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8章
75【吉原特区】
しおりを挟む週末。13時半を回った頃、丹生と朝夷は、揃って吉原大門をくぐっていた。
逢坂から始末はついたと聞いたものの、火の粉がかかったという言葉がどうにも気にかかり、区内の見回りがてら、陸奥の職場である陰間茶屋、『万華郷』を覗きに行こうと思い至ったのだ。
「はー、昼間っから賑わってんなー。さすが吉原特区。国庫が潤っていくのが、目に見えるわ。色欲サマサマだな」
丹生は、仲之町通りにひしめく人々を眺め、片方の口角を上げて皮肉った。
「そうだね。色事はどの時代でも、絶対に廃れないから」
「それ、お前が言うと嫌味に聞こえるぞ」
「なに言ってるの、俺だって欲望に満ちあふれてるよ。お前にだけね」
「うわぁ。臭いセリフだってのに、マジなんだからタチ悪いよなぁ」
そんな軽口を交わしながら、つらつらと通りを歩く。任務で来ているのではないが、念の為、2人とも仕事着のスーツ姿で、証票と社用携帯も所持している。とはいえ、丹生は相変わらず裾を出しっぱなしにしたデザインシャツにハットと、およそ仕事着とは言えない格好だ。
「なぁ、長門」
「なに?」
「気のせいかな。俺たち、ものすごく見られてないか?」
「気のせいじゃないよ、璃津。みんなお前に見蕩れてるんだよ」
「いや、マジな話。変なもの見るみたいな視線、感じるんだけど。吉原来るの久々すぎて、掟とか覚えてないんだよな。なんか余計なことしたかな?」
吉原特区には、吉原条例というものがある。色街ならではの特殊な法が多く、ここで遊ぶためには遵守せねばならない。条例を破れば、莫大な違約金が発生したり、一切の出入りを禁じられる等の、厳しい罰則があるのだ。朝夷がここを「治外法権」と呼ぶ所以である。
「何もしていないよ。ただ、週末の昼間に俺たちみたいなのがこんな格好で歩いていたら、嫌でも目立つというだけさ」
丹生は自分たちと周囲を見比べ、「ああ」と苦く笑った。
吉原では、和装が基本のドレスコードとなっている。区内の住人はもちろん、遊びに来る客たちも、上等な着物姿の者が多い。平日ならば、仕事帰りのスーツ姿なども増えるが、週末の今は、ちらほら見える程度だ。遊里と言えど、徹底して粋と風流を重んじる、高尚な社交場ならではのマナーである。
因みに、性の自由と解放の先駆けとなった吉原には現在、男性娼妓を扱う陰間茶屋も、多く存在している。男女を区別するため、男性の上級娼妓を太夫、女性の上級娼妓を花魁と呼び分けている。
「しまったな、悪目立ちはしたくないのに……。レンタルでも、着物にすりゃ良かったか」
「呉服屋があるから、今から買って着替えてもいいよ。璃津の着物姿、見てみたいな。きっとすごく色っぽいだろうね」
丹生は少し考えた後、苦笑混じりに首を横に振った。
「やめとくよ、金もったいないし。確かにお前の和装も見てみたいけど、いざって時に身動きが取りづらい。さっさと見回り済ませちゃおうぜ」
「待って。前のほう、すごく混んでるから、そんなに早足だとはぐれちゃう。こんな所で璃津が独りになったら、何されるか分からないからね。俺から離れないで」
先を急ごうとした丹生の腕を、朝夷が素早く掴んで引き寄せる。
「大袈裟だな。昔は、付き合いでよく来てたんだぜ。逢坂がどこのシマ仕切ってたか、忘れたのか?」
「独りでうろついてたんじゃないでしょ? それに、今は逢坂の後ろ盾もない。ここには妙な輩が多いんだから、もっと気を付けてくれないと、俺の心臓が持たないよ」
「分かった、分かった。まったく、小心者の彼氏を持つと、苦労するな」
挑発的な笑みを浮かべて腕を組んでくる丹生に、ぞくりと扇情されつつ、これだから心配になるんだ、と思った。
先に進むにつれ、朝夷の言った通り、人混みはますます酷くなり、1歩進むのにも苦労するほどの混雑を見せ始めた。
「ちょ……なにこれ!? いくら週末ったって、混みすぎだろ! 満員電車かよ!」
「大丈夫? ほら、こっちおいで」
ぎゅうぎゅうと揉みくちゃになっている丹生を、朝夷が逞しい腕の中に囲い込んで、かばってくれる。丹生はほっと息をつき、腕の中から見上げて問うた。
「なんでこんなに混んでるの? 音楽聞こえてくるけど、祭り? 全然前が見えなくて、状況が分かんねぇ」
「どうも、間の悪い時に当たっちゃったみたい。これは花魁道中が来るね」
「道中!? くそ、最悪だな……」
花魁道中とは、上級娼妓が遣手や新造を引き連れ、上客を迎えに行く行列のことだ。絢爛豪華で雅やかなそれは、古くから吉原名物として非常に人気があるため、混雑するのも当然である。
やり過ごすしかないと諦めた丹生が、朝夷に体を預けてしばらく経った頃、周囲がいっそうざわめき始めた。
「来た! 陸奥太夫だ!」
「素敵ぃ!」
「陸奥様ぁ! こっち向いてー!」
男女入り交じる黄色い声の呼んだ名に、丹生は弾かれたように顔を上げた。
「えっ、まじ!? 陸奥さんの道中だったのか!」
「……そのようだね……」
テンションが跳ね上がった丹生に反し、朝夷はげっそりと嫌な顔をしている。
