嫌われ者の庶民近衛騎士は、“くっ殺”の運命に備えて鍛錬を欠かさない!

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16、好き嫌い

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ああ、おひさまの色だ。
寝起きに目の前にあったニコスの瞳を見てぼんやりとそんなことを思う。

「体調に問題がないのであれば、朝食を準備します。その前に入浴を。……聞いているのですか、ルイ」
「あ――…悪い。朝食の前に風呂な。うん、借りる。ありがたい」

昨日、眠りの入り口がどこだったか記憶があいまいで……。
けれど目覚めは訪れ、ベッドサイドの椅子に難しい顔をして座るこの家の主の黄金色の瞳で昨晩のすべてを思い出した。……思い出してしまった。
ニコスはじわじわと鮮明になる記憶に顔を赤くしたり青くしたりする俺に「体調は?」と普段通りの声で聞き、だから俺も、少しだけ落ちついて「ふ、普通」と弱弱しい声で返して身を起こした。
そんな俺の一挙手一投足から少しも目を離さないニコスの瞳は、今日も綺麗だ。不思議だった。つい昨日、俺を「不浄」とまで言った男とこうして朝を迎えて食事や入浴の話をしているなんて。

「私の顔に何か?」
「や、金色が綺麗だなって」

ニコスは目を細め肩眉だけを器用に持ち上げる。

「……口説いているのですか。それとも朝から訓練の誘いを?」
「ば……っ、どっちも違う!」
「ではなぜ急にそんな言葉を?」

疑問はもっともだ。
ニコスは俺のことが大嫌いだが、俺もニコスに対して決して友好的ではなかった。
それなのに今はどういうわけか、気持ちがするりと口からこぼれた。性的接触を持つと心の距離感がおかしくなるのかもしれない。

(――いや、違う)

俺は起きてからずっと自分の中にあるニコスへの感情を言葉にする。

「起きてすぐニコスがいて、ほっとした」

ニコスの目がわずかに見ひらかれ、黄金の淡い縁取りがよく見えた。

「だからなんか、お前のことを褒めたかった。昨日かなり失態さらしたのに、いてくれてありがとな、ニコス」

言葉の間、驚いたように俺を凝視していたニコスはやがて眉間に深いしわを寄せる。そうも露骨に嫌そうにされると笑ってしまう。

「くどいてないから安心しろ。風呂、借りるな」
「……一緒に入ってもいいですよ」

ニコスもこういう冗談を言うのだ。
俺は笑い混じりの声で軽く返す。

「どっちも違うって言っただろ。朝から鍛錬なんかしたら仕事に行けないっつーの」

ベッドからひょいと身軽に降りて、浴室に向かう。
とんでもない経験をした夜が明けて――。
ニコスと普通に話せている自分に、心底安堵しながら身を清めた。

◆ ◆ ◆

風呂から出るとデュラン家の執事が待っていて、案内されるまま食堂にやってきた。
先に着席していたニコスの前にもまだ食事がない。

「待っててくれたのか?」
「ええ。今後の話をしながら食事をしましょう」

わかったと返事をしてカトラリーが並べられているニコスの正面に座る。すぐに給仕係たちが入室して、食事の用意をてきぱきと整えていく。
豚の塩漬け肉のサラダ、ミルクリゾット、ほうれん花と卵のチーズココット、数種類のフルーツカナッペに、他にもいろいろ。飲みものはホットとアイスがずらりとたくさん並べられていた。

「いただきましょう」
「うん、いただきます」

ナプキンを膝に置いて、まずは水を何口か飲んだ。次いでココットを食べる。

「ん、おいしい」
「そうですか。ルイは、ほうれん花が好きなのですか?」

ほうれん花。季節に関係なく育つ青い花。重なってボリューミーに開く花びらは栄養価が高くきちんとあく抜きをして調理すればおいしいうえに、料理によって味わいも変わるため使い勝手がよく、この国では人気の食用花だ。

「まあな。俺、家だったら茎も食べる」
「では、このココットをどうぞ」
「は? いいってニコスの分じゃん」
「いいから、どうぞ」

(なんだ……?)

さっきニコスが俺に言ったことをそのまま返しそうになる。
口説いているのか――、と。

(いや、そういう感じじゃないな。ツンとしてるし)

もうこのやり取りは終わったとでも言いたげに、素知らぬ顔でコーヒーを飲んでいる。
俺の前に置いたココットをあえて見ないようにしているような……

「ああ。ニコス、ほうれん花食べれないのか」
「は? 食べられますが? ただあなたが好きだと言ったので譲ってあげただけです」
「バレバレ。まあ食べてやるよ」
「だから私はべつに好き嫌いをしているわけではありません」
「早口。はは」

笑う俺をニコスはむっとした様子で睨みながら、ブルーベリーとアプリコットがのったカナッペを一口で食べる。
初めて思った。
ニコスのことを、子供っぽいだなんて。
同時に嫌悪ではなくばつが悪そうに睨まれるのは、嫌な気持ちではないのだと知る。

(ニコスにも、食べものの好き嫌いがあるんだな。……当たり前か、人間だし)

今までそういうことを考えた記憶がない。
ニコス・デュランはセルの、弟の友人で俺のことが嫌い。それ以上でも以下でもない存在だった。

「ルイ、次の鍛錬は今夜にしましょう」
「っ!」

紅茶を噴きだしそうになり、何とか堪える。とんでもない言葉が聞こえた。

「今夜って……今夜か?」
「今夜です」
「え……でも、感覚が短すぎるんじゃ……」
「“くっ殺”状態であれば、休みなく犯されるのでしょう。本来であれば今朝から鍛錬をすべきでした」

涼しい顏で何を言ってるんだこいつはと驚愕したのは俺だけで、給仕役の老紳士も、中年のメイドたちも表情ひとつ変えず姿勢良く控えている。
俺はティーカップから水のグラスに持ちかえ、ごくごくと半分ほど一気に飲んだ。そうしながらニコスの言葉を咀嚼し、飲み込む。……正論だ。

「そうだな。……今夜も、鍛錬に協力してほしい」
「ええ。場所はどうしますか。また私の家でも?」

他にどこがあるんだろうと考えてみる。
俺の家……は、駄目だ。絶対にセルや父さんに見つかりたくない。
スプリングロードにある休憩所(という名の連れ込み宿)……も、駄目だ。そこへ行くまでに誰かに見られたら面倒な噂が広まりニコスにも迷惑がかかるだろう。

「迷惑じゃなければ、またニコスの家でもいいか?」
「わざわざ聞いたのは迷惑だからではなく、ルイ、あなたの精神的負担を減らすためです」

思いがけない言葉にニコスの顔を凝視してしまう。
正直、自分の家を使うのか嫌だという意思表示ゆえの質問だと思ったから。

「慣れない行為を、慣れない場所で行うのは辛いのではないかと」

昨日、ニコスに謝罪されたことを思い出した。
俺がどういう人間か知ろうともせず蔑んで悪かった、と。
本来のニコスは今みたいに、相手の心を細やかに思いやる人間なのだろう。

「ありがとな、ニコス。けどニコスの家がいい。……俺の家とか外の宿でってなると、誰かに見られる危険があるし」
「まあ、そうですね」
「だろ。……セルとかさ、もし知られても説明できないし」

すぐに同意が返ってくると思ったのに、ニコスはどうしてか思案顔だ。

「ニコス……?」
「考えていたのですが、ルイの鍛錬と同時進行で軍事面の強化も行うべきです。つまり近衛騎士団長であるあなたの父上や、騎士団の実力者でもあるセルジオスやスピロ、」

スピロの名に、心臓の鼓動がどっと速くなってしまう。
そんな俺の様子をじっと見つめながらニコスは冷静に続ける。

「そしてできれば陛下にも、アムネシア国への警戒を強めるべきだと、伝えたほうが確実かと。私がくだらない虚言をいうとは誰も思っていないでしょうし、プティが『傍観者』であると何らかの方法で証明すれば、国は防衛のため大きく動くでしょう」

でも……と不安と羞恥が占める俺の心を察したように、ニコスは少し頬をゆるめる。

「もちろん、ルイの“くっ殺”に関しては詳細を伝える必要はありません。アムネシア側に誘拐され、拷問される未来を傍観者が見たとでも言えばいい。プティと私が知っていれば十分です」

俺の恥を、最小限に留める提案をしてくれているのだ。
ほうれん花の好き嫌いを笑ったことを申し訳ないと思った。

「なあ、ニコス」
「何か異論が?」
「いや、お前の考えに同意する。あと、これからまた一緒に食事する機会があったら、ニコスの嫌いなものは全部、俺が引き受けるから」
「は――」

きょとんとするニコスに俺はニカッと笑いかけ、彼のサラダの皿を自分のほうへと引き寄せる。
皿の上にはプチトマトだけが残されていた。

「一応聞いとくけど、好きだから最後までとっておいたトマトじゃないよな?」
「…………違います」
「ん。なら貰う」
「鍛錬のお礼のつもりなら、いりませんよ。私のこれまでのあなたへの態度を思えば――」
「それはもういいって。正直俺、ニコスにどう思われてもどうでもよかったし」

小さく息を呑むようにしてニコスが口を閉じる。酷い奴だと思われただろう。実際そうなので言い訳はしないが、シリアスな空気になるのは望んでいない。
俺は笑みを浮かべながらフォークで刺したプチトマトを食べて、「おいしい」と一言。

「……おいしくないでしょう、トマト」
「ニコスって意外と好き嫌い多いんだな。はは」
「食べようと思えばべつに食べられます」
「いいって、食べなくて。俺が一緒の時限定だけど」

好きでもない男との性的な行為で負担をかけている、せめてもの償いはしなければ。
他にもニコスのために俺ができることをこれから探していこう。
ニコスと接して、もっと彼を知って。
それから食事の間中、ニコスは奇妙なものを見るみたいな顔で俺を観察していた。

◆ ◆ ◆

ニコスとの朝食のあと、俺は一度家に戻って支度を整えてから騎士団訓練所に向かった。
家ではプティが泣きはらした目をして迎えてくれて、昨晩の外泊の詳細を死にそうな顔で問い詰められた。出かけるとき、メイドにデュラン家に行くと伝えていたがプティは一睡もできなかったらしい。
変にまごまごするのも気色悪いと判断し、俺はサラッと「ニコスと鍛錬してきた。今夜もする」と告げた。プティは「はえ……?」と間の抜けた声を出してなんの反応もしなくなったので、あとはメイドに任せて家を出てきた。…――そうして、今。

「ルイくん」

目の前に立ち俺を見つめる、蒼色の瞳。
スピロは笑顔で俺の腕を掴んでいる。けっこうな力だ。

「昨日僕ね、団長が心配だったからルイくんの家に行ったんだけど…――ルイくん、いなかったよね」
「え゛っ」

蒼い瞳に映った俺の顔のほうが真っ青になって、スピロはにっこりと笑みを深める。

「どこ行ってたのかなって。……何、してたの?」
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