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終わりの始まり 1

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「ジュ~ン~まだ1時間以上もあるんだよぉ? 本当に行っちゃうのぉ?」
玄関で俺を呼び止めたのは同居人にして義姉(あね)の紫咲陽(しざきひなた)だった。
4月から通う中学校の入学説明会兼懇親会に参加すべく準備していた最中、裸Yシャツという公序良俗にあるまじき姿で階段を下りてきやがった。
集団生活における、女子比率が高い故に起きてしまう羞恥心の欠如。
もはや恒常化して久しい日常の1コマではあるが、思春期の少年達にとっては天国とも呼べる光景であろう。
黒紺ストレートに紫陽花色の吸い込まれるような瞳……疑いようのない美少女だ。
中学新1年生にあるまじきスタイルの良さは子供特有のあどけなさと相まって、より一層淫靡な雰囲気を醸し出している。
女は男なんかよりずっと精神的成長速度が早いと言われているけれど、肉体的成長にまで現れて完全に追い越してしまっている。
一々毒に感じてしまえる理性を保てているこの俺を誰でもいいから誉めて欲しい。
「うん。折角だから歩きで行きたいんだよね」
疚(やま)しい気持ちを悟られる訳にはいかない。
自然な流れで彼女の胸から目線を逸らし、新品のローファーの紐を結び出立を急ぐ。
玄関にて義姉(あね)と交わされる、ぎこちない会話。
例えるなら体育 (サッカー)の時間、どこの誰とも全く知らない別のクラスの奴とペアを組まされてのパス練習……あの苦い感覚に近い。
しかも相手は超初心者ときた。
自身のペースが狂わされるとわかっていても、雑に扱うと内申点に響くから厄介だ。
必然的に相手に合わせずにはいられなくなる。
「車出してもらえるんだから急がなくてもいいじゃん。もっとゆっくりして行こうよぉ~。もっとイチャイチャしようよぉ♡」
「……帰ってきてからゆっくりでもいいんじゃない?」
勘弁してほしい。
その言葉からは一片の迷いも、疑いもなく、俺のことを好いてくれていることが分かる。
その愛を受け止め、許容できる程、中学新1年生のメンタルは厚く広くはない。
「ねぇ……私の事……避けてる? 私の事……嫌いになっちゃった?」
足元に正確に帰ってこないミドルパスに苛立ち始めた彼女は、大胆にも距離を詰めてきた。
その猫撫で声は不安気な様子を醸し出してはいるものの、あくまで挑発的な姿勢を崩さず、俺を確信犯的に玩具にして楽しんでいるかのように思えた。
パーカー越しの背中でも分かる生暖かい感触。
……このままだと理性を溶かされかねない。
起死回生の一手とするべく、彼女を見つめて心にも無い台詞で迎え撃った。
「避けてないし、嫌いでもない。……好き……だよ……ヨウ……」
「――……っ~~~――⁉」
どうやら効果抜群だったようだ。
彼女はわかりやすく頬と瞳を赤らめ、自分が男の前でどんな姿を晒しているのか理解した。Yシャツの裾を両手で引っ張っり、ようやく人間らしい羞恥心が戻ってきたと見える。
「べ、別に……直視に堪えない体ではないでしょう? 私、超絶美少女だし‼」
彼女は狼狽(うろた)えながらもその場を乗り越えまいと、裾を引っ張っていた右手をその豊満な胸に当て、さらに誘惑してくる。
この場で押し倒してしまうのも選択肢の1つだが、その現場を他の奴等に見られてしまうとだいぶ具合が悪い。
このまま黙って引き下がるのも割に合わないし、何より俺の気が晴れない。
君が俺を誘うなら、俺も君を口説き堕(お)とそう。
俺は履いたローファーを脱ぎ、膝立ちで腰に手を回し、額をコツンとくっつけて赤く染まった瞳を覗き込むようにして彼女を捕縛する。
突然の抱擁に全身をビクンと震わせ、呼吸が荒くなるのを直に感じた。
「18になるまで……お互い生きていられたら……結婚しよう」
勢い任せの不格好なプロポーズ。
誤解されそうなので繰り返すが、俺は彼女に対して心にも無いことを言っている。
「ふぁっ⁉ 結婚って……えぇ⁉」
「今から6年と8日後、ヒナタが18歳になった4日後だね」
「……短くて4年分……長いと8年分……私……今すぐでもいいんだよ?」
「……ダメだよ……皆で決めて……納得しただろ……君も……」
「…………」
彼女は俺の上に跨り、腰裏で足を絡めてロックした。
そして苦しいまでの抱擁と殺意を返してきた。
「『君』呼びは止めなさいって言ってるでしょ? 私の事は姉呼びか、名前で統一しなさい」
あれ……良い雰囲気だと思ったのに。
赤い眼光が両目で交差する。分かりやすいご機嫌斜めのサインだ。死が近づいている。
俺は急な体重の負荷で膝立ちから胡坐(あぐら)に組み直した。
ご機嫌斜めの義姉(あね)はそんな事はお構いなしに話を続ける。
「これから毎晩……主導権は私にあると思いなさい」
11歳少女の台詞とは思えないセンシティブな追撃。
その発言はあと7年早いんじゃないの? 
マズイ、このままだと入学する前にPTAに消されてしまう。
「抵抗したら……どうするの?」
「眠らせて、孕むまで精を搾り取るだけよ。最高の母体であるこの私との生殖行為の快感を味わう事なく……気付いた時あなたはパパになっているの。どう? 興奮するでしょ?」
殺意と淫猥さがぐちゃぐちゃに混ぜ合わさったような返答からは、彼女が抱えた大いなる闇の根源……その一端を垣間見た気がした。
……それにしてもエロい。
わざとらしく腰を揺らして俺の欲情を誘ってきやがる。
なんという小悪魔テクニック。
流石、美少女を自称できる顔の良さは伊達じゃない。
Eカップ相当の膨らんだ胸、引き絞られたウエスト、きめ細かい肌……。
やはりと言うべきか胸には自信があるようで、頻(しき)りに押し付けてくる。
そのせいもあってか、彼女の闇は1対9ぐらいの割合で淫猥さが勝ってしまっている。
その赤い瞳は距離を詰め、お互いのまつ毛が擦れ合うほどの距離に近づいたが、それが死を意味するとわかっていても、理性的な判断を下せる余裕は殆ど失われていた。
流石我が姉と言うべきかなんというか、これほどセンシティブな脅迫を堂々と真剣に実行に移せてしまうあたり、一周回って尊敬してしまう。
「……絶対やめろよそれ。勢い余って死にそうだ」
「安心して。あなたが死んだら、その血も余す所なく美味しく頂くから」
「えぇ……」
「私はあなたの世継ぎを産めればそれでいい。責任取れなんて言わない。結婚してくれとも言わない。私には……私達には……そんな権利も資格も無いもの」
「…………」
どこにでもいる普通の中学新1年生とは程遠い会話。
不意に非情な現実が2人を包んだ。
今まで気づかないフリをして、ごまかして生きてきただけなのかもしれない。
悲しそうな目をする彼女に対して俺が掛けてやれる言葉も……無かった。
「……それで、あなたに1つ聞いておきたいのだけれど」
不意に瞳からは殺気が消え、紫陽花色の透き通った光が戻ってきた。
「私達の他にはぁ……何人手ぇ出すつもりなのぉ?」
俺の脳を溶かす猫撫で声が帰ってきやがった。
マズい。本気でマズい。
ここは日本語の妙(みょう)を利用して逃れさせてもらうとしよう。
「誰にも手を出すつもりはないよ……」
「ふぅん……そっかぁ~手ぇ出すつもりはないんだぁ……」
よしっ! 作戦は成功――
「でもぉ……手ぇ出されたらぁ……どうするつもりなの?」
死んだ目ならずっと良かった。
虚ろな目をしてた。
姉さん俺の負けです。あなたには敵いません。
いっそ開き直ってしまった方が楽だなこれは。
「嫌だなぁ……何で生まれて来ちゃったのかなぁ……」
「それ、私の事?」
「いいや、俺だよ」
悲しくて、ゼロ距離で、義理とはいえ姉弟が抱き合ってる。
この異様な光景は、この寮に住む人間の事情を知らない奴等が見たら、きっとテレビやらネットやら、あらゆるメディアを使って袋叩きの村八分にするのだろう。
どうすることもできない。考えるだけ無駄だから。
「あの……そろそろ出発したいんだけど……どうしたら許してくれる?」
この体制結構辛いんだよな。彼女はとても軽くて柔らかくて良い匂いで、何時間でもこうしてくっついていたいけど、床に胡坐(あぐら)とはいえ直座りだし、ガッチリと足でロックされてるから腰にもダメージ来てるんだよな。
「……このまま押し倒し倒してメチャクチャにして」
「……帰ってきたら、気絶するまでメチャクチャにしてあげるから」
「……今じゃなきゃ嫌って言ったら?」
「……その口を塞いで黙らせる」
「……ん~~‼」
 彼女は膨れた顔を俺の胸に埋(うず)めて唸った。
「……だったら、また2人きりでサッカーがしたい。初めて会ったあの公園で」
「……また蹴り合いという名の殺し合いをしろと?」
「……だって楽しいもの」
殺し合いはさておき、サッカー少年としてこれ程嬉しいことは無い。
別のスポーツでも同じだろうが、自分の好きが影響して好きになってくれたことに喜びを覚えない冷血な人間はそういないだろう。
「せめてその眼を制御出来るようになってからだな。何するにも危険過ぎる」
「それは難しいにゃ~。前にも言ったにゃ~。私達の能力は全自動(フルオート)の常時発動(パッシブ)、制御しろなんて簡単に言うんじゃないにゃ~」
そう言って、また赤い瞳を輝かせた。
こいつ……13日の金曜日に世界を滅ぼす大魔王に覚醒したりしないだろうな?
次のXデーは11月……あと8ヵ月は安心だな。
「いや、俺が死んじゃうからさ」
「人間死ぬ時はコロっと逝(い)くものだよ?」
そういう問題じゃないんだって。
「なら……俺がコロっと逝っちゃったらどうするわけ?」
彼女は少し悩んでから、俺の髪をクシャっと撫でてこう答えた。
「過去か来世か天国か、はたまた地獄か異世界か……迎えに行くなら何処がいい?」
「……?」
何故そんな事を言うのだろう。
彼女は俺を解放し、紫陽花色の瞳でウィンクを飛ばしながらリビングへ向かって歩いてく。
階段を上り始める彼女の姿が消えない内に返事を返した。
「姉さん、愛してる」
ズルっと階段を踏み外し転げ落ちる彼女。
そしてそれまでの行動をキャンセルし、階段を駆け降りて一言。
「真顔で言うなし! バカぁぁぁ‼‼」
ヒナタは部屋へ逃げ出した。
仕留めればきっと大量の経験値が得られたことだろう。
脅威が去り、脳内RPGを展開できるほどの心の余裕が出てきた。

制服よし、髪型よし、電子生徒手帳よし。
筆記用具に上履き、体育館履きなど、その他諸々忘れ物は無さそうだ。
おっと、1番大切なサッカーグッズ一式を忘れるところだった。
あとはサングラスと魔剣……じゃなかった。黒傘よし。
旅の準備は万全だ。

さぁ、地道に人生のレベル上げに行くとしようか。
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