華が閃く

葉城野新八

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第二章 蝶よ花よ

はないくさ④

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 娘子たちの薙刀稽古のさなか。
 稽古場と板戸をへだてたつぎには、伝五郎との面会におとずれた三人の若侍が通されてあった。
 なかでもいちばん若く、十八歳の佐々木只三郎ささきたださぶろうは、たまりかねたようすでゴロリと横になり、無遠慮に大きなあくびをひとつさせ小柄な身をめいっぱい大の字に伸ばした。

「ああやれやれ、本当にまだ待つつもりですか。いつ戻るとも知れないというのに」
「あと一時か二時もすればお戻りになるはず。せっかく羽島先生にご紹介いただいたのだ。今日を逃す手はない。それよりも何だその態度は。よそ様のお屋敷にきて無作法であろう」

 太い眉をつりあげた小池帯刀こいけたてわきが、手首にしなりの効いた鋭いしっぺ打ちを額にみまった。
 只三郎は、うっと呻いて、だんご虫のように身をまるめる。

「いったぁ……少しは手加減というものをしてくださいよ。今ので頭蓋にひびが入りました。もう起き上がれませんよ、はぁ、駄目です」
「いいから起きろと言っている」

 つよく尻を叩かれ渋々起きあがる只三郎であったが、みるみる赤くなった額をさすりながら不満そうにこぼした。

「しかし伝五郎先生という方はかなりの癖人とも聞きます。本当に見ず知らずの我々に手裏剣術を伝授くださるのですか」
「ご流儀はちがえど羽島先生とはつねづねご懇意にあられる。なればこそ我らはここに通されもしたし、いまは学びたいという思いが本気であるのかを試されているのだろう。そうだよな、善左」

 となりでじっと正座をたもったままでいた長身の若侍、河原善左衛門かわはらぜんざえもんが、すっきりと目鼻立ちの通った面ざしをゆるめ、白い八重歯をのぞかせながらいかにもと首肯した。

「これはまたとない機会。私は必ずや音にきく白井流をご教授ねがいたいと思う。今日はまずご挨拶だけでもして、なんとしても次のお約束をとりつけたい」
「ハハ、獣と格闘する人参方にんじんかたはたいへんだな」

 いたって真剣な応答に帯刀は肩をすくめ、すっかりぬるくなった茶を勢いよく飲み干すと、なかばあきれぎみに部屋のなかを見わたした。

「それにしても、凄まじいものだ」

 さっき通されたときに吃驚したが、次の間にはさまざまな武具が並べられてあった。
 分銅がついた鎖鎌や仕込み杖、棘のついた鉄製の八角やら暗器のたぐい、使い方すらよくわからない異国の武具までひしめきあっている。八畳の広さがありはするものの、のこされた身の置き場がせまいのでこまった。
 客人のために展示しているというより、己の興味のおもむくまま収集し、ほかに置く場所がないので転がしてあると言いあらわしたほうが正しい。
 三人の師である神道精武流の羽島源八はじまげんぱちという人も、真冬の大寒の日に褌一丁となって水練をはじめたり、鉄棒で己の身を叩いて骨を鍛えるのだと言い出したりもする変わった類の人物であるが、この屋敷の主人もおなじ方面だと容易にわかる。
 飽きて武具をいじりはじめた只三郎の月代に、帯刀がうしろからゴツンと拳槌をおとした。

「や、やめてくださいよ! 背がちぢんだらどうするのですか」
「ハハ、ますます小太刀の小天狗という渾名にふさわしくなってよいではないか」
「いいえ、俺は小太刀会津一です。精武流の小天狗という二つ名は、いかにも無法な小者呼ばわりをされているようで癪にさわるのです」
「これは驚いた、自覚があったらしいな。すこしは折り目ただしいお前の兄上を見習ってはどうか」
「それを言わないでください、それを。もっとも言われたくないことなのですから」

 小太刀が得意な只三郎は、精武流のなかでも若くして一目おかれる実力者ではあるのだが、いかんせん年長者に生意気な態度をとるので小天狗と渾名されている。
 軽輩身分の家に生まれ三男坊の部屋住みであるから、よほどよい養子先がなければ将来は開けない。斜にかまえた投げやりな態度は、なかばあきらめて開き直っているか、七歳はなれた兄の源太郎がよくできた人なので、屈折した反抗心がふくまれてあるのだろう。
 幼少から只三郎を気にかけてきた帯刀は、ことあるごとにこうして注意を与えているが、とうの只三郎もそうしてかまってもらえるのがまんざらでもないらしい。
 帯刀と善左衛門は、おなじ年で二十四歳になる。十歳のころから日新館で机をならべ、仲良く昨年で課程を修了した親友同士だ。
 今日は手裏剣術の入門を願いでるため、精武流の師に紹介をたのんで黒河内屋敷へきた。まではよかったが、伝五郎は急な山歩きにでたということで待たされている。
 おりもわるく娘子たちが薙刀の稽古をしていたから、城下では男女の雑居をきつく戒められているので立ち入るわけにもゆかず、仕方なく次の間で待たせてもらうことにしたのだった。
 とくにやることもなく終わるのを待っていたところ、不意に稽古場のほうから、娘子たちのただならぬ声がきこえた。

「ぶ、無礼もの!」

 暇をもてあましていた只三郎がそれを聞きつけ、四肢で這って稽古場につづく板戸をすこしだけ開けてようすをうかがった。手ごろな玩具を見つけたいたずらっ子のような顔にかわり、小声で手招きをする。

「帯刀さん、善左さん、ご覧ください。なにやら面白いことになっていますよ。喧嘩です、喧嘩。娘子たちが喧嘩をしていますよ」
「なんだと、それは気になるな」

 わりと男前でこなれたところがある帯刀は、娘子のこととなれば急に人がかわる。
 さっきまでとうってかわり、只三郎をたしなめるどころかすでに腰をうかせたあとで、隣にかがんで隙間に片目をくっつけた。

「――どれどれ、おお、本当だ。年ごろの娘子がわんさといて、ずいぶんいい匂いがするではないか。なんだか俺も薙刀を習いたくなってきた。剣術であれば手とり足とり腰とり教えてやれるところだが。で、誰と誰が喧嘩をしている」
「あれですよ、あの背丈の高いのと、草履と下駄みたいな顔をした三人の年長たちが睨みあっているところです」
「ほうほう、たしかにだいぶ不穏な空気がただよってある。なんと本身までもちだしているではないか。いったいどうしたことだ」
「さぁ、見たらああなっていたので前段まではわかりませんが」

 本身を手にして立っている娘子とは、ほかでもなくあさ子である。
 千重子がとり囲まれていたところに気配もなく割ってはいり、年長娘子の手からパッと奪いとったのだ。
 あさ子は娘子のなかにたつと頭ひとつぶん抜きんでて大きい。平均的な娘子の髷がちょうど口元にくるぐらいになる。
 年長の娘子連が見あげてきっと睨みつけた。

「ことわりもなく年長者の手から取りあげるとは無礼でありましょう。ただちにかえしてそこに詫びなさい」

 あさ子は無言のまま、うっすらとあけた半眼となって端から端まで三人の顔を見下した。
 よけいに娘子連が歯をむいて怒鳴りつける。

「どんくさいウドの大木め、かえせと言っているのが聞こえぬのですか」

 薙刀をとりかえそうとして、二人がかりで左右からあさ子の両腕をつかんだ。が、遠巻きにみていた娘子たちは、思いがけない光景を目撃する。
 つぎの瞬間、年長たちの身がそれぞれ宙にぽーんと一回転をして、土間のうえへドスンと尻持ちをついたのである。
 暫時、きょとんとしていた二人であったが、十三人からそそがれる視線を感じ、羞恥と怒りで顔を真っ赤にさせた。

