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竜と空の旅

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 嵐は三日続いた。

 保存食はふたりなら五日分。それから、ヴァロの作った“善き果実”が数個。捌いて外に吊るした鳥があと二羽分……ヴォレラシアーがいても余裕はあるだろう。それに、風さえ弱まればフロスティが狩りに出られる。
 ――そう判断しての籠城だったけれど、思ったよりは長く続かなかったことに、ヴァロもほっとした。

「珍しく、晴れたねえ」

 ひさしぶりに外に出て、空を仰ぎ見る。
 この季節特有の薄く雲のかかった白っぽい空は、夏のように鮮やかな青ではない。けれど、完全な冬がくればこの程度でも晴れることは珍しくなる。

「風もすっかりおさまったし、今日は飛行日和だ」

 ヴォレラシアーは機嫌よく伸びをして、ヴァロとエリサを振り向いた。

「あ、あの、ヴォレラシアーさん」
「ん?」
「本当に、私たちのこと連れて行くんですか?」
「もちろん。あの神殿はひと目だけでも見る価値のあるものだからね。それに、僕ひとりでは退屈なだけだが、君たちがいれば少しは気が紛れるだろう?」
「はあ……」

 エリサが見ると、ヴァロは諦めたように首を振った。竜というものは、一度言い出したら聞かない生き物なのだろうか。
 それから、ヴァロは少し考えると、フロスティにゆっくりと話しかけた。

「フロスティ。“君には領主への伝言を頼む”。私たちはヴォレラシアー殿に連れられて、北の果てに行くことになった、とね」

 耳の後ろを擽られて、ぐるぐると喉を鳴らした後、フロスティは立ち上がった。そのまま挨拶をするように尻尾を一振りして、走り去ってしまう。
 エリサはぽかんと見送って、「ヴァロさん」と声を掛けた。

「フロスティが、伝言、って」
「ああ、野伏の魔法だよ。一応、黙って姿を消すわけにはいかないだろう? 領主はエリサの後見人でもあるしね」

 あれも、魔法……と、エリサは驚いた顔のまま、フロスティが行ってしまった方角をじっと見つめた。
 なら、どう見ても言葉が話せそうにないフロスティにも、ヴァロの伝言を伝えられるのだろう。

「さあ、準備はできたかい? できたなら、僕の背に乗ることを許してあげよう」
「――え?」

 ヴォレラシアーの、さっきまでとは明らかに違う深く響く声が上から降ってきて、エリサはぎょっとする。
 おそるおそる振り向くと……文字どおりいつの間にか現れていた、見上げるような大きな竜がにいっと笑うように目を細めた。
 陽光を反射して周囲の雪よりも眩しく銀色に輝く鱗の、エリサを十人背中に乗せても大丈夫そうな、大きな大きな竜だ。

「ヴォレラシアー、さん?」
「いかにも。ほら、ヴァロに手伝ってもらって、僕の翼を伝って登るといい」

 身を屈めて翼を地面との渡し板のように伸ばしたヴォレラシアーが、長い首を振り向かせて「さあ」とエリサを促す。
 エリサはグラートをしっかりと上着の中に抱え直して、ヴァロに支えられながら銀竜の背によじ登った。ヴォレラシアーの身体には、手のひらよりも大きくて鏡のように滑らかな鱗が並んでいる。エリサはこんなにきれいな鱗ははじめて見たと、そっと表面に触れてみる。
 もっとも、エリサが知る鱗なんて、年に何回か獲る魚の鱗だけなのだが。
 それに、ヴォレラシアーの背の座り心地も悪くなかった。背に並んだ太い刺も見た目よりずっとしっかりしていて、エリサが掴まったくらいではびくともしない。

「エリサ、念のためロープを結んでおこう」
「はい」

 後から登ってきたヴァロが、エリサを抱えるように後ろに座って、ロープの端を渡した。エリサはそれを受け取って、腰にしっかりと巻きつける。ロープはさらにヴァロを繋いで、ヴォレラシアーの刺にもしっかりと結びつけられた。

「では、行くよ」

 ヴォレラシアーが地を蹴って走り出す。
 馬や羊どころか大角鹿ムースすら比べ物にならないほど大きな身体なのに揺れはあまりない。走りながら、ヴォレラシアーが大きく広げた翼を数度はばたかせると、急にふわりと浮いた。

「わあ……っ」

 ばさり、ばさりと翼をはためかせるたびに、地面がぐんぐんと遠くなる。
 地上からは見えない、地平の果てまで連なる北壁山脈を目で追って、嵐の間寝泊まりしていた小屋があっという間に小さな点になるのを見て、エリサは思わず自分を抱えるヴァロの腕をぎゅっと握った。
 万が一、こんな高さから落ちてしまったら、どうなるんだろうか。
 うっかりテーブルから落としてしまった煮込み料理がべしゃっと潰れてしまったことを思い出して、身震いをする。

「大丈夫だよ、エリサ。あまり風を感じないだろう? 銀色の竜は風の竜だ。高い山の頂に雲を集めた宮殿を作る、空に生きる竜で、他の色の竜よりも飛ぶことを得意としている。私たちがうっかり落ちたとしても、ちゃんと受け止めてくれるさ」
「おいおい、僕が背に乗せた者を落とすなんて間抜けをするわけないだろう?」

