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第三章 掬った水面のその色は
天正二年――十月一日、新庄城にて・弐
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「……えっ」
一瞬、何を言われたのか理解が及ばず、少女の唇が呆けたような声を落とした。同時に、スゥ、と走るように、冷えた風が一陣吹く。
高い位置で結んだ黒髪が、それに流されるように宙を舞い、小袖の袖がバサリ、音を孕んだ。思わず、一歩後ろへ下がった草鞋裏が、散らばった落葉を踏み、カサ、と乾いた音を立てる。
近くにある木々に止まっていた鳥が、突然飛び立ったのは周囲に漂う気配を察しての事だろうか。眼前の男たちは、腰のものに手をかけるでもなく、未だその場所からこちらに近づこうともしていないが、それでもその気配は明らかに先ほどまでとは違う。
殺気でも怒気でもない――強いて言うのならば、ときおり城下でも見かける遊び女に対する男たちの視線に近いものを、自身へと這わせているような気がする。
(でも、磯野さまのこのお城で、そんな狼藉があるなんて)
そんな事、あり得るのだろうか。
こうしてこの地を治める領主の城へと堂々と足を踏み入れているのだから、少なくとも野伏の類ではないだろう。だとしたら、磯野家中の者か、もしくは客人か。どちらにせよ、少女の身元を「津田七兵衛の室」、「明智の女」と知っている人間が、出来る態度でない事だけは確かである。
けれど。
(でもさっき、わたくしを見て、明智の女、と言っていた……)
もしかすると、父に直接恨みを抱く者たちなのかもしれない。
(でも、父さまは……もう織田さま関わりを持ち始めて、十年近く経っていたはず……。将軍さまとのご縁も、昨年切れたと仰っていたし……)
つまるところ、父への恨みとは織田への恨みと同意語である。
(……そう、考えると……)
相手は、もしかすると――。
ちら、と京は、彼女の前方で必死に主を隠そうとしている於逸へと睫毛の先を向けた。すると、彼女も男たちを注意しつつも、一歩、二歩と草鞋を下げ京へと近づいてくる。
ジャリ、と小さく地面で音が鳴る。
空を飛ぶ鳥が甲高い声で鳴く声が、涼やかな空へ木霊した。
ドクン、ドクン、と胸の裡側を、心臓が痛いほどに叩いている。
カサカサと乾いた音を立てながら地面を転がっていくのは、木から落とされた赤い葉っぱ。
城外へと出るための道を塞ぐ男たちが、互いに視線を交わし、こちらへと寄せて来ようとした、その瞬間――。
――ガラ……ッ、ッシャァン……ッ!!
京のすぐ傍に積み重ねられていた手桶や目籠、壁に立てかけられている庭を払うための竹箒などへ手を伸ばした於逸が、乱暴にそれらを倒した。派手な音を立て、転がっていく用具のさらに上から、次々に手に取ったものを落としその場を乱していく。
この新庄城には女主人がおらず、城の中の手入れが行き届いていない。
侍女はいるが、彼女たちを監督する立場の者がいない。
だからこそ、こうして庭には使い終わったはずの用具がいつまでも放置されており、庭に落ちる葉も、そのままになっていた。
「……ッ!!」
突然、京たちと自分たちの間に撒かれた雑具に、男たちの面に苦々しいものが刻まれる。先ほど竹箒などが立て掛けられていた屋敷――三ノ丸にいたらしい侍女と思しき者たちが「え、何……?」「何か倒れた?」と声を交わしながらこちらへと出てくる気配があった。
「御方さま……っ!」
「於逸、こちらへ……っ!!」
とりあえずこの場から逃げるために、京は於逸の手を取ると、くるりと踵を返し、たった今来た道を引き返していく。
「あ……待……ッ!!」
「おい……ッ」
背中に男たちの鋭い声がかかるが、それとほぼ同時にどうやら屋敷の奥から侍女が姿を現したらしく、その語尾は少女たちに刺さる事なく宙にふわりと消えた。
(さっきは、髪に振られて重いと思ったけど……)
軽衫に、髪を結い上げたこの様は、流石に乗馬のためのものとあって動きやすい。動きを緩慢にしていると、髪の重さで頭が振れるが、こうして機敏に動く分には楽でいい。
(武家の若衆がこうして髪を結い上げ、髻を作る理由はこれだったのね)
場違いにもほどがあるが、「なるほど」と思わず納得してしまう。老年な上、太り肉の於逸を連れて逃げるためにも、自分自身の身のこなしは出来るだけ軽い方が都合が良く、偶然とは言え自分自身の身軽な形に今は感謝したい。
「はぁ……っ、は、ぁ……っ! お、御方さ、ま……っ!」
どれほど道を戻っただろうか。
恐ろしくて後ろを見る事さえも出来なかったが、あの後すぐに彼らが追いかけてくる様子はなかった。念には念を入れ、何度も何度も角を曲がり、奥へ奥へと進んだ為、今すぐ彼らに捉えられる心配はなさそうだ。
京は於逸の声に足を止め、周囲を見回すと、すぐ近くに三階建ての天守が見えた。位置から考えて、どうやら本丸の一角のようだ。
「於逸……、だいじょう、ぶ……っ?」
「は、……はいっ、於逸、は……大丈夫、でございます、が……っ。御方……、さま、は……っ?」
「わたくしも、大丈夫です。先ほどは、機転を利かせてくれてありがとう。おかげでこうして逃げる事が出来ました」
「い、いいえ~。とんでも、ございませんわっ。御方さまは……於逸の大切な、大切な方ですから……」
全力で走ったのちに、急に止まったせいだろうか。額から噴き出した汗が、まるで雨にでも降られたかのように於逸のふくふくとした頬に流れていく。日頃、きびきびと働く彼女ではあるものの、高齢で、太っており身体も重い。ここまで走るのは身体的に大変だっただろうに、その面に宿る感情に、黒いところはひとつもなかった。
(わたくしは、まだ本当の妻の務めも果たしていなくて)
於逸は、知っているはずだ。
京が、信澄とまだ契っていない事を。
破瓜の痕がなかった事を、褥を片づけた彼女が気づかないわけはない。
(なのに)
仕えている主人が娶った女というだけで、この上なく彼女は大切にしてくれる。実家にいた頃、侍女たちから受けた対応とは真逆のそれに、京は目の奥が思わず熱くなる。
少女は自身の額にじわりと滲む汗を手の甲で押さえながら、彼女の丸みを帯びた背へともう片方の手のひらを乗せ摩った。
「本当に、感謝しております。ありがとう。あなたがいてくれて、こんなに心強い事はないです」
「御方さま……っ」
地面に座り込み、互いに呼吸を整える。
すっかり空気が冷え出した今日この頃ではあるものの、軽く動いただけでこんなに暑い。もし炎天下で於逸を走らせることになるとしたら、ここまで逃げる事が出来たかどうかもわからない。今が真夏でなくてよかったと、京は胸中でほっと息を吐いた。
「ところで、御方さま。あの者たちは……」
「わかりません……わかりません、が、わたくしを見て、明智の女かと問うてきました。という事は、恐らく父に恨みを抱く者なのではないでしょうか……」
「御方さまの父上さま、に御座いますか? そ、それは、このご時世ですから、もしかしたら、そういった逆恨みのような事もありましょうけど、でも、そのような者たちが、何故このお城に……」
「近江という国は、元はと言えば……織田さまの治める土地ではありませんから……」
「……っ、では、まさか……浅井の残党が……?」
「わかりません。ただ、その可能性も、あるのではないかと思っています」
声を一層落として、京は周囲へと視線を巡らせる。
先ほどまでの騒動が嘘のように、シンと静まり返っており、空にはそれより前からずっとあった雲がぽっかりと浮かんでいた。今すぐ、その角からあの男たちが顔を見せやしないかと、京の喉が知らずゴクリと音を立てる。
(義父上さまは……どうなのかしら……)
先ほど対面した限りでは、そのような企みを持っているようには見えなかった。
――あ、あの……っ、もし、もし、宜しければ、のお話です……っ。
――…………いや。……、かたじけない。では、頼もうか。
亡き奥方が仕立てた胴服を繕わせてほしいと申し出た時、ぎこちなくではあるもののその面には僅かながら柔和なものが滲んでいたはずだ。
(でも……もし、彼らが、真実、父さまや、織田に仇なそうとする者たちで)
そんな彼らを、この城に招き入れているという事は、磯野もまたその企みに加担しているという事にはならないだろうか。
(そう、なれば……)
今日、帰宅予定だという信澄の身にも、危険が迫るに違いない。
何も知らない彼はきっと、屋敷へ帰ってくるその前に、登城し義父へ挨拶をするだろう。そして、もしそこで――。
(あの、者たちの凶刃に出くわしたら……)
ゾ、と寒気が京の背を駆け抜けていく。
震えそうになる痩躯を抑えるように、京はぎゅ、っと歯を噛み締めた。
「何にせよ、一刻も早く城から抜け出して、与右衛門にこの話をしなければ……」
「……ここ、は、本丸付近に御座いましょうか。あそこに天守が見えますが」
「恐らく、二ノ丸に近い本丸の端にある辺りだと思うけれど……」
勿論ざっくりとしたこの城の構造は知っているものの、どれほどの大きさの屋敷が何棟あるのかなど、詳しい事は何も知らない。ここへ足を運んだ事も片手に満たない程であり、来るときは必ず一直線に本丸の入口へ至っていた為、正直なところ、ここからどう戻れば元の場所へ辿り着くのかさえもわからない。
(義父上さまが、敵かお味方かはわからないけれど……)
一か八かで、彼を頼り、一時その懐に逃げ込んだ方がいいだろうか。
それとも大事を取って、今回の事を何も知らなそうな侍女にでも搦手(裏門)を案内させた方がいいだろうか。
本丸の建物のひとつだとは思うが、人気がまったくないため、どう動こうにも躊躇が出てしまう。どうしたものか、と京が具体的な位置関係を確かめるために、落としていた腰を持ち上げた、その瞬間。
「……津田さまの、奥方さまでは……?」
突如、背後より声がかかった。
一瞬、何を言われたのか理解が及ばず、少女の唇が呆けたような声を落とした。同時に、スゥ、と走るように、冷えた風が一陣吹く。
高い位置で結んだ黒髪が、それに流されるように宙を舞い、小袖の袖がバサリ、音を孕んだ。思わず、一歩後ろへ下がった草鞋裏が、散らばった落葉を踏み、カサ、と乾いた音を立てる。
近くにある木々に止まっていた鳥が、突然飛び立ったのは周囲に漂う気配を察しての事だろうか。眼前の男たちは、腰のものに手をかけるでもなく、未だその場所からこちらに近づこうともしていないが、それでもその気配は明らかに先ほどまでとは違う。
殺気でも怒気でもない――強いて言うのならば、ときおり城下でも見かける遊び女に対する男たちの視線に近いものを、自身へと這わせているような気がする。
(でも、磯野さまのこのお城で、そんな狼藉があるなんて)
そんな事、あり得るのだろうか。
こうしてこの地を治める領主の城へと堂々と足を踏み入れているのだから、少なくとも野伏の類ではないだろう。だとしたら、磯野家中の者か、もしくは客人か。どちらにせよ、少女の身元を「津田七兵衛の室」、「明智の女」と知っている人間が、出来る態度でない事だけは確かである。
けれど。
(でもさっき、わたくしを見て、明智の女、と言っていた……)
もしかすると、父に直接恨みを抱く者たちなのかもしれない。
(でも、父さまは……もう織田さま関わりを持ち始めて、十年近く経っていたはず……。将軍さまとのご縁も、昨年切れたと仰っていたし……)
つまるところ、父への恨みとは織田への恨みと同意語である。
(……そう、考えると……)
相手は、もしかすると――。
ちら、と京は、彼女の前方で必死に主を隠そうとしている於逸へと睫毛の先を向けた。すると、彼女も男たちを注意しつつも、一歩、二歩と草鞋を下げ京へと近づいてくる。
ジャリ、と小さく地面で音が鳴る。
空を飛ぶ鳥が甲高い声で鳴く声が、涼やかな空へ木霊した。
ドクン、ドクン、と胸の裡側を、心臓が痛いほどに叩いている。
カサカサと乾いた音を立てながら地面を転がっていくのは、木から落とされた赤い葉っぱ。
城外へと出るための道を塞ぐ男たちが、互いに視線を交わし、こちらへと寄せて来ようとした、その瞬間――。
――ガラ……ッ、ッシャァン……ッ!!
京のすぐ傍に積み重ねられていた手桶や目籠、壁に立てかけられている庭を払うための竹箒などへ手を伸ばした於逸が、乱暴にそれらを倒した。派手な音を立て、転がっていく用具のさらに上から、次々に手に取ったものを落としその場を乱していく。
この新庄城には女主人がおらず、城の中の手入れが行き届いていない。
侍女はいるが、彼女たちを監督する立場の者がいない。
だからこそ、こうして庭には使い終わったはずの用具がいつまでも放置されており、庭に落ちる葉も、そのままになっていた。
「……ッ!!」
突然、京たちと自分たちの間に撒かれた雑具に、男たちの面に苦々しいものが刻まれる。先ほど竹箒などが立て掛けられていた屋敷――三ノ丸にいたらしい侍女と思しき者たちが「え、何……?」「何か倒れた?」と声を交わしながらこちらへと出てくる気配があった。
「御方さま……っ!」
「於逸、こちらへ……っ!!」
とりあえずこの場から逃げるために、京は於逸の手を取ると、くるりと踵を返し、たった今来た道を引き返していく。
「あ……待……ッ!!」
「おい……ッ」
背中に男たちの鋭い声がかかるが、それとほぼ同時にどうやら屋敷の奥から侍女が姿を現したらしく、その語尾は少女たちに刺さる事なく宙にふわりと消えた。
(さっきは、髪に振られて重いと思ったけど……)
軽衫に、髪を結い上げたこの様は、流石に乗馬のためのものとあって動きやすい。動きを緩慢にしていると、髪の重さで頭が振れるが、こうして機敏に動く分には楽でいい。
(武家の若衆がこうして髪を結い上げ、髻を作る理由はこれだったのね)
場違いにもほどがあるが、「なるほど」と思わず納得してしまう。老年な上、太り肉の於逸を連れて逃げるためにも、自分自身の身のこなしは出来るだけ軽い方が都合が良く、偶然とは言え自分自身の身軽な形に今は感謝したい。
「はぁ……っ、は、ぁ……っ! お、御方さ、ま……っ!」
どれほど道を戻っただろうか。
恐ろしくて後ろを見る事さえも出来なかったが、あの後すぐに彼らが追いかけてくる様子はなかった。念には念を入れ、何度も何度も角を曲がり、奥へ奥へと進んだ為、今すぐ彼らに捉えられる心配はなさそうだ。
京は於逸の声に足を止め、周囲を見回すと、すぐ近くに三階建ての天守が見えた。位置から考えて、どうやら本丸の一角のようだ。
「於逸……、だいじょう、ぶ……っ?」
「は、……はいっ、於逸、は……大丈夫、でございます、が……っ。御方……、さま、は……っ?」
「わたくしも、大丈夫です。先ほどは、機転を利かせてくれてありがとう。おかげでこうして逃げる事が出来ました」
「い、いいえ~。とんでも、ございませんわっ。御方さまは……於逸の大切な、大切な方ですから……」
全力で走ったのちに、急に止まったせいだろうか。額から噴き出した汗が、まるで雨にでも降られたかのように於逸のふくふくとした頬に流れていく。日頃、きびきびと働く彼女ではあるものの、高齢で、太っており身体も重い。ここまで走るのは身体的に大変だっただろうに、その面に宿る感情に、黒いところはひとつもなかった。
(わたくしは、まだ本当の妻の務めも果たしていなくて)
於逸は、知っているはずだ。
京が、信澄とまだ契っていない事を。
破瓜の痕がなかった事を、褥を片づけた彼女が気づかないわけはない。
(なのに)
仕えている主人が娶った女というだけで、この上なく彼女は大切にしてくれる。実家にいた頃、侍女たちから受けた対応とは真逆のそれに、京は目の奥が思わず熱くなる。
少女は自身の額にじわりと滲む汗を手の甲で押さえながら、彼女の丸みを帯びた背へともう片方の手のひらを乗せ摩った。
「本当に、感謝しております。ありがとう。あなたがいてくれて、こんなに心強い事はないです」
「御方さま……っ」
地面に座り込み、互いに呼吸を整える。
すっかり空気が冷え出した今日この頃ではあるものの、軽く動いただけでこんなに暑い。もし炎天下で於逸を走らせることになるとしたら、ここまで逃げる事が出来たかどうかもわからない。今が真夏でなくてよかったと、京は胸中でほっと息を吐いた。
「ところで、御方さま。あの者たちは……」
「わかりません……わかりません、が、わたくしを見て、明智の女かと問うてきました。という事は、恐らく父に恨みを抱く者なのではないでしょうか……」
「御方さまの父上さま、に御座いますか? そ、それは、このご時世ですから、もしかしたら、そういった逆恨みのような事もありましょうけど、でも、そのような者たちが、何故このお城に……」
「近江という国は、元はと言えば……織田さまの治める土地ではありませんから……」
「……っ、では、まさか……浅井の残党が……?」
「わかりません。ただ、その可能性も、あるのではないかと思っています」
声を一層落として、京は周囲へと視線を巡らせる。
先ほどまでの騒動が嘘のように、シンと静まり返っており、空にはそれより前からずっとあった雲がぽっかりと浮かんでいた。今すぐ、その角からあの男たちが顔を見せやしないかと、京の喉が知らずゴクリと音を立てる。
(義父上さまは……どうなのかしら……)
先ほど対面した限りでは、そのような企みを持っているようには見えなかった。
――あ、あの……っ、もし、もし、宜しければ、のお話です……っ。
――…………いや。……、かたじけない。では、頼もうか。
亡き奥方が仕立てた胴服を繕わせてほしいと申し出た時、ぎこちなくではあるもののその面には僅かながら柔和なものが滲んでいたはずだ。
(でも……もし、彼らが、真実、父さまや、織田に仇なそうとする者たちで)
そんな彼らを、この城に招き入れているという事は、磯野もまたその企みに加担しているという事にはならないだろうか。
(そう、なれば……)
今日、帰宅予定だという信澄の身にも、危険が迫るに違いない。
何も知らない彼はきっと、屋敷へ帰ってくるその前に、登城し義父へ挨拶をするだろう。そして、もしそこで――。
(あの、者たちの凶刃に出くわしたら……)
ゾ、と寒気が京の背を駆け抜けていく。
震えそうになる痩躯を抑えるように、京はぎゅ、っと歯を噛み締めた。
「何にせよ、一刻も早く城から抜け出して、与右衛門にこの話をしなければ……」
「……ここ、は、本丸付近に御座いましょうか。あそこに天守が見えますが」
「恐らく、二ノ丸に近い本丸の端にある辺りだと思うけれど……」
勿論ざっくりとしたこの城の構造は知っているものの、どれほどの大きさの屋敷が何棟あるのかなど、詳しい事は何も知らない。ここへ足を運んだ事も片手に満たない程であり、来るときは必ず一直線に本丸の入口へ至っていた為、正直なところ、ここからどう戻れば元の場所へ辿り着くのかさえもわからない。
(義父上さまが、敵かお味方かはわからないけれど……)
一か八かで、彼を頼り、一時その懐に逃げ込んだ方がいいだろうか。
それとも大事を取って、今回の事を何も知らなそうな侍女にでも搦手(裏門)を案内させた方がいいだろうか。
本丸の建物のひとつだとは思うが、人気がまったくないため、どう動こうにも躊躇が出てしまう。どうしたものか、と京が具体的な位置関係を確かめるために、落としていた腰を持ち上げた、その瞬間。
「……津田さまの、奥方さまでは……?」
突如、背後より声がかかった。
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