九段の郭公

四葩

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8章

74【逢瀬の坂道】

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 ごちん、と脳天にゲンコツをくらい、丹生たんしょうは頭をかかえて叫んだ。

「いったあーっ!! いきなり何すんだよ、逢坂おうさかさん!」
「この大馬鹿野郎! いきなり行方不明になんぞなりやがって、どんだけ心配したと思ってやがんだ!」

 職場復帰から10日が経ち、開店前のサパー・クラブ『ALアール』にて、丹生と逢坂は久々の再会を果たしていた。およそ和やかにとはいかなかったが。
 逢坂は鼻息荒く腕を組んでソファへ座り直し、不機嫌な顔を更に歪めて詰問する。

「きっちり説明してもらうからな。洗いざらい吐きやがれ、ボンクラ猫が」
「あー、くそ……まだ痛ぇ……。ガチ殴りとか大人気おとなげねぇなぁ。だいたいボンクラ猫ってなんだよ、意味わかんねぇし……」

 ぶつぶつと文句をたれる丹生を、逢坂は机を蹴って黙らせる。

「俺は気が短ぇんだ、知ってんだろ。さっさと言え」
「分かった、分かったって。まぁそういきり立たずに、1杯やろうよ」

 丹生は卓上のロックグラスに氷を入れ、マドラーで氷をくるくると回しながら答えた。冷えたグラスから余分な水を捨て、氷を足してウイスキーを注ぐ。
 ずれた机を直し、逢坂の前にコースターとグラスを置くと、ひとつ大きく息を吐いた。

「結論から言うと、俺はワンルイに拉致られてた。昔ちょっとあったもんでね」
「やっぱり知り合いだったんじゃねぇか。なんであん時はっきり言わなかった? そしたらこんな事にゃ、なってなかったかもしれねぇってのに」
「言えるわけないじゃん、任務内容は極秘なんだから。ああ、ついでに白状すると俺、公安庁の調査官なんだわ。もう知ってるかもだけど」
「まぁ、カタギじゃねぇのは薄々分かっちゃいたが、公安とは……。てめぇ、俺にぶっ殺される覚悟があって言ってんだろうな?」

 凄む逢坂に、丹生は片眉を跳ね上げて首を傾ける。

「カタギだよ、失礼だな。あと、公安って警察のアレじゃないからね。知名度低いから誤解されても仕方ないけど、俺らには捜査権も逮捕権も無いの。ただの調査官だよ」

 逢坂は「はあ?」と混乱しており、丹生は思わず声を立てて笑った。ざっくりと公安庁の仕事について話すと、逢坂は紫煙を吐きながら眉間に皺を寄せる。

「要するにアレか、スパイってやつか。で、俺に近づいたのも仕事だったって?」
「まさか、違うよ。てか別に近づいてないし。逢坂さんと知り合った頃の俺は、正真正銘ただのフリーター。この仕事始めたのは、ここで働きだした1年後くらいだよ」

 丹生は自分用に作った水割りを飲み、電子タバコを咥えた。

「逢坂さんには散々、世話になったし、これでも恩は感じてるんだよ。無事に帰ってこられたのも、逢坂さんが動いてくれたおかげでもあるからね」

 逢坂は黙って苦々しく紫煙を吐く。
 最終的に丹生を客船から救い出したのは特殊任務課だったが、そこへ辿り着くまでには様々な人物、組織、機関の協力があったからだ。
 逢坂は逢坂なりに、リスクを承知で過剰にワンへの接触を図り、丹生について探りを入れていた。

「だから、逢坂さんの座布団(組織での地位)じゃ無茶な話だろうけど、俺は貴方との縁は切りたくないんだ。協力者としてじゃなくてさ、今まで通りこうして飲んで、たわいない話して、たまにセックスしたりすんの」

