九段の郭公

四葩

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8章

76【憂国フラタニティ】

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「ところで、今日はどうされたんです? 親父の使いですか?」
「いや、違うよ。友達と遊びに来ただけ」

 たかむら丹生たんしょうの後ろに立つ朝夷あさひなを一瞥し、「ほう」と薄く笑った。

「お友達、ですか。そんな美丈夫を連れていると知ったら、親父が怒り狂いそうですね」
「嫌だなぁ、そんな意地悪言わないでよ。でも会えて良かった。この前、逢坂おうさかさんに吉原も被害にあったって聞いたから心配してたんだよ。内輪揉めだったって?」
「ええ、まあ……。璃弊リーパンの件で駆り出されていた時に、悪戯が過ぎた者がいましてね。娼妓が1人、亡くなりました。私の監督下でこのような醜態を晒すなど、親父に面目が立ちません」

 篁は沈痛な面持ちで眉をひそめており、相変わらず情に厚い男だなと思った。丹生は励ますように明るい声を掛ける。

「あらかた聞いてる。それは篁さんのせいじゃない。全部、横槍入れてきたバカ組長と璃弊リーパンが悪いんだ。篁さんは頑張ってるんだから、あんまり自分を責めないで」

 ぽんぽんと腕を叩かれて篁は一瞬、驚いたように少し目を見開いたが、やがて喉の奥で笑いながら煙草を咥えた。

「やはり貴方は素敵な方だ。親父が入れ込んでいなければ、私がそうなっていたかもしれません」

 丹生は朝夷が殺気立つのを後ろ手に制しつつ、からからと笑った。

「よく言うよ。聞いてるんだからね、2億も貢ぐほど惚れ込んでる相手が居るって。逢坂さんも興味津々だったし、俺もどんな美人か見てみたいな」
「やれやれ、璃津りつさんには何でも筒抜けですな。彼は、どことなく貴方に似ています。朗らかなようでいて掴みどころがない。面白い男ですよ」
「ふうん、どこの太夫?」
万華郷まんげきょうです。今や吉原一の太夫でね、予約を取るのもひと苦労で参ります」
「へえ……そりゃ凄いな……」

 丹生は思わず顔をひきつらせた。確か、たちばな財務副大臣を骨抜きにしたのも万華郷の太夫ではなかったか。吉原随一の陰間茶屋と聞いてはいたが、名だたる傑物を何人も籠絡するなど、一体どんな化け物たちを抱えているんだとゾッとする。
 それから少し雑談を交わし、特に目立った異変は無い事を確認してから別れた。
 電子タバコを咥えながら丹生は苦く呟く。

「こっわ……。万華郷の太夫ってどうなってんの? いくら芸能界より生き残り厳しいからって、ここまで影響力あるもん?」
「まぁ、あの見世自体がもう規格外だからね。そこの太夫格ともなれば、正しく天上人って感じなんじゃない?」
陸奥むつさんもハイスペお化けだし、あんなのがウヨウヨしてると思うと鳥肌立つんだけど」
「エースエージェントのお前が言うの? それこそ皮肉以外の何物でもないよ。もしうちに拾われていなければ、今ごろ吉原一の太夫は璃津だったかもね」
「バカ言うな。吉原の上級娼妓は、男も女も俺なんかより遥かに頭良いし、何でもできる天才揃いだぞ。うちも吉原からスカウトすりゃ良いのにな」
「それは難しいだろうね。ここに居る人間は皆、それなりの事情を抱えているものさ。もちろん売られてきた不運な人は出たいだろうけど、自ら望んで入る者も多い。吉原でしか生きて行けない人達も居るんだよ」

 逢坂の言っていた「ごうが深い」とは、そういう事なのかもしれない、と丹生は思った。

「じゃあ陸奥さんもそうなの? 確か、万華郷は売買じゃなくて面接で取ってるんだろ?」
「それこそアレが典型だよ。何でもできるくせに、官界も会社勤めもお断り。カタにはまりたくないんだってさ。子どもみたいでしょ」
「まぁ末っ子らしいっちゃらしいな。奔放で可愛げあるじゃん」
「全然さ。小憎たらしいだけだよ」

 再び、つらつらとそんな話をしながら通りをぶらつく。時折、格子の奥から声を掛けてくる遊女らに片手を上げて応えつつ、様々な商品の並ぶ店先を冷やかした。

「さすがに歩き疲れたなー。茶でも飲みに行くか?」
「そうだね。奥に良さそうな茶屋があったけど、行ってみる?」
「おう」

 大通りから少し外れた所にある、こじんまりしたおもむきのある茶屋へ入ると、テーブル席は簡易的な個室になっていた。丹生は煎茶とカステラ、朝夷は抹茶と生チョコレートを注文し、ひと息つく。

「しかし、吉原も10年経つと変わるもんだなぁ。SM妓楼とか、熟女妓楼なんてのもあったし、古民家バーまでできてたのには驚いたぜ」
「着々と進化を遂げてるよね。さすが、時代の最先端と言われるだけはある。それだけ情報も集まりやすいって事だ」
「そのくせほとんど独立国家化してて、政府の手出しは容易じゃないってか。なかなかどうして、この国はまとまりが無いと言うか、権力分散に必死だよな」
「そうだね。外からの攻撃よりも、内輪の利権争いのほうが過激だというのが、日本の悲しき現状さ」

 運ばれてきたカステラをひとくち大に切り分けながら、丹生は頬杖をつく。

「ずっと疑問だったんだよ。諸外国の諜報機関はほぼ一元化されてるのに、なんでここは5つもあるんだろうって。諜報と防諜を分ける意味は分かるけど、諜報機関だけこんなにいるか? 数が増えりゃあ仕事も被るし、縄張り争いで面倒になるしで、任務に集中できなくなるだろ」

