68 / 69
第四幕〈クラウド〉
宿主と龍の御徴 11
しおりを挟む
社交によくある曖昧な拒絶とは対極だった。
明瞭で、誰が聞いてもその意味はひとつしかない。
対する宰相は僅かに眉を寄せ、けれどすぐに一歩下がって黙礼でそれを拝受した。
ここで食い下がっても得るものはないと踏んだようだ。
それはそうだろう。場所も場所だし、相手も相手だ。こんな衆目のど真ん中でやることじゃない。
クラウドもそれきり宰相には構わずに、待たされていた友人へと視線を移した。
「さて。挨拶も済んだことだし、ここは五月蝿いから移動するか」
うるさいときた。
周りはみなお行儀のよい貴族ばかりなので、話し声が喧しいなんてことはない。
だが五月蝿い。おもに視線が。
半月ぶりに姿を見せた龍の太子は言うに及ばず、今日はその傍らに美貌の貴公子を伴っているとあって、確かに注目の密度は鬱陶しいほどだ。
そっと周囲を見やり、納得の顔で肩をすくめた青年は、連れの女性とともにクラウドの言葉に従った。
「…なんだか火花が散って見えるわ」
テラスへ向かうクラウドを立礼で見送ったセイラは、怪訝そうに小さく呟いた。
「――お姉さま…、」
そんなセイラの袖を引いたのは隣に立っていたシュリだ。
背後に控えた取り巻き令嬢までは届かなかった呟きも、すぐ隣のシュリにはしっかり届いたらしい。
セイラは肩を竦めてもとの席に腰をおろした。
さがって、と言うように周囲の令嬢たちを手振りで払い、向かいの席に座ろうとしていたシュリを隣に手招く。
「どのみち周知のことでしょう。そもそも宰相はクラウドさまに対して少々狭量よね」
「…それはその、…どちらかというとクラウドさまにも一因がおありかと…」
「…まあね」
それこそ周知というか、公然の事実だ。秘密どころの話ではない。
若干十五で家督と爵位を継いだクラウドだが、実際はその一年もまえから大人びた郭遊びをこなしていた。
貴族の十四で色事といえば、閨の作法を始めようかという年頃だ。
それを自ら花街におりて夜ごと日ごとの郭遊びと聞けば、あの宰相でなくとも厳しい態度や苦言を呈したくもなっただろう。
当時から大人も顔負けのクラウドは、自堕落な生活態度に眉を顰める年寄りはいても、体躯を含め年齢の枠などとうに超えた規格外だったわけだが。
貴族の郭通いは嗜むものであり、耽るものではない。
誰に諭されるまでもなく、当のクラウドが最初から淡々としていたからか。
好色のようでいて、――実際、クラウドほど色事に長けた男は年嵩の好色家ぐらいだろうが、彼らとクラウドが決定的に違うのは、クラウドは貴族の娘には絶対に手をつけないことだ。
親からのお膳立てにしろ、令嬢自身の意思にしろ、クラウドを誘惑したい末端の皇族や令嬢方は際限なくやってくるが、それが一度として成功したためしはない。
クラウドは遊郭でしか女を抱かない。それ以外には用がない。
端からそういう「遊び」だからだ。
クラウドに小言を浴びせるのが日課だったリヒトが断言していたので、セイラは周囲よりそれを理解していた。
だからこの年下の従姉妹のことも、無碍に遊ばれる心配はしなかったし、それどころか意外と可愛がられているようで安心していたのだ。
――が。
「あのお連れさまのことは? 詳細は聞いていて?」
「…いえ、詳細までは」
「でもクラウドさまにとって重要な方なのは確かよね」
「はい、おそらく」
「……そう、」
セイラは今日が初耳だった。
つまり先ほどのリヒトからの紹介が情報のすべてだ。
隣国の王子のお忍びと聞けば大層な秘密のような気もするが、相応の相手に相応の身分を明かしたのだと考えれば、それ自体は特におかしなことでも何でもない。
カムリは東の辺境領だし、ナーガで随一の名門貴族だし、隣国の王子と親交があったとしても特に不思議ではないと思う。
