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10.三日月の真相編
48三日月××× ⑤
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氷架璃の口から低いうめきが漏れる。
信じられない。信じたくはない。けれど、天真爛漫ながら正義感に満ちた、あの雷奈だ。しかも、今の状況――全てを知った彼女なら、どうするだろうか。考えれば考えるほど、その可能性が濃く厚くなる。
愕然とする人間二人とそのパートナーを、事情が見えないルシルたちが問いただした。四人が口々に説明した、お守りに込められた意味を聞いて、希兵隊員たちも同じ可能性に至った。
緊迫した沈黙を破って、ルシルが一歩踏み出した。
「待て、落ち着け……まだ間に合うかもしれない。仮に雷奈が、独断で何かを決行しようとしているとして、危機に瀕していると決まったわけではない。捜索を続けよう」
「でも、さっきルシルが言ってたみたいに、もしここで時空洞穴が開いてたとしたら、雷奈がここにストラップを落としていったのも……」
「……ここでガオンと接触して、一人で立ち向かうことを決めたってことか」
「時空洞穴の件は、あくまでも一つの考え方だ。軽率に口走った私が悪かった。よく考えたら、こんな人目に付くところで開くわけが……」
ルシルの声が止められた。隣から袖を引く、小さな手によって。
「……霞冴?」
ルシルが、胸に砂嵐のようなざわめきを覚えながら霞冴を振り返った。霞冴の双眸は、驚愕に揺れながら、公園の奥、虫が出そうな茂みから伸びる木立の手前を凝視していた。
霞冴の視線の先を追った者たちは、残らず動きを止めた。まるで、まだ絵の具の乾かない絵を指でかき乱したように、木々の輪郭がぐにゃりと歪む。正確には木々が歪んだのではなく、木々の手前にある空間が変形したのだ。それに気づいたときには、渦巻くように歪曲した中心に、昏い穴が生まれていた。
徐々に広がっていく穴。このような現象を目の当たりにするのは、氷架璃と芽華実、ルシルとコウは初めてではなかった。当時、アワとフー、波音とメルは居合わせていなかったのでその限りではない。行きは自我を、帰りは意識を失っていた霞冴も。
けれど、こうして生まれるのか、と戦慄とともに納得する。その時点で、初見ながらこの現象の正体を悟っていた。
こうして、何が生まれたのか?
決まっている。
――時空洞穴だ。
「ル、ルシル……」
「っ……わ、わかっている。美雷さんに連絡する」
口元にやった手に冷や汗をにじませる霞冴。彼女に短く返して、ルシルは震える手で懐からピッチを取り出した。
「美雷さん」
『どうしたの?』
「今、光丘にある公園にいます。……目の前で、時空洞穴が開きました」
『確かなの?』
「はい。日躍が開くのを見ていましたから、間違いありません。……これは、時空洞穴です」
ルシルは腕を伸ばして、仲間たちを下がらせながら言った。
過去世界との行き来の際、一度は意図して通った道だ。しかし、あの時現れたのは、日躍によって開けられた時空洞穴だ。彼女が君臨者の使いであり、協力体制を敷いてくれる善人だったからこそ、怪しさ極まりない時空の歪みへと足を踏み入れられたところがある。
けれど、今、生じている時空洞穴は違う。自然現象で空間が歪むことはあるとはいえ、時空洞穴が開くほどのものは、まずもって滅多にない。断言してもいいほど、これは人為的に作られた道であることに違いなかった。
それも、誰によってもたらされたものなのか断定したっていい。この状況で、時空洞穴を開くとすれば、間違いなく彼だ。彼がそこから出てくるのか、あるいは自分たちを誘い込もうとしているのか。どちらにしろ、近づくことは危険行為だ。それがわからぬほど噛み分けの悪い彼女らではない。
だから。
『フィライン・エデンでは時空震は観測されていない。だから、その時空洞穴のつながる先は、少なくともフィライン・エデンではないわ。詳細も全くわからない。近づいちゃダメよ』
スピーカーフォン越しのその命令にも、言わずもがな当然無論と従うはずだった。美雷自身も、その返事を期待しきっているような声音だった。
――なのに。
「……美雷さん」
『どうしたの、ルシ……』
「……申し訳ありません」
自然の摂理を捻じ曲げてつながった向こう岸を見た瞬間、信念はあっけなくひっくり返った。背徳感と、そしてもっと熾烈な一つの感情を噛み殺してそれだけ言うと、ルシルは美雷の呼び声を届け続けるピッチを、握り潰さんばかりの強さで切り、駆け出した。主体の姿でそばに控えていたメルが、囁き声を張り上げる。
「ルシルさん……!」
「こーちゃんまで! ダメだよ!」
隣では、波音も同じように制止の声を上げていた。しかし、咎める者はその二人だけだった。氷架璃、芽華実、アワ、フー、霞冴――つまりその他全員が、一欠片のためらいもなく、無質量のトンネルへと飛び込んでいった。敵が作った薄気味悪い通り道。罠の可能性。そんな懸念が頭に上るより先に、トンネルの向こうの光景がもたらした衝動に突き動かされた体が前に出た。
「待ってよ、みん……」
波音が人間の姿に変化して手を伸ばす。その指先で、渦巻きながら開いていた洞穴は、逆再生するかのように収縮を始めた。びくっと手を引っ込めると、仲間を飲み込んだ空間の歪曲は、立ち尽くす二人を残して小さな黒点にまで縮み、やがて視認できない大きさにまでなると、元の自然な風景に溶けて消えた。
取り残された波音とメルは、呆然と立ち尽くし、顔を見合わせることすら忘れていた。木の葉が舞うほどの風が次に頬を撫でるまで、まるで追いはぎにでもあったかのような喪失感に、二人は物言わぬ人形と化していた。
信じられない。信じたくはない。けれど、天真爛漫ながら正義感に満ちた、あの雷奈だ。しかも、今の状況――全てを知った彼女なら、どうするだろうか。考えれば考えるほど、その可能性が濃く厚くなる。
愕然とする人間二人とそのパートナーを、事情が見えないルシルたちが問いただした。四人が口々に説明した、お守りに込められた意味を聞いて、希兵隊員たちも同じ可能性に至った。
緊迫した沈黙を破って、ルシルが一歩踏み出した。
「待て、落ち着け……まだ間に合うかもしれない。仮に雷奈が、独断で何かを決行しようとしているとして、危機に瀕していると決まったわけではない。捜索を続けよう」
「でも、さっきルシルが言ってたみたいに、もしここで時空洞穴が開いてたとしたら、雷奈がここにストラップを落としていったのも……」
「……ここでガオンと接触して、一人で立ち向かうことを決めたってことか」
「時空洞穴の件は、あくまでも一つの考え方だ。軽率に口走った私が悪かった。よく考えたら、こんな人目に付くところで開くわけが……」
ルシルの声が止められた。隣から袖を引く、小さな手によって。
「……霞冴?」
ルシルが、胸に砂嵐のようなざわめきを覚えながら霞冴を振り返った。霞冴の双眸は、驚愕に揺れながら、公園の奥、虫が出そうな茂みから伸びる木立の手前を凝視していた。
霞冴の視線の先を追った者たちは、残らず動きを止めた。まるで、まだ絵の具の乾かない絵を指でかき乱したように、木々の輪郭がぐにゃりと歪む。正確には木々が歪んだのではなく、木々の手前にある空間が変形したのだ。それに気づいたときには、渦巻くように歪曲した中心に、昏い穴が生まれていた。
徐々に広がっていく穴。このような現象を目の当たりにするのは、氷架璃と芽華実、ルシルとコウは初めてではなかった。当時、アワとフー、波音とメルは居合わせていなかったのでその限りではない。行きは自我を、帰りは意識を失っていた霞冴も。
けれど、こうして生まれるのか、と戦慄とともに納得する。その時点で、初見ながらこの現象の正体を悟っていた。
こうして、何が生まれたのか?
決まっている。
――時空洞穴だ。
「ル、ルシル……」
「っ……わ、わかっている。美雷さんに連絡する」
口元にやった手に冷や汗をにじませる霞冴。彼女に短く返して、ルシルは震える手で懐からピッチを取り出した。
「美雷さん」
『どうしたの?』
「今、光丘にある公園にいます。……目の前で、時空洞穴が開きました」
『確かなの?』
「はい。日躍が開くのを見ていましたから、間違いありません。……これは、時空洞穴です」
ルシルは腕を伸ばして、仲間たちを下がらせながら言った。
過去世界との行き来の際、一度は意図して通った道だ。しかし、あの時現れたのは、日躍によって開けられた時空洞穴だ。彼女が君臨者の使いであり、協力体制を敷いてくれる善人だったからこそ、怪しさ極まりない時空の歪みへと足を踏み入れられたところがある。
けれど、今、生じている時空洞穴は違う。自然現象で空間が歪むことはあるとはいえ、時空洞穴が開くほどのものは、まずもって滅多にない。断言してもいいほど、これは人為的に作られた道であることに違いなかった。
それも、誰によってもたらされたものなのか断定したっていい。この状況で、時空洞穴を開くとすれば、間違いなく彼だ。彼がそこから出てくるのか、あるいは自分たちを誘い込もうとしているのか。どちらにしろ、近づくことは危険行為だ。それがわからぬほど噛み分けの悪い彼女らではない。
だから。
『フィライン・エデンでは時空震は観測されていない。だから、その時空洞穴のつながる先は、少なくともフィライン・エデンではないわ。詳細も全くわからない。近づいちゃダメよ』
スピーカーフォン越しのその命令にも、言わずもがな当然無論と従うはずだった。美雷自身も、その返事を期待しきっているような声音だった。
――なのに。
「……美雷さん」
『どうしたの、ルシ……』
「……申し訳ありません」
自然の摂理を捻じ曲げてつながった向こう岸を見た瞬間、信念はあっけなくひっくり返った。背徳感と、そしてもっと熾烈な一つの感情を噛み殺してそれだけ言うと、ルシルは美雷の呼び声を届け続けるピッチを、握り潰さんばかりの強さで切り、駆け出した。主体の姿でそばに控えていたメルが、囁き声を張り上げる。
「ルシルさん……!」
「こーちゃんまで! ダメだよ!」
隣では、波音も同じように制止の声を上げていた。しかし、咎める者はその二人だけだった。氷架璃、芽華実、アワ、フー、霞冴――つまりその他全員が、一欠片のためらいもなく、無質量のトンネルへと飛び込んでいった。敵が作った薄気味悪い通り道。罠の可能性。そんな懸念が頭に上るより先に、トンネルの向こうの光景がもたらした衝動に突き動かされた体が前に出た。
「待ってよ、みん……」
波音が人間の姿に変化して手を伸ばす。その指先で、渦巻きながら開いていた洞穴は、逆再生するかのように収縮を始めた。びくっと手を引っ込めると、仲間を飲み込んだ空間の歪曲は、立ち尽くす二人を残して小さな黒点にまで縮み、やがて視認できない大きさにまでなると、元の自然な風景に溶けて消えた。
取り残された波音とメルは、呆然と立ち尽くし、顔を見合わせることすら忘れていた。木の葉が舞うほどの風が次に頬を撫でるまで、まるで追いはぎにでもあったかのような喪失感に、二人は物言わぬ人形と化していた。
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