蛮族嫁婚姻譚その4:氷原の狩人と戦士になりたい娘

ぎんげつ

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雪嵐と来訪者

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「まずいな。これは嵐になるかもしれない」
「嵐?」
「ああ、向こうの方角が暗いだろう? 嵐はいつも向こうから来るんだ」

 翌朝、夜明けを迎えた空を見上げて、ヴァロは不機嫌に顔を顰めた。
 まだ雪がちらちらと舞ってはいるものの、空は昨日よりも明るい。だから天候は回復に向かっているとばかり思っていた。けれどヴァロの示す方向を見て、エリサも同じように顔を顰めてしまう。
 はるか彼方の地平には、黒い影のような雲が、厚く垂れ込めていた。

 ――秋の終わりを告げるだけの雪が、嵐まで伴っているとは。

 濡れたままろくに広げることもできなかった衣服や荷物は、一晩経ってもまだ生乾きのままだった。革のブーツもグローブも、まだまだ湿っている。
 このままここで嵐を迎えれば、吹雪に閉じ込められて動けなくなるどころか凍って死んでしまうだろう。
 今のうちに一番近い小屋まで移動しないと。

 そう、ヴァロに急かされて、エリサも慌てて荷物をまとめた。
 いつもなら冷まして回収する燃え残りの練炭も、今日はその時間が惜しいとさっさと埋めてしまう。

「ここから一番近いのは……」

 ヴァロはぐるりと周囲を見回した。
 ここから一番近い小屋は、山に向かって一刻二時間ほど歩いたところだ。
 方角を確認して、ヴァロは歩き出す。

「エリサ、行くぞ。
 フロスティは食糧を頼むよ。多めにだ。この先の小屋で合流しよう」

 ぐるると喉を鳴らして、フロスティは了承したとばかりに走り出した。
 エリサはその背中を見送って、すぐにヴァロの後につく。

「ねえ、ヴァロさん」
「どうした? 速すぎたか?」

 早足に先を急いでいたヴァロが、少し歩調を緩めた。たしかに少し息が切れそうなくらいの早足だったけれど、エリサは首を振る。

「フロスティって、ヴァロさんの言葉がわかるの?」
「ん? ああ」

 いつもいつも、フロスティはまるで人間のようにヴァロの言う言葉を理解して行動しているようだった。
 動物は……たとえとても賢い牧羊犬でも、簡単な命令以外の言葉を細かく聞き分けて行動するなんて、とても無理だ。

「野伏には、動物と言葉を交わすための魔法があるんだ」
「魔法? 野伏って魔法使いなの?」
「少し違うな。この世界アーレスには魔法があふれているだろう? 野伏はその力を借りて、ちょっとだけ魔法を使うことができるんだよ」
「ちょっとだけ……」
「そう、ちょっとだけ。だから、魔法使いほど便利なことはできないけど、フロスティと簡単に話すくらいならできるんだ」
「ふうん?」

 どうにもピンと来なくて、エリサはまた首を傾げる。

「エリサにもじょじょに教えていくから、楽しみにしているといい」
「私も? 野伏の魔法?」
「そうだよ。エリサは野伏になるんだろう? そうすれば、グラートと言葉を交わせるようにだってなれる」
「グラートと!?」

 グラートはエリサのマントの中だ。布に包まれて赤子のように丸くなって抱かれている。もちろん、グラートが鳴いたところで、エリサには餌を欲しがっていることくらいしかわからない。
 そのグラートと、話ができるようになる?
 驚きに目を瞠りぽかんと口を開けるエリサに、ヴァロがくすりと笑った。

「ほら、急ごう。嵐が来る前に小屋に入らないとな」
「は、はい!」

 また足を速めるヴァロに合わせて、エリサも歩調を上げる。目の前に伸ばされた手を握ると、ヴァロはぐいぐいとエリサを引っ張って足を速めた。



 小屋に到着する頃には、黒雲が背後にまで迫っていた。風もどんどん強まって、今では細かな雪を壁に叩きつけるほどになっている。
 湿ったマントもブーツも氷のように冷たくなって、このままあと半刻一時間も外にいたら、きっと身体の芯まで凍りついてしまっただろう。

 小屋の扉の前に捕まえた獲物を積み上げて、フロスティは風を避けるように丸くなってまっていた。
 無事、フロスティと合流できたことに、エリサはほっとする。ヴァロも「よくやった」と軽く撫でるとすぐに扉を開けて、全員で中へ入った。

 この天候では水を汲みにいくのは無理だと、ヴァロは水瓶を外に出して雪を溜めることにした。エリサはいつものように泥炭で火を起こして部屋を暖める。それから、ロープを張って湿ったままの衣服や荷物を広げた。
 フロスティが取ってきてくれた獲物は、ヴァロが簡単に内臓や毛皮を処理して、外に吊るした。凍らせてしまえば数日はもつからだ。
 エリサも湯を沸かしながら、ヒヨヒヨと餌をねだるグラートに餌を与えた。

 小屋にいれば、しばらく燃料と天候に困ることはないだろう。水も、降る雪を集めてとかせばなんとかなる。
 食料は心配だが、ふたりと一頭と一羽なら今日から数日篭っても大丈夫だろう。
 慌ただしくあれこれを片付けて、ヴァロとエリサはようやく息を吐いた。
 この嵐なら、長くても三日ほどで通りすぎるだろう。