「……」
だったらなぜ、リヒトはそういった事実をセイラに話していなかったのか。
考えられるのは、それがカムリ家の社交というより、クラウドの個人的な由縁ということだ。
現にリヒトもそういう前置きで紹介してくれた。
つまりセイラの身分に応じた紹介は出来ても、それ以上やそれ以外のことはクラウドの許しがいる。――たとえ身内でも、リヒトの独断で話題にしていい人物ではない、という判断のもと。
だからクラウドから聞かされていたシュリは知っていて、そうでないセイラは知らなかった。
「………」
そう考えると、あのクラウドがシュリを己の妃候補として遇している、――と思えなくもないのだが。
「…とても美しいけれど、どんな方なのかしら」
呟いたセイラに、シュリはちょっと考えるように小首を傾げてみせた。
「先ほど少しお話しした感じだと、意外と大らかで穏和な印象でした。お優しい笑みを返してくださって」
大らかというのはセイラも同じ印象だ。こちらも少し言葉を交わしただけだが。
「――でも、」
「はい」
「…ええと、レスタさま…だったかしら、クラウドさまとは、特別なご関係なのではなくて?」
「はい、そのようにお聞きしています」
僅かに言い淀んだセイラとは対照的に、シュリは至極あっさりと答えた。
「………。貴女のそのあっさり加減はなんなの」
厳密には恋慕でないにしろ、くだんの人物はシュリがお兄さまと慕い、間近に迫った輿入れ先でもあるクラウドの、『情人かもしれない青年』である。ふつうはもっと心中複雑になるのではないか、というのがセイラの心情だ。
しかしそんなセイラとは裏腹に、シュリはやっぱりあっけらかんと答えるのだ。
「あっさりというか…。だってあんなに、あんっなにお美しい方ですのよ? わたくし目から星が散るかと思いましたもの。クラウドさまがそれはもう大切に大切に、牡丹の花の如く愛でておられるのも納得というものですわ」
「…そ、そう……」
シュリの町娘精神はセイラのまえでも健在だった。
* * *
さて一方。
広間を出たクラウドたちがあらためて腰を落ち着けたのは、庭園に張り出した屋根付きのテラスだった。
半分屋外なので明るいし、屋根も高さがあって程よく開放感がある。
姿は見えるが声は聞こえない位置に近衛を配し、リヒトはようやく少し気の抜けたような息を吐いた。
「リヒトの息が重い」
「ふたりも問題児かかえて俺の気が休まると思うか…」
「問題児」
「ふたり」
「復唱するな」
もう一度、今度は盛大に長い溜息を吐き出したリヒトは、問題児ふたりを放って同席の男に視線を移した。
「すまなかったな、あんな場で待たせて」
「いや、あの場は宰相に譲るのが正解だろう」
「それはそうなんだが…。ともかく、やっと落ち着いて話せそうだ」
視線でクラウドを窺うと、クラウドも先を促すように黙ってリヒトに頷き返した。どこまでも横柄な弟だが、兄も慣れたものである。
気を取り直したリヒトは、まずはレスタに同席者の紹介を始めた。
「レスタ、紹介が遅くなってすまない。こちらは親交のあるイズナ侯爵家のアトール殿と、彼の細君のエリシャ殿だ」
立礼をとろうとする若い夫妻に、レスタが手振りでそれをとどめる。
一瞬迷うそぶりを見せた両人だったが、クラウドも続けて不要の意を示したことで、男は妻とともに姿勢のよい座礼で応えた。
「…では着席にて失礼いたします。ご同席の栄誉を賜わりました、イズナ侯爵家継嗣、アトールと申します。こちらに控えますのはイズナ・エリシャ・リード、北より迎えました私の妻にございます」
エリシャと申します、と優雅に一礼した濃茶色の髮の女性に、レスタは軽く目を瞠った。
言われてみれば、確かに眸の色がオリーブ色をしている。目鼻立ちもナーガのそれとは若干異なる。