 朝夷は手癖で抹茶の椀を回しつつ、苦く笑って答えた。

「核心だね。それこそ我が国最大の問題さ。先の戦争で浮き彫りになったのは、この国のインテリジェンスがいかに脆弱かという事と、国家全体のまとまりの無さだ。実力や設備の問題じゃない。組織の上層部が国の未来ではなく、己の利益を優先している現状が組織間の情報共有を停滞させ、孤立させている。トップがそれじゃ、当然、国民の団結力も弱まる一方だ。このまま行けば、先進国から1番早く脱落するのは日本だろう」
「まさに憂国だな。まあ、この国が滅ぶとしても、お前がいるなら別に良いんだけどさ」

 そんな事をさらりと言って笑う丹生に、朝夷は込み上げる歓喜と激情に、いつも抑えが効かなくなる。
 テーブルから身を乗り出し、激しく唇を重ねて貪った。カチャカチャと食器がかち合う音と、丹生の漏らすような笑み混じりの吐息が狭い個室に響く。

「……もう、本当にずるい……。陸奥なんてどうでも良いから、今すぐ帰りたいよ……」
「おいおい、可愛い弟に酷い言い草だな。お誘いも受けちゃったし、続きは夜のお楽しみにしとけ」

 お預けをくらった大型犬のような朝夷に、丹生は己の内に湧く愛しさを自覚する。朝夷が激情に駆られるように、丹生の奥底に眠っていた純粋な愛情が、ゆっくりと浮上しているのだ。
 幸福恐怖症の朝夷のため、拒み続ける事で応えてきた愛と、破滅願望の丹生のため、いつか汚し堕とすと約束した愛。歪みきった2人の愛が、徐々に美しき唯一無二になりつつある事を、互いにひしひしと感じている。

「そろそろだな。行こうぜ」
「うん」

 丹生は腕時計が16時を示すのを見て朝夷をうながし、揃って席を立った。

 大通りをかなり奥まで進んだ所に、豪奢な門構えで箱のような3階建ての妓楼が現れる。吉原一の高級陰間茶屋『万華郷』だ。
 暖簾をくぐって大玄関へ入ると、正面の番頭台に座る中性的な美男と、右目と右手に眼帯と手袋をした男がこちらへ顔を向けた。
 眼帯の男はすたすたと丹生の前まで歩いてくると、腕を組んでずいと顔を寄せてきた。見た感じ四十路よそじそこそこで、確かさっきの道中に居たなと思いつつ、鋭い隻眼と隙の無い風采に気圧される。

「ほーお、やっぱり大層な美人だなぁ。陸奥が引っ掛けるだけはある」

 男は口角を吊り上げて面白そうに言った。

「で、あんたは客として来たのか? それともそいつの付き添いか?」

 鷹揚に顎で指された朝夷は苦笑を漏らしつつ、丹生の肩を抱いて答える。

「仮にも稼ぎ頭の身内に対して、そいつ呼ばわりはないでしょう、黒蔓くろづるさん。この子は俺の恋人です」
「初めまして、丹生です。休憩時間にお邪魔してすみません」

 黒蔓は恋人と聞き、なぜか愉快そうに笑った。

「立派なお兄様にゃあ、しこたま美人で礼儀も弁えた恋人が居んのか。どうりで吸い付けタバコなんて仕掛けたワケだわ。男の嫉妬はみっともねぇなぁ」
「まったくですね」

 嫉妬と言うよりただの悪ふざけでは、と丹生は思ったが、口には出さなかった。
 番頭台に居た同い年ほどの美男が「陸奥さんに御兄弟が!?」と身を乗り出して驚愕している。朝夷は男に会釈し、改めて挨拶した。

「どうも、陸奥の兄の長門ながとです。いつも愚弟がご迷惑をおかけしております」
番頭ばんとう新造しんぞう東雲しののめと申します。陸奥さんに会いに来られたんですか?」
「ええ、たまには顔を見て行こうかと」

 2人のやり取りを眺めていた丹生に、黒蔓が思い出したように声を掛けてきた。

「ああ、自己紹介しとかねぇとな。遣手やりての黒蔓だ。今の仕事が嫌になったら、いつでも歓迎するぞ」

 ふてぶてしくも優しげな声音で言われ、見た目より良い人そうだなと思った。

「光栄ですが、とても俺なんかに務まるお仕事じゃありませんよ」
「そんな事ねぇだろ。あんたの名前、政治家連中からよく聞くぞ。相当、腕の立つエージェントだってな。どいつもこいつも、あんたをモノにしたくて堪らねぇってツラで話してやがる」
「とんでもない。うちにはもっと優秀な者が大勢居ますから。俺はそそっかしいので、悪目立ちしているだけです」
「へーえ、さすがに返しも一流だ。ますます欲しいねぇ」

 くいと顎を持ち上げられ、しげしげと眺められる。細められた隻眼と薄い唇が、なんともなまめかしい。近くで見ると黒蔓はかなりの美形で、匂い立つような色気がある事が分かった。
 と、丹生の体が強く後ろへ引かれ、朝夷の腕にしっかと閉じ込められた。

「その辺りにして下さいよ。この子は命より大事なんですから。と言うより、俺の命そのものです」
「くくっ、命そのものってか。そりゃまた、随分と惚れ込んでやがるな。幸せそうで何よりだ。陸奥はまだ戻ってねぇから、先に上がって待ってろ。おい東雲、案内してやれ」
「かしこまりました。お二方、こちらへどうぞ」

 そうして番頭台横の階段から2階へ案内され、いくつも並ぶ座敷のひとつへ通されたのだった。
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