9 / 19
銀竜の提案
しおりを挟む
ヴァロはどことなくじっとりとした目でヴォレラシアーを見ている。
エリサは何と言っていいのかわからず……考えに考えた末、「どうして霜巨人に挨拶するんですか?」と尋ねた。
「それは、争いを回避するためだね」
「争い?」
ヴォレラシアーは勿体をつけるように、大仰にゆっくりと頷く。
「我々竜と巨人族は古くから因縁があって、実のところあまり仲良くしたいとは思わない。だからといって、顔を合わせるたびに争っていては他種族に迷惑をかけることになってしまうし、最悪、取り返しのつかない災いを呼ぶことにも繋がる」
「そうなんですか?」
「聞いたことはないかな? 竜にとっても遥か遠い昔、争いが過熱したあまりについ禁じられた古い魔法に手を出して、大地を吹き飛ばしてしまった話を」
「ええと……?」
「本当ならこの大陸のすぐ西側には大きな島があったのに、今は影も形もない。竜の古い魔法で吹き飛んでしまったからなのだよ」
島? とエリサは首を捻った。
この辺り……といっても、海なんて遠すぎて谷からも町からも見たことはないが、海豹狩りに出た男たちがそんなことを話していた記憶はない。
おばあも神子も、大きな島のことを話していたことなんてない。
「え、でも、そんな島なんて、どこに……」
「ヴァロ、君は知ってるだろう?」
「ええ、まあ……妖精族の間では有名ですね」
エリサは思わずヴァロを振り向く。
ヴァロはおばあよりも神子よりも物知りなのか。
「ともかく、その大きな島を吹き飛ばすという事故があってから、さすがの竜も少し反省したんだ。善き竜の総意として、だから、むやみやたらと喧嘩などはせず、他種族との争いもなるべく避けるようにと決めたんだよ。
僕と巨人族の争いでこの辺りが荒れてしまったら、君たちだって困るだろう?」
「はあ……」
エリサが見たことのある竜といえば、アイニへの求婚でコンラードが捕まえてきた白い竜くらいだ。
せいぜい、ちょっと大きめの狼犬くらいの大きさで、縄でぐるぐるに縛られてしまえばなすすべなく転がされるくらいしかできない、小さな小さな竜だった。
それに、巨人……といっても、霜巨人なんて想像もつかない。谷の男が、自慢げに氷鬼と戦って討ち取ったと話しているのを聞いたくらいだ。
あんな小さな竜と、せいぜいが人間の倍くらいの背丈の氷鬼が戦ったくらいで、この広い氷原がどうにかなるなどとは思えない。
「ふむ、半信半疑といったところだね」
「だって……」
「僕は大魔術師であり古竜と呼ばれるほどの竜だ。だが、霜巨人にも……これを認めるのは少々癪だが、なかなかに侮れない実力を持つ魔法使いや司祭がいる。
もし僕が宮殿から眷属たちを率いて霜巨人と戦ったりしたら、このあたりは焼け野原……いや、永遠に解けない氷に覆い尽くされた不毛の地に変わるだろうね」
エリサはただただ呆然と口を開けて聞いているだけだ。
エリサの知る戦いなんて、谷と町の戦争かせいぜいが近隣の氏族との小競り合いがいいところで、運の悪い男が何人か死んだり怪我をしたりするくらいだ。もちろん、谷が負ければ若い娘を数人引き渡すことになるし、冬越しの備えや家畜を持っていかれたりもするから、まったく困らないというわけではない。
けれど、氷原が厚い氷に覆われたまま解けなくなることなんてあり得ない。いったいどうしたら、そんなことが起こるのか。
大袈裟に言ってるだけではないのか。
「僕は、まがりなりにも尊き皇竜神の僕たる銀の竜だ。しかも偉大なる古竜なのだよ。近隣の善き生き物たちにも気を配れなくてどうする?」
「はあ……」
