の続きだ。
 レスタの紹介は当然クラウドがリヒトから引き取った。
「こっちはレスタ・セレン。事前に話したとおりアムネリスの血を引いてる」
 簡潔なようで婉曲なクラウドの言いまわしに、対するアトールは首を傾げた。
「てっきりカレリアの方だと思っていたが…、もしかしてそうではない?」
「厳密に言うと隣の王族だな」
「は?」
「え…?」
 アトールとエリシャがそろって目をまるくした。どうやらそこまでは聞かされていなかったらしい。
「となり? 東のか?」
 カムリは東の辺境伯なので、ここで言う隣とは当然東のヴァンレイクである。
「ああ。レスタの母親はヴァンレイクのエアリス辺境伯の娘で、何代かまえにアムネリスの血が入ったらしい。何代まえだ? 四か、五?」
「四代」
 レスタの母、母方の祖父、曾祖父と遡って、曾祖父の母がエアリスに嫁いできたアムネリスの姫君である。
「まあ国も違うし、三代以上遡るし、隣の王家としてはカレリアもアムネリスも無関係だけどな」
 むしろ疎遠だし、どちらかと言えば距離を置いている。
「なのに隔世で、髪や肌にカレリアの特徴が色濃くあらわれた…、ということか」
 アトールは目をまるくしたままレスタを見て呟いた。
「ここまでの先祖返りは見たことがないな…」
「むしろこれほど美しい金の髪はカレリアでも稀だと思います」
「ああ、それは確かに…」
 先祖返りの不思議を目の当たりにして、アトールもエリシャもすっかり素で感心している。
 むしろ隣国の王族云々より、アトールにはよっぽど衝撃だったらしい。
 妻のエリシャもカレリア人らしからぬ落ち着いた髪色をしているが、そもそも混血の遺伝的特徴の表われ方としては、これは至極妥当だ。黒髪と金髪なら、通常は黒髮のほうが色濃く特徴に表れる。
 実際、先ほどのエリシャの紹介にもあったように、アムネリスはナーガ貴族との婚姻をあまり代を隔てず結んできた家系なので、身をもってそれを体現してもいる。
 もちろん何事にも例外はつきものだし、その最たる例がレスタだが、現時点でここまで極端な例外をレスタもほかで見たことがなかった。


 それからしばらくは隔世遺伝の話になった。
 ひとしきり他愛ない会話が続いたあとで、ふいにリヒトがべつの話題を振ってきた。
「――それはそうと、アトールには宰相からの探りが入るんじゃないか?」
「………」
 ああ、ありそう。
 広間でのやりとりを思い返すに、その場面は誰もが容易に想像できた。
「対応したほうがいいか?」
「あー…まあ、べつに放っときゃいい。さっきのあれは意趣返しってだけで、特に害があるとも思ってねえし」
「…俺の気分は害されたんだが」
 反応の薄いクラウドに対し、リヒトはまだまだ燻っている。意外としつこい。
 宰相として優れた人物なのも、クラウドの周辺に厳しくあるべきなのも、役目柄そういう立場にあるのも分かってはいるが、それとこれとは全然べつの話らしい。
「宰相がどう出てもアトールは一切応じなくていいからな」
 いつになく棘っぽいリヒトの物言いに、対するアトールは至極もっともな問いを返した。
「…そもそもの話になるんだが、宰相と何か揉めたのか?」

 途端、リヒトはぎゅっと顔をしかめ、クラウドはにやりと笑い、そしてレスタは肩をすくめた。
「要約すると宰相は小舅だったって話だな」
 言い得て妙である。
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