「おや、やっぱり先客だ」
「え?」

 ガタガタと風に揺れる扉がいきなりバタンと開いて、冷たい風が吹き込んだ。
 ヴァロもエリサも驚きにパッと顔を上げる。
 フロスティもあからさまに警戒し、背中の毛を逆立てて牙を剥く。
 ――が、「いやあ、すごい風だねえ」などと呑気な言葉と共に入ってきたのは、どこからどう見ても軽装の妖精だった。冬用のマントも身につけず、ろくな荷物も持っていない、単なる長衣ローブ姿の妖精だ。

 ヴァロもエリサも、突然の訪問者を呆気に取られた顔で見つめた。
 どうしてこんな場所にこんな妖精がいるのかはわからない。イェルハルドが普段来ている長衣に似ているから、もしかしたら妖精の魔術師なのかもしれない。
 妖精は、ふたりの様子に頓着することなく長衣の雪を払い、「まいったまいった」と肩を竦めた。

「この雪嵐だろう? 偉大なる美しき天のものヴォレラシアーであるさすがの僕もちょっと困ってね。しばらくどこかで休もうかと思ったら、ここに灯りが見えたんだ。誰かいるならご相伴させてもらおうかと思ってね」

 長衣のフードを下ろすと、輝くような銀の髪が流れ落ちた。この北の果てでもあまり見ない、見事な銀色だ。

「あの……あなたは?」

 戸惑いながら問うエリサに、妖精はにっこりと笑う。
 けれど、ヴァロは大きく目を見開いたまま身じろぎもせず、まるで凍ってしまったかのようで……エリサの眉尻が不安げに下がる。
 妖精はエリサとヴァロを交互に見比べて、片目を瞑った。

「通りすがりの妖精の魔術師だ。僕のことはヴォレラシアーと呼んでくれればいい」
「な、なんであなたが……」
「ヴァロさんの知り合いなの?」
「僕は有名人なんだ。この辺りの野伏なら、僕のことを知っているかもしれないね。ましてや、森妖精の血筋ならなおさらだ」

 ごくりと喉を鳴らすヴァロを不思議そうに見て、それからエリサは「あの」とヴォレラシアーに声をかける。

「寒かったでしょう? お茶はいかがですか?」
「ああ、ありがたい、いただこうか。
 そういえば、君はひょっとして氷原の民の娘さんかい? 珍しいところにいるね」
「あの、そう……なんです。ええと、今は町の民になったんですけど、前は、“北爪谷ほくそうこくの民”でした」
「ああ……そういえば、“霧氷むひょうの町”の領主が戦いの和睦のために氷原の娘と結婚したって聞いたなあ。なるほど、それか」

 ヴォレラシアーが納得顔で頷くと、ようやく気を取り直したのか、ヴァロが唐突に「そんなことよりも!」と声を上げた。

「あなたこそ、どうしてこんなところにいるんです!? 雲の宮殿から、氷原側に降りてきているなんて……何かあったんですか!?」
「ヴァロさん?」
「ああ、それは毎年の恒例行事のためなんだよ」
「恒例?」
「そう、毎年、“女王”が目覚める頃に、霜巨人フロストジャイアントの長と挨拶を交わすという約束になってるんだ」

 ヴォレラシアーの言葉に、エリサも唖然とした。
 たしかに、おばあや神子は、氷原の北の果て、凍れる海と氷しかない地には“女王”の宮殿があり、霜巨人が護っているのだ……と話していたけれど。
 でも、神々は神々の世界に住むものだし、霜巨人のことも……氷鬼アイストロルは別にして、ただの御伽噺だと思っていたのだ。

「霜巨人て、本当にいるの?」
「ああ、いるよ。人間たちの住む地域まで来ることなんて、ほぼないけどね」

 エリサは目を瞬かせる。
 ヴァロがコホンと咳払いをする。

「それはともかく……どうしてあなたがわざわざ巨人族のところに?」
「それは、この偉大なる美しき天のものヴォレラシアーである僕の城に、巨人族などという乱暴な輩を招きたくないからだ。せっかく僕が僕の気にいるように美しく整えているんだぞ。やつらの乱暴な振る舞いで汚されたり、ましてや壊されたりしては堪らないだろう?
 だから、僕自らが赴いて挨拶くらいしてやろうと譲歩したのだ」

 得意げに顎をそらすヴォレラシアーに、ヴァロからは「はあ」と気の抜けた返答しか出てこない。
 ヴァロの袖を、エリサがくいくいと引っ張った。

「ヴァロさん。ヴォレラシアーさんて、いったい……」
「ああ……エリサは、北壁山脈の……町からも谷からも見える山のいただきにある、雲の宮殿の話を聞いたことはあるかい?」
「ええと、おばあが話してたと思う。山の上には雲を編んだ美しい宮殿があって、選ばれたものしか招かれることはできないって」
「彼はその宮殿の主人、銀の鱗を持つ偉大なる古竜エンシェントドラゴン、“美しき天のもの”ヴォレラシアー殿だ」
「――え?」

 思わずヴォレラシアーを振り向くと、煌めく深い青の目を細めてヴォレラシアーがにいっと笑った。

「え?」

 もう一度ヴァロを見ると、やれやれと肩を竦めていた。
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