どうにも想像がつかず、エリサは困ったように首を傾げるばかりだった。期待していたよりもずっと静かな反応に、ヴォレラシアーも「ん?」と首を傾げた。
「――ヴォレラシアー殿、まずは休みませんか。私たちもほんの少し前にここに避難したばかりで、食事もまだなんです」
「ああ、そうだったか。それは済まないことをしたな。お詫びに、この濡れた荷物は僕が乾かしてあげよう。
なあに、ほんの手慰み程度の魔術で十分可能だからね」
ヴァロは暗くなり始めた外へと目をやった。それから、窓の鎧戸の掛け金をしっかりと確かめる。風の強さが増しているようだ。
そして言葉どおり、ヴォレラシアーが二言三言不思議な言葉を呟いて指を振ると、ふわりと温かな風が吹いた。エリサが慌てて確かめると、荷物も衣服もブーツも何もかもが一瞬のうちに乾いていた。
「すごい……魔法って、すごい……!」
あれこれひっくり返して触って、本当に全部が気持ちよく乾いているとわかって、エリサは大きく目を見開く。
エリサが知る魔法の話といえば、イェルハルドが戦いの時に使ったという雷を呼ぶ魔法や酸の雨を降らせたり竜を召喚したりという恐ろしいものばかりだった。
こんな便利な魔法の話なんて聞いたことがない。
「ありがとうございます、ヴォレラシアー殿」
「いやいや。この程度、たいした魔術ではないからね」
うわあ、うわあと声を上げるエリサを横目で見ながら、ヴォレラシアーは得意げに目を細める。
魔術師なら誰でも使える初歩の初歩、“小魔法”と呼ばれる手慰み程度の魔術ひとつで、こうも驚き感心されるのは久しぶりだ。
ヴォレラシアー自身、大魔術師と呼ばれるようになってからは長いけれど、それでもこうして無邪気な称賛を浴びるのは気分がいい。
「魔法ってなんでもできるんだ!」
「エリサ、そういうわけじゃないよ。ヴォレラシアー殿が魔術でいろいろできるのは、気の遠くなるくらい長い間、研鑽を重ねてきたからこそだよ」
初めて目にする魔術に、エリサが子供のようにはしゃぐ。
ヴァロは苦笑を浮かべて、食事の用意を始めた。
堅焼きにしたパンと干したキノコと肉でスープを作るかたわら、フロスティが獲ってきた鳥を捌いて鉄串を刺し、炙りだす。
「たしかに、魔術は万能というわけではないね」
ヴァロの手元を覗き込みながら、ヴォレラシアーは頷いた。
偉大なる竜の力に竜の魔法、そこにこの世にある魔術のすべてを足したとしても、ままならないことは多い。
神々でさえ万能というわけではないのだから、当然だ。
「だが、それでも魔術で解決できることはとても多い」
ヴォレラシアーがパチンと指を鳴らすと、暖炉の炎がゆらりと揺らめいた。
たちまち串に刺した鳥が勝手にくるくると回り始め、大きな匙が浮き上がって鍋の中を掻き混ぜる。
まるで、見えない人間がそこにいるようだ。
「えっ」
驚くエリサに、ヴォレラシアーはますます得意そうに笑った。ヴァロはやれやれと肩を竦めて、ヴォレラシアーに後を任せてしまう。
ヴォレラシアーがひらひらと手を閃かせるのに合わせて瞬く間にスープが完成し、肉が焼き上がった。
「さあ、どうぞ」
スープを入れた椀がふわりと浮き上がり、エリサとヴァロの前に置かれた。こんがりと焼けた肉も、瞬く間に食べやすい大きさに切り分けられて皿に並ぶ。
目を丸くしながらそのようすを見守っていたエリサは、ふと、首を傾げた。
エリサとヴァロの分はあるのに、ヴォレラシアーの分がない。
「あの、ヴォレラシアーさんのは……」
「君たちは嵐が止むまでここにこもらなければならないのだろう? 僕が君たちの貴重な食べ物を奪うわけにはいかないよ。
