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最終章

第一話

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 操さんから突っぱねられた俺は、大女将に相談をした上で約一週間の時間を貰う。
 そして始発の電車に乗って、久しぶりに東京の地を踏みしめたのだ。
 久しぶりにみたビルの群れと、行き交う人々の洪水。慌ただしく流れてゆく時間。
 全てがとても懐かしくて、此処に居た日々が遠い昔に感じられた。
 
 
 都会のビル街を通り過ぎ、俺が目指すところはただ一つ。それは親父がいるであろう、斎川グループの本社だった。
 
 
 先日見た『温泉町再開発事業企画書』を見る限り、それ相応の金の流れがある企業でなければ、あの事業は出来ないだろうと思う。
 そう思った時、斎川グループが融資を行っている会社の中に、そういった計画があるか調べる価値があると思ったのだ。
 斎川グループの本社に辿り着き、事情を話して親父と取り繋いで貰う。
 応接間に通されると、親父が笑顔で出迎えてくれた。
 
 
「どうした虎之助。お前が此処を訪ねて来るなんて、随分珍しいじゃないか。
嘉生館は今日は休みなのか??」
 
 
 親父はそう言いながら、俺にソファーに座る様に促す。俺は膝を付いて頭を床に擦り付けた。
 
 
「……………久しぶりに貴方の元を訪れて、こんな不躾なお願いをして申し訳ございません!!
俺の大事な人たちが大変なんだ…………!!どうか俺に、親父の知恵を分けてください!!」
 
 
 俺はちっぽけで何にもなくて、無力でとても弱い男だ。
 腕っぷしばっかりが強くって、本当の強さは今だによく解らない。
 俺が出来る事は限られている。それでも、出来る限りの事をしたいと思う。
 
 
 土下座をする俺を見た親父は、優しく俺を見下ろしながら微笑んだ。
 母さんが生きていた時にしていた笑顔で、俺の隣に歩み寄る。
 あの面倒臭い親父が床に膝を付いて座り、俺と同じ目線で微笑む。
 そして俺の肩を優しく撫でながらこう言った。
 
 
「………話を聞こう、虎之助。お前が其処迄するなんて、余程の事が起きてるんだろうな」
 
 
 この時に俺は親父に撫でられたのが、久しぶりだったと気付く。
 最後に親父に撫でられたことなんて、ランドセルを背負っていた時だ。
 まるで止まっていた時間が、動き出したみたいだと思う。
 親父に今の嘉生館で起きている話をすると、親身になって聞いてくれた。
 親父は俺に自分が手伝える範囲の、様々な提案をしてくれたのだ。
 
 
 それからの展開は怒涛だった。
 
 
 例の『温泉町再開発事業企画書』の会社を探し出し、地上げ屋の不正な追い出しについて告発をする。
 証拠の写真の類は全て大女将に連絡を入れると、一瞬にして手元に集まった。
 案の定その会社は、斎川グループが融資をしていた会社の一つで、話がとても早かった。
 それに手を組んでいた地上げ屋の過剰な追い出しは、非常に分が悪かった様だ。
 
 
 そして斎川グループの方で、あの町に望ましい『温泉町再開発事業企画書』を立ち上げる。
 
 
 古き良き歴史ある温泉街と、広大な自然をセールスポイントに、観光客を増やす為の宣伝を打ってゆく事。
 死にかけた町の息を吹き返させる為に、俺も親父も駆け回ったのだ。
 会社経営というものに関しての知識は底辺だったが、親父が脇について詳しく教えてくれる。
 この事件が収まっても、事業について学ぼうと俺はこの時に心に決めた。
 
 
 嘉生館に向かう為の車の中、親父と二人で後部座席で揺られる。
 一週間もの長い間を嘉生館を留守にしてしまった俺は、皆に不満がられていないか不安になっていた。
 それくらい俺の日常は、嘉生館が占めていたのだ。 
 親父の仕事に付き合う為に、東京で買ったスーツを着て、久しぶりの海を見つめる。
 やっとこの町に帰ってくる事が出来たと、輝く海を見て噛み締める。
 すると嘉生館に到着する寸前に、親父が口を開いた。
 
 
「…………なぁ虎之助」
「何??」
「お前は本当に人間らしくなったし、本当の意味での人の守り方を、嘉生館で学んで帰って来たな」
 
 
 本当の意味での人の守り方を、俺は本当に解っているかどうか解らない。
 それに俺は殆ど何も出来なくて、親父のお陰で何とかなったのが今だ。俺にはまだまだ足りていない。
 
 
「いや………まだまだダメだよ、俺………全然………」
 
 
 俺がそう言いながら俯くと、親父は朗らかに微笑む。親父は俺の肩に腕を回して、俺の身体を揺さぶった。
 
 
「…………今のお前は昔みたいに、自分が正しいと思ってない。そして強いとも思ってないだろう?
自分の弱さを認める事が出来た人間が、本当に強くなれる」
 
 
 親父はそう言って、嘉生館に俺を下ろす。
 勘当されたばかりの俺は確かに頑なだったし、意地っ張りだったと思う。
 十代の貴重な時間を殆ど、喧嘩に明け暮れて過ごしてしまった。でも、今からでも巻き返すのは遅くない。
 嘉生館の門を通り抜け、大きな庭を見渡す。その時に庭の先に、地上げ屋に絡まれている操さんを見つけたのだ。
 