「エリシャの生家は祖父の代と、それ以前にもナーガ貴族とは何度か婚姻を結んでいたそうです」
「リードは生家からの持参地、生家は辺境のアムネリスと申します」
「アムネリス…」
聞き覚えがあった。というより、レスタはその名を知っていた。
アムネリスといえば、国境を挟んでノエルの『斜向かい』とも言える位置関係のカレリアの貴族だ。
ノエルとじかに隣接しているのはナーガのカムリとカレリアのオルディエだが、このオルディエの隣の隣に位置するのがアムネリスである。
ノエルと隣接しているわけでもないし、家同士の交流もまったくないが、レスタとアムネリスには多少の因果を含んだ関係がある。
そしてこの因果こそが、レスタの髪や肌の色に起因するという、そういうアレだ。
家名だけでも知っているのは当然だった。
ここまでの相関図をざっと浚ったレスタは、無言でクラウドを横目に見やった。
「探したらコイツがど真ん中だった」
「………」
主語どこ行った。と思ったレスタだが、面倒くさいのでそこは流した。
これを意訳すると、カレリアのアムネリス家と血縁のあるナーガ貴族を探したら、過去じゃなく現役のイズナ・アトールに的中した、という感じだろう。
なにが? というのは一旦置いておいて。
(…いやまあ、分かるけども…)
アムネリスはカレリアの辺境貴族で、カムリにもノエルにも比較的近くて、いまとなっては遠くて薄いはずが、ある意味どこよりも『近くて濃い』レスタの血縁だ。
そのアムネリスと現在進行形で姻戚関係にあるのが、クラウドの友人でもあるイズナ侯爵家の継嗣。
なるほど。間接なのに思いっきり直線で繋がっている。まさしくど真ん中である。
だから何がかというと、これはきっとレスタの背景図の裏取り、なのだ。
クラウドは本来のレスタの肩書きではなく、ナーガやカムリとの親交、カレリアやアムネリスとの血縁を強調したい。
交流の有無にかかわらず、アムネリスがレスタの外見の要因であるのに変わりはなく、そのアムネリスから細君を迎えたナーガのイズナ・アトールは、カムリ・クラウドと親交がある。
だからレスタもクラウドを介し、イズナやアムネリスと繋がっている、――そういう背景図。
そしてその図はクラウドにとって、邪魔でしかないレスタの肩書きとは違い、よほど有用で好ましい描線なわけだ。
うん、分かる。分かるけど。
「…親交っていつから?」
「二年と少しだな。去年は婚儀にも顔を出した」
「…婚儀」
ナーガ貴族の婚姻は、慣例に則って十五歳前後から許嫁選びが始まり、成人まえでも男子が十六歳になれば婚姻は可能だ。
けれどアトールはクラウドと同じくらいか年上に見えるし、婚儀が去年なら十六で早々に結婚したとは考えにくい。
というより、よっぽど急ぎたい事情でもなければ、ふつうはまだ選定の最中だろう。
その選定にクラウドが裏で手を回した、――とまでは言わないが、たとえばイズナ家(他の高位貴族も含む)がカレリア貴族との婚姻を考えていたとして、その候補にアムネリス家があろうとなかろうと、推薦状の一枚や五枚クラウドもリヒトも書きそうだ。
「……うーん」
「なんだその反応」
「いや…うん、」
クラウドって根回しできる生き物だったのか。
いや当然するだろうし、クラウドが動けば広範囲に強固な連携を築くだろうことも容易に想像できるわけだが。
だからこそ特に必要のない政治的手法だとも言える。
それを二年まえからやっていたのだ。あのクラウドが。
レスタを見てカレリアを想起しない者はいないし、実際にナーガにもカレリアにも知己を得れば、それだけで何かと話が早い。行動も起こしやすい。
もちろんそれ以外の目的も思惑も、クラウドが自らの益をきっちり推し量った上での根回しだろうが。
(…まあそこは抜け目ないしな…)
まったくクラウドっぽくないのに、ものすごくクラウドらしい。