それに、竜は数日食べずとも平気な種族なのだ。気にせずともいい」
「でも、ヴォレラシアーさんが作ったのに……」
エリサがヴァロをちらりと伺う。
「ヴォレラシアー殿、食料にはまだ余裕がありますから、ぜひ一緒にどうぞ」
「――そこまで言うなら、では、少しだけいただこうか」
ふたりの勧めに従って、ヴォレラシアーも少しうれしそうに、低い小さなテーブルの傍らに腰を下ろした。
食事を終えた後、すっかり日の落ちた外では未だ風が渦巻いていた。雨音はすっかり聞こえなくなったから、きっと完全に雪に変わったのだろう。
そういえば、隙間風もあまり入ってこなくなったのは、壁についた雪が凍りついたからだろうか。
いずれにしろ、風がひどくなる前にここに来れてよかった。
エリサは暖炉に泥炭を足した。石炭ほど熱い火にはならないが、小さな小屋を温めるくらいなら十分だ。
「もう、“女王”はすっかり目が覚めたということかな」
外の様子を伺って、ヴォレラシアーがぽろりと溢す。
「そうですね。今年は半月ほど早いようだ」
ヴァロも小さく息を吐く。
こんなに冬が早いのは想定外だ。谷の冬越しの備えは間に合ったのか。町の皆はどうしているだろう。
エリサはガタガタと揺れる窓の鎧戸をぼんやりと見つめる。このようすでは、ヴァロの言うとおり、嵐は数日続きそうだ。
「この風では、さすがの僕でも飛ぶことは無理だね」
「竜なのに?」
「竜でもだ。自然……世界の力というのはとても大きいものなんだよ」
「世界の力……」
ふうん、と頷いて、エリサは暖炉の火を見つめる。時折掻き回して、燃え尽きた灰を避けて、新しい泥炭を足して……赤く燃える泥炭がなかったら人間はたやすく死んでしまうのも、世界の力が大きいからなのかな、と考える。
「この嵐が過ぎた後は晴れるだろうな。陽光を浴びた“女王”の神殿は、とても美しいんだよ。楽しみだ」
「神殿?」
エリサがきょとんと顔を上げる。ヴァロも興味を引いたように、ヴォレラシアーへと視線を向ける。
「そう。霜巨人が氷で作った“女王”の神殿で、なかなかのものなのだ。あの無骨な巨人どもがよくもまあここまでのものをと感心せざるを得ないほどには美しいと認めよう。僕は美しいものは美しいと認めることのできる、寛大な竜だからね」
「“女王”の神殿がある、というのは噂に聞いたことがあるけど、霜巨人が作ったものだったんですか」
「“女王”の? 北の果てには“女王”のお城があって、冬が来ると目覚めた“女王”がそのお城の奥深くにいらっしゃるって、神子様が話してたことがあるの。もしかして、お城ってその神殿のこと?」
興味津々といったふたりのようすに、ヴォレラシアーはにいっと笑った。良いことを思いついた、という笑顔だった。
「では、君たちも連れて行こう。せっかくの機会だし、僕の背にも乗せてあげようか。嵐さえ止めば、ここから一日か二日もあれば到着するくらいの距離だよ」
「――え?」
ヴォレラシアーの提案に目を丸くして、ヴァロとエリサは顔を見合わせた。
エリサは何と言っていいのかわからず……考えに考えた末、「どうして霜巨人に挨拶するんですか?」と尋ねた。
「それは、争いを回避するためだね」
「争い?」
ヴォレラシアーは勿体をつけるように、大仰にゆっくりと頷く。
「我々竜と巨人族は古くから因縁があって、実のところあまり仲良くしたいとは思わない。だからといって、顔を合わせるたびに争っていては他種族に迷惑をかけることになってしまうし、最悪、取り返しのつかない災いを呼ぶことにも繋がる」
「そうなんですか?」
「聞いたことはないかな? 竜にとっても遥か遠い昔、争いが過熱したあまりについ禁じられた古い魔法に手を出して、大地を吹き飛ばしてしまった話を」