 
***
 
 
「残念だったなぁ!!お前らの云ってた再開発ってヤツは、斎川グループでやる事になったぜ?無茶な追い出しなんて無しにしてさ!!」
「…………テメェ、一体何処の誰なんだよ…………!?!?なんでそんな事、ガキのお前が出来るんだ………!!!」
 
 
 天蠍は物凄い形相で、俺の事を睨み付けている。俺はそれに対して煽る様に笑い、中指を立てて舌を出した。
 ちょっと大人げないのは自分でもよく解っているが、多少は何かを言ってやりたいと思う。
 嘉生館はコイツ等のせいで、それ相応のダメージを与えられたのだ。
 
 
「俺は斎川虎之助!!お前らが雇われてた会社に出資してた、斎川グループの息子!!
………最初っから喧嘩吹っ掛ける相手をさ、間違ったんだよ!!お前らは!!」
 
 
 嘉生館から手を引く事おろか、奴らが関わっていた事業が無くなった地上げ屋は、一目散に嘉生館から逃げてゆく。
 これに懲りたら、悪い事なんてするんじゃねえぞと得意に思う。
 そして走り去る背中にわざと手を振ってやった。
 想像よりも呆気なく地上げ屋との決着がつき、戸惑う操さんを見つめる。
 冬の景色の嘉生館の庭には、俺と操さんだけが残された。
 心地の良い沈黙の中で、俺と操さんは見つめ合う。
 操さんに逢うのは、突っぱねられたあの夜以来だ。
 
 
「…………………虎ちゃん、なんで………??なんでこんな事したの??俺あんなに酷い事言ったのに………。
…………………どうして嘉生館を………守ろうと思ったの…………!?!?」
 
 
 操さんはそう言って、猫の様に大きな目から涙を落とす。
 その表情が余りにも美しくて、綺麗だなあと心から思う。
 逢いたかった。この町から離れて駆けずり回った時も、片時も忘れた事なんて無かった。
 操さんはやっぱり俺の人生の原動力だと、改めて思う。
 
 
 操さんが愛したものだから、守りたい。佐京と侑京も、嘉生館も、操さんを構築した思い出も。何もかもを全て、愛したい。
 
 
「……………仕方ねェじゃん。アンタが愛してるもんなんだから。
この旅館も息子二人も、昔の男の思い出も全部、アンタが愛してるもんだろ?
…………俺が愛してるアンタが愛してるモンを、俺が愛せなくってどうすんだっつーの!!」
 
 
 俺がそう言って笑うと、操さんは泣きながら崩れ落ちる。
 最近の操さんは本当に、泣いてばっかりだなぁと思う。
 けれど今日の操さんの涙は俺が見ていても、とても心地の良いものに感じられた。
 
 
「全部引っ括めて守るから!愛するから!
約束する!アンタを絶対に一人にしない!
…………だから、アンタの人生を俺にくれ!」
 
 
 この時の言葉は、俺にとって気の早いプロポーズだった。一世一代の人生掛けた愛の告白である。
 操さんは泣きじゃくってボロボロ涙を流した顔で、八重歯を見せて明るく笑った。
 
 
「………………もう無理、降参!!…………大好き!!!!」
 
 
 ワンワン泣きながら俺に向かって駆け寄ってくる操さんを、両手で受け止めてきつく抱きしめる。
 操さんから飛び出した大好きという言葉が、嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。
 
 
「操さん………!!愛してる!!世界で一番、愛してる…………!!!」
 
 
 操さんの柔らかい黒髪を撫でて、小さな頭を引き寄せる。唇に触れる為に顔を近付けると、操さんは猫の様な目を閉じた。
 唇と唇を重ね合わせると、眩暈がするくらいの高揚感に溺れてゆく。
 心から幸せだと、キスの合間に思った。
 
 
「………虎ちゃん、我儘言っても良い??」
 
 
 俺に抱き付いたままで操さんが甘く囁く。久しぶりに鈴を転がした様に笑う声色を聞いたと、心から安心していた。
 やっぱり操さんには、明るく笑っていて欲しい。
 
 
「どうぞ??何なりと」
 
 
 操さんを甘やかす様に頬を撫で、唇を寄せる。仄かに香る甘い匂いに心が揺れた。
 
 
「俺を番にしてくれる……??」
「えっ!?!?良いんですか!?!?本当に!?!?」
 
 
 操さんからの我儘が余りにも都合が良すぎて、俺は思わず取り乱す。
 真っ赤な顔で慌てる俺を見ながら、操さんは屈託ない笑みを浮かべた。
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