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第六章 

第一話

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 操さんの首元に桜のモチーフが光る様になり、早二ヵ月の時間が過ぎる。
 思っているよりもずっと、俺のあげた首輪を気に入ってくれた様だ。
 嘉生館の渡り廊下を歩く操さんを横目に、作業の手を止める。
 
 
 操さんは今日も綺麗だ。首輪もよく似合ってる。
 
 
 俺はほんの少しだけ得意な気持ちになって、思わず小さく微笑んだ。
 操さんは相変わらずではあるけれど、積極的に俺を突っぱねる訳では無い。
 俺が操さんを思う事に関してだけは、赦されている様な気がする。
 思ったよりもずっと、受け入れて貰えていると感じていた。
 
 
 今や夏の名残が残りつつも、季節は秋に差し掛かかる。
 嘉生館の庭も段々と秋色に染まり、紅葉はゆっくりと赤く色付き、銀杏は黄色に染まり始める。
 四季折々の季節を肌で感じる事が出来る場所なんだと、嘉生館の庭を改めて見渡す。
 俺はそんな思いを馳せながら、お客様の来る前の露天風呂の浴槽を、懸命にブラシで磨いていた。
 
  
「虎くん大分慣れたねぇ……!!お陰で露天が綺麗だよ!!」
「え、横さんにそう言って貰えると、俺目茶苦茶嬉しいです!」
 
 
 浴槽を磨いている俺に、箒片手の横さんが笑う。
 俺にとって横さんはこの道のプロだ。憧れの大先輩と言っても過言では無い。
 その横さんから褒められるのは、純粋に嬉しいのだ。
 庭が秋色に近付けば近付く程、落ち葉がやけに目立ってくる。
 横さんが掃き掃除をして、俺が浴槽を洗う。最近はその組み合わせで、露天風呂の衛生を守っていた。
 どうしても源泉かけ流しの温泉は、浴槽が成分の都合で汚れがちになる。しっかり浴槽を磨く事で、温泉の衛生を保つ。
 今日も掃除を無事に終わらせて、浴槽に温泉を張る。次はお客様を案内するぞと気合を入れた。
 掃除用具を片付けようとした時、露天風呂の勝手口が勢いよく開く。
 其処には、慌てた様子の林さんがいた。
 
 
「……………虎ちゃん!!虎ちゃん居るかしら!?!?」
 
 
 林さんは余程急いで走ってきたのか、息を切らしている。俺と横さんは顔を見合せ、林さんへと駆け寄った。
 
 
「林さん?どうしました??」
「ああっ!!虎ちゃんちょっと来て頂戴!!早く!!!」
 
 
 俺がそう問いかけると、林さんは何が起きたのかは話さず、ただただ俺の腕を引っ張る。
 林さんが俺を引っ張る腕の力はとても強く、20歳を三回迎えている女のパワーとは思えない。
 驚いて手にしていた掃除用具を手放せば、横さんが上手い具合にそれを受け止めた。
 
 
「片付けは俺がしておくからねぇ!!!」
「…………横さんごめんなさい!!行ってきます!!」
 
 
 横さんが俺に向かって叫び、俺は横さんに頭を下げる。林さんは焦った様子で、ひたすら俺の服を引っ張った。
 
 
「虎ちゃんすぐ来て!!早く早く!!」
 
 
 一体何が起きているのだろうと思いながら、林さんの後を追い駆ける。
 林さんに引き摺られるかの様にフロントに放り出されると、見覚えのある背中が視界に入った。
 其処に立っていたのはうちの親父だった。
 
 
「………は?親父?」
 
 
 俺がそう言うと、ペンを片手の親父はゆっくりと振り返る。
 親父は俺を見るなり、見下した様な視線を送ってきた。
 久しぶりにこの鋭い視線を見た気がしたと思い、思わず息を呑む。
 身構えた俺に対して、親父はツカツカと歩み寄ってきた。
 久しぶりに対峙した親父は、最後に顔を合わせた時と全く変わらぬ様子である。
 親父は深く溜め息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
 
 
「………お前の事を勘当して半年時間が過ぎたからな。どういう風に生きているのかと、お前の顔を見に来た」
「………えっ?それはどういう………」
「少しは人間らしくなったのかと、経過観察に来ただけだ………」
 
 
 親父はそう言って俺に背を向ける。すると林さんが親父の事を、客室方面に案内し始めた。
 半年近く会えてなかった親父に対峙して、上手く言葉が出ない自分を恥じる。
 けれど、今さらなんの話をすべきなのかが、本当に解らないのだ。
 狼狽えている俺の傍に、操さんが歩み寄る。操さんは俺の隣に並んで、親父の背中を見ながらこう囁いた。
 
 
「虎ちゃんのお父さんって、本当に虎ちゃんにそっくりだよねぇ………。顔とか見てびっくりしちゃった」
「顔が似てるのは自覚あります。老けた俺ってああなるんだと思いましたもん。親父に似てるの、凄く嫌ですけどね………」
 
