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05.孤独死の相次ぐアパート
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さて、ハチが巣食うバランス釜の風呂のあるアパートについての話をしようと思う。
今でも現存しており、住んでいる人もいるけれど、残っている住人はほとんど年寄りばかりになっているらしい。
私は現在三十路、そしてそのアパートは十代の頃に出てしまっている。
私が物心ついた頃からこのアパート、もうよその家と比べたってどう見ても古すぎる。
私の子どもの頃で築六十年くらいと父は話していたので、現在だともう築八十余年にもなるのではないだろうか。
前の話で説明の通り、設備が昭和のままである。
私の長く住んでいた部屋はまだシャワーがあっただけマシで、その前に同じアパート内の別の部屋に保育園の年長の年まで住んでいたが、そちらに関してはシャワーヘッド無し。あるのはホースだけという状態。
トイレも前の部屋は汲み取り式でも和式だったので、幼い子が用を足すには落ちてしまいそうで怖かった。
それがずらっと長屋として並んでいる。古いが室内の階段を上がっていくと二階に二部屋ほどある。いわゆるメゾネットタイプのアパートだった。
このアパートだが、実質二歳から十六歳頃まで住んでいたこの十四年間で、当たり前のように人が死んでいくのだ。
うちの父は病院で亡くなっているので例外として、それ以外に少なくとも六人は亡くなっている。
ほとんどは孤独死であった。
エアコンというものがないのだから、それは当然というところもある。
その中でも、とても印象に残った亡くなり方をした方がいた。
その人はHさんという、うちの父よりいくらか年上だったおじいさんだ。
生前はよく、茶菓子を買ってきては
「おい、これ」
と無愛想ながら私にくれた。何個かバラでくれるわけじゃない。
ファミリーパックでドンと買ってきてくれるので、両親の買ってくれる煎餅なんかよりも、私はそのHさんがくれる茶菓子が大好きだった。
今でも、Hさんがよく買ってくれていた落雁や松露(あんこ玉ともいう)なんかが好きで、私の甘味のチョイスは夫には古いと言われるけれど、きっとHさんゆずりの味覚になったのだろうと思っている。
そんなHさん。ある年の梅雨くらいの時期。だから六月の終わりくらいだろうか。
当時は父が入退院繰り返していた時期で、その時も父はまた少し後に入院の予定が入っていたのだけれど、自宅療養していた。
父は前の話でも書いた通りの性格で、すぐ他人と喧嘩してしまうのだが、病状が悪くなって入退院の繰り返しになっていてもその勢いが衰えることはなかった。
Hさんと父は喧嘩したことはそれまでなかった。
どういう関係性かといえば、まあ挨拶や世間話はする程度の仲。特別犬猿の仲というふうでもなかった。
この日、Hさんがいつものように我が家の開けっ放しの玄関、そこにかけられているカーテンを端からちょこっと開けて
「ヨォ」
と居間にいた私に声をかけてきた。
「こんにちは、Hさん」
私が答える声で、奥で寝転がってテレビを見ていた父もHさんが来たことに気付いて身体を起こした。
「これ、やるから食えよ」
手には落雁や最中などの一口サイズの和菓子が入ったもの、そして餅入りの最中の十個パックがあった。
「ありがとうございます!やったー」
頂いたお菓子に嬉しくなる私。
それを見届けて表情も変えず、ぶっきらぼうに去っていくHさん。
しかしお菓子はすぐには食べない。
仏様にお供えして少し経ってからじゃないと、我が家では食べてはいけないことになっていた。
仏様といっても、仏壇なんて高価なもの我が家にはない。
父が和紙と段ボールで作った簡易的なものだった。
父の達筆というのか、読みにくい文字で、父の先祖や祖父のの名前が筆で書かれただけのもの。
そこに私はお菓子をお供えして、それから風呂場に向かった。
何しろエアコンがないもので、暑いのだ。
暑さを凌ぐためには、扇風機か水風呂という選択肢しかない。
私はHさんが来る前から、風呂に水を溜めて水風呂の準備をしていたのだ。
そろそろ水もいい感じに溜まってきた頃だろうと、お供えしたその足で風呂へ行く。
おぉ、いい感じ。私は服を脱ぎ、そのまま水風呂へ入ってしばらく冷たい水のありがたみに浸っていたのだが、ふと外で人の喋る声がした。
我が家の壁は薄い。だから、外で誰かが話しているとよく聞こえてしまう。
誰と誰の声なのかはすぐにわかった。
「よォ、おめェああいう言い方はねえんじゃねえか」
父である。
「おめェってのはなんだ。俺のが年上じゃねえか。それに言い方も何も、娘は喜んでただろうが」
そしてHさんだった。
いつもは無愛想でボソボソと喋るHさんが、この日は声を張っている。
父が喧嘩を吹っかけたようだった。
「なァにィ?あんなもんもう要らねえからその無愛想な顔見せるんじゃねェ」
「テメェにやったんじゃねえ、俺ァ娘にやったんだ。勘違いしてんじゃねぇぞこの野郎」
口の次には手が出る父である。止めなければ、Hさんが父に殴られる。
そんな未来を予測し、私は慌てて水風呂から出てバスタオルで体を雑に拭き、急いで服を着て外に出た。
父とHさんは駐輪場の横で一触即発という感じで対峙していた。
よかった、まだ父は手を出していないらしい。
「お父さん、喧嘩やめて。家入って」
小学生の私の言葉に、仕方なくHさんにメンチ切りながら父は家に戻って行った。
「Hさん、ごめんなさい。お父さんがごめんなさい」
それだけ伝えると、私も家の中へと父の後に続いた。
「お父さんがHさんと喧嘩するなんて、珍しいねェ」
まぁ元々父がHさんの無愛想を快く思っていなかったことを私は知っているのだが、今はこの父の怒りが次のターゲットとして私、もしくは仕事に行っていて留守にしている母の帰宅時に向かないよう、精一杯の配慮として話を逸らすことが必要なのである。
小学生の語彙力ではHさんに対しての謝罪も、そして父の諫め方もこれが限界だ。
このとき父はそれから黙ってテレビを見て、私も漫画を読んで時間を潰して被害もなく終わった。
──はずだったのだが。
この数日後、Hさんのお隣に住むKさんという長距離トラックの運転手、そしてHさんの逆方向の隣の隣に住むKさんという元ヤのつく職業をやっていた気の良いTさんというおじちゃんが、妙な話を外でしているのが聞こえてきた。
Kさん「あの、そこの、Hさんいるがね。バイク、あるのによォ。最近見ねえね」
Tさん「言われてみりゃあそうだな。基本毎日ってくらいバイク乗ってどっか出かける人だもんなぁ」
Kさんは吃音がある人なので、本当にこういう話し方なのだ。
Tさん「この暑さで中でぶっ倒れてんじゃねえか?」
Kさん「俺ァ、あれだよ。三日くらい前に、夜中に、水道の、音聞いたのが、最後だよ」
少し不穏な空気が流れ始め、父も気になって外に出て、その会話に参加し始めた。
父「俺がHさんと喧嘩したのも、三日くらい前だな」
Tさん「足音だって隣だったら聞こえるはずなのに、それもねェんだろ?」
Kさん「どころか、いつもなら、暑いからって、換気するだろ?窓も、開けた、形跡が、ねェんだよ」
父とTさんはその言葉に気になって、アパートの裏手に回り込んでHさんの部屋の窓を確認したらしい。閉まっていたそうだ。
Tさん「それに、なんだか最近ずっと変な臭いがするんだよな。こりゃ大家のばあさん呼んで、鍵開けてもらうしかねえかな」
しばらくして、大家のばあさんが到着。大家が呼んだのか、救急車も同時くらいに来た。
鍵を開けて大家のばあさん、それにKさん、Tさん、うちの父が中に入ろうとすると──。
玄関を開けてすぐのところで、Hさんは玄関側に頭を向けて、うつ伏せで倒れて亡くなっていたという。
すぐに警察も呼ばれ、現場の状態から見て死後三日ほど。しかし遺体はこの暑さで腐敗が進んでいた。
のちにわかるHさんの死因だが、やはり熱中症だろうということだった。
いわゆる孤独死というものに該当するHさんの死だが、それ以前にも二人ほど私はこのアパートで孤独死したケースを目にしているので、慣れてしまっていた。
「今度はHさんか」
その程度の認識だった。
その後も私が住んでいる間に何人かアパートで亡くなる人はいたのだが、この話の一番ゾッとしたところを話そう。
ネット界隈で有名な、某事故物件マップを見られるサイトがあるだろう。
あれは孤独死などでも一応記載されるのだ。
しかし、気になって、私の住んでいた例のアパートを調べてみた。
事故物件としての登録すら何もされていないのである。
ゾッとした。もしかしたら、日本にはここと同じような、あのサイトにも載っていないような、隠れた事故物件があるのかもしれない。
皆さん、どうか引越しをする際、気をつけてほしい。
事故物件は、意外と身近にも存在していることに。
今でも現存しており、住んでいる人もいるけれど、残っている住人はほとんど年寄りばかりになっているらしい。
私は現在三十路、そしてそのアパートは十代の頃に出てしまっている。
私が物心ついた頃からこのアパート、もうよその家と比べたってどう見ても古すぎる。
私の子どもの頃で築六十年くらいと父は話していたので、現在だともう築八十余年にもなるのではないだろうか。
前の話で説明の通り、設備が昭和のままである。
私の長く住んでいた部屋はまだシャワーがあっただけマシで、その前に同じアパート内の別の部屋に保育園の年長の年まで住んでいたが、そちらに関してはシャワーヘッド無し。あるのはホースだけという状態。
トイレも前の部屋は汲み取り式でも和式だったので、幼い子が用を足すには落ちてしまいそうで怖かった。
それがずらっと長屋として並んでいる。古いが室内の階段を上がっていくと二階に二部屋ほどある。いわゆるメゾネットタイプのアパートだった。
このアパートだが、実質二歳から十六歳頃まで住んでいたこの十四年間で、当たり前のように人が死んでいくのだ。
うちの父は病院で亡くなっているので例外として、それ以外に少なくとも六人は亡くなっている。
ほとんどは孤独死であった。
エアコンというものがないのだから、それは当然というところもある。
その中でも、とても印象に残った亡くなり方をした方がいた。
その人はHさんという、うちの父よりいくらか年上だったおじいさんだ。
生前はよく、茶菓子を買ってきては
「おい、これ」
と無愛想ながら私にくれた。何個かバラでくれるわけじゃない。
ファミリーパックでドンと買ってきてくれるので、両親の買ってくれる煎餅なんかよりも、私はそのHさんがくれる茶菓子が大好きだった。
今でも、Hさんがよく買ってくれていた落雁や松露(あんこ玉ともいう)なんかが好きで、私の甘味のチョイスは夫には古いと言われるけれど、きっとHさんゆずりの味覚になったのだろうと思っている。
そんなHさん。ある年の梅雨くらいの時期。だから六月の終わりくらいだろうか。
当時は父が入退院繰り返していた時期で、その時も父はまた少し後に入院の予定が入っていたのだけれど、自宅療養していた。
父は前の話でも書いた通りの性格で、すぐ他人と喧嘩してしまうのだが、病状が悪くなって入退院の繰り返しになっていてもその勢いが衰えることはなかった。
Hさんと父は喧嘩したことはそれまでなかった。
どういう関係性かといえば、まあ挨拶や世間話はする程度の仲。特別犬猿の仲というふうでもなかった。
この日、Hさんがいつものように我が家の開けっ放しの玄関、そこにかけられているカーテンを端からちょこっと開けて
「ヨォ」
と居間にいた私に声をかけてきた。
「こんにちは、Hさん」
私が答える声で、奥で寝転がってテレビを見ていた父もHさんが来たことに気付いて身体を起こした。
「これ、やるから食えよ」
手には落雁や最中などの一口サイズの和菓子が入ったもの、そして餅入りの最中の十個パックがあった。
「ありがとうございます!やったー」
頂いたお菓子に嬉しくなる私。
それを見届けて表情も変えず、ぶっきらぼうに去っていくHさん。
しかしお菓子はすぐには食べない。
仏様にお供えして少し経ってからじゃないと、我が家では食べてはいけないことになっていた。
仏様といっても、仏壇なんて高価なもの我が家にはない。
父が和紙と段ボールで作った簡易的なものだった。
父の達筆というのか、読みにくい文字で、父の先祖や祖父のの名前が筆で書かれただけのもの。
そこに私はお菓子をお供えして、それから風呂場に向かった。
何しろエアコンがないもので、暑いのだ。
暑さを凌ぐためには、扇風機か水風呂という選択肢しかない。
私はHさんが来る前から、風呂に水を溜めて水風呂の準備をしていたのだ。
そろそろ水もいい感じに溜まってきた頃だろうと、お供えしたその足で風呂へ行く。
おぉ、いい感じ。私は服を脱ぎ、そのまま水風呂へ入ってしばらく冷たい水のありがたみに浸っていたのだが、ふと外で人の喋る声がした。
我が家の壁は薄い。だから、外で誰かが話しているとよく聞こえてしまう。
誰と誰の声なのかはすぐにわかった。
「よォ、おめェああいう言い方はねえんじゃねえか」
父である。
「おめェってのはなんだ。俺のが年上じゃねえか。それに言い方も何も、娘は喜んでただろうが」
そしてHさんだった。
いつもは無愛想でボソボソと喋るHさんが、この日は声を張っている。
父が喧嘩を吹っかけたようだった。
「なァにィ?あんなもんもう要らねえからその無愛想な顔見せるんじゃねェ」
「テメェにやったんじゃねえ、俺ァ娘にやったんだ。勘違いしてんじゃねぇぞこの野郎」
口の次には手が出る父である。止めなければ、Hさんが父に殴られる。
そんな未来を予測し、私は慌てて水風呂から出てバスタオルで体を雑に拭き、急いで服を着て外に出た。
父とHさんは駐輪場の横で一触即発という感じで対峙していた。
よかった、まだ父は手を出していないらしい。
「お父さん、喧嘩やめて。家入って」
小学生の私の言葉に、仕方なくHさんにメンチ切りながら父は家に戻って行った。
「Hさん、ごめんなさい。お父さんがごめんなさい」
それだけ伝えると、私も家の中へと父の後に続いた。
「お父さんがHさんと喧嘩するなんて、珍しいねェ」
まぁ元々父がHさんの無愛想を快く思っていなかったことを私は知っているのだが、今はこの父の怒りが次のターゲットとして私、もしくは仕事に行っていて留守にしている母の帰宅時に向かないよう、精一杯の配慮として話を逸らすことが必要なのである。
小学生の語彙力ではHさんに対しての謝罪も、そして父の諫め方もこれが限界だ。
このとき父はそれから黙ってテレビを見て、私も漫画を読んで時間を潰して被害もなく終わった。
──はずだったのだが。
この数日後、Hさんのお隣に住むKさんという長距離トラックの運転手、そしてHさんの逆方向の隣の隣に住むKさんという元ヤのつく職業をやっていた気の良いTさんというおじちゃんが、妙な話を外でしているのが聞こえてきた。
Kさん「あの、そこの、Hさんいるがね。バイク、あるのによォ。最近見ねえね」
Tさん「言われてみりゃあそうだな。基本毎日ってくらいバイク乗ってどっか出かける人だもんなぁ」
Kさんは吃音がある人なので、本当にこういう話し方なのだ。
Tさん「この暑さで中でぶっ倒れてんじゃねえか?」
Kさん「俺ァ、あれだよ。三日くらい前に、夜中に、水道の、音聞いたのが、最後だよ」
少し不穏な空気が流れ始め、父も気になって外に出て、その会話に参加し始めた。
父「俺がHさんと喧嘩したのも、三日くらい前だな」
Tさん「足音だって隣だったら聞こえるはずなのに、それもねェんだろ?」
Kさん「どころか、いつもなら、暑いからって、換気するだろ?窓も、開けた、形跡が、ねェんだよ」
父とTさんはその言葉に気になって、アパートの裏手に回り込んでHさんの部屋の窓を確認したらしい。閉まっていたそうだ。
Tさん「それに、なんだか最近ずっと変な臭いがするんだよな。こりゃ大家のばあさん呼んで、鍵開けてもらうしかねえかな」
しばらくして、大家のばあさんが到着。大家が呼んだのか、救急車も同時くらいに来た。
鍵を開けて大家のばあさん、それにKさん、Tさん、うちの父が中に入ろうとすると──。
玄関を開けてすぐのところで、Hさんは玄関側に頭を向けて、うつ伏せで倒れて亡くなっていたという。
すぐに警察も呼ばれ、現場の状態から見て死後三日ほど。しかし遺体はこの暑さで腐敗が進んでいた。
のちにわかるHさんの死因だが、やはり熱中症だろうということだった。
いわゆる孤独死というものに該当するHさんの死だが、それ以前にも二人ほど私はこのアパートで孤独死したケースを目にしているので、慣れてしまっていた。
「今度はHさんか」
その程度の認識だった。
その後も私が住んでいる間に何人かアパートで亡くなる人はいたのだが、この話の一番ゾッとしたところを話そう。
ネット界隈で有名な、某事故物件マップを見られるサイトがあるだろう。
あれは孤独死などでも一応記載されるのだ。
しかし、気になって、私の住んでいた例のアパートを調べてみた。
事故物件としての登録すら何もされていないのである。
ゾッとした。もしかしたら、日本にはここと同じような、あのサイトにも載っていないような、隠れた事故物件があるのかもしれない。
皆さん、どうか引越しをする際、気をつけてほしい。
事故物件は、意外と身近にも存在していることに。
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