フォギーシティ

淺木 朝咲

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四章 死と霧の街

夢想

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「シルフィが言うにはね、さっき真上からアイツの気配がしたらしいんだ」
「え?」
「……つまり、もし留まり続けていたら全滅だったかもしれない、そう言いたいのか?」
 リールがそう言うとユーイオとシルフィは頷いた。この高性能アンドロイドは主と設定された人間の気配を感知できるらしい。
「どうしようか。異能を使える奴に異武装程度のまやかしは通用しないだろうし……」
 悩んだ末リーエイが出した案はである。
「は?」
「俺とリールはここ、シルフィは最下層、ユーイオは下層に分かれる」
「……最下層は特にあの石がある所まで行かないと異形は酷い扱いをされるけど」
 最下層出身のユーイオがぼそっと呟いた。
「ご心配なく。わたしはアンドロイドです。服を着ればその辺の人間とほぼ変わらない見た目になるはずです」
 心配でしかない。服なんて新品を着たところですぐに血で汚れるし、破れた時に機械のパーツが見えるのは危険だ。
「……でも」
「服が破れることを心配しているのなら問題ありません。見た目はそのまま、コーティングをすることぐらい容易いので」
 うーん、これは僕の言いたいことがいまいち伝わっていないな。
「とりあえず今日はもう寝ない? 僕人間だし、人間には睡眠が必要だからさ」
 僕が言うと、三人の異形は頷いた。だが、どうやら彼らは眠るつもりは無いらしい。
「リーエイも寝ないの?」
「ユーイオ、何回も言うけど……俺はもう人間そっちじゃないからね」
 僕が寝る直前に訊いたことに対してリーエイは人間の頃の顔のまま、どこか遠い目をして言った。リールもリーエイの横でそうだと言わんばかりに頷いて、「早く寝ろ」としか言わなかった。
 結局夜は何も起きないまま朝を迎えた。いや、何も、というのは僕にとっては嘘である。
「……リーエイ、ユーイオの様子は?」
「ちょっと変。久しぶりに寝てる間に唸ってるユーイオ見たよ」
「……そうか」
 コトコトと鍋の蓋が小刻みに揺れる。リーエイとリール、大男二人はキッチンに並んでかぼちゃのポタージュとパンに合うクリームを作っていた。かぼちゃのポタージュはリーエイ自慢の一品、クリームはチーズクリームをよく混ぜてハーブや塩味が少し足されている、リール特製の絶品クリームだ。
「六時半だね、ユーイオを起こしてくるよ」
「それはわたしがするのでリーエイはお鍋を見ててください」
 シルフィが起きた。起きた、というよりはスリープモードを解除した、といった方が正しい。シルフィは二階に上がり、教わってもいないのにユーイオの部屋に辿り着き、扉を三回ノックした。
「ユーイオ、朝ですよ」
 返事はない。仕方ないので部屋に入る。
「ユーイオ、ユーイオ」
 繰り返し名前を呼ぶと「うーん……」と、布団の塊から小さな声が聞こえた。
「ユーイオ、リーエイのポタージュがもうすぐ出来ますよ」
「ポタージュ……?」
 リーエイのポタージュ、それを聞いてユーイオはのそのそと起き上がった。食事を必要としない体とはいえ、そこまでの反応を示されると逆にどんな味か気になる。
「六時半ですし、ポタージュも出来ますし……そろそろ起きませんか?」
「うん……起きるから先降りてて」
「はい」
 琥珀色の目を擦り、ブルーブラックの薄いカーテン越しに見る景色は変わらない。良かった、夢だ。久しぶりに見た夢の光景はあまりにも悲惨で、ああ、あれは予知夢なのだろうと確信できた。
「おはようユーイオ、俺のかぼちゃポタージュがあるの聞いて起きたんだって?」
 朝イチでこの父親は人の心をある程度不愉快にさせることが得意らしい。
「ああそうだな」
 それだけ言って僕はいつものように洗面所に向かう。歯を丁寧に磨いて、顔を洗う。真水で顔を洗うだけで、意識ははっきりと醒めていく。
「「「いただきます」」」
 食事中、シルフィは一人でリーエイの書斎に入ってこの街について改めて知識を入れている。リーエイの書斎にある本は全てリールが図書館で傷んで使えなくなった、貸せなくなったものをリーエイに内緒で譲ったものだ。
「リール、フランスパンにこのクリームつけるとめちゃくちゃ美味しいな」
「ああ、また作る」
「俺のポタージュは!?」
「はいはいいつも通りですー」
 こう、賑やかに会話をして食事をして、家族で居られる時間を体感して、やはりあの予知夢で見た未来だけは回避しなければいけないと感じた。
「ユーイオ、なんか夢見た?」
「え」
 ポタージュを飲んでいると、リーエイがいつものふざけるような調子で言った。僕は思わず口に入れようとしていたスプーンの動きを止めた。
「いや、なんか顔色良くないからさ」
「……実は」
 僕は話した。見た予知夢では、街全体が焼けていて、そこら中で人々の悲鳴が聞こえて来るような地獄の光景だった。リーエイもリールもいない、シルフィもわからないまま僕だけが街だった場所に立っているのは、きっとそれが夢だから。燃え盛る街の中を探し回って見つけた三人は皆死んでいて、リーエイは首に提げていたネックレスが引きちぎられていたし、リールも頭を割られていた。シルフィは自己修復ができないように首を斬られていた。「輪廻サムサラ」を使っても治らない。きっと、彼らの脳や修復機能そのものが消されてしまったのだ。はじめから無かったことにされては、この「輪廻」も効かない。巡らせるものがなければ巡るものも巡らない。当たり前のことだ。
「……どうすればいいかな。多分、バラバラになるのはやっぱりやめた方がいいんだろうけど」
「うーん……あ、ユーイオさ。俺に「輪廻」使ってみてよ」
「「は?」」
 リールとユーイオは息ぴったりの反応をした。すっかり家族である。
「死後の世界が仮にあるとしたら、そっちに逃げたらいいじゃんって思って」
「……ああ」
「それで一旦試しに行くってこと?」
「そ!」
 リーエイは頷く。
「それなら俺が行こうか。お前は代償で行けねぇだろ」
 リールが言う。なんだかんだで二人はやはり仲が良いのである。
「えぇっ、でもリールが危ないよ?」
「俺はこいつに既に一回記憶にだけだが「輪廻」を使われてる」
「えっユーイオそんなことしたの」
 リーエイは驚いて僕の方を見る。僕は気まずげにうん、と小さく頷く。顔は見れないが、リールに睨まれているような気がした。
「じ、じゃあリールに使うね……いいんだよね?」
「ああ、それはせめて異能に対して使う時に見せてほしかった態度だな」
「それはごめん──「輪廻サムサラ」」
 ユーイオが異能を使うとリールの体はぐらりと倒れた。腕はだらりと脱力し、首もがくりと項垂れている。五分経ったら起こす。その約束で異能を使った。その間に僕とリーエイは朝食を済ませる。リーエイが少しだけリールのポタージュを盗み食いした。
「五分経ったよ」
「「輪廻」」
 命の扱いにはもう慣れていた。無作為に掬いあげた砂粒たちの中から一際綺麗な砂粒を見つけ出すように、僕はリールの魂だけを掬いあげる。
「………ユーイオ」
「うん」
 力なく倒れていたリールの身体は動き出し、その目は僕をしっかりと捉えている。
「死後の世界は一応あるぞ」
「おぉ」
「日本、でいう地獄や閻魔大王なんてのは見なかったな」
 リーエイはそれを聞いて少しがっかりしているようだった。
「閻魔がいたら少し喧嘩を売ってみたかったんだけどな」
「やめとけ」
 リールは五分間で見聞きしたことを全て教えてくれた。
「閻魔はいない、地獄も天国もない。ただの来世への順番待ちスペースだ。病院の待合室のようなものだ。家や店、トイレや風呂など一応本来の生活様式とほぼ遜色ないような状態ではあったな。多分、来世に向けた生活の練習だ。全員幽霊だし力もない。犯罪はまぁ起きないな」
 リールが語る死後の世界は興味深かった。
「力がないってことは異能は使えないってこと?」
「……いや、それなら今頃俺がこうやって死後の世界について話すのは無理だろうな」
「なんで?」
「死後の世界の看板には「他言無用、見たことは話さないで」とか「生者に希望を与えることは言わないこと」とか、割と死にかけてこっちに戻ってくる奴が多いことを悟らせてくるようなことが書かれていたし」
「……それ言って大丈夫なやつなの? リール」
 リーエイがやや不安げに訊く。リールは頷く。
「暫くそこにいてもいいか訊いたら特に問題ないらしい」
 案外、死後の世界というのは自由そうだ。それに異能が効くのなら、僕の異能で現実と死後の世界を行き来できる。
「……用意はできてるってことでいいよね?」
「ああ」
「ありがとう、四人でそっちに逃げよう」
「ひとつ心配なのは体をこっちに置いていくことだがな」
 リールがぼそっと言った。それを聞き逃さなかったリーエイとユーイオは「あ」と言って固まった。
「みなさん」
 シルフィが書斎からいくつか本を持って出てきた。その本はどれも分厚い。
「シルフィ。なにか面白そうなものはあったかい?」
「はい。実は会話を聞いていたのですが……これなんてどうでしょう」
「……『魔法は実在するのか』。懐かしいな、宗教学者が書いた本だった気がするよ」
 リールが言った。
「どんな内容?」
「たしか魔女狩りをテーマに「本当に魔法を使える人間がいたならペストは流行らなかっただろう」みたいなことが書かれてるんじゃなかったっけ?」
 リーエイが言うと、リールはそうだと頷く。
「異能を使える身だけど、僕も魔法っていうのはないと思う」
 うんうんと三人は頷いた。
「……で、それがどうしたの?」
 リーエイがシルフィに訊く。何が面白そうだと思ったのかを知りたいらしい。
「この別の本には魔法や何かしらの特殊能力を使える人間は一定数存在する、と書かれているのにどうしてこのような主張の本まであるのかが気になりまして」
「あぁ、別に人間は表現に縛りなんてものはほとんどないからね」
「そうですか……」
 人間に造られ、命令通りに動かされる以外に行動しない──動けない機械という存在のシルフィには、その自由があまりよくわからなかった。
「取り敢えず、この「幻楼ミラージュ」の杖と俺の異能を掛け合わせて体が見えないようにしておこう」
「「隠密ノワールキャシール」とはどう違うのさ?」
 ユーイオが訊く。
幻楼こっちはその場の水蒸気量とか気温を調節できる上にそれをキープ出来るんだよ。隠密あっちは相手に自分の姿そのものを認識できなくなるようにするから、効果時間の長さがまるで違うんだよね」
「へぇ……でもそれってアイツが気圧とか気温とか、そういうのに詳しかったら終わりだよね」
 ユーイオが言うと、シルフィが「ご安心を」とだけ言った。つまりそういう事なのだろう。
「じゃあ使ってユーイオのアレでに行けば大丈夫か」
 リールが言う。三人は頷いて、書斎に入り、さらに隠し扉の先にある武器庫に行く。
「どうしてこんな所まで?」
「書斎とここは俺の力を常に纏ってるからね。消そうとしても無理なんだよ。それにここの二部屋だけは、増築したものでね。その時に「並行世界選択シュレディンガー」の異能を持つヒトに造ってもらったから、アイツが「消滅バニッシュ」を何回使ってもこの部屋は勝手に存在する選択肢を選び続けることで消えないようになるんだよ」
 シルフィの質問に、リーエイは丁寧に答える。ちなみに書斎と武器庫は鍵付きでその異能システムが働いているというのだから、かなり守りは強固だ。
「それにアイツは「並行世界選択シュレディンガー」のヒトに会ったことがないと思うから学習も何もしてないでしょ?」
 リーエイがシルフィに訊くと、シルフィは静かに頷いた。
「主様は学習していないことは何も理解出来ませんので……現にわたしも初めてそのような異能があったことを知りましたし」
「機械も万能じゃないんだな」
 ユーイオが小声で言うと、シルフィは困ったように微笑んだ。
「わたしは機械。ですが、主様に拾われるまでは誰の命令も下されず情報も与えられず放浪していた身ですから。主様以外のことについてはそこまで詳しくないんです」
「そっか」
「さ、準備はいいかい?」
 リーエイが訊く。その前にユーイオは確認したいことがあった。
「リーエイ」
「ん?」
「「輪廻サムサラ」」
「「「!?」」」
 突然ユーイオがリーエイに何の許可もなく異能を使った。リーエイの身体はどさりと倒れる。リールはユーイオの肩を掴んで「何してるんだ」と怒って、シルフィはリーエイの様子を見る。
「いや、さっきリールがリーエイに「お前は代償で行けない」みたいなこと言ってたから、本当にそうなのかなって思って……」
「…………いきなり異能を使うな。特にお前のそれはな」
「………ごめん」
 だが、リーエイはユーイオがもう一度「輪廻」を使う前にがばっと起き上がった。
「やっぱり駄目だったから、俺は「時間詐称タイムラグ」で出来るだけ街中の時間を停めつつ皆の身体と家を守っておくよ」
「そっか、代償って一番強いルールだからやっぱりダメなんだ」
 リーエイは最初からユーイオが何をしたかったのかわかっていたように頷く。
「………お前この家地下室なかったか? たしかこの辺りに……ほら」
 ごん、と武器庫の床の一部をリールが殴ると、いきなり階段が現れた。
「わぁ本当だ」
「お前がシューレに造らせたんだろ」
「そうだった」
 えへ、とリーエイはぶりっ子のようなポーズをとる。
「やっぱりこっちに行こうか」
 リーエイの様子からして何年も使われていないだろう地下室は、思ったよりも広く、そして思ったよりも綺麗だった。ここも「並行世界選択シュレディンガー」と「時間詐称タイムラグ」が働いているのだろう。
「ユーイオ、始めていいよ」
「………わかった」
 自身を含めたヒト三人に異能を同時に使うのは初めてで、少し緊張する。二人は目を瞑って静かにあちら側へ行くのを待っている。
「リーエイは……大丈夫だよね」
「うん。俺は一応ユーイオたちが眠ったら武器庫に戻るよ」
「……わかった。──「輪廻サムサラ」」
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