黒い記憶の綻びたち

古鐘 蟲子

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06.年下の友達だったはず

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 この話は以前、某掲示板のオカ板で書き込んだことがある話なんだけれども。

 私は家の事情で年長から短期間だけ保育園に通園していた。
 その保育園での出来事。

 途中からクラスに入ったこともあって、私はなかなか馴染めず、男の子たちからずっといじめられていた。

 今思うと、そのいじめていた奴ら、大人になってから良い噂など微塵も聞かないので、まあその頃から片鱗はあったんだろうな。

 同級生と馴染めないなら、下の年齢の子たちと遊べばいいじゃない。そう私の中のマリーアントワネットが悪魔のようにささやいた。

 確かに、年下の子ならいけるかも。私は仲良くなれそうな対象を同級生から一つ下の学年の子にシフトチェンジして、友達になれそうな子を探した。

 すると、私の住んでいる実家アパートのめちゃくちゃ近所に、Sちゃんという子がいることを知る。Sちゃんはもの静かで大人しく、あーこんな妹いたら可愛いなという感じの女の子だった。

 Sちゃんと遊ぶようになってから、Sちゃんの紹介でNちゃんという子が私たちの仲間に加わった。
 いつもSちゃんとNちゃんと一緒にちまちました遊びをしながら、楽しくおしゃべりするのが保育園に行った時の日課となっていた。

 Nちゃんというこの子、どこら辺に住んでいるのかは知らないけれども、Sちゃんが連れてきたSちゃんと同い年の子なのだが、段々と登園しなくなってくる。

「Nちゃんは?」

 Sちゃんと遊ぶときにたまに確認をとるが、Sちゃんは

「今日もお休みだって。なんかおうちが大変らしいよ」

 Sちゃんの言ったこのセリフ、当時は「へぇ」と流していたが、後から思うと違和感がある。

 子どもが、他人の家の事情を誰かから聞くことが果たしてあるだろうか。
 少なくとも私は、

「大人の会話に首を突っ込むもんじゃない」

 と口酸っぱく怒られてきた人間なので、違和感がある。

 しかし、私の違和感はそれだけでは終わらなかったのだ。


 Nちゃんがほぼ登園しなくなって少し経った頃、ふと登園した日があった。

 久しぶりにSちゃんとNちゃんと三人でおしゃべり出来る!

 嬉しくなった私にNちゃんは、悲しい知らせと奇妙な話を聞かせてくれた。


「私ね、今日がこの保育園最後なの。もう来ないから、お別れを言いにきたんだ」

 どこか引っ越してしまうのか。悲しいけど仕方ないよね。

 物わかりは良い方だとこの頃から自負している。

「あのね。怖い話、しても良い?」

 いきなりNちゃんはそんな切り出し方をした。

 なんで怖い話?と疑問はありつつも、黙って耳を傾けることに。

 Sちゃんも同じように、黙って一緒にその話を聞いていた。


「私のね、おじいちゃんの家。蟲子ちゃんのおうちと同じ、ボットントイレなんだ」

 そういや私の家が古くて汚い、トイレはボットンだなんていう愚痴を前にこぼしていたことがあったっけ。

「そのボットントイレのウンチとか溜まる穴あるでしょ?そこにね、あるとき蛇が入ってきたんだって」

 Nちゃんの語りに、自分の家のトイレでもし蛇が入ったらと想像してしまい、尻を噛まれたら怖いなと冷や汗が出る私。
 そして続けるNちゃん。

「それでね、その蛇をお父さんが殺したんだよ。包丁で」

 嬉しそうに話すNちゃん。下を向いていてどういう表情で言っているのかわからなかったが、どうにもNちゃんの様子が不気味に見えたのだけは覚えている。

 それからNちゃんは、その日を境に登園してくることはなかった。


 そして私は小学校に上がるのだが、不思議なのはここからだった。

 私の小学校というのは、全国共通なのかわからないけれども登校班というのがある。
 要は、無事学校に安全に登校するため、近所の子たちと班編成をされて、一列になって登校する制度だ。

 帰りの時間は各学年別々なので班で帰ってくることはなく、個別に仲の良い友だちと帰ったり、方向が一緒の子と帰ってみたり。

 その登校班について。私の登校班に、あのNちゃんがいたのだ。

 苗字も名前も一緒。顔も一緒。間違いない、Nちゃんだ。

 しかし違っているのは、学年。

 NちゃんはSちゃんと同じ私の一つ下、つまり私が小学校一年生当時は本来であれば保育園年長のはず。

 なのに、その登校班のNちゃんと見られる子は、私よりいくつか上の上級生だった。


 そして、何より私のことを覚えていないどころか、私のことを毛嫌いしている節さえ見受けられた。

 あのNちゃんではない。別人だ。



 一年遅れて登校班にSちゃんが加わることになった。
 Sちゃんに、それとなくNちゃんの話題を振ってみたことがある。

「保育園の時さ、Sちゃんと一緒に私と遊んでた、Nちゃんっていう子いるじゃん?」

 そう切り出すと、Sちゃんは

「誰それ?保育園の時はずっと蟲子ちゃんと私の二人で遊んでたじゃん」


 Sちゃんは、Nちゃんのことすら覚えていなかったのだ。

 私はあんなにも詳細に、最後の日の蛇の話を覚えているというのに。


 誰も、Nちゃんという年下の子を覚えている人間はいなかったのだ。

 Nちゃんは、誰だったのだろう。




 この話を掲示板に、所々脚色して書き込んだのだが、その際についたレスで気になったものがあった。

 Nちゃんは、座敷童だったのでは?というものだった。


 座敷童って、幸運を運んでくるはずの存在だろう。
 Nちゃんの蛇の話は、どちらかというとその真逆──誰かを呪っているような、そんな気がしたのだ。

 蛇というものは神として祀られていることもある、神聖なイメージがある。
 まあキリスト教とか西洋の文化だと悪魔の遣いみたいな扱いもあるだろうが、蛇の抜け殻を財布に入れておくと金運が上がるなんていうことも聞くし、日本においては神様の印象が強いと思う。

 そんな存在を、包丁で殺したなんていう話、大人になってどう解釈しようとしても不気味でしかない。




 そして後日談というか、まあ時が流れて私の下の子どもたちが、同じ保育園に一時期通うことになったのだけれど、長女も次女も泣いて登園を嫌がる。

 先生から聞いた話では、登園後もずっと泣いていてご飯も食べないくらい何かを拒絶しているらしいのだ。

 現在は引っ越しして別の幼稚園に通っているが、例の保育園への行き渋りのようなことはぱたっと無くなった。


 これはあくまで私の推測でしかないのだが、Nちゃんはもしかしてまだあの保育園にたまに来るのではないだろうか。

 長女は、保育園に何かがいて怖いという旨のことを言っていたことがある。
 その何かというのは、もしかしたらNちゃんなのではないだろうか。
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