フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

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10.三日月の真相編

48三日月××× ⑥

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***

「――ジャネーの法則というものがあるそうだ」
 足音と、吹きすさぶ風の音。男の声は、それらを手荒に押しのけて耳に届いた。乱暴な口調ではないが、自然ごときが遮るなと言いたげな、横柄で不遜な声だった。
「主観的な年月の長さは、若い者はより長く、年を重ねた者はより短く感じるというものだ。すなわち、感じる月日の長さは年齢に反比例する。……心理学をやっていた昔の知り合いの受け売りだがな」
 ポケットに両手を突っ込み、天を仰ぎながら歩む傍ら、男は言葉を続ける。黒い髪は強風にあおられてじっとしていないが、彼はそれを気にするそぶりも見せない。
「この島を発ったのは、一昔前のことだ。だが、俺には郷愁というものが感じられん。それは俺がお前の倍を生きる年長者ゆえに、懐古するには短すぎる別れと認識しているからか。はたまた、かつてこの手で滅ぼした故郷との時間的・空間的な隔たりに比べれば、この止まり木程度の島に郷愁など覚える筋合いもないからか……」
 男の足が止まった。あとに残ったのは、いまだ荒れ狂う暴風の咆哮と、数メートル先の彼へ歩み寄る、もう一つの足音。
 歩みを止めない彼女を振り返って、男は口を開いた。
「そのうえで、あえて問おう。――懐かしいか、雷奈」
「あの無駄に大きか家の、無駄に広か庭で、ぬくか風に吹かれながら、安納芋ば食べられたなら、さぞ懐かしかったっちゃろね」
 サク、とを踏み固めて、彼女は立ち止まった。しばらく、からからと音を立ててついてきていた枯れ葉は、もうどこかへ散ってしまったようだ。
 風に乗って頬を叩き、髪にまとわりつくを鬱陶しそうにしながら、「まあ」と男をにらみ上げて。
「私の知る種子島は、十一月にこんな暴風雪なんて起こらんっちゃけど」
 吐き捨てるように言った雷奈と、氷でできているかのように表情一つ動かさない男。その周囲は、十メートル先が見渡せるかも怪しかった。かろうじて、周りに木々が、少し離れたところに小屋のような人工物があるのがわかる程度だ。
 かつて、父娘おやこの間には、いつだって南の島の暖かい風が流れていた。だが、今、再会した彼らの間に吹き抜ける風は、凍てつく猛吹雪だ。
 温暖な南の島に巻き起こる異常気象。問うまでもなく、彼の猫術によって引き起こされたものだった。雷奈と同様、男の体も雪まみれだ。ハイネックのトップスも、テーラードジャケットも、ズボンも真っ黒ゆえに、雪だらけなのが余計に目立った。
「ばってん、ここに誘拐してくれたのは幸いっちゃね。正直どこだか分からんけど、ここが本当に種子島なら、最高のチョイスったい。ここでなら、仇ば討つところ、母さんに見せられる。ここでなら……たとえ敗れても、母さんに会える気がする」
「誘拐か。自分の足で時空洞穴に踏み入ったくせに」
 返事もしない雷奈のまとう気配が揺らめく。人畜無害なただの人間のそれから、人ならざる者のそれに。目の前の人外であり、世界を滅ぼす厄災であり、母の仇であり、そして実の父である男と同じ、人間以上の力を持った存在の風格に。
「覚悟はできているようだな」
 男は言った。深紅の瞳で真っ直ぐに見つめて。
「当然。じゃなきゃ、あのお守りは捨てて来んよ。むしろ、それはこっちのセリフったい」
 少女は言った。深紅の瞳をそらすことなく。
「あんたを、倒す。覚悟しろ、三日月ガオン」
 血の色に変化した父の瞳は、以前にもまして無感動に見えた。感情をもつ存在以上の高次な何かに昇華したようにさえ思えた。
 だが、どうやら今、ガオンは――驚いているようだった。
 その成分をわずか、わずかに含んだ声が風音を押しのけて届く。
「俺の本名を知っているのか」
「知っとるけん、呼んだっちゃろ」
 普段、友人にも向けないような、刺々しい物言いで雷奈は返す。
「母さんが日記つけとったのは知っとる? そこに全部書いてあったとよ。親父がフィライン・エデンの猫だってことも、未来からやって来たってことも、その未来世界では世界ば滅ぼしたことも。……そして今、またフィライン・エデンば襲おうとしとることも、わかっとーとよ」
 雷奈の言葉を受けて、ガオンは二つ目の感情を見せた。感心だ。
「なるほどな……そこまでたどり着いたか。どうりで俺がお前の目の前で時空洞穴を開いた際、驚きすらしなかったわけだ。正直、俺が人間でないことにはいずれ気づくだろうとは思っていた。純血の人間ではないお前は、フィライン・エデンと関わるうちに、自らに違和感を抱くだろうと。そしていずれ、雷志が選ばれし人間だったと……だとわかれば、おのずと俺の正体に疑いをかけるだろうとな」
 人間ではない。自らに違和感を抱く。
 何気ない言葉が、容赦なく生傷をえぐる。
「だが、そうか。雷志がそんな記述を残していたとはな。子供達の目に触れるとは思っていなかったのか、あるいはいずれ打ち明けるつもりだったのか……。ところで、雷志のことは『母さん』呼びのくせに、俺はずいぶん粗雑な呼称になったものだな」
「当たり前ったい、誰があんたみたいな人殺しのろくでなしば『父さん』なんて呼ぶか。クソ親父で十分ったい」
 憂さ晴らしのように口汚く罵ると、雷奈はやおらポケットに手を突っ込んだ。そこから取り出したものを顔の横で無造作に振って見せる。
「これ、何でしょーか?」
「スマホだな」
「なして私がお守りだけあの公園に落として、スマホは持ってきたか、わかる?」
「いざ怖気づいた時のための保険だろう」
「残念無念また来年。言ったろ、覚悟はできとるって」
 思いっきり舌を出すと、雷奈はスマホをポケットにしまい、フンと腕組みをした。
「私が……私であったことの証明にするためったい。三枝岬で死体も見つからんような殺し方ばしようとしたくらいだ、あんたのその多様な猫力で、焼くなり潰すなりして死体が私だってわからんような殺し方もしかねん」
 ――この岬はね、海水の流れが独特で、落ちたら水面に上がらんようになっとーとよ。つまり、落ちたら最後、もう助からず、死体はいつまでも発見されないまま、文字通り海の藻屑となる……ってわけ。
 そう言った「妹」の狂った瞳、背負った満月、振り上げる殺意。よみがえったそれらに苛立ち、雷奈は眼光を鋭くした。
「雷帆に憑依した鋼のチエアリ。知らんとは言わせんよ」
 はたから見れば、かなり凄んだ気迫だが、ガオンにすればネズミがじいじいと鳴いているようなものだ。眉一つ動かすに足りない。
「フィライン・エデンのみんなが口そろえて言っとる。人間界にクロやダーク、チエアリが出現するなんて前代未聞だって。そして、これはチエアリが漏らしとったことやけど、ここ最近出て来とるチエアリには、バックがいるってさ。……あんたがそうっちゃろ?」
 これまでのどのチエアリと比べても圧巻の存在感。彼が黒幕でないというのなら、何だというのだろう。
 きっとその事実を知られたところで痛くもかゆくもないのだろう、ガオンはあっさりと肯定した。
「その通りだ。人間界でクロ類を生み出しているのは俺だ。こんなふうに、な」
 ガオンの右手が、地面に種をまくような仕草で振りぬかれた。不可視の種は黒い芽を出し、やがて花を咲かせる。三角耳に金のどんぐりまなこをした四輪の黒猫が、花壇に並ぶがごとく、ガオンの前に横一列に整列。
 雷奈が身構えると同時、クロたちは一斉につららを放ってきた。ものは小さいが、鋭く尖った先端は、当たり所によっては大怪我につながる。
 すでに猫力を発動させ、飛躍的な身体能力を携えていた雷奈は、ダブルダッチのような身軽なジャンプで次々にかわしていった。もともと運動神経のよい雷奈に猫の運動能力は、まさに鬼に金棒の相性だ。
 ふと、生来の運動神経のよさも、父の血によるものだったのかもしれない、という考えが浮かんできて、八つ当たりするように電撃を放った。氷のクロたちは慌てたように攻撃をやめて逃走姿勢に入るが、光速に匹敵する韋駄天から逃れられるはずもなく、あれよあれよという間に感電、やがて黒い霧へと化した。
 ついでに、あわよくばクソ親父もと思ったが、彼はちゃっかり身を引いて事なきを得ていた。
 歯噛みと舌打ちの間で悔しさを表現すると、雷奈は声量を上げて問いただした。
「あんた、一体何者? 罪を犯したり、弱りきって源子につけこまれたりしたらクロ化するのは知っとる。あんたはフィライン・エデンの猫やけん、クロ化する可能性があったのもまあわかる。百歩譲って、どえらい罪ば犯したか、死ぬほどメンタル弱ったかでチエアリ化したとしよう。ばってん、じゃあ種子島でのあんたは、一体何やったと? いったん正気に戻ったとでもいうと?」
 乾燥で切れそうな唇を動かして、雷奈はさらにたたみかける。
「それだけやなか。あんた、多才過ぎん? チエアリ生み出すわ、時空洞穴ば開くわ、人間の姿もとるわ……そんな例、聞いたことなかよ?」
 チエアリには、通常のフィライン・エデンの猫が持ち得ない能力が備わっている。クロガネは憑依、ホムラは動物の洗脳、ジンズウは代償なしでの時空飛躍、といった具合だ。
 何でもありのようにも見えるチエアリの特殊能力。しかし、経験上、そして希兵隊の口ぶりからも、一つの共通した縛りがあることは確かだった。
 チエアリは、特殊能力を一つしか持ち得ない。クロ類産出、双体、時空飛躍、そして希兵隊から聞いた、巨大な主体と猫種の複数持ち――これらを手中に収めているガオンが説明できないのだ。
「母さんの日記ば読んでも、あんたのことが一握りどころか一つまみしかわからん。なして人間界に来るだけやなく、わざわざ時間まで遡った? なして母さんと結婚して、普通の人間みたいに暮らして、かと思ったら豹変して、またフィライン・エデンば滅ぼそうとしとる? なして……」
 からからの喉に、わずかな唾液を流し込んで、それでも掠れた声で、最も恐ろしい事実を口にするように言う。
「なして……年とらんと?」
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