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特別編 その2
イタズラ勘太と男女逆転催眠アプリ(前編)
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――――――――――――――――――――
本編とは関係のない平行世界のお話
――――――――――――――――――――
「催眠フォト?」
「そう。催眠フォト」
月野内小学校6年1組の、のどかな昼休み。
早めに給食を食べ終わった風太、健也、翔大、勘太の男子四人は、教室の後ろで輪を作りながら、のんびりと談笑していた。今日の話題は、イタズラ坊主の勘太が、最近スマホにダウンロードした、とあるアプリの話。
「うさん臭えな」「どうでもいいよ」「早くドッジしに行こうぜ」
「まぁ待て、お前ら! これ、すげーんだぜ? 通常は手に入れることができない、幻のアプリなんだ」
催眠フォト。
勘太はそのアプリのすごさを自慢げに語ったが、健也は鼻で笑い、翔大は肩をすくめ、スマホを持っていない風太に至っては、何の話だかさっぱり分かっていなかった。つまり、勘太以外の三人は、一ミリも興味を持っていない話題。
「例えばだな。まず、猫の写真を撮るだろ? そして、その画像をこの催眠フォトに入れて、設定をちょちょいと弄るだけで、『あなたは猫にな~る催眠』の完成ってわけ。あとは、催眠をかけたい相手に、催眠光を見せれば……」
「今度の日曜日、みんなでゲーム大会やるらしいぞ。風太も来いよ」「お、いいなそれ。なんのゲームやる予定?」「『バトルカポエラ2』だってさ。とりあえず、日曜日に龍斗ん家に集合な」
「聞けよっ! アホ三人組っ!! ……仕方ねぇな。とりあえず、実演してやるよ。存分に驚くがいい」
そう言うと、勘太はまずインカメラで自分の写真をパシャリと撮った。
坊主頭で、いかにもやんちゃをしそうな悪ガキの自撮り写真。見慣れるどころか見飽きた顔なので、風太も翔大も健也も特に反応を示さなかった。しかし勘太は、不敵な笑みを浮かべた。
「ふっふっふ。『勘太にな~る催眠』の完成だ。この光を浴びたやつは、みんなクソエロオスガキのおれになっちまうのさ」
「自分で言ってて悲しくならないのか、お前」
「実験台は、そうだな……。よし、あそこにいる冴奈にしよう」
「「「えっ……!?」」」
花白冴奈。6年1組のクラスメート。
艶やかな黒髪が美しい、和風美人な女の子。実家は老舗の和菓子屋で、茶道や華道を嗜んでおり、そのおしとやかな振る舞いから、女子たちには「さえさま」と呼ばれ親しまれている。普段は洋服だが、勘太曰く、和服を着ると清らかさが三倍になるとかなんとか。
誰にでも丁寧で優しく、華のように美しい笑顔を見せる冴奈には、密かに想いを寄せる男子も多い。
「冴奈が何をしたっていうんだ! やめろ!」「そうだそうだ! 冴奈は何も悪くないだろうが!」「やって良いこととダメなことの区別もつかなくなったのか! 勘太!」
「えーい、黙れ黙れ! どうせお前ら、まだ信じてねぇんだろ! このアプリの恐ろしさ、とくと目に焼き付けろ!」
三人の制止を振り切り、勘太はぴょこぴょこと冴奈の机のそばまで跳ね進んでいった。
冴奈はというと、ちょうど今給食を食べ終わったようで、小鳥のさえずりに耳を傾けながら、水筒のコップにいれた熱い緑茶を静かに味わっている。
「Hey、冴奈! もうメシ食い終わったのか? ちょっとおれと楽しいお話しようぜ」
「あら、勘太さん。わたしとお話してくださるのですか?」
「そうなんだよ。いやあ、うまそうなお茶飲んでるなって思って」
「うふふ。勘太さんはお目が高いですね。こちらはお母様が選んでくださった……」
(へへっ、油断してるな。よし、今だっ!!)
ピカッ。
勘太は、後ろに隠し持ったスマートフォンを取り出すと、その画面から発せられる強い光を、無防備な冴奈の顔に浴びせた。
「おりゃあっ! これが催眠フォトの力だぁっ!」
「えっ……!?」
数秒、その強い光を見続けた冴奈は、瞳孔を開いたまま固まってしまった。
勘太は冴奈が完全に催眠にかかったことを確認すると、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら、風太たち三人がいる場所へと戻ってきた。
「ふふふ、催眠完了」
「おい、冴奈に何をしたんだよ勘太! あんな強い光を顔に向けたら、目が悪くなるんじゃ……」
「大丈夫。視力に影響はない。それより、面白いものが見られるぞ」
「お、面白いもの……?」
風太たちと勘太が教室の後ろで言い合いをしていると、突然、冴奈は自分の椅子からガタッと立ち上がった。物静かで丁寧な冴奈がするとは思えない、乱暴な立ち上がり方だ。
風太たち男子三人組は、彼女の行動に釘付けになった。
「お、おい。冴奈の様子が、なんだかおかしいぞ……!?」
「まぁ見てなって。ほら、冴奈は立ち上がって……お、雪乃たちの方に歩いていくみたいだ。くくく、一体何をするつもりなんだろうな」
勘太の言葉通り、冴奈は雪乃、実穂、緩美、笑美、亜矢の女子五人グループに近づいていった。女子グループは教室の前の方に集まり、そこでのんびりと談笑している。どうやら、緩美が作った小さなフェルト人形についての話題で、盛り上がっているようだ。