「ええと……?」
「本当ならこの大陸のすぐ西側には大きな島があったのに、今は影も形もない。竜の古い魔法で吹き飛んでしまったからなのだよ」
島? とエリサは首を捻った。
この辺り……といっても、海なんて遠すぎて谷からも町からも見たことはないが、海豹狩りに出た男たちがそんなことを話していた記憶はない。
おばあも神子も、大きな島のことを話していたことなんてない。
「え、でも、そんな島なんて、どこに……」
「ヴァロ、君は知ってるだろう?」
「ええ、まあ……妖精族の間では有名ですね」
エリサは思わずヴァロを振り向く。
ヴァロはおばあよりも神子よりも物知りなのか。
「ともかく、その大きな島を吹き飛ばすという事故があってから、さすがの竜も少し反省したんだ。善き竜の総意として、だから、むやみやたらと喧嘩などはせず、他種族との争いもなるべく避けるようにと決めたんだよ。
僕と巨人族の争いでこの辺りが荒れてしまったら、君たちだって困るだろう?」
「はあ……」
エリサが見たことのある竜といえば、アイニへの求婚でコンラードが捕まえてきた白い竜くらいだ。
せいぜい、ちょっと大きめの狼犬くらいの大きさで、縄でぐるぐるに縛られてしまえばなすすべなく転がされるくらいしかできない、小さな小さな竜だった。
それに、巨人……といっても、霜巨人なんて想像もつかない。谷の男が、自慢げに氷鬼と戦って討ち取ったと話しているのを聞いたくらいだ。
あんな小さな竜と、せいぜいが人間の倍くらいの背丈の氷鬼が戦ったくらいで、この広い氷原がどうにかなるなどとは思えない。
「ふむ、半信半疑といったところだね」
「だって……」
「僕は大魔術師であり古竜と呼ばれるほどの竜だ。だが、霜巨人にも……これを認めるのは少々癪だが、なかなかに侮れない実力を持つ魔法使いや司祭がいる。
もし僕が宮殿から眷属たちを率いて霜巨人と戦ったりしたら、このあたりは焼け野原……いや、永遠に解けない氷に覆い尽くされた不毛の地に変わるだろうね」
エリサはただただ呆然と口を開けて聞いているだけだ。
エリサの知る戦いなんて、谷と町の戦争かせいぜいが近隣の氏族との小競り合いがいいところで、運の悪い男が何人か死んだり怪我をしたりするくらいだ。もちろん、谷が負ければ若い娘を数人引き渡すことになるし、冬越しの備えや家畜を持っていかれたりもするから、まったく困らないというわけではない。
けれど、氷原が厚い氷に覆われたまま解けなくなることなんてあり得ない。いったいどうしたら、そんなことが起こるのか。
大袈裟に言ってるだけではないのか。
「僕は、まがりなりにも尊き皇竜神の僕たる銀の竜だ。しかも偉大なる古竜なのだよ。近隣の善き生き物たちにも気を配れなくてどうする?」
「はあ……」
どうにも想像がつかず、エリサは困ったように首を傾げるばかりだった。期待していたよりもずっと静かな反応に、ヴォレラシアーも「ん?」と首を傾げた。
「――ヴォレラシアー殿、まずは休みませんか。私たちもほんの少し前にここに避難したばかりで、食事もまだなんです」
「ああ、そうだったか。それは済まないことをしたな。お詫びに、この濡れた荷物は僕が乾かしてあげよう。
なあに、ほんの手慰み程度の魔術で十分可能だからね」
ヴァロは暗くなり始めた外へと目をやった。それから、窓の鎧戸の掛け金をしっかりと確かめる。風の強さが増しているようだ。
そして言葉どおり、ヴォレラシアーが二言三言不思議な言葉を呟いて指を振ると、ふわりと温かな風が吹いた。エリサが慌てて確かめると、荷物も衣服もブーツも何もかもが一瞬のうちに乾いていた。