 上空を流れる風に乗ったのか、ヴォレラシアーは羽ばたくのをやめて翼をいっぱいに広げた。ヴァロの言うとおり周囲に風が渦巻いているはずなのに、エリサの頬には微風程度にしか感じられない。

「それに、君たちのような地上に生きる者が、空を流れる風や寒さに弱いことくらいちゃんと知っているよ。偉大なる魔術師にして古き竜である僕が、備えないわけないだろう?」 

 ヴォレラシアーは得意そうに目を細める。
 青味がかった銀色の頭は、角も含めて鱗や皮膚の凹凸がまったくない、まるで平らに凍った氷の表面のように煌めいている。
 昨夜積もった雪のせいか、地表は白一色に染まっていた。眼下を流れるように過ぎていく黒いものは、針葉樹か動物か。
 夏はもっとたくさんの色に染まっていたはずなのに、今は白一色に輝いて……冬の氷原はこんな風に見えるのかと、エリサはただただ見入ってしまう。

「――ああ、すごいな」

 エリサの背後から、呟きが聞こえた。

「エリサ、世界はきれいだね」
「はい、ヴァロさん」

 北の果てまでずっと、白い世界が広がっていた。さまざまな色合いの白が、北の果てまでずっと続いている。
 ヴォレラシアーはいつもこんな世界を見ているのかと考えると、少し羨ましい。



 空の旅は丸二日ほど続いた。
 夜はさすがに地上に降りて野営をした。すでに草木のまったく生えていない、雪と氷しかない地域だったが、ヴォレラシアーの魔術とヴァロとエリサの狩りで食べ物にも寒さにも困ることはなかった。
 氷ばかりで餌になるものなんてひとつも無いように見えるのに、意外にいろいろな生き物がいることにエリサは感心する。

「氷結海が近いんだろうね」
「凍ってるのに、海が近いと何かあるの?」
「ああ」

 エリサの疑問に、ヴァロが頷く。

「私も話に聞いただけなんだが、全部が氷に覆われてるわけじゃなくて、いくつも割れ目があるんだそうだよ。隙間を通って海に潜れば魚が漁れるし、そういう場所にはいろいろな動物が集まるんだそうだ」
「そのとおり。この近くには大きな割れ目があって、海との出入りもたやすいからね。魚を食べる鳥や、その鳥を狙う獣なんかがよく集まる。ついでに言うと、ごく稀にクラーケンという海の魔も狩りに現れたりするよ。ここではないが、白竜の狩り場になっている割れ目もある」
「白竜?」

 くっくっと笑いながら、ヴォレラシアーは続ける。

「ああ。もう少し……そうだな、あと五日くらい東に飛んだあたりの氷結海から陸にかけては、白竜の縄張りだ。かなり大きな割れ目があるらしい。
 だから、あのあたりに好んで住む氷原の民も氷結海の民もいないはずだよ」
「あの、こっちに来たりはしないんですか? 大丈夫なんですか?」

 白竜の縄張り、と呟いて、エリサは眉尻を下げる。
 ヴォレラシアーは大きくて立派な竜だから平気なのかもしれないけれど、エリサとヴァロなんて、ひと呑みではないのか。
 それに、万が一ということだってあるんじゃないのか。

「それは心配ないよ。白竜は頭が悪いとは言うが、少なくとも、巨人たちと不干渉の取り決めをできるくらいには知恵の回る竜だよ。僕に比べればずっと若いけれど、それでも老齢に届くくらいは生きているんだ。巨人たちの土地を侵して事を構えれば自分が不利だということくらい、奴もわかってる」
「だから、自分の縄張りを出たりはしないってことですね」

 ヴォレラシアーとヴァロの言葉に、エリサはほっと息を吐く。ヴォレラシアーと白竜と、さらに霜巨人フロストジャイアントの争いなんて、恐ろしくて想像もできない。

「ああ、そろそろ君たちにも見えるんじゃないかな。あれが、霜巨人の氷の宮殿だ。いちばん目立っている尖塔が、“女王”の神殿だよ」

 言われて目を凝らすと、傾きかけた太陽の光を浴びてほんのりと朱に染まった煌く城が見えた。複雑な輝きから、遠目にも、さまざまな彫刻が城を飾っていることが見て取れた。
 淡い青と陽光の朱が混ざり合い、白一色のはずの建物を染めるその中に、ヴォレラシアーの言うとおりの尖塔がひときわ明るく輝いている。

 まだまだ相当な距離があるはずなのに、どれだけの大きさなのか。
 氷でこんなお城ができるなんて。

 なんと驚いていいのか、まったく言葉が出てこない。それはヴァロも同じようで、ただただふたり揃って息を呑むばかりだった。

「美しいだろう? 巨人は気に入らないが、あの城は見事だと褒めるしかなくてね……癪だが、あの城だけは、僕のちょっとした楽しみになっているのだよ」
「すごい、です」

 やっとそれだけを口にしたエリサに、何故だかヴォレラシアーが得意そうに目を細めた。
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