「わぁ、可愛いっ! これ、ゆっち(緩美)がランドセルにつけてるのと同じやつ!?」
「うんっ……。お母さんと一緒に作ったの」
「すごい! お店で売れるクオリティだよ!」
「このヒヨコ、すっごく可愛いね! わたしにも作り方教えてー!」
「ふふっ。不器用な雪乃でも作れるかしら?」
フェルト人形談義で盛り上がる、女子の輪。
そこから少し離れた場所にいるおとしやかな存在に、まずは雪乃が気がついた。雪乃の今日のファッションは、いつものデニムショートパンツではなくチェック柄のミニスカートなので、残念ながら、スカートめくりがしやすい。
「あっ! 冴奈ちゃん! 冴奈ちゃんも、こっちにおいでよー! 緩美ちゃんのお人形が、とっても可愛いのっ!」
「冴奈……? ふふふ……」
「どうしたの? ほら、早くっ!」
「へへっ。おれは……おれ様は冴奈じゃねぇ! 勘太様だ!! おりゃああーーっ!!!」
「!!?」
冴奈は大声を張り上げながら、雪乃のスカートの裾を掴み、思い切り上へとめくり上げた。「おれ様」も「おりゃあー!」も、スカートめくりも、普段の冴奈なら絶対にあり得ない行動だけに、教室中の注目は、一気に冴奈に集まった。
「きゃっ、きゃあああぁーーーっ!! さ、冴奈ちゃん、なんでぇ……!??」
一瞬理解が追いつかず、反応が遅れた雪乃は、約1秒後に大きな悲鳴をあげた。困惑し、赤面し、涙目になりながら、中が見られないようにスカートをばっと押さえ込んでいる。
しかし、そんな雪乃を指差しながら、冴奈は冷たく言い放った。
「フッ、オレンジ色か。あんまりエロくねぇな。今度はもっと色気のあるパンツをはいておくんだな」
「そ、そんなぁ……! ひ、ひどいよぉ、冴奈ちゃんっ……。ぐすんっ……」
そして、6年1組の教室が突然のスカートめくり騒ぎに戸惑っている中、全ての仕掛け人である勘太は、怪しく笑う冴奈の後ろから、パチ、パチ、パチ、パチとゆっくり拍手をしながら現れた。
「ご苦労。冴奈さん……いや、勘太くん。最低のエロガキっぷりだったよ」
「い、いやぁっ……! どうして、わたしが、こんなことをっ……!? お、おれ様、がっ……わたし、は、勘太さん……じゃないっ……! 体が勝手に……!」
「お前はもう冴奈じゃなくて、勘太なんだ。ほーら、催眠に体を委ねて、気持ちよくなろうぜぇ~」
「はぁ、はぁ……! げひひっ、そうだ。おれは勘太だったぜ。……ん? なんだ、この格好は」
「今、お前が着ているのは、冴奈の服だ。興奮するだろ? 興奮するよなぁ? お前は、おれなんだから」
「こっ、これが冴奈の……!? くんくん……。やべぇ、いい香りがするっ!」
自分のことを、完全に勘太だと思いこんでいる冴奈。
今度はガニ股になりながら、自分が着ている服の匂いを嗅ぎ始めた。鼻の穴をヒクヒクさせて、まるで変態のように。
周りから見れば、冴奈が冴奈の服を着ているという普通のことなのだが、本人は冴奈の服を勝手に着て女装していると思い込んでいるらしい。今の彼女に、かつての丁寧で清らかな面影はない。
その光景に、ごく一部の男子は心の中で興奮し、一部の女子は恐怖で凍り付き、そして、勇気ある男女は、悪を滅ぼすべく立ち上がった。
「ハッハッハ! おれはこのアプリの力で、6年1組の支配者になるんだぁ!! 全ての女子たちよ、あんな風になりたくなかったら、このおれ様に従……痛゛っ!!? 誰だっ!!?」
後頭部に軟式の野球ボールをぶつけられ、勘太は投手の方へと振り返った。
「いくぞ、みんな! 勘太から、スマホを奪い取るんだ! 冴奈を助けようっ!!」
「「「「おーっ!!!」」」」
健也を筆頭に、風太、翔大、実穂、雪乃、緩美、笑美、亜矢、龍斗、宙、滉一、純、他にも大勢……。6年1組のオールスターとも呼べる錚々たるメンツが、勘太の前に現れた。もれなく全員お怒りで、やる気マンマンだ。
「う、うわぁっ!! 逃げろーーっ!!」
「「「「待てーーっ!!」」」」
この人数が相手では、勝機はない。このままだと血祭りに上げられてしまうと勘太は判断し、一目散に教室から飛び出した。そして怒りの大群は、奴を逃すまいと、その後を追った。
*
「はぁ、はぁ、くそっ……! 一度にあんな大勢で来るなんて、卑怯だぞっ……!」
追いかけっこが始まった。逃走者は勘太一人で、フィールドは小学校全体だ。追走者はみんな、冴奈を助けたいという気持ちで、団結している。
「風太、雪乃! お前たちは反対から回れ! そこで勘太をはさみ撃ちにする!」
「「分かった!」」
追走者チームのリーダーである健也は的確な指示を出し、確実に勘太を追い詰めていた。
徐々に逃げ道を失っていく勘太は、とにかく必死に逃げ、脇目もふらずに体育館裏へと回ったが、そこでは健也の指示に従った風太と雪乃が、先回りをしていた。
「ぐっ……! 風太と雪乃か……! 厄介な兄妹コンビめっ……!」
「「きょ、兄妹じゃないっ!」」
「いや、雪乃聞けよ? お前のスカートをめくったのは、冴奈だぜ? おれに怒るのはおかしいだろ?」
「ぜぇーったいに許さないっ! 風太くん、勘太くんをやっつけて! 顔が腫れるくらい、ボコボコにしちゃってもいいから!」