「すごい……魔法って、すごい……!」
あれこれひっくり返して触って、本当に全部が気持ちよく乾いているとわかって、エリサは大きく目を見開く。
エリサが知る魔法の話といえば、イェルハルドが戦いの時に使ったという雷を呼ぶ魔法や酸の雨を降らせたり竜を召喚したりという恐ろしいものばかりだった。
こんな便利な魔法の話なんて聞いたことがない。
「ありがとうございます、ヴォレラシアー殿」
「いやいや。この程度、たいした魔術ではないからね」
うわあ、うわあと声を上げるエリサを横目で見ながら、ヴォレラシアーは得意げに目を細める。
魔術師なら誰でも使える初歩の初歩、“小魔法”と呼ばれる手慰み程度の魔術ひとつで、こうも驚き感心されるのは久しぶりだ。
ヴォレラシアー自身、大魔術師と呼ばれるようになってからは長いけれど、それでもこうして無邪気な称賛を浴びるのは気分がいい。
「魔法ってなんでもできるんだ!」
「エリサ、そういうわけじゃないよ。ヴォレラシアー殿が魔術でいろいろできるのは、気の遠くなるくらい長い間、研鑽を重ねてきたからこそだよ」
初めて目にする魔術に、エリサが子供のようにはしゃぐ。
ヴァロは苦笑を浮かべて、食事の用意を始めた。
堅焼きにしたパンと干したキノコと肉でスープを作るかたわら、フロスティが獲ってきた鳥を捌いて鉄串を刺し、炙りだす。
「たしかに、魔術は万能というわけではないね」
ヴァロの手元を覗き込みながら、ヴォレラシアーは頷いた。
偉大なる竜の力に竜の魔法、そこにこの世にある魔術のすべてを足したとしても、ままならないことは多い。
神々でさえ万能というわけではないのだから、当然だ。
「だが、それでも魔術で解決できることはとても多い」
ヴォレラシアーがパチンと指を鳴らすと、暖炉の炎がゆらりと揺らめいた。
たちまち串に刺した鳥が勝手にくるくると回り始め、大きな匙が浮き上がって鍋の中を掻き混ぜる。
まるで、見えない人間がそこにいるようだ。
「えっ」
驚くエリサに、ヴォレラシアーはますます得意そうに笑った。ヴァロはやれやれと肩を竦めて、ヴォレラシアーに後を任せてしまう。
ヴォレラシアーがひらひらと手を閃かせるのに合わせて瞬く間にスープが完成し、肉が焼き上がった。
「さあ、どうぞ」
スープを入れた椀がふわりと浮き上がり、エリサとヴァロの前に置かれた。こんがりと焼けた肉も、瞬く間に食べやすい大きさに切り分けられて皿に並ぶ。
目を丸くしながらそのようすを見守っていたエリサは、ふと、首を傾げた。
エリサとヴァロの分はあるのに、ヴォレラシアーの分がない。
「あの、ヴォレラシアーさんのは……」
「君たちは嵐が止むまでここにこもらなければならないのだろう? 僕が君たちの貴重な食べ物を奪うわけにはいかないよ。
それに、竜は数日食べずとも平気な種族なのだ。気にせずともいい」
「でも、ヴォレラシアーさんが作ったのに……」
エリサがヴァロをちらりと伺う。
「ヴォレラシアー殿、食料にはまだ余裕がありますから、ぜひ一緒にどうぞ」
「――そこまで言うなら、では、少しだけいただこうか」
ふたりの勧めに従って、ヴォレラシアーも少しうれしそうに、低い小さなテーブルの傍らに腰を下ろした。
食事を終えた後、すっかり日の落ちた外では未だ風が渦巻いていた。雨音はすっかり聞こえなくなったから、きっと完全に雪に変わったのだろう。
そういえば、隙間風もあまり入ってこなくなったのは、壁についた雪が凍りついたからだろうか。
いずれにしろ、風がひどくなる前にここに来れてよかった。