 
 俺が思わずそう言い放つと、操さんが鈴を転がした様な笑い声を響かせる。
 そして俺の肩を叩いてこう言った。
 
 
「やっだぁ♡虎ちゃん反抗期ぃ!!」
 
 
 まるで図星を突かれた様な気持ちになった瞬間、一瞬にして顔が熱くなる。
 余りの恥ずかしさに苦笑いを浮かべると、操さんは揶揄する様な目をした。
 
 
***
 
 
 親父が宿泊の予定で、宿を抑えている時間は約五日間。
 あの万年仕事人間の男が、よくもまあ五日も休みが取れたものだなと、チェックインの書類を見て思う。
 それにあの堅物が今、この嘉生館に居ると思うと気が重い。
 
 
「ねぇねぇ、虎ちゃん??パパさんいるうちにご飯とか一緒に行ったりしないのぉ??」
 
 
 操さんが俺の顔を覗き込みながら、屈託ない笑みを浮かべる。
 事務室の中には操さんと俺が二人きりで、他の人は皆それぞれ別の業務に向かっていた。
 操さんがパパさんというと、何だか妙にいやらしいと思いつつ、出された言葉に対して首を左右に振る。
 俺はいじけた子供みたいな声を出した。
 
 
「…………いかないです。絶対いきません………そんな予定ないです………」
 
 
 俺がそう言い返すと、操さんがただでさえ大きな瞳を見開く。
 そして俺の肩を、パタパタと指で叩きながら首を傾げた。
 
 
「えー??勿体ない!!行ってきたら良いのに!!」
「今俺、親父と何の話すりゃ良いかさえ解んないっすもん………」
「え?何?もしかして喧嘩とかして此処来たのぉ??」
 
 
 俺が言葉に詰まった瞬間、操さんが苦笑いを浮かべる。
 まさか勘当されたなんて、流石に操さんには言えない。すると操さんが目を細め、八重歯を見せて微笑む。
 何時も通りの俺の好きな笑顔に、何だかとても癒された気がした。
 
 
「でもぉ、此処まで顔出してくれてるんだしぃ??話さないのは勿体ないよぉ??
…………俺の親とか、結局顔合わせないままで八年とか過ぎてるしぃ………」
 
 
 この時に操さんの形の良い唇から、初めて親という言葉が漏れた事に気付く。
 そういえば操さんに出逢ったばかりの頃、ヤンチャをしていたと聞いた気がする。
 もしかしたら操さんは、親御さんとの関係性が良くないのかもしれないなと、その瞬間に察した。
 操さんは俺の為を思って、今俺に言葉を投げかけている。
 そう思うと頭ごなしに、言葉を否定する訳にはいかなかった。
 
 
「………ちょっと、考えときます………親父次第だと思うから………」
「あっは♡虎ちゃん素直ぉ!!」
 
 
 俺がそう言うと、操さんは俺の頭に白魚の様な手を伸ばす。そして髪をくしゃくしゃと乱した。
 まるで犬を撫でるかの様に頭を触られると、嬉しさと恥ずかしさが一緒に襲い掛かって来る。
 
 
「あっ、ちょっと……!!操さん!?!?」
「ほーら虎ちゃんいい子いい子♡」
 
 
 されるがままに操さんに頭を撫でられながら、仄かに香る甘い匂いに胸をときめかせる。
 ひんやりした手の感触を感じながら、心の底から抱きたいと思った。
 操さんの手に指を絡ませると、操さんの動きが止まる。きっと今の俺の顔は、全くもって余裕がない。
 
 
「………操さん、ダメ。抱きたくなるから………!!」
 
 
 俺がそう言い放った瞬間に、操さんがほんの少しだけ頬を染める。
 目を泳がせて咳払いをした操さんは、俺から手を離した。
 
 
「………虎ちゃんのスケベ」
「………仕方ないっすよ。俺、アンタの事好きですもん………」
 
 
 物凄く触れたいと思いながら、懸命に劣情を抑え込む。すると操さんが俺に背を向けて小さく囁いた。
 
 
「遅番の日にさ、またお部屋行くから………」
 
 
 事務所から操さんが出てゆくのと同時に、俺は机の上に突っ伏す。
 操さんはやっぱり小悪魔だと思いながら、次の操さんの遅番の日を心待ちに思った。
 操さんの遅番の予定は四日後の俺の休みの日である。この日の夜はきっちり部屋に居ようと思う。
 身体を重ね合わせる度に、俺と操さんの距離はどうしても近くなってゆく。
 出来たら身体の距離感と同じくらいに、心も近づける事が出来たら良いのになと思う。
 
 
 顔中が沸騰しそうな位に熱かったのが、ほんの少しだけひいた気がする。
 さっき迄の俺は、人に見せられる表情をしていなかった。
 事務所から出てフロントに立つ。すると俺の視界に、とんでもないものが飛び込んできた。
 
 
 ロビーのソファーに腰かけた浴衣姿の親父と、その両サイドに腰かけた佐京と侑京。
 手には親父から買ってもらっただろう、饅頭とオレンジジュースを持っていた。
 俺の子供の懐かせ方は間違いなく、親父に似たとこの時に察する。
 二人は俺を見るなり、ご機嫌な様子で手を振った。
 
 
「あ!!虎ぁ!!このおじちゃんと仲良くなったよう!!」
 
 
 侑京がそう言うと、ほんの少しだけ照れ臭そうな親父と目が合う。
 この瞬間俺は、親父と話さざる得なくなったと思った。
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