「お、おい、風太っ! お前はおれの味方だよな!? 友達だろ!? お前は、友達を大切にする男だったよなぁ!?」
「いーや、今回ばかりはお前が悪い。観念しろ、勘太!」
「うぅっ、まずい……!」
風太は指をパキポキと鳴らしながら、勘太に近づいた。
もし取っ組み合いになった場合、雪乃一人程度なら勘太でもなんとかなりそうではあるが、ガタイが良くパワーもある風太が雪乃に加勢するなら、勘太が勝つのは極めて難しくなる。勘太は、男子の中ではちっこいのだ。
勘太は冷や汗をかきながら、頭の中でこの場を凌ぐ策を巡らせた。
「そ、そうか……。じゃあ、仕方ねえよな。お前はおれの友達だったが、仕方ねえ。こうするしかねぇよ、風太」
「ん? 何をする気だ」
「くくく……! おれは昨日、うちのクラス全員分の写真を、このスマホに収めた。その意味がわかるよな?」
「ま、まさか……!?」
「そうさ。冴奈の次の犠牲者は……お前だ! 風太っ!」
催眠フォトの設定。『相互催眠』をON。『被催眠者同士の情報共有』をONに。
風太のために勘太が用意した画像は……『春日井雪乃』。
「へっへっへ、良かったな。好きな女になれるんだぞ」
「やめろっ! 勘太っ!」
「おせえよ、風太っ! お前は今日から『雪乃』だっ!」
「うわぁーっ!?」
ピカッ。
勘太のスマホから眩い光が発せられ、風太に催眠がかけられた。そして数秒後、催眠光が消えると、冴奈の時と同様に、風太も固まってしまった。
「……」
催眠フォトのことを何も知らない雪乃は、突然の光と風太の異変に動揺していた。
「な、何!? 今の光っ! 風太くん、大丈夫っ!?」
「くくく、こいつはもう風太じゃねぇよ。諦めな」
「風太くんに何をしたの!? 勘太くんっ!」
「あーあー。風太くん、風太くんって、うるせぇよ。そんなに風太が好きなら……お前が『風太くん』になっちまえよっ!」
「えっ……!?」
ピカッ。
「きゃあーーっ!!」
催眠の光は、今度は雪乃を襲った。最後に雪乃の悲鳴が響いた後、体育館裏はしばらくの間、とても静かになった。
* *
「おーい、風太! 雪乃!」
勘太が完全に姿を消した後。
風太と雪乃がロウ人形のように固まっているところへ、追走者チームの健也がやってきた。風太の友達の翔大や、雪乃の友達の実穂や緩美も一緒だ。
「勘太はどこに行った? 逃げられたのか? 風太」
「……」
無言。
「あなたは無事? 勘太くんに何もされなかった? 雪乃」
「……」
こちらも無言。
健也と翔大は風太に、実穂と緩美は雪乃に駆け寄り、勘太の動向とそれぞれの安否を確認したが、どちらとも反応を返してこなかった。少しばかりの異変を感じ取った健也は、まず風太に詰め寄り、正面から両肩を掴んで強く揺さぶった。
「お、おいっ! しっかりしろよ風太! お前がいるのに、どうしてあいつを取り逃がすなんてことが……」
「ふぇ……? 健也……くん……?」
「え?」
「きゃあっ!! か、顔が近いよーーっ!!」
「うわっ、風太!?」
やっと意識が戻った風太は、手始めに健也を思い切り突き飛ばした。
体育館の外壁にドンッとぶつかり、背中を強く打ち付ける健也。しかし頭の中は、いきなり突き飛ばされたことへの怒りではなく、風太が発した言葉についてのハテナマークでいっぱいだった。
「もうっ! いきなり何するのっ!? びっくりするでしょ!?」
「風……太……???」
健也の目の前にいる風太は、オカマみたいな口調でプリプリと怒りながら、ほっぺたをぷくーっと膨らませている。はっきり言って全く可愛くないし、風太はこんなイメージチェンジをする男ではない。
確認のため、健也は恐る恐るその風太っぽい人物に尋ねた。
「お、お前、風太だよな……?」
「当たり前でしょ!? わたしが風太くんに決まって……あれ?」
「そのしゃべり方は、まさか……!」
「うーん、わたしが風太くんだと思うんだけど……。でも、やっぱり雪乃かなぁ。そうだっけ? わたしは雪乃だっけ?」
「おい、風太っ……!?」
「ううん、やっぱり違うよ。わたしは雪乃だよ」
風太は、自分のことを「雪乃」だと言い切った。
目の前の男の狂気じみた答えを聞いた健也は、血の気がサッと引いていくのを感じていた。
「ふ、風太っ、しっかりしろぉ!! お前は二瀬風太だろ!!」
「えっ? 違うよ? 風太くんは、わたしのお友達。わたしはね、春日井雪乃っていうの」
「催眠なんかで、自分を見失うなっ! お前は立派な男子だ!」
「違うもんっ! わたし、女の子だもんっ! なんでそんなこと言うのっ!? 健也くんっ!」
「自分の体を見てみろよっ! どこからどう見ても、男子だろうが!」
「えっ? わたしの、体……?」
健也にそう言われ、風太は自分の体を見下ろした。
しかし、健也の思ったような反応にはならず、風太は自分の胸のあたりを執拗にペタペタと触り続けると、頬をどんどん真っ赤に染めていった。何やら、とても恥ずかしがっている。
「あ、あれ!? ない! ないっ!? あ、あわわわ……!」
「どうしたんだよ。何を探してるんだ」
「わたしの胸の、ブ、ブラっ、し、下着がないのっ! なくなってる!」
「そんなもの、あるわけないだろ!? お前バカかっ!?」
「今朝、ちゃんと着けてきたのに……! 健也くん、まさか!」
「は?」