 逢坂は最後のひと言に、危うくウイスキーを吹き出しかけた。しばし咳き込んだ後、先ほどまでの殺気の滲む顔とは打って変わって、昔馴染みの呆れ顔で眉を上げる。

「お前なぁ……。ったく、本当に無茶苦茶な野郎だぜ。国家公務員が筋者のイロなんざ、酒のツマミにもならねぇぞ。メンツっつーなら、俺よりお前のほうがまずいんじゃねぇのかよ」
「俺のメンツなんて、大昔に丸めてトイレに流したよ。はっきり言っとくけど、俺らの調査対象はテロや無差別な大量殺人を企てるヤツらなの。ヤクザだからとか、そういうくくりじゃないの。まぁ、ターゲットに繋がりそうな動きがあれば調べるけど。だから今回、おたくのエダが目を付けられたワケさ」
「ああ……あれに関しちゃ、お前らに助けられたと言えなくもねぇな」
「言いたくなければ言わなくて良いけど、結局なんだったの。どっかと揉めてるなんて聞いてないのに、おかしいなと思ったんだよね」
「まぁ、アイツらは根こそぎマトリとサツにアミ掛けられたからな。話しちまっても良いだろう。平たく言やぁ、単なる内輪揉めだ」

 今回、璃弊リーパンから大量に武器を買い付けていた二次団体は、逢坂を追い落とす事が目的だったらしい。
 逢坂が晋和会しんわかいから執行部へ昇格した事を妬んだ組頭が、出茂会いづもかいと繋がりのあった璃弊リーパンと裏で手を組んだのだ。
 独自に調合した合成麻薬の加工を璃弊リーパンへ任せ、利益を共有した上で武器の優先的な仕入れと口裏合わせを約束させた。そして精製された薬を吉原へ流して混乱を誘い、全ての罪をなすり付けて晋和会の事務所を襲撃し、縄張りをかっさらう算段だったという。

「お粗末な計画だな。そんなの、ちょっと調べりゃすぐバレるじゃん」
「阿呆だ、阿呆。ま、あそこの組長はポン中のヤクネタだったから、いつかやらかすとは思ってたがな。本人は壮大な絵図描いたつもりだったんだろうが、都合良く璃弊リーパンに転がされてたってオチだ。お前さんらに大掃除してもらって、俺らとしちゃ有難てぇこった」
「ははぁ、組織のガンだったのね」
「吉原にゃ、ちと火の粉がかかっちまったが、元々あすこはごうの深ぇところだからな……」

 目を細めて紫煙を吐く逢坂は、かつて吉原を仕切っていただけに事情通だ。丹生は、陸奥むつさんの見世は大丈夫だったかな、とひっそり思った。

「もいっこ質問していい?」
「なんだよ。素性明かした途端、遠慮もクソもなくフトコロ探りか?」
「そんなつもりじゃないって。俺が個人的に疑問に思っただけで、答えなくても良いからさ」
「あー、うるせぇー。お前にそう言われちゃ、断れねぇって分かって言ってんだろ? 食えねぇくそ猫がよぉ」

 ソファの背もたれに両腕を掛けてうんざりする逢坂の姿に、今日はやたら猫呼ばわりしてくるなこの人、と思いながらも、豪胆に質問を強行する。

「あの日、逢坂さんはなんでワンと会ってたの?」

 逢坂は咥えた煙草を落としそうなほどポカンとした。

「なんでって……お前、あの場に居たろうが。話、聞いてなかったのか?」
「聞いてないよ。て言うか、ぶっちゃけそれどころじゃなかったし。嘘だろワンじゃんやべぇよどうしよ! ってなってたわ」

 逢坂は「あー……」と唸り声を上げて苦く笑った。様子がおかしいとは思っていたが、後から考えると確かに丹生の胸中は穏やかではなかっただろう。

「俺らも元々ヤツらと取り引きしてたし、例のヤクと大量買い付けの話を小耳に挟んだんで、それとなく探り入れてたんだよ。しかし、今考えりゃ俺もまんまと利用されてたワケだがな。悔しいが、さすが璃弊リーパンの首領だぜ。恐ろしく頭のキレる男だ」
「ああ、逢坂さんで俺を釣る的なアレね。ゾッとしたわ、ホント」
「大事なこと隠してっからえれぇ目に合うんだろうが、てめぇはよ。ハナから知ってりゃ、アイツに送らせたりしなかったっつーのに」
「だーかーらぁ、それはもう水掛け論だからー。心配してくれた気持ちは充分、伝わったよ。ありがとね、逢坂さん」