つまるところ、これはレスタを恙なくナーガに迎え入れたいクラウドの、いわば地均しなわけだ。
それならクラウドが白羽の矢を立てたイズナ・アトールも、先の評価どおりということだろう。
過ぎれば毒だが不足もない。どちらにも偏りのない、――これぞど真ん中、ということだ。
納得したか、とクラウドが目線で問うてきたので、レスタはうんと頷き返した。
クラウドのことなら大抵は分かるレスタである。
というわけで、中断してしまった紹介の続きだ。
レスタの紹介は当然クラウドがリヒトから引き取った。
「こっちはレスタ・セレン。事前に話したとおりアムネリスの血を引いてる」
簡潔なようで婉曲なクラウドの言いまわしに、対するアトールは首を傾げた。
「てっきりカレリアの方だと思っていたが…、もしかしてそうではない?」
「厳密に言うと隣の王族だな」
「は?」
「え…?」
アトールとエリシャがそろって目をまるくした。どうやらそこまでは聞かされていなかったらしい。
「となり? 東のか?」
カムリは東の辺境伯なので、ここで言う隣とは当然東のヴァンレイクである。
「ああ。レスタの母親はヴァンレイクのエアリス辺境伯の娘で、何代かまえにアムネリスの血が入ったらしい。何代まえだ? 四か、五?」
「四代」
レスタの母、母方の祖父、曾祖父と遡って、曾祖父の母がエアリスに嫁いできたアムネリスの姫君である。
「まあ国も違うし、三代以上遡るし、隣の王家としてはカレリアもアムネリスも無関係だけどな」
むしろ疎遠だし、どちらかと言えば距離を置いている。
「なのに隔世で、髪や肌にカレリアの特徴が色濃くあらわれた…、ということか」
アトールは目をまるくしたままレスタを見て呟いた。
「ここまでの先祖返りは見たことがないな…」
「むしろこれほど美しい金の髪はカレリアでも稀だと思います」
「ああ、それは確かに…」
先祖返りの不思議を目の当たりにして、アトールもエリシャもすっかり素で感心している。
むしろ隣国の王族云々より、アトールにはよっぽど衝撃だったらしい。
妻のエリシャもカレリア人らしからぬ落ち着いた髪色をしているが、そもそも混血の遺伝的特徴の表われ方としては、これは至極妥当だ。黒髪と金髪なら、通常は黒髮のほうが色濃く特徴に表れる。
実際、先ほどのエリシャの紹介にもあったように、アムネリスはナーガ貴族との婚姻をあまり代を隔てず結んできた家系なので、身をもってそれを体現してもいる。
もちろん何事にも例外はつきものだし、その最たる例がレスタだが、現時点でここまで極端な例外をレスタもほかで見たことがなかった。
それからしばらくは隔世遺伝の話になった。
ひとしきり他愛ない会話が続いたあとで、ふいにリヒトがべつの話題を振ってきた。
「――それはそうと、アトールには宰相からの探りが入るんじゃないか?」
「………」
ああ、ありそう。
広間でのやりとりを思い返すに、その場面は誰もが容易に想像できた。
「対応したほうがいいか?」
「あー…まあ、べつに放っときゃいい。さっきのあれは意趣返しってだけで、特に害があるとも思ってねえし」
「…俺の気分は害されたんだが」
反応の薄いクラウドに対し、リヒトはまだまだ燻っている。意外としつこい。
宰相として優れた人物なのも、クラウドの周辺に厳しくあるべきなのも、役目柄そういう立場にあるのも分かってはいるが、それとこれとは全然べつの話らしい。
「宰相がどう出てもアトールは一切応じなくていいからな」
いつになく棘っぽいリヒトの物言いに、対するアトールは至極もっともな問いを返した。
「…そもそもの話になるんだが、宰相と何か揉めたのか?」
途端、リヒトはぎゅっと顔をしかめ、クラウドはにやりと笑い、そしてレスタは肩をすくめた。
「要約すると宰相は小舅だったって話だな」
言い得て妙である。