エリサは暖炉に泥炭を足した。石炭ほど熱い火にはならないが、小さな小屋を温めるくらいなら十分だ。
「もう、“女王”はすっかり目が覚めたということかな」
外の様子を伺って、ヴォレラシアーがぽろりと溢す。
「そうですね。今年は半月ほど早いようだ」
ヴァロも小さく息を吐く。
こんなに冬が早いのは想定外だ。谷の冬越しの備えは間に合ったのか。町の皆はどうしているだろう。
エリサはガタガタと揺れる窓の鎧戸をぼんやりと見つめる。このようすでは、ヴァロの言うとおり、嵐は数日続きそうだ。
「この風では、さすがの僕でも飛ぶことは無理だね」
「竜なのに?」
「竜でもだ。自然……世界の力というのはとても大きいものなんだよ」
「世界の力……」
ふうん、と頷いて、エリサは暖炉の火を見つめる。時折掻き回して、燃え尽きた灰を避けて、新しい泥炭を足して……赤く燃える泥炭がなかったら人間はたやすく死んでしまうのも、世界の力が大きいからなのかな、と考える。
「この嵐が過ぎた後は晴れるだろうな。陽光を浴びた“女王”の神殿は、とても美しいんだよ。楽しみだ」
「神殿?」
エリサがきょとんと顔を上げる。ヴァロも興味を引いたように、ヴォレラシアーへと視線を向ける。
「そう。霜巨人が氷で作った“女王”の神殿で、なかなかのものなのだ。あの無骨な巨人どもがよくもまあここまでのものをと感心せざるを得ないほどには美しいと認めよう。僕は美しいものは美しいと認めることのできる、寛大な竜だからね」
「“女王”の神殿がある、というのは噂に聞いたことがあるけど、霜巨人が作ったものだったんですか」
「“女王”の? 北の果てには“女王”のお城があって、冬が来ると目覚めた“女王”がそのお城の奥深くにいらっしゃるって、神子様が話してたことがあるの。もしかして、お城ってその神殿のこと?」
興味津々といったふたりのようすに、ヴォレラシアーはにいっと笑った。良いことを思いついた、という笑顔だった。
「では、君たちも連れて行こう。せっかくの機会だし、僕の背にも乗せてあげようか。嵐さえ止めば、ここから一日か二日もあれば到着するくらいの距離だよ」
「――え?」
ヴォレラシアーの提案に目を丸くして、ヴァロとエリサは顔を見合わせた。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
ワンダラーズ 無銘放浪伝
旗戦士
ファンタジー
剣と魔法、機械が共存する世界"プロメセティア"。
創国歴という和平が保証されたこの時代に、一人の侍が銀髪の少女と共に旅を続けていた。
彼は少女と共に世界を周り、やがて世界の命運を懸けた戦いに身を投じていく。
これは、全てを捨てた男がすべてを取り戻す物語。
-小説家になろう様でも掲載させて頂きます。
二周目悪役令嬢は、一味違う。 ~ヤンデレ乙女ゲームの世界でヒロインの代わりに攻略対象を導くよう、神様に言われました~
透けてるブランディシュカ
恋愛
ヤンデレ攻略対象ばかりがいる乙女ゲーム「ラブ・クライシス」に転生を果たしたアリシャ。彼女は本来は、「ヒロインに婚約者を取られて婚約破棄を突きつけられる悪役令嬢」という役目なのだが、その世界では運命が変わっていてヒロインが死亡。彼女の代わりに攻略対象者達を導く事になる。創世女神からの加護で「痛み」を感じないアリシャは、ヤンデレ乙女ゲーム世界らしく、物騒な日常へと飛び込んでいく事に。ただし調子に乗って一度死んでいるので、今は二周目。(※重複投稿しています)透坂雨音
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる