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17、「迎えにきました」

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「どこ行ってたのかなって。……何、してたの?」

ひたりと一途に俺を見つめる、スピロの双眼。蒼い瞳。眼差しの温度はまるで俺のやましさを射貫くように、冷たい。
無意識にこくりとツバを飲みこんでいた。けれど長年の習慣とは大したもので、へらりと笑うことができた。安堵しながらもこれ以上目を合わせているとすべて見抜かれてしまいそうで慌てて目を逸らす。でも、言葉は返さなければ。

「来て、くれたんだな……父さんのために、ありがとなスピロ」
「うん。どこに行ってたの?」

こんなにも感情がこもらない「うん」があるだろうか。スピロが発する話題を逸らさせないという強い意志への対抗手段は、もはや嘘をつくことだけだった。

「あー……のな、じつはどこにも行ってないんだ」
「なんで嘘つくのかな」

秒速でバレた……いや、まだイケる。がんばれ俺!
へらへら笑顔を強化して挑む。

「スピロにこんなことで嘘つく意味、ないだろ? 昨日はさ、父さんが無事だってわかったらなんかすごく気が抜けて、疲れちゃって、そのまま寝てたんだ。誰にも起こされたくなくて、使用人には『俺は不在だって伝えて』って頼んでた。だから、ごめんな。お前が訪ねてくれた時、家で呑気に寝てたんだ」
「……ルイくん、」
「ほんとだって。嘘じゃない」

語尾に軽い笑い声を混ぜた。これは何気ないやりとり。談笑だとスピロにも自分にも言い聞かせるみたいに。…──それなのにスピロは。

「ルイくん、好きだよ」
「っ──」

しまった。動揺が思いっきり顔に出た。
スピロが一歩踏み出して、ただでさえ近かった俺との距離をさらに詰める。

「今日も好きだよ、ルイくん」

どうしてそんな。
俺をありのまま包み込んで慰撫するみたいな、ほんとうに愛しいと思っていると錯覚してしまうような声で、言えるんだろう。
スピロのそれは、『僕の遊び相手のひとりにしてあげるよ』と同義のくせに。
ぐ、と喉元あたりにこみ上げた感情が詰まって苦しい。
昨日家で眠っていたというのは嘘だが疲労は本当だ。プティとのやりとり。ニコスとの応酬……その後の、いろいろ。精神的な疲れはかなり溜まっている。
だからだろうか。どうにもうまくスピロをかわせず、言葉には決してできない感情がすべて表情から駄々洩れになってしまいそうで怖い。俺はひとまず奥歯をかみしめ、頬の筋肉に力をこめて下手くそであろう苦笑をごり押すことにした。
手を伸ばしても決して届かない蒼空みたいな男。スピロの、いつもの戯れ。残酷な誘いに流されないため防波堤として仮面は必要だ。
そんな俺の奇妙な表情の変化をどう思ったのか、スピロは妙に真剣な眼差しで言葉を続ける。

「ルイくん、好きな人できたの?」
「はっ、」

自分をあざけるみたいな笑い声は自然にこぼれた。

「できてないって」

スピロはにっこり。

「じゃあ、いいよね。僕の恋人になって」
「ならねーよ」
「なんで?」
「ならないから」
「──なんで、」
「え……っ」

せっかくの仮面がまた剥がれる。衝撃で。ふいに伸びてきたスピロの指先が、俺の首にふれたから。……ふれた、というか掴むようにされている。力をこめたら首が絞まる。そういう触り方に、何をどう感じるのが適切かわからず息を詰めた。

「っ、……スピロ?」

スピロの顔からは笑みが消えていた。けれど声だけは、妙に優しくて。

「今日の夜、飲みに行こう?」
「は……、いや今日の夜は無理だ」

ニコスと鍛錬をする前にスピロと食事をするなんて正気の沙汰じゃない。


「と、いうか──、なんだよこの手」
「うん」
「うんじゃなくて、」
「おでこより、首がいいって聞いて」
「は……?」
「熱、はかってるんだよ」
「ねつ……」
「昨日、疲れて寝ちゃってたルイくんが、今日は無理してないかなって」

(ああ、そういう……)