「おのれっ」

 こんどは立ち上がりざま腰と脚に組みついたのだが、いったいどこをどうしたものか、二人とも同時に腰くだけに崩れて折り重なった。たがいの手足がからまって起き上がれなくなり、水に溺れた蜘蛛のようになってじたばたしている。
 一連のできごとをのぞき見ていた帯刀が感心して唸った。

「――ほう、みごとな御式内ごしきうちだ」

 只三郎がこくりと頷く。

「ええ、あそこまできれいにかかったのはなかなか見たことがありません」
「あの娘子はどこの誰だ。知っているか」
「さぁ、まったく知らぬ顔ですね」
「おい、善左、お前も見るがいい。じつに面白いぞ」

 とんでもないと何度も首を横に振った善左衛門であったが、帯刀が執拗に手をひいて見ろ見ろというので、仕方なしにのぞき見のなかへ加わった。
 垣間見えたのは、ちょうどあさ子と小太りの首魁格がにらみあっているところだった。手もつかわずに二人が目のまえで投げ飛ばされたので、あきらかに動揺の色がうかがえる。猪のように正面をむいた鼻穴をひくつかせた。

「な……なにか私に用ですか」
「本日の千重さまは、午前からお体の具合がすぐれぬご様子。かわりまして同い年の私が、先輩のみなさまにご披露いたしたく存じます」

 丁寧な口調とうらはらに、その声音は突き刺さりそうなほど鋭い。
 目には父ゆずりの揺るがぬ眼光がやどっていて、首魁格は思わずのけぞりながら顎をつきだして言った。

「な、ならば……やってごらんなさい。見てあげましょう」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いいたします」

 稽古場ぜんたいが水をうったように静まりかえり、皆が壁ぎわによけて固唾をのんだ。
 かたや愉快げに声をうわずらせたのは只三郎である。

「ややっ、あれは青竹の芯がはいった畳表。もしやこれからあれを斬ろうというのか。あれは男でもなかなか満足にゆかぬ代物」
「いや、だめだ。あれは危ない。只三郎、すぐに行って止めてこい」
「いえいえ、俺は嫌です。出て行けませんよ。女子のあつかいに慣れた帯刀さんがご出馬なさるべきです」

 たしかにここで出るわけにもゆかない。のぞき見をしていたことがバレてしまう。
 帯刀と只三郎がおし問答をしているあいだにも据え物のまえにたった娘子は、正式な演武のように一礼をしたあと、腰を深くしずめ間合いをはかった。
 それが十六七の娘子とは思えぬほど堂に入った所作にも映る。
 善左衛門は息をのみ、薙刀をかまえた名も知れぬ娘子の凛とした横顔に見入った。しぜんと動悸と体温がたかまりゆくのを覚える。
 半眼にさせた眼光はするどく、よどみや翳りといったものとは無縁だ。つんと鼻先を立て、きりりと澄んだ気を身にまとっている。
 静寂、そして転瞬。
 ぴゅんと甲高い刃啼きと、ぶんと重い風切り音が、二重に螺旋を巻いた。
 薙刀とひとつになって身ごと放たれた斬撃は、若侍たちが予測した太刀筋の性質をはるかに凌ぐものだった。
 いともあっけなく、畳表は首と胴をすっぱりと断たれたのである。
 あざやかな断面をのぞかせる切れ端がふたつ、黒い土間のうえに落ちてころころと転がった。
 千重子はもちろんのこと年長の三人も、すべての娘子たちが口を両手で覆い、声を上げるどころか吸ってしまった。
 もちろんのぞき見ていた帯刀と只三郎も絶句せずにはいられない。
 善左衛門は、真正面からつらぬいてきた閃光のような何かで全身が痺れてしまった。これぐらいは出来て当然といわんばかりに、そしらぬ顔で切っさきを高くかかげた娘子の横顔から目を離せずにいた。
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