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34.ヘレンの恋
しおりを挟む久しぶりの楽しい食事をしていると、突如見知った顔の人物がテーブルへとやってきた。
「嬢ちゃん、久しぶりだな」
「……こんにちは、マスター。お久しぶりです」
「今日はテオ坊と一緒じゃねぇんだな」
声をかけてかけてきたのこの店のマスターで、相変わらず厳つい表情を綻ばせながら声をかけてくる。
テーブルに置かれた甘味に夢中だったヘレンは目を瞬かせ、私とマスターの間で視線を彷徨わせた。
「…………そう、ですね。今日は幼馴染と一緒で……」
そう言いながらヘレンへと顔を向けると、彼女はなぜか口をあんぐりと開け、呆然とマスターを見遣っていた。不思議に思いながらも私はヘレンに視線を送り続けた。
(どうしちゃったのかしら……)
マスターも怪訝な面持ちでヘレンを見つめている。よく分からない沈黙が跨り、私が慌ててそれを破ろうとしたその瞬間。
「は、初めまして。私、ヘレンって言います……」
「ああ、お嬢ちゃんもよく店に来てくれているよな。たまに顔を見るから知っていたよ」
「そ、そうなんですか! 嬉しいです」
ヘレンの声色はいつもに比べてワントーン高く、語尾が甘く