「わたしの下着、返してっ!!」
「盗らねえよ! そもそも着けてないだろ!?」
雪乃は他の女子と比べて成長が遅く、まだ胸も膨らみかけの段階だが、女児用のブラジャーはしっかり着けてきている。しかしこれは雪乃の話で、もちろん風太は男子なので、着けていない。健也の言う通り、着けているはずがない。
風太は恥ずかしそうに胸を隠しながら、健也を責め立てた。
「健也くんが、そういう最低なことするなんて、思わなかったよ……! とにかく早く返してっ、下着泥棒っ!」
「無いものをどうやって返せばいいんだよ!」
「ぜぇーったい許さないっ! 先生に言うもんっ!」
「てめぇ、いい加減にしろっ! このっ!」
「きゃあっ!! 痛っ……!」
あまりの気色悪さとしつこさに、健也は思わず風太の頭をゲンコツで殴ってしまった。
風太は少し怯むと、痛む頭部を両手で押さえ、うるうると涙目になり、そして……。
「ぐすんっ、うぅっ……うわぁあ~~ん!!」
泣き出してしまった。
「お、おい! 何も泣く事ないだろ!? そんなに強く殴ってねぇしっ!」
「け、健也くんがぁっ! ひぐっ、ひ、ひどいよぉ……! うわぁぁあ~~ん!!」
「落ち着けってば! 悪かったよ、ごめん! 風太、じゃなくて雪……痛てっ!?」
ゴツン。
泣きわめく風太を慰めている最中、健也は背後から頭を殴られた。パンチ力としては充分、男子にも匹敵するパワーだ。
「いってぇな! 誰だよ、おれを殴ったのは!」
「お前、誰に手ぇ出したか分かってんのか? 覚悟はできてるんだろうな……!」
「なっ!? ゆ、雪乃っ……!?」
そこには、完全にブチ切れてしまっている雪乃がいた。
指をパキポキと鳴らそうとしているが、鳴っていない。威圧するようなセリフも、雪乃の可愛い声なので、あまり怖くはない。しかし彼女の纏う雰囲気は、まるでケンカが始まる前の風太そのものだった。
「よりにもよって雪乃を泣かせるとはな……! 見損なったぞ、健也!」
「雪乃はお前だろ……。もうワケ分かんねぇよ」
「ワケが分からないのはお前だ! おれは風太だ!」
「つまり、お前には『風太にな~る催眠』が、かかってるんだな。そしてお前には、本物の風太が雪乃に見えるのか」
「ごちゃごちゃとうるさいな! おれはお前を許さない!」
「うわ、風太そっくりだ。おい、誰かこいつをなんとか抑えて……」
言葉をさえぎるかのように、健也の背後でまた声が上がった。
「あーーーーっ!!?」
叫んだのは風太だった。自分のことを雪乃だと思い込んでいる、風太だ。
「それ、わたしの服っ!!」
「えっ……!?」
風太は雪乃を指差し、彼女が着ている服を自分のものであると主張した。風太に指差された雪乃は、バッと体を見下ろし、今の自分の格好を確認した。
「うわっ、うわぁっ!? な、なな、なんでおれが、こんな、雪乃のスカートをっ!?」
周りの人間は、その様子を見ながら、「お前が雪乃なんだから、雪乃のスカートをはいてるに決まってるだろ」という言葉を飲み込んだ。催眠がかかっている人間にしか分からない世界の話だ。
雪乃は顔を真っ赤にしながら、股を大きく開き、ミニスカートの裾を掴んで広げた。
「ゆ、雪乃、これは違うんだっ! おれが着たわけじゃなくて、気がついたらこんな格好になってたんだ!」
「わ、わたしの方も、いつのまにか風太くんの服を着てるっ……! 何が起こってるの……!?」
端から見ると、全くおかしな格好はしていないのだが、二人はどんどんパニックになっていった。
「わ、わたしの服と、交換しよっ……? 風太くんっ」
「そっ、そうだな……! お、おかしいもんな。おれもお前も、この格好だと……!」
「あ、あのっ! もしかして、む、胸に、着けてるっ!? 確認してっ!」
「いぃっ……!? な、なんか、着いてるっ……!? こ、これ、雪乃の……」
「まずはそれを、こっちに渡してっ! お願いっ!」
「う、うんっ……! すぐに渡すっ……!」
雪乃は、風太が胸を必死に隠していることに気付き、自分のブラジャーをとって彼に渡そうとした。しかし、シャツをめくりあげようとしたところで、そばにいた実穂に手首を掴まれ、それを阻止されてしまった。
「ダメよ雪乃! 何を考えてるのっ!」
「放せよ、実穂っ! これ、雪乃の大事なものなんだ!」
「雪乃はあなたでしょ! 正気に戻りなさいっ!」
「違う、おれは風太だよ! おれだって男なのにこんな服、恥ずかしいんだ! 着替えさせてくれっ!」
「あなたは女だってば! ……緩美! わたしの方を手伝って! 健也くんと翔太くんは、向こうに行ってなさいっ!」
「「「は、はいっ!」」」
実穂の命令に従い、緩美は実穂の方へ。健也と翔大は、女子三人と風太の様子を見ないように、物陰へと別れた。
*
石段に座り、空を眺めている健也の隣に、翔大が腰を降ろした。
風太と女子たちの、何やらきゃあきゃあと喚く声が、ここにいても聞こえてくる。
「お疲れ、健也」
「まだ何も終わってねぇよ。翔大」
「……はぁ。風太さえも、ああなっちゃうのかよ。恐ろしいな、催眠ってやつは」
「とりあえず、風太と雪乃は教室に待機させよう。もう戦力にはならない」
「早く勘太を捕まえて、みんなの催眠を解かないと……」
「ああ。恐ろしいことになる。やるしかないな」