「見たい! すいません、ちょっと通して!」
「あっ、璃津! 待って!」
腕から抜け出した丹生は、まるで蛇のようにするすると人の間をぬって前へ行く。さっきまで苦戦していたのが嘘のような素早さに、朝夷は慌てて人混みをかき分けて後を追った。
しかし、あまりに滑らかに前進したため、丹生はうっかり最前列から道へ飛び出してしまった。道中の進路を塞ぎかけた所を、間一髪で追いついた朝夷が引き戻す。
曲者かと道中隊が警戒するの見て、丹生は慌てて謝罪を述べて頭を下げた。足を止めた陸奥と目が合うと、一瞬、驚いた顔をしたものの、すぐに優しく微笑んでくれた。
陸奥は背後に控えていた美青年に何かを耳打ちし、1mはありそうな煙管を受け取って火をつけさせ、2度ほどふかしてから、吸口を丹生へ向けてきた。
見物人らがどよめくのを聞きながら、丹生はそれが何なのか分からずに戸惑う。陸奥が身振りで『吸って』と示したため、丹生はおずおずと煙管に口をつけて吸い込んだ。
周囲から驚きと羨望の歓声が上がる。陸奥に付き従っていた従業員らも、信じられないという表情で丹生を凝視していた。
丹生が紫煙を吐くのを見届けると、陸奥は煙管を片手に持ったまま優美に微笑み、軽く会釈をして道中へ戻っていった。
何が何やらで、ぽかんと突っ立ったままの丹生の耳に、見物人の囁きが聞こえてくる。
「あの〝冷帝〟が、まさかアレをやるなんてなぁ……」
「あの人、何者かしら……」
「ものすごいべっぴんだ、ちょいと引っ掛けたくなっても、不思議じゃあるめぇ」
「陸奥太夫が? そりゃねぇだろ。美男美女なんて、見飽きてるだろうに」
「お連れの方も、すごく格好良いわぁ。どことなく陸奥様に似てない?」
「本当ね。もしかしてお身内かしら」
「なんにしても、万華郷の太夫格がアレをやるなんざ驚きだね」
「面白いもん見さしてもらったなぁ。こりゃ、しばらく盛り上がるぜ」
自分は一体なにをしたんだ、とにわかに恐怖を覚えた時、腹に回っていた朝夷の腕がぎゅっと締まった。丹生はカエルが潰れたような呻きをあげる。
「おい、苦しいって! なんで怒ってんの!?」
腕をタップしながら首を曲げて見上げると、朝夷は思い切り不機嫌な顔をしていた。
「璃津、吉原には詳しいんじゃなかったっけ?」
「何度か来たことあるってだけで、別に詳しくはねぇよ! 作法とかも知らないし、俺がいったい何したっていうんだ?」
朝夷は腕を緩めると深く嘆息し、苦々しく舌打ちした後で説明してくれた。
「さっきのは〝吸い付けタバコ〟っていう客引きだよ。普通、太夫は一見と目も合わせないんだけど、気に入った相手には、ああして煙管を渡すんだ。それを吸ったら、誘いに乗ったってことになるのさ。あいつ、本当にタチが悪い……」
「なるほど、超売れっ子に粉かけられたのか。どうりで皆が騒いでたワケだ。なんか得した気分」
「ちょっと、なに喜んでるの。お前が思ってる以上にまずい状況だからね、これ」
「なんでだよ。どうせ会いに行く予定だったんだし、ちょうど良かったじゃん」
「冗談で済めば良いけど。あいつのことだから、なんか怪しいんだよなぁ……」
どっと窶れる朝夷に首をかしげながら、丹生はようやく人混みが緩和した仲之町通りへ視線を巡らせた。
「陸奥さんの休憩まで2時間以上あるし、とりあえず、ぐるっと一周してこようぜ。賭場も見ときたいけど、さすがにこの格好じゃ無理だな」
「こら、言ったそばから離れないの。俺から10cm以上離れたら、手錠するからね」
「持ってんのかよ」
「そこらで売ってるから買う」
「やべー、顔がマジじゃん。分かったよ、離れないから早く行こうぜ」
そうして再び腕を組み、見回ること小一時間。丹生の横に、フルスモークのセダンが速度を落として並んできた。朝夷は、即座に丹生を背後にかばう。ゆっくり下がった後部座席の窓から覗いた顔に、丹生が明るい声を上げた。
「あー、篁さんじゃん! お久し振りー」
「ご無沙汰してます、璃津さん。こんな所でお会いするとは、驚きましたよ」
丹生は朝夷のジャケットの裾を軽く引き、下がってろと合図する。
ゆったりした動作で車から降りてきたのは、晋和会会長の篁 恭丞だ。すらりと引き締まった体躯を、クラシコイタリアのダークスーツに包み、静かな威圧感を漂わせている。逢坂から会長の座を引き継いだ、信頼厚い子分であり、当然、丹生とも面識がある。
丹生は内心、こいつはどこまで知ってるんだと警戒しつつ、笑顔を崩さずに話しを続けた。
「昼間も見回りしてるなんて、相変わらず仕事熱心だね」
「ここの所、少したるんだ輩が出ていましてね。ところで、もうお体は宜しいので? 璃弊の件、聞きましたよ。大変な目にあったそうじゃありませんか」
「ああ、アレには参ったよ。でもこの通り、運良く無傷の生還さ」
「本当に良かった。親父があれほど取り乱す姿は、初めて見ましたから、私も心配でした」
丹生は乾いた笑いをこぼしながら、慌てふためく逢坂を想像して、若干の罪悪感を覚えるのだった。
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