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終わりの始まり 2

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3月某日、AFCアジアカップ2011優勝の熱気と日常との寒暖差が嫌という程身に染みてきた頃。

俺は同居人達を差し置いて、一足先に学校に向かっていた。
本来、送迎バスが手配される為わざわざ電車賃を払ってまで歩いて行く必要はないのだが、土地勘慣れしておきたいという考えもあり、無理を言って1人での外出を認めてもらった。
別にあいつらの事が嫌いとか、気まずいとか、そんな子供染みた考えで置いてけぼりにしてきた訳ではない。
俺が1人の散歩にこだわる事に、それ程大それた理由は無い。
あえて理屈を付けるなら、精神衛生上の健康を確保するためだ。
共同生活の中で人間関係を良好にするため、定期的に心を平平(へいへい)たる凪(なぎ)に帰(き)す。
必要な事。ただそれだけだ。
何もやましい気持ちなど、無い。
狂気とか邪気とか殺気とかいった悪感情は勿論、心理発生的欲求に数えられる諸々の煩悩とは折り合いが付いている。

なんていうか……幻想みたいなものが薄れて、非日常が日常になってしまったんだ。

現在、寮ではこの俺『紫咲 淳(しざき じゅん)』を入れて8人の同期生が暮らしている。
俺の義姉(あね)『紫咲 陽(しざき ひなた)』。
英国(イギリス)からの文化留学生『ミーティア・エリーゼ』と双子の妹『リーティア・エリーゼ』。
時雨剣術道場の跡取り『時雨 百合(しぐれ ゆり)』と腹違いの妹『弥刀 蘭菜(みと らな)』。
俺以外唯一の男子であり友人の『川内 勇也(せんだい ゆや)』と双子の妹『川内 柚香(せんだい ゆか)』の計8人。
全員が第六感の感能者(センサー)。控えめに言って化物だ。

寮は地上3階地下2階建て5LDKの母屋(おもや)と同様の間取りの建物が3棟……合わせて4棟の連棟住宅という豪華すぎる造りになっている。
川内兄妹の母にして俺達の寮母『川内 霞』こと霞(かすみ)ママ、その亡き夫である『川内 優作 (ゆうさく)』さんが集合住宅の建築予定に出されていた800平米の土地を魔改造したらしい。
構想は遊園地。四隅の住宅を囲う広い庭には、かつて俺やユヤ達が遊んでいた子供用のボールプールやトランポリン、アスレチックといった遊具が今も残っている。各建物の地上階を結ぶ連絡通路は、はしごロープネットで結ばれており、遊具から手を伸ばせば簡単によじ登れる。室内もかなり広く隠れる場所も多い為、毎日のように鬼ごっこをして遊んでいる。
元々この土地は取り壊された銭湯後で、黒湯の湧出地も近いときた。
大浴場は源泉かけ流しのナトリウム―塩化物泉で、疲労回復や血流改善などの効能がある。
その他にも地下にはトレーニングルームや娯楽室があったりと至れり尽くせりって感じだ。
……そんな環境で彼らと2ヵ月程生活を共にしたが、楽しけれど慣れる事は無い。
理由は大きく分けて3つある。
 

1つ目は女子率が高過ぎる事。
逆に喜ぶべきだろ、と多くの男は思うのだろう。
そしてある者は、恵まれた環境に完全なる逆恨みを覚えて刺し殺しに来るも、俺の手で完膚なきまでに叩き伏せられるのであろう。
実際美少女揃いであり、刺し殺されても文句が言えないのは理解しているが、子供だけで1対4の男女比は生活を共にする上でかなり肩身が狭い。
食事にしても服装にしても、何をするにも気を使って行動しなければならず、気が休まる場所が近所の公園か大浴場に限られている。
……ここに来た当初から、彼女達は俺に異常なまで執着しているようで、決して俺を独りにしようとしなかった。その気遣いが逆に苦しい。作為的というか、どこか裏がありそうな感じがしてならなかったから。
……俺に気遣う程の価値なんて無いのに。
結果としてこの懸念は最悪な形で今も俺を倫理的に追い詰めている。


2つ目は男女で部屋を分けない事。
空き部屋は十分確保されているが、元より子供8人で暮らすには広過ぎる。
遊び以外での生活空間が母屋に固定化されている事も何も不自由はしていない。
学校が始まれば本格的に入居者が増えるという話も聞いている。
……しかし、何故俺は義姉(あね)と同じ部屋なんだ‼
常識的に考えて男女の生活区画は分けるだろ‼
男子2人に女子6人なんだから、男同士で組ませろよ‼
この件はユヤに相談したことがある。が、あいつは生まれてこの方ずっと妹と一緒の部屋で暮らしてきたから何の抵抗も感じていないとのことで、
「荷物運ぶの面倒だしヤダ」
という理由で断られてしまった。
当主の息子にこれ以上は頼めず、止む無くこの不条理を受け入れたのだが、年頃の男女が同室に置かれて何も起きない訳がなかった。
俺が他の子の部屋に引きずり込まれる事もあるけれど。


3つ目の理由は……はぁ……もう考えるのも嫌になってきた。
俺の存在価値の根底に関わってくるから……もう嫌だ。
俺は人として幾つもの禁忌を破ってしまった。
これは世界にとって必要な事なんだと、何度も何度も自分に言い聞かせてきた。
誰もが懇願してきたが、誰も強制はしなかった。
でも彼女達は強引で……。
俺はとんでもないクズ野郎で……。
抵抗する気力も失せてしまった。
アジアカップが終わる頃、俺は人間を辞めていた。
彼女達も道連れになった。
悦(よろこ)んでもいたし、泣いてもいた。
……俺達の幼さには、成長という明確な弱点があった。
俺達は日々、心身ともに確実に成長していった。
たかだか2ヵ月、されど2ヶ月。
【男子、三日会わざれば刮目して見よ】
という慣用句があるくらいだ。
時間が人に与える影響がどれだけ強力か言うまでもない。
俺は禁忌の咎人だが、それでも世界は死なせてくれず、成長も止められない。
だから開き直って前向きに生きる事にした。
勉強と剣道、サッカーを中心に生活し、悩む余裕すら無くなる程に自分を追い込んだ。
ユヤは俺の鍛錬に悉(こころよ)く付き合ってくれた。
男同士は気が休まるからいい。


……彼女達は少し変な感じなんだ。
1人でいる時、何だかぼんやりしていることが多くなった。
2人でいる時、口数が極端に減るんだ。
けど、皆でいる時だけは変わらなかった。
いつも通りのキャラを演じて、いがみ合って、罵り合って、ユヤを踏みつけボコしたり。あいつはドMだから自分の待遇に満足しているみたいだけど、そんなあいつも無理をしているなって感じる事が増えた。
それでも心中を察してか、あいつとユカは何度も俺を慰めてくれた。
「自業自得だ」とも言われたが、その過程の出来事は今の俺には分からない。

この2カ月間〈奴〉の人格が戻る事は無く、著しく身体能力が向上している感覚を覚えただけだった。
ただ......ユリと組手をしていた時、【闘気】を全開に纏った竹刀を叩き折ってしまったことがある。
自分が自分じゃなくなる感覚に倒れたが、映像に収めていたラナのお陰で、事件映像の最後に〈奴〉が見せた『トランス○○』という技を使った時と同じ眼をしてるのが分かった。
この状態の時はパワーやスピード、スタミナが強化される事に加え、反射速度が上がった。
無心状態になり、【闘気】の先読み能力をもってしても攻撃を読まれる事が無くなった。
未だに風や雷こそ操れないが、確実に〈奴〉の力の一端を引き出せている。

俺は〈あいつ〉が心底嫌いだが……ほんの少しだけ感謝していた。
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