風太と雪乃、そして冴奈の犠牲は無駄にはしない。そう決意し、健也は力強く立ち上がった。
本編とは関係のない平行世界のお話
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「催眠フォト?」
「そう。催眠フォト」
月野内小学校6年1組の、のどかな昼休み。
早めに給食を食べ終わった風太、健也、翔大、勘太の男子四人は、教室の後ろで輪を作りながら、のんびりと談笑していた。今日の話題は、イタズラ坊主の勘太が、最近スマホにダウンロードした、とあるアプリの話。
「うさん臭えな」「どうでもいいよ」「早くドッジしに行こうぜ」
「まぁ待て、お前ら! これ、すげーんだぜ? 通常は手に入れることができない、幻のアプリなんだ」
催眠フォト。
勘太はそのアプリのすごさを自慢げに語ったが、健也は鼻で笑い、翔大は肩をすくめ、スマホを持っていない風太に至っては、何の話だかさっぱり分かっていなかった。つまり、勘太以外の三人は、一ミリも興味を持っていない話題。
「例えばだな。まず、猫の写真を撮るだろ? そして、その画像をこの催眠フォトに入れて、設定をちょちょいと弄るだけで、『あなたは猫にな~る催眠』の完成ってわけ。あとは、催眠をかけたい相手に、催眠光を見せれば……」
「今度の日曜日、みんなでゲーム大会やるらしいぞ。風太も来いよ」「お、いいなそれ。なんのゲームやる予定?」「『バトルカポエラ2』だってさ。とりあえず、日曜日に龍斗ん家に集合な」
「聞けよっ! アホ三人組っ!! ……仕方ねぇな。とりあえず、実演してやるよ。存分に驚くがいい」
そう言うと、勘太はまずインカメラで自分の写真をパシャリと撮った。
坊主頭で、いかにもやんちゃをしそうな悪ガキの自撮り写真。見慣れるどころか見飽きた顔なので、風太も翔大も健也も特に反応を示さなかった。しかし勘太は、不敵な笑みを浮かべた。
「ふっふっふ。『勘太にな~る催眠』の完成だ。この光を浴びたやつは、みんなクソエロオスガキのおれになっちまうのさ」
「自分で言ってて悲しくならないのか、お前」
「実験台は、そうだな……。よし、あそこにいる冴奈にしよう」
「「「えっ……!?」」」
花白冴奈。6年1組のクラスメート。
艶やかな黒髪が美しい、和風美人な女の子。実家は老舗の和菓子屋で、茶道や華道を嗜んでおり、そのおしとやかな振る舞いから、女子たちには「さえさま」と呼ばれ親しまれている。普段は洋服だが、勘太曰く、和服を着ると清らかさが三倍になるとかなんとか。
誰にでも丁寧で優しく、華のように美しい笑顔を見せる冴奈には、密かに想いを寄せる男子も多い。
「冴奈が何をしたっていうんだ! やめろ!」「そうだそうだ! 冴奈は何も悪くないだろうが!」「やって良いこととダメなことの区別もつかなくなったのか! 勘太!」
「えーい、黙れ黙れ! どうせお前ら、まだ信じてねぇんだろ! このアプリの恐ろしさ、とくと目に焼き付けろ!」
三人の制止を振り切り、勘太はぴょこぴょこと冴奈の机のそばまで跳ね進んでいった。
冴奈はというと、ちょうど今給食を食べ終わったようで、小鳥のさえずりに耳を傾けながら、水筒のコップにいれた熱い緑茶を静かに味わっている。
「Hey、冴奈! もうメシ食い終わったのか? ちょっとおれと楽しいお話しようぜ」
「あら、勘太さん。わたしとお話してくださるのですか?」
「そうなんだよ。いやあ、うまそうなお茶飲んでるなって思って」
「うふふ。勘太さんはお目が高いですね。こちらはお母様が選んでくださった……」
(へへっ、油断してるな。よし、今だっ!!)
ピカッ。
勘太は、後ろに隠し持ったスマートフォンを取り出すと、その画面から発せられる強い光を、無防備な冴奈の顔に浴びせた。
「おりゃあっ! これが催眠フォトの力だぁっ!」
「えっ……!?」
数秒、その強い光を見続けた冴奈は、瞳孔を開いたまま固まってしまった。
勘太は冴奈が完全に催眠にかかったことを確認すると、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら、風太たち三人がいる場所へと戻ってきた。
「ふふふ、催眠完了」
「おい、冴奈に何をしたんだよ勘太! あんな強い光を顔に向けたら、目が悪くなるんじゃ……」
「大丈夫。視力に影響はない。それより、面白いものが見られるぞ」
「お、面白いもの……?」
風太たちと勘太が教室の後ろで言い合いをしていると、突然、冴奈は自分の椅子からガタッと立ち上がった。物静かで丁寧な冴奈がするとは思えない、乱暴な立ち上がり方だ。
風太たち男子三人組は、彼女の行動に釘付けになった。
「お、おい。冴奈の様子が、なんだかおかしいぞ……!?」
「まぁ見てなって。ほら、冴奈は立ち上がって……お、雪乃たちの方に歩いていくみたいだ。くくく、一体何をするつもりなんだろうな」
勘太の言葉通り、冴奈は雪乃、実穂、緩美、笑美、亜矢の女子五人グループに近づいていった。女子グループは教室の前の方に集まり、そこでのんびりと談笑している。どうやら、緩美が作った小さなフェルト人形についての話題で、盛り上がっているようだ。
「わぁ、可愛いっ! これ、ゆっち(緩美)がランドセルにつけてるのと同じやつ!?」
「うんっ……。お母さんと一緒に作ったの」
「すごい! お店で売れるクオリティだよ!」
「このヒヨコ、すっごく可愛いね! わたしにも作り方教えてー!」
「ふふっ。不器用な雪乃でも作れるかしら?」
フェルト人形談義で盛り上がる、女子の輪。
そこから少し離れた場所にいるおとしやかな存在に、まずは雪乃が気がついた。雪乃の今日のファッションは、いつものデニムショートパンツではなくチェック柄のミニスカートなので、残念ながら、スカートめくりがしやすい。
「あっ! 冴奈ちゃん! 冴奈ちゃんも、こっちにおいでよー! 緩美ちゃんのお人形が、とっても可愛いのっ!」
「冴奈……? ふふふ……」
「どうしたの? ほら、早くっ!」
「へへっ。おれは……おれ様は冴奈じゃねぇ! 勘太様だ!! おりゃああーーっ!!!」
「!!?」
冴奈は大声を張り上げながら、雪乃のスカートの裾を掴み、思い切り上へとめくり上げた。「おれ様」も「おりゃあー!」も、スカートめくりも、普段の冴奈なら絶対にあり得ない行動だけに、教室中の注目は、一気に冴奈に集まった。
「きゃっ、きゃあああぁーーーっ!! さ、冴奈ちゃん、なんでぇ……!??」
一瞬理解が追いつかず、反応が遅れた雪乃は、約1秒後に大きな悲鳴をあげた。困惑し、赤面し、涙目になりながら、中が見られないようにスカートをばっと押さえ込んでいる。
しかし、そんな雪乃を指差しながら、冴奈は冷たく言い放った。
「フッ、オレンジ色か。あんまりエロくねぇな。今度はもっと色気のあるパンツをはいておくんだな」
「そ、そんなぁ……! ひ、ひどいよぉ、冴奈ちゃんっ……。ぐすんっ……」
そして、6年1組の教室が突然のスカートめくり騒ぎに戸惑っている中、全ての仕掛け人である勘太は、怪しく笑う冴奈の後ろから、パチ、パチ、パチ、パチとゆっくり拍手をしながら現れた。
「ご苦労。冴奈さん……いや、勘太くん。最低のエロガキっぷりだったよ」
「い、いやぁっ……! どうして、わたしが、こんなことをっ……!? お、おれ様、がっ……わたし、は、勘太さん……じゃないっ……! 体が勝手に……!」
「お前はもう冴奈じゃなくて、勘太なんだ。ほーら、催眠に体を委ねて、気持ちよくなろうぜぇ~」
「はぁ、はぁ……! げひひっ、そうだ。おれは勘太だったぜ。……ん? なんだ、この格好は」
「今、お前が着ているのは、冴奈の服だ。興奮するだろ? 興奮するよなぁ? お前は、おれなんだから」
「こっ、これが冴奈の……!? くんくん……。やべぇ、いい香りがするっ!」
自分のことを、完全に勘太だと思いこんでいる冴奈。
今度はガニ股になりながら、自分が着ている服の匂いを嗅ぎ始めた。鼻の穴をヒクヒクさせて、まるで変態のように。
周りから見れば、冴奈が冴奈の服を着ているという普通のことなのだが、本人は冴奈の服を勝手に着て女装していると思い込んでいるらしい。今の彼女に、かつての丁寧で清らかな面影はない。
その光景に、ごく一部の男子は心の中で興奮し、一部の女子は恐怖で凍り付き、そして、勇気ある男女は、悪を滅ぼすべく立ち上がった。
「ハッハッハ! おれはこのアプリの力で、6年1組の支配者になるんだぁ!! 全ての女子たちよ、あんな風になりたくなかったら、このおれ様に従……痛゛っ!!? 誰だっ!!?」
後頭部に軟式の野球ボールをぶつけられ、勘太は投手の方へと振り返った。
「いくぞ、みんな! 勘太から、スマホを奪い取るんだ! 冴奈を助けようっ!!」
「「「「おーっ!!!」」」」
健也を筆頭に、風太、翔大、実穂、雪乃、緩美、笑美、亜矢、龍斗、宙、滉一、純、他にも大勢……。6年1組のオールスターとも呼べる錚々たるメンツが、勘太の前に現れた。もれなく全員お怒りで、やる気マンマンだ。
「う、うわぁっ!! 逃げろーーっ!!」
「「「「待てーーっ!!」」」」
この人数が相手では、勝機はない。このままだと血祭りに上げられてしまうと勘太は判断し、一目散に教室から飛び出した。そして怒りの大群は、奴を逃すまいと、その後を追った。
*
「はぁ、はぁ、くそっ……! 一度にあんな大勢で来るなんて、卑怯だぞっ……!」
追いかけっこが始まった。逃走者は勘太一人で、フィールドは小学校全体だ。追走者はみんな、冴奈を助けたいという気持ちで、団結している。
「風太、雪乃! お前たちは反対から回れ! そこで勘太をはさみ撃ちにする!」
「「分かった!」」
追走者チームのリーダーである健也は的確な指示を出し、確実に勘太を追い詰めていた。
徐々に逃げ道を失っていく勘太は、とにかく必死に逃げ、脇目もふらずに体育館裏へと回ったが、そこでは健也の指示に従った風太と雪乃が、先回りをしていた。
「ぐっ……! 風太と雪乃か……! 厄介な兄妹コンビめっ……!」
「「きょ、兄妹じゃないっ!」」
「いや、雪乃聞けよ? お前のスカートをめくったのは、冴奈だぜ? おれに怒るのはおかしいだろ?」
「ぜぇーったいに許さないっ! 風太くん、勘太くんをやっつけて! 顔が腫れるくらい、ボコボコにしちゃってもいいから!」
「お、おい、風太っ! お前はおれの味方だよな!? 友達だろ!? お前は、友達を大切にする男だったよなぁ!?」
「いーや、今回ばかりはお前が悪い。観念しろ、勘太!」
「うぅっ、まずい……!」