明瞭で、誰が聞いてもその意味はひとつしかない。
対する宰相は僅かに眉を寄せ、けれどすぐに一歩下がって黙礼でそれを拝受した。
ここで食い下がっても得るものはないと踏んだようだ。
それはそうだろう。場所も場所だし、相手も相手だ。こんな衆目のど真ん中でやることじゃない。
クラウドもそれきり宰相には構わずに、待たされていた友人へと視線を移した。
「さて。挨拶も済んだことだし、ここは五月蝿いから移動するか」
うるさいときた。
周りはみなお行儀のよい貴族ばかりなので、話し声が喧しいなんてことはない。
だが五月蝿い。おもに視線が。
半月ぶりに姿を見せた龍の太子は言うに及ばず、今日はその傍らに美貌の貴公子を伴っているとあって、確かに注目の密度は鬱陶しいほどだ。
そっと周囲を見やり、納得の顔で肩をすくめた青年は、連れの女性とともにクラウドの言葉に従った。
「…なんだか火花が散って見えるわ」
テラスへ向かうクラウドを立礼で見送ったセイラは、怪訝そうに小さく呟いた。
「――お姉さま…、」
そんなセイラの袖を引いたのは隣に立っていたシュリだ。
背後に控えた取り巻き令嬢までは届かなかった呟きも、すぐ隣のシュリにはしっかり届いたらしい。
セイラは肩を竦めてもとの席に腰をおろした。
さがって、と言うように周囲の令嬢たちを手振りで払い、向かいの席に座ろうとしていたシュリを隣に手招く。
「どのみち周知のことでしょう。そもそも宰相はクラウドさまに対して少々狭量よね」
「…それはその、…どちらかというとクラウドさまにも一因がおありかと…」
「…まあね」
それこそ周知というか、公然の事実だ。秘密どころの話ではない。
若干十五で家督と爵位を継いだクラウドだが、実際はその一年もまえから大人びた郭遊びをこなしていた。
貴族の十四で色事といえば、閨の作法を始めようかという年頃だ。
それを自ら花街におりて夜ごと日ごとの郭遊びと聞けば、あの宰相でなくとも厳しい態度や苦言を呈したくもなっただろう。
当時から大人も顔負けのクラウドは、自堕落な生活態度に眉を顰める年寄りはいても、体躯を含め年齢の枠などとうに超えた規格外だったわけだが。
貴族の郭通いは嗜むものであり、耽るものではない。
誰に諭されるまでもなく、当のクラウドが最初から淡々としていたからか。
好色のようでいて、――実際、クラウドほど色事に長けた男は年嵩の好色家ぐらいだろうが、彼らとクラウドが決定的に違うのは、クラウドは貴族の娘には絶対に手をつけないことだ。
親からのお膳立てにしろ、令嬢自身の意思にしろ、クラウドを誘惑したい末端の皇族や令嬢方は際限なくやってくるが、それが一度として成功したためしはない。
クラウドは遊郭でしか女を抱かない。それ以外には用がない。
端からそういう「遊び」だからだ。
クラウドに小言を浴びせるのが日課だったリヒトが断言していたので、セイラは周囲よりそれを理解していた。
だからこの年下の従姉妹のことも、無碍に遊ばれる心配はしなかったし、それどころか意外と可愛がられているようで安心していたのだ。
――が。
「あのお連れさまのことは? 詳細は聞いていて?」
「…いえ、詳細までは」
「でもクラウドさまにとって重要な方なのは確かよね」
「はい、おそらく」
「……そう、」
セイラは今日が初耳だった。
つまり先ほどのリヒトからの紹介が情報のすべてだ。
隣国の王子のお忍びと聞けば大層な秘密のような気もするが、相応の相手に相応の身分を明かしたのだと考えれば、それ自体は特におかしなことでも何でもない。
カムリは東の辺境領だし、ナーガで随一の名門貴族だし、隣国の王子と親交があったとしても特に不思議ではないと思う。
「……」
だったらなぜ、リヒトはそういった事実をセイラに話していなかったのか。
