華が閃く

葉城野新八

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第二章 蝶よ花よ

はないくさ③

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 花の稽古がおわったあと、午後にまたそれぞれ別なお稽古ごとがはいってあるので、娘子たちは三々五々に散ってゆく。
 講堂に居のこり賑やかに弁当を食べているのは、三丁(三三〇メートル)ばかり離れた新町一番丁で黒河内伝五郎がひらく静流薙刀術しずかりゅうなぎなたじゅつの稽古場にながれる面々だ。いくつかの組にわかれ、あれやこれやと話しこんで楽しげな笑い声をあげている。
 いまだ嫁入りさきもさだまらず、どこにも向かっていないこの年ごろは、ただ無邪気でいて、なんでも楽しく思えるものだ。やはりとくに盛りあがれる話題といえば、通りで見た格好のよい若武者のことである。
 あれはどこの誰であるとか、まだ許婚はなく空席のままらしいとか、髷を寄せあってひそひそと話していたかと思えば、急にうわずった声がワッとあがり止まることを知らない。

「くだらない――」

 あさ子はそうした話やつきあいに淡白なほうだ。
 きゃっきゃと群がる娘子たちから距離をおき、ひとり講堂の隅っこに陣どり、母のつくってくれた大きな握り飯をもりもりと頬張るのがつねだ。
 お稽古ごとをはじめてからこのかた、友人らしき友人はおろかおしゃべり仲間をまだ得られていない。彼女たちがお飯事ままごとあそびをしていたであろうじぶんから、剣術に熱中してきたからかも知れないが、覚馬以外の男子など眼中にないし、どうもああした話題には興味がむかない。会話をかわすたび、自分はまったく別ものの感覚をもった変わり者だと思い知らされてしまう。
 また、こぞって複数の稽古場に顔をだすのは、だいたい分限が二百石どり以上の家柄か、親がなんらかの重き役目に就いている娘たちだ。けしてそれが羨ましいとは思わないが、無役でたまに人数あわせの仕事に出張するだけの父をもつ娘として、なにかしら引け目に思うところがなくはなかった。
 だがまさか自分の父が、公に記されることのない密偵役をうけおっていて、それで得た一時金のおかげで数々の稽古場に通えているなどとは、これっぽっちも思いがけないあさ子であった。
 ふと気になったのは、講堂の対角にすわっている千重子の姿だった。
 早々に昼食をすませ、いまは足もくずさず背筋をのばし、なにかの書物に目をおとしている。飯沼家ぐらいの分限ならお付きの女中を侍らせていてもよいのに、質素倹約を徹底しているのか一人きりでいる。
 さっき花の稽古中にかわした言葉はすくなかったが、不思議とはじめて話した感じがしなかったのはなぜだろう。せっかくだから側にいって声をかけてみようか迷いはしたが、原家の分限では失礼になるだろうからとすぐにかき消すと、食べ終えた弁当をたたんで場をはなれた。
 じつのところ、その姿を千重子がとおくから目で追っていたのだが、あさ子が気づくことはなかった。
 通りにでたら空は春の好天。
 朝はいくぶんかひんやりとしていたが、いまは少し汗ばむくらいに温かい。
 伝五郎の稽古場へむかうみちみち、武家屋敷の塀から枝をもたげた梅が、赤白のかわいらしい花を披露している。
 山歩きにでた父と仲三郎は、さぞや気持ちのよい道中をたどっている頃だろう。
 稽古場はまだ無人、今日も一番のりとなった。
 屋敷の離れを改築した伝五郎の稽古場は、板間ではなく黒土を叩き固めただけの土間になっている。ここには娘子だけでなく、剣術や居合術、手裏剣術などを習うため、時間をわけて男子も出入りする。多種多様の武器が壁にかけられてあった。
 小上がりになった上座正面の奥に神棚がある。格子つきの高窓から筋になった斜光が長くさしこんでいた。
 あさ子は深く拝礼をして、静流の型稽古をはじめた。
 するときまって、いつのまにかあらわれた伝五郎が上座に座している。はずであるが、今日にかぎっては、いつまでたっても姿をあらわさぬまま娘子が十六人もあつまった。
 はてと首をかしげていたところ黒河内家の下男がやってきて、伝五郎は外出して不在だと告げられた。

「ええ……」
「せっかくきたのに、またですか……」

 出鼻をくじかれた娘子たちが、いっせいに不満げなため息をそろえてざわめく。
 曰く、午前に親しい知人が二人たずねてきて、大内宿まわりの山歩きに誘われたので、ふらりと出ていってしまったのだという。
 伝五郎が唐突に山歩きを思いたつのはいつものことであるが、まちがいなく誘ったのは父と仲三郎の二人だと想像がついて眩暈をおぼえる。
 娘子たちの刺々しいぼやきが耳にはいるたび、たいへん肩身のせまい思いをしたのだった。
 だが伝五郎がいなくとも稽古はできるし、いつもやっている。
 目録の位をみとめられた年長の娘子たちが進行をきめてはじまった。
 ちなみに会津の武芸諸流儀の階級は、だいたい五段階ぐらいになっている。初心(初伝)、仕掛(中伝)、目録、許、印可とあるのだが、あさ子は内々に目録までみとめられているものの、まだ若いので表向きは初伝をもらったばかりということにしてある。

「むかしから薙刀のご名手は奥向きに仕えたりして婚期がおくれがちになるもの。よいですか、目立ってはいけませんよ。ほどほどにするのです――」

 薙刀を習いはじめたときに母から口をすっぱくして言われたことでもある。
 そんなわけで打ちこみを弱く調節して初心者のふりをしているが、娘子たちが引いたあとに伝五郎から相対の稽古をつけてもらい、居合術も授けてもらっている。
 伝五郎という人は涼斎ともちがって褒めもしなければ指摘もしてくれない。ただ黙々と身をもって剣づたいで教えてくれるだけだ。気づく者はすぐに気づけるし、気づけない者はいつまでたっても気づけない。
 誰にたいしてもそうした導き方なので、いつのまにか進み具合が大きな個人差となってあらわれる。

「えいっ」
「とぉ、えい!」

 内容の高低がどうであれ、稽古場のなかにたまる空気があさ子は好きだ。凛とはりつめ、身と心を透明にかえてくれるような気がする。薙刀は花や琴の稽古ともちがい、分限がおなじぐらいの家の娘子が増えるのでだいぶ気楽でもある。
 花の香りがみちた稽古場は、少女たちの初々しいかけ声と力づよい足音が鳴り、仕太刀の木剣と稽古用の薙刀が交錯するたび軽やかな音がカンッとはじける。頭に長く垂らしたはちがねとたすきの布の端が、ひらりひらりと花弁のように舞った。
 それらにまじって初伝の型稽古をしていたときのこと。気になる会話がむこうがわから浮いて聴こえ、耳にひっかかった。
 あれは女同士特有の、いじわるをするときの声音だ。

「――ぜひとも私たちにお手本をご披露ねがいます」
「私も見とうございます。千重さまはもう仕掛をお取りになられましたし、何でもお上手であられますから」

 手を止めてそちらを見る。
 人垣のあいだに垣間見えたのは千重子のうつむいた顔だった。
 とり囲んでいるのは、さっき花の稽古場で薄ぐらい視線を千重子に浴びせかけていた三人の年長娘子たちである。
 やっぱりやっているとあさ子は眉をひそめ、額にのった汗をぬぐった。
 じつにみっともないことをやっている。師範たちからの評価がぐんぐん上がる千重子の才能にやっかんでいるだけにすぎない。
 あさ子にはまったく関係のない話だが、分限のたかい家に生まれた娘子たちにとってのお稽古ごととは、器量をお披露目する場でもあり、その評判はやがて良縁につながるものである。
 よい噂がながれて重役をつとめる家から声がかかろうものなら、よくぞでかしたと親戚じゅうから賞賛され娘子として最高の誉れとなるのだが、それは見方をかえれば数がかぎられた座の奪いあいでもある。
 つまりお稽古ごとは単なる娘子としての粋な嗜みやお遊びでもなく、自分の将来をかけた静かなる花いくさなのだ。
 申しわけないがあの年長の三人は、あまり器量よしとはいえない。師範たちからも見抜かれてしまったものか、なかなかよい縁談の声がかからないまま古株となってしまっている。
 嫉妬などの黒い感情が、自分を追いこしそうな年下への陰湿ないじめとなってあらわれているのだろう。

「くれぐれも、上の皆さまにたいしてでしゃばらぬよう。あとあと尾をひき、嫁ぎさきのお家までご迷惑をおかけしてしまいかねませんから――」

 お稽古ごとをするにあたり母からそう戒められてあった。
 だからこれまでは見て見ぬふりをしてきたが、いじめられてお稽古ごとに顔をださなくなった子を見るにつけ、陰ながら心を痛めてもきた。
 とくに今回はあまりにひどいので、とうてい看過がならなかった。
 なんとわざわざ、試斬用の畳表をひっぱりだしてきて、千重子に斬って見せよと言うのである。
 師範の目がないときに本身を用いるのは禁止されていたし、青竹の芯がはいった濡らし畳表たたみおもてなど、男だって経験がないと斬られたものではない。青竹は人の骨の代用であり、濡らした畳表は肉にみたてたものだ。すなわちそれを断てるということは、人の首や手足を断つ技量があるという証明にはなる。
 が、あさ子が見てきたかぎり、千重子は薙刀があまり得意なほうとはいえない。その身のこなしは舞踊のように美しいが華法の域をでていなかった。技のひとつひとつを丁寧にやろうとするあまり、太刀筋に武芸本来の勢いがついていない。
 ましてや本身を振るとなれば、重みに負けて地に突き刺したりしかねない。年長の娘子連は斬りそこなったところを衆目にさらし、恥をかかせようという目論見なのだろうが、悪くすると己の脛を斬ってしまうことだってありうる。
 年長の娘子をおそれ割ってはいる者はなかったが、千重子には午前に助けてもらった恩義がある。考えるよりもさきに、あさ子は前にでていた。
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