風太は指をパキポキと鳴らしながら、勘太に近づいた。
もし取っ組み合いになった場合、雪乃一人程度なら勘太でもなんとかなりそうではあるが、ガタイが良くパワーもある風太が雪乃に加勢するなら、勘太が勝つのは極めて難しくなる。勘太は、男子の中ではちっこいのだ。
勘太は冷や汗をかきながら、頭の中でこの場を凌ぐ策を巡らせた。
「そ、そうか……。じゃあ、仕方ねえよな。お前はおれの友達だったが、仕方ねえ。こうするしかねぇよ、風太」
「ん? 何をする気だ」
「くくく……! おれは昨日、うちのクラス全員分の写真を、このスマホに収めた。その意味がわかるよな?」
「ま、まさか……!?」
「そうさ。冴奈の次の犠牲者は……お前だ! 風太っ!」
催眠フォトの設定。『相互催眠』をON。『被催眠者同士の情報共有』をONに。
風太のために勘太が用意した画像は……『春日井雪乃』。
「へっへっへ、良かったな。好きな女になれるんだぞ」
「やめろっ! 勘太っ!」
「おせえよ、風太っ! お前は今日から『雪乃』だっ!」
「うわぁーっ!?」
ピカッ。
勘太のスマホから眩い光が発せられ、風太に催眠がかけられた。そして数秒後、催眠光が消えると、冴奈の時と同様に、風太も固まってしまった。
「……」
催眠フォトのことを何も知らない雪乃は、突然の光と風太の異変に動揺していた。
「な、何!? 今の光っ! 風太くん、大丈夫っ!?」
「くくく、こいつはもう風太じゃねぇよ。諦めな」
「風太くんに何をしたの!? 勘太くんっ!」
「あーあー。風太くん、風太くんって、うるせぇよ。そんなに風太が好きなら……お前が『風太くん』になっちまえよっ!」
「えっ……!?」
ピカッ。
「きゃあーーっ!!」
催眠の光は、今度は雪乃を襲った。最後に雪乃の悲鳴が響いた後、体育館裏はしばらくの間、とても静かになった。
* *
「おーい、風太! 雪乃!」
勘太が完全に姿を消した後。
風太と雪乃がロウ人形のように固まっているところへ、追走者チームの健也がやってきた。風太の友達の翔大や、雪乃の友達の実穂や緩美も一緒だ。
「勘太はどこに行った? 逃げられたのか? 風太」
「……」
無言。
「あなたは無事? 勘太くんに何もされなかった? 雪乃」
「……」
こちらも無言。
健也と翔大は風太に、実穂と緩美は雪乃に駆け寄り、勘太の動向とそれぞれの安否を確認したが、どちらとも反応を返してこなかった。少しばかりの異変を感じ取った健也は、まず風太に詰め寄り、正面から両肩を掴んで強く揺さぶった。
「お、おいっ! しっかりしろよ風太! お前がいるのに、どうしてあいつを取り逃がすなんてことが……」
「ふぇ……? 健也……くん……?」
「え?」
「きゃあっ!! か、顔が近いよーーっ!!」
「うわっ、風太!?」
やっと意識が戻った風太は、手始めに健也を思い切り突き飛ばした。
体育館の外壁にドンッとぶつかり、背中を強く打ち付ける健也。しかし頭の中は、いきなり突き飛ばされたことへの怒りではなく、風太が発した言葉についてのハテナマークでいっぱいだった。
「もうっ! いきなり何するのっ!? びっくりするでしょ!?」
「風……太……???」
健也の目の前にいる風太は、オカマみたいな口調でプリプリと怒りながら、ほっぺたをぷくーっと膨らませている。はっきり言って全く可愛くないし、風太はこんなイメージチェンジをする男ではない。
確認のため、健也は恐る恐るその風太っぽい人物に尋ねた。
「お、お前、風太だよな……?」
「当たり前でしょ!? わたしが風太くんに決まって……あれ?」
「そのしゃべり方は、まさか……!」
「うーん、わたしが風太くんだと思うんだけど……。でも、やっぱり雪乃かなぁ。そうだっけ? わたしは雪乃だっけ?」
「おい、風太っ……!?」
「ううん、やっぱり違うよ。わたしは雪乃だよ」
風太は、自分のことを「雪乃」だと言い切った。
目の前の男の狂気じみた答えを聞いた健也は、血の気がサッと引いていくのを感じていた。
「ふ、風太っ、しっかりしろぉ!! お前は二瀬風太だろ!!」
「えっ? 違うよ? 風太くんは、わたしのお友達。わたしはね、春日井雪乃っていうの」
「催眠なんかで、自分を見失うなっ! お前は立派な男子だ!」
「違うもんっ! わたし、女の子だもんっ! なんでそんなこと言うのっ!? 健也くんっ!」
「自分の体を見てみろよっ! どこからどう見ても、男子だろうが!」
「えっ? わたしの、体……?」
健也にそう言われ、風太は自分の体を見下ろした。
しかし、健也の思ったような反応にはならず、風太は自分の胸のあたりを執拗にペタペタと触り続けると、頬をどんどん真っ赤に染めていった。何やら、とても恥ずかしがっている。
「あ、あれ!? ない! ないっ!? あ、あわわわ……!」
「どうしたんだよ。何を探してるんだ」
「わたしの胸の、ブ、ブラっ、し、下着がないのっ! なくなってる!」
「そんなもの、あるわけないだろ!? お前バカかっ!?」
「今朝、ちゃんと着けてきたのに……! 健也くん、まさか!」
「は?」
「わたしの下着、返してっ!!」
「盗らねえよ! そもそも着けてないだろ!?」
雪乃は他の女子と比べて成長が遅く、まだ胸も膨らみかけの段階だが、女児用のブラジャーはしっかり着けてきている。しかしこれは雪乃の話で、もちろん風太は男子なので、着けていない。健也の言う通り、着けているはずがない。
風太は恥ずかしそうに胸を隠しながら、健也を責め立てた。
「健也くんが、そういう最低なことするなんて、思わなかったよ……! とにかく早く返してっ、下着泥棒っ!」
「無いものをどうやって返せばいいんだよ!」
「ぜぇーったい許さないっ! 先生に言うもんっ!」
「てめぇ、いい加減にしろっ! このっ!」
「きゃあっ!! 痛っ……!」
あまりの気色悪さとしつこさに、健也は思わず風太の頭をゲンコツで殴ってしまった。
風太は少し怯むと、痛む頭部を両手で押さえ、うるうると涙目になり、そして……。
「ぐすんっ、うぅっ……うわぁあ~~ん!!」
泣き出してしまった。
「お、おい! 何も泣く事ないだろ!? そんなに強く殴ってねぇしっ!」
「け、健也くんがぁっ! ひぐっ、ひ、ひどいよぉ……! うわぁぁあ~~ん!!」
「落ち着けってば! 悪かったよ、ごめん! 風太、じゃなくて雪……痛てっ!?」
ゴツン。
泣きわめく風太を慰めている最中、健也は背後から頭を殴られた。パンチ力としては充分、男子にも匹敵するパワーだ。
「いってぇな! 誰だよ、おれを殴ったのは!」
「お前、誰に手ぇ出したか分かってんのか? 覚悟はできてるんだろうな……!」
「なっ!? ゆ、雪乃っ……!?」
そこには、完全にブチ切れてしまっている雪乃がいた。
指をパキポキと鳴らそうとしているが、鳴っていない。威圧するようなセリフも、雪乃の可愛い声なので、あまり怖くはない。しかし彼女の纏う雰囲気は、まるでケンカが始まる前の風太そのものだった。
「よりにもよって雪乃を泣かせるとはな……! 見損なったぞ、健也!」
「雪乃はお前だろ……。もうワケ分かんねぇよ」
「ワケが分からないのはお前だ! おれは風太だ!」
「つまり、お前には『風太にな~る催眠』が、かかってるんだな。そしてお前には、本物の風太が雪乃に見えるのか」
「ごちゃごちゃとうるさいな! おれはお前を許さない!」
「うわ、風太そっくりだ。おい、誰かこいつをなんとか抑えて……」
言葉をさえぎるかのように、健也の背後でまた声が上がった。
「あーーーーっ!!?」
叫んだのは風太だった。自分のことを雪乃だと思い込んでいる、風太だ。
「それ、わたしの服っ!!」
「えっ……!?」
風太は雪乃を指差し、彼女が着ている服を自分のものであると主張した。風太に指差された雪乃は、バッと体を見下ろし、今の自分の格好を確認した。
「うわっ、うわぁっ!? な、なな、なんでおれが、こんな、雪乃のスカートをっ!?」
周りの人間は、その様子を見ながら、「お前が雪乃なんだから、雪乃のスカートをはいてるに決まってるだろ」という言葉を飲み込んだ。催眠がかかっている人間にしか分からない世界の話だ。
雪乃は顔を真っ赤にしながら、股を大きく開き、ミニスカートの裾を掴んで広げた。
「ゆ、雪乃、これは違うんだっ! おれが着たわけじゃなくて、気がついたらこんな格好になってたんだ!」
「わ、わたしの方も、いつのまにか風太くんの服を着てるっ……! 何が起こってるの……!?」
端から見ると、全くおかしな格好はしていないのだが、二人はどんどんパニックになっていった。
「わ、わたしの服と、交換しよっ……? 風太くんっ」
「そっ、そうだな……! お、おかしいもんな。おれもお前も、この格好だと……!」
「あ、あのっ! もしかして、む、胸に、着けてるっ!? 確認してっ!」
「いぃっ……!? な、なんか、着いてるっ……!? こ、これ、雪乃の……」
「まずはそれを、こっちに渡してっ! お願いっ!」
「う、うんっ……! すぐに渡すっ……!」
雪乃は、風太が胸を必死に隠していることに気付き、自分のブラジャーをとって彼に渡そうとした。しかし、シャツをめくりあげようとしたところで、そばにいた実穂に手首を掴まれ、それを阻止されてしまった。
「ダメよ雪乃! 何を考えてるのっ!」
「放せよ、実穂っ! これ、雪乃の大事なものなんだ!」
「雪乃はあなたでしょ! 正気に戻りなさいっ!」
「違う、おれは風太だよ! おれだって男なのにこんな服、恥ずかしいんだ! 着替えさせてくれっ!」
「あなたは女だってば! ……緩美! わたしの方を手伝って! 健也くんと翔太くんは、向こうに行ってなさいっ!」
「「「は、はいっ!」」」
実穂の命令に従い、緩美は実穂の方へ。健也と翔大は、女子三人と風太の様子を見ないように、物陰へと別れた。
*
石段に座り、空を眺めている健也の隣に、翔大が腰を降ろした。
風太と女子たちの、何やらきゃあきゃあと喚く声が、ここにいても聞こえてくる。
「お疲れ、健也」
「まだ何も終わってねぇよ。翔大」
「……はぁ。風太さえも、ああなっちゃうのかよ。恐ろしいな、催眠ってやつは」
「とりあえず、風太と雪乃は教室に待機させよう。もう戦力にはならない」
「早く勘太を捕まえて、みんなの催眠を解かないと……」
「ああ。恐ろしいことになる。やるしかないな」
風太と雪乃、そして冴奈の犠牲は無駄にはしない。そう決意し、健也は力強く立ち上がった。
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