考えられるのは、それがカムリ家の社交というより、クラウドの個人的な由縁ということだ。
現にリヒトもそういう前置きで紹介してくれた。
つまりセイラの身分に応じた紹介は出来ても、それ以上やそれ以外のことはクラウドの許しがいる。――たとえ身内でも、リヒトの独断で話題にしていい人物ではない、という判断のもと。
だからクラウドから聞かされていたシュリは知っていて、そうでないセイラは知らなかった。
「………」
そう考えると、あのクラウドがシュリを己の妃候補として遇している、――と思えなくもないのだが。
「…とても美しいけれど、どんな方なのかしら」
呟いたセイラに、シュリはちょっと考えるように小首を傾げてみせた。
「先ほど少しお話しした感じだと、意外と大らかで穏和な印象でした。お優しい笑みを返してくださって」
大らかというのはセイラも同じ印象だ。こちらも少し言葉を交わしただけだが。
「――でも、」
「はい」
「…ええと、レスタさま…だったかしら、クラウドさまとは、特別なご関係なのではなくて?」
「はい、そのようにお聞きしています」
僅かに言い淀んだセイラとは対照的に、シュリは至極あっさりと答えた。
「………。貴女のそのあっさり加減はなんなの」
厳密には恋慕でないにしろ、くだんの人物はシュリがお兄さまと慕い、間近に迫った輿入れ先でもあるクラウドの、『情人かもしれない青年』である。ふつうはもっと心中複雑になるのではないか、というのがセイラの心情だ。
しかしそんなセイラとは裏腹に、シュリはやっぱりあっけらかんと答えるのだ。
「あっさりというか…。だってあんなに、あんっなにお美しい方ですのよ? わたくし目から星が散るかと思いましたもの。クラウドさまがそれはもう大切に大切に、牡丹の花の如く愛でておられるのも納得というものですわ」
「…そ、そう……」
シュリの町娘精神はセイラのまえでも健在だった。
* * *
さて一方。
広間を出たクラウドたちがあらためて腰を落ち着けたのは、庭園に張り出した屋根付きのテラスだった。
半分屋外なので明るいし、屋根も高さがあって程よく開放感がある。
姿は見えるが声は聞こえない位置に近衛を配し、リヒトはようやく少し気の抜けたような息を吐いた。
「リヒトの息が重い」
「ふたりも問題児かかえて俺の気が休まると思うか…」
「問題児」
「ふたり」
「復唱するな」
もう一度、今度は盛大に長い溜息を吐き出したリヒトは、問題児ふたりを放って同席の男に視線を移した。
「すまなかったな、あんな場で待たせて」
「いや、あの場は宰相に譲るのが正解だろう」
「それはそうなんだが…。ともかく、やっと落ち着いて話せそうだ」
視線でクラウドを窺うと、クラウドも先を促すように黙ってリヒトに頷き返した。どこまでも横柄な弟だが、兄も慣れたものである。
気を取り直したリヒトは、まずはレスタに同席者の紹介を始めた。
「レスタ、紹介が遅くなってすまない。こちらは親交のあるイズナ侯爵家のアトール殿と、彼の細君のエリシャ殿だ」
立礼をとろうとする若い夫妻に、レスタが手振りでそれをとどめる。
一瞬迷うそぶりを見せた両人だったが、クラウドも続けて不要の意を示したことで、男は妻とともに姿勢のよい座礼で応えた。
「…では着席にて失礼いたします。ご同席の栄誉を賜わりました、イズナ侯爵家継嗣、アトールと申します。こちらに控えますのはイズナ・エリシャ・リード、北より迎えました私の妻にございます」
エリシャと申します、と優雅に一礼した濃茶色の髮の女性に、レスタは軽く目を瞠った。
言われてみれば、確かに眸の色がオリーブ色をしている。目鼻立ちもナーガのそれとは若干異なる。
「エリシャの生家は祖父の代と、それ以前にもナーガ貴族とは何度か婚姻を結んでいたそうです」
「リードは生家からの持参地、生家は辺境のアムネリスと申します」