ほっと胸を撫でおろす。同時に物騒な気配があったスピロの手が離れていき、さらに安堵した。「熱はないみたいだ。よかったー」とつぶやいたスピロはもう普段通り。挨拶みたいに俺を好きだと言い、熱を測りたかったと無防備な急所にふれた行為に特別な意味を持たせない。

「あーあ。ルイくんは、今日も僕に酷いねえ」

笑って言うから、俺も笑った。酷いのはお前だと心の中で返しながらさっさと訓練所に行こうと視線で誘い、先に歩き出す。
今夜の予定を執拗に聞かれなくてよかった。
会話を切り上げるタイミングがあってよかった。
スピロには、どうしたって弱い。
大好きな蒼色を見ながらこれ以上ふたりで話せばボロが出そうで、俺はどうでもいい雑談をぺらぺらと話しながら集団への合流を急ぐのだった。

◆ ◆ ◆

石造りのシャワールームには汗臭い男たちがひしめいて、筋骨隆々の身体や無造作に濡れた髪を洗いながら今夜の予定を話したり、石鹸の貸し借りをしている。
訓練終わりの解放感もあってご機嫌なシャワータイムなのだが、俺はいつも雑談には加わらない。加えてもらえない、と言ったほうが正しいか。
スピロだけはほぼ毎回隣のシャワーを確保しているが、滅多に話しかけてこないし目すら合わないのが常だった。まあそれは、俺のほうがスピロの裸を見ないようにしているのもあるだろうけれど。
訓練でいい具合にくたびれた身体を熱いシャワーがほぐしてくれるのは、気持ちがいい。

(今日の訓練、かなりいい感じで身体が動いたな)

昨晩ニコスとしたことを考えると不調があってもおかしくないはずなのに、コンディションは絶好調だった。ニコスの神聖力のおかげだろうか。

(でも、あれは胸だけ……)

頭上から降ってくる湯に身をゆだねつつそんなことを考えていると、つい意識してしまう。思わず視線を下げて、自分の胸元を確認した。
ふっくらと張り出した胸筋と、薄いピンク色の突起が目に入る。
何も、変わっていないはず。
大丈夫だ。
いつもと同じ。
とるに足らない男の胸を、泡と湯がつたっていくセクシャルな魅力とは無縁の身体。

──騎士団では、着替えの際などに普通に上半身をさらすのでしょう? こんな胸を見せつけていたなんて、ちょっと信じられませんね。
──彼は、ルイを好きだとよく言っているじゃないですか。──スピロ・ゴティエ
──好きな人がこんな卑猥な胸をしていたら、私なら視姦します。

(違う! 黙れ頭の中のニコス……!)

俺は胸筋を手でわざと雑に擦って泡を流し、シャワーを止める。犬みたいにぶるぶると頭を振って水滴を飛ばした。男らしさを意識しての動作だ。

「ん? ルイくん、もうシャワー終わり?」

すぐ傍からスピロの声がして変な悲鳴がもれそうになった。「腹減ってるから」と早口で返しながらまだシャワー中のスピロに背を向けてタオルを腰に巻き付ける。

「先に、食堂行ってるな。スピロはゆっくり。訓練、なんか気合い入ってただろ今日」
「──うん、わかった」

早くスピロから離れたくてシャワースペースから脱衣スペースまで移動する。そこにも半裸の騎士たちがひしめいていたが誰も俺を見ないし、俺も誰かを見たりしない。……いつもどおりだ。何も変わっていない。
それでも油断するとニコスが頭の中で勝手にしゃべりだすから、俺はいつもより手早くささっと着替えを済ませて食堂へと向かった。

◆ ◆ ◆

「あ──」

調理カウンターの前にできた注文の列に手持無沙汰で並んでいると、数人の仲間と連れだってやってきたセルジオスと思いきり目があった。
俺の表情や口の動きでのリアクションに気付いたであろうセルはわかりやすく目つきを鋭くしたかと思えばふいっと顔を背けテーブルのほうへ歩いていく。

(顔も見たくないってか)

セルとは昨日、父さんの寝室の前で気まずい会話を交わしてそのままだ。
父さんへの俺の態度がよっぽど気に障ったのか「むしずがはしる」「いらない」との言葉には憎悪すらこもっていたように思う。

(追いかけようか迷ってるうちに、ニコスが来たんだっけ)

あらためて昨日のことが現実だと思うと、少しだけ背筋を冷気がなぞった。
……だって。
ニコスは、セルジオスの幼い頃からの友人だ。それもかなり気を許した大事な関係だろう。
いくら国を護るためとは言えニコスと俺がしたことを知ったらセルジオスに殺されるんじゃないだろうか。……いや、いくら何でもそこまではしないだろう。けれどこの国からなかなか酷い状態で追い出されるくらいは覚悟したほうがいい気がする。
セルジオス・ローランという男は魅力的で、信奉者も多い。男にも女にも支持されている。モテる。一目見て鍛えているとわかる若々しく弾けそうな筋肉をまとった身体は文句なしに魅力的だし、ほりが深くすっと通った鼻梁に少し厚めの唇は丁寧に作られた彫刻みたいな完成度だ。それらのパーツは1ミリの間違いもなく正しい場所に配置されていると言いきれる。
ともすれば整いすぎている顔面は近寄りがたいが、たっぷりとボリュームのある焦げ茶色の髪を無造作に撫でつけているところに少年ぽい隙がある。ネコ科の肉食獣。獅子っぽいと言われるのもわかる。しかし外見の強力な魅力にあぐらをかかず、内面も磨きに磨きあげる努力の人だ。仮初とはいえ兄弟になった時から、セルが剣の鍛錬や勉学を怠惰にこなしているところを見たことがない。
本当に、俺だけが、彼の汚点なのだ。
俺さえいなければセルは万人に陽の感情を与える将来有望な次期近衛騎士団長候補だっただろう。

(……って、弟の良さをあらためて評価することで現実逃避してる場合じゃないよな)

それでも今日はどういうわけだかセルを目で追ってしまう。俺を嫌う異母弟はいつも座る右奥のテーブルに着席した。立ったままの仲間と交わすのはおそらく今日の昼食のメニューのこと。俺がいるから注文カウンターに来たくないのだろう。
今でさえここまで嫌われている。
これ以上セルの気持ちを乱すのは避けたい。

(ニコスとのくっころの鍛錬のことは、どうあっても隠さないと)

決意をあらためて固くした、その時。
入口付近で微かなざわめきが沸き起こったのに気付いて目をやると──

(えっ、ニコス?)

騎士団の食堂には似合わない優雅な所作で、金髪の長身が近付いてくる。そう、近付いてくるのだ。こっちに。
ざわめきの中から拾い上げた声は突然姿を現わした高位神官の視線の先にいるのは、一体誰かという興味、好奇心。同時に「いやセルジオスだろ」とふたりの友情を知る者の予想の声もあちこちであがる。
──が、ニコスは。
俺の前で立ち止まった。
「え」と誰かが短くもらした声を最後に食堂全体がしん……と静まり返る。
騎士たち全員の視線が俺とニコスに集中していた。
カウンターの向こう側の調理スペースで働く職員たちですら何事かと手を止めて様子を窺っている。
注目。衆人環視。
指先をほんのわずかに動かすのすらためらうほどの興味と好奇心の圧を感じるなか、ニコスだけはおそらく平静で、ゆったりと美しく笑った。笑いかけた。俺に。ルイ・ローランにだ。嫌われ者の庶民騎士に。

「ルイ、おつかれさまです。迎えにきました」
「…………は、」
「考えたのですが、私があなたに公然と友好的にすることのデメリットは、何ひとつ無いかと」
「……ええ……っと、」
「ここにいる皆が、ルイ、あなたへの認識を改めるべきです」

これは世界一の良案ですとでも言いたげな笑みを見せるニコスよりも、背後から迫る音に意識が向かった。
ガツガツと靴が床をえぐるように乱暴な、足音。
あっという間に近付いてきて、すぐうしろで止まる。
俺は、こくりとつばを飲んだ。
臓腑が縮むような心地で。
ゆっくり振り返ると──
そこには予想通り、セルジオスのおそろしく険悪な表情があった。
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