 逢坂は「ふん」と鼻を鳴らして視線を逸らす。

「そういやぁ、俺んとこに乗り込んできた肝の座った美人、アレもお前のお仲間か?」

 思い出したような逢坂の問いに、丹生は首を傾げる。自分が捕まっていた間の捜索詳細は聞いていないため、誰が何をしたのか、知らない事も多いのだ。

「ほれ、このくらいの黒髪で、女みてぇに小綺麗なツラした……」

 身振り手振りで容姿を説明され、丹生はポンと膝を叩いた。

「ああ! うん、多分そう。基本、肝の座った美人しか居ないから、誰の事だか分かんなかったわ」
「はー? お前んとこはあんなのばっかなのかよ。とんでもねぇな。ここらのサパーもホストも、比にならねぇじゃねぇか」
「ホントにねぇ。よく集めたもんだよねぇ。って、これ機密かな……? うっかり喋っちゃったわ。聞かなかった事にして」

 相変わらず緩い丹生の物言いに、逢坂は呆れ混じりに笑った。

「分かってるっての。礼言っといてくれや。あの美人がお前のこと知らせに来てくれたから、俺も事態に気付けたんでな」
「うん、伝えとく。しかし危ない事するなぁ、あの子。俺は良いとしても、身バレしたら超ハイリスクなのに」
「そんだけ必死だったんだろ。お前は自分の事となると危機感ゼロのくせに、他人の心配だけはいっちょ前だよな。あの時点では、俺に会いに来る事より、拉致られてるお前のほうが何倍も危なかったんだぜ」

 確かにそうだな、と丹生は思った。もし逆の立場なら、迷わず同じ行動を取っていただろう。
 逢坂はふと表情を和らげ、優しい声音で囁いた。

「いい仲間じゃねぇか。良かったな」
「……うん。本当にね」

 少しだけ湿っぽくなった空気の中、グラスの氷がカランと涼しげな音を立てた。

「お前、この後は仕事か?」
「ううん、とっくに上がってるよ。今、何時だと思ってんの? そろそろ店も開く頃だし、バイトして帰ろっかなぁ」
「それは許可できねぇな」
「えっ、うそぉ!? やっぱり俺ってクビなの!?」
「ちげーわ馬鹿。俺と来るんだよ」
「ええ……どこに……? 俺、逢坂さんと外行くの、まだちょっと怖いんですけど……」

 あんな事があった直後だ。嫌な顔をする丹生に、逢坂は意地悪く片方の口角を上げて見せた。

「お前が言ったんだろうが。飲んで、話して、ヤりてぇってな」
「あー……言ったねぇ、うん。ってこれから?」
「悪ぃかよ。それともやっぱり嫌になったか?」
「ううん、行くよ。ホテル?」
「いや、俺ん家」
「どの?」
「本宅に決まってんだろ」
「ガチじゃん」
「ったりめーだ。お前は俺のイロだからな。今夜は帰らせねぇから覚悟しとけ」

 丹生はふっと笑う。やたら猫、猫とうるさかったのはそういう事か、と納得したからだ。

「普通、イロを本宅に連れ込まないと思うんだけど」
「なら女房になれ」
「知ってた? この国は一夫一婦制なんだよ」
「あー、ごちゃごちゃうるせぇなぁ。立派な古女房じゃねぇか」
「あはは!」

 そんなやり取りをしながら笑い合い、睦まじく店を後にする。奇妙な関係はより絆を深めたようで、2人は夜の喧噪へ消えていくのだった。
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