「アムネリス…」
聞き覚えがあった。というより、レスタはその名を知っていた。
アムネリスといえば、国境を挟んでノエルの『斜向かい』とも言える位置関係のカレリアの貴族だ。
ノエルとじかに隣接しているのはナーガのカムリとカレリアのオルディエだが、このオルディエの隣の隣に位置するのがアムネリスである。
ノエルと隣接しているわけでもないし、家同士の交流もまったくないが、レスタとアムネリスには多少の因果を含んだ関係がある。
そしてこの因果こそが、レスタの髪や肌の色に起因するという、そういうアレだ。
家名だけでも知っているのは当然だった。
ここまでの相関図をざっと浚ったレスタは、無言でクラウドを横目に見やった。
「探したらコイツがど真ん中だった」
「………」
主語どこ行った。と思ったレスタだが、面倒くさいのでそこは流した。
これを意訳すると、カレリアのアムネリス家と血縁のあるナーガ貴族を探したら、過去じゃなく現役のイズナ・アトールに的中した、という感じだろう。
なにが? というのは一旦置いておいて。
(…いやまあ、分かるけども…)
アムネリスはカレリアの辺境貴族で、カムリにもノエルにも比較的近くて、いまとなっては遠くて薄いはずが、ある意味どこよりも『近くて濃い』レスタの血縁だ。
そのアムネリスと現在進行形で姻戚関係にあるのが、クラウドの友人でもあるイズナ侯爵家の継嗣。
なるほど。間接なのに思いっきり直線で繋がっている。まさしくど真ん中である。
だから何がかというと、これはきっとレスタの背景図の裏取り、なのだ。
クラウドは本来のレスタの肩書きではなく、ナーガやカムリとの親交、カレリアやアムネリスとの血縁を強調したい。
交流の有無にかかわらず、アムネリスがレスタの外見の要因であるのに変わりはなく、そのアムネリスから細君を迎えたナーガのイズナ・アトールは、カムリ・クラウドと親交がある。
だからレスタもクラウドを介し、イズナやアムネリスと繋がっている、――そういう背景図。
そしてその図はクラウドにとって、邪魔でしかないレスタの肩書きとは違い、よほど有用で好ましい描線なわけだ。
うん、分かる。分かるけど。
「…親交っていつから?」
「二年と少しだな。去年は婚儀にも顔を出した」
「…婚儀」
ナーガ貴族の婚姻は、慣例に則って十五歳前後から許嫁選びが始まり、成人まえでも男子が十六歳になれば婚姻は可能だ。
けれどアトールはクラウドと同じくらいか年上に見えるし、婚儀が去年なら十六で早々に結婚したとは考えにくい。
というより、よっぽど急ぎたい事情でもなければ、ふつうはまだ選定の最中だろう。
その選定にクラウドが裏で手を回した、――とまでは言わないが、たとえばイズナ家(他の高位貴族も含む)がカレリア貴族との婚姻を考えていたとして、その候補にアムネリス家があろうとなかろうと、推薦状の一枚や五枚クラウドもリヒトも書きそうだ。
「……うーん」
「なんだその反応」
「いや…うん、」
クラウドって根回しできる生き物だったのか。
いや当然するだろうし、クラウドが動けば広範囲に強固な連携を築くだろうことも容易に想像できるわけだが。
だからこそ特に必要のない政治的手法だとも言える。
それを二年まえからやっていたのだ。あのクラウドが。
レスタを見てカレリアを想起しない者はいないし、実際にナーガにもカレリアにも知己を得れば、それだけで何かと話が早い。行動も起こしやすい。
もちろんそれ以外の目的も思惑も、クラウドが自らの益をきっちり推し量った上での根回しだろうが。
(…まあそこは抜け目ないしな…)
まったくクラウドっぽくないのに、ものすごくクラウドらしい。
つまるところ、これはレスタを恙なくナーガに迎え入れたいクラウドの、いわば地均しなわけだ。
それならクラウドが白羽の矢を立てたイズナ・アトールも、先の評価どおりということだろう。
過ぎれば毒だが不足もない。どちらにも偏りのない、――これぞど真ん中、ということだ。
納得したか、とクラウドが目線で問うてきたので、レスタはうんと頷き返した。
クラウドのことなら大抵は分かるレスタである。
というわけで、中断してしまった紹介の続きだ。
レスタの紹介は当然クラウドがリヒトから引き取った。
「こっちはレスタ・セレン。事前に話したとおりアムネリスの血を引いてる」
簡潔なようで婉曲なクラウドの言いまわしに、対するアトールは首を傾げた。
「てっきりカレリアの方だと思っていたが…、もしかしてそうではない?」
「厳密に言うと隣の王族だな」
「は?」
「え…?」
アトールとエリシャがそろって目をまるくした。どうやらそこまでは聞かされていなかったらしい。
「となり? 東のか?」
カムリは東の辺境伯なので、ここで言う隣とは当然東のヴァンレイクである。
「ああ。レスタの母親はヴァンレイクのエアリス辺境伯の娘で、何代かまえにアムネリスの血が入ったらしい。何代まえだ? 四か、五?」
「四代」
レスタの母、母方の祖父、曾祖父と遡って、曾祖父の母がエアリスに嫁いできたアムネリスの姫君である。
「まあ国も違うし、三代以上遡るし、隣の王家としてはカレリアもアムネリスも無関係だけどな」
むしろ疎遠だし、どちらかと言えば距離を置いている。
「なのに隔世で、髪や肌にカレリアの特徴が色濃くあらわれた…、ということか」
アトールは目をまるくしたままレスタを見て呟いた。
「ここまでの先祖返りは見たことがないな…」
「むしろこれほど美しい金の髪はカレリアでも稀だと思います」
「ああ、それは確かに…」
先祖返りの不思議を目の当たりにして、アトールもエリシャもすっかり素で感心している。
むしろ隣国の王族云々より、アトールにはよっぽど衝撃だったらしい。
妻のエリシャもカレリア人らしからぬ落ち着いた髪色をしているが、そもそも混血の遺伝的特徴の表われ方としては、これは至極妥当だ。黒髪と金髪なら、通常は黒髮のほうが色濃く特徴に表れる。
実際、先ほどのエリシャの紹介にもあったように、アムネリスはナーガ貴族との婚姻をあまり代を隔てず結んできた家系なので、身をもってそれを体現してもいる。
もちろん何事にも例外はつきものだし、その最たる例がレスタだが、現時点でここまで極端な例外をレスタもほかで見たことがなかった。
それからしばらくは隔世遺伝の話になった。
ひとしきり他愛ない会話が続いたあとで、ふいにリヒトがべつの話題を振ってきた。
「――それはそうと、アトールには宰相からの探りが入るんじゃないか?」
「………」
ああ、ありそう。
広間でのやりとりを思い返すに、その場面は誰もが容易に想像できた。
「対応したほうがいいか?」
「あー…まあ、べつに放っときゃいい。さっきのあれは意趣返しってだけで、特に害があるとも思ってねえし」
「…俺の気分は害されたんだが」
反応の薄いクラウドに対し、リヒトはまだまだ燻っている。意外としつこい。
宰相として優れた人物なのも、クラウドの周辺に厳しくあるべきなのも、役目柄そういう立場にあるのも分かってはいるが、それとこれとは全然べつの話らしい。
「宰相がどう出てもアトールは一切応じなくていいからな」
いつになく棘っぽいリヒトの物言いに、対するアトールは至極もっともな問いを返した。
「…そもそもの話になるんだが、宰相と何か揉めたのか?」
途端、リヒトはぎゅっと顔をしかめ、クラウドはにやりと笑い、そしてレスタは肩をすくめた。
「要約すると宰相は小舅だったって話だな」
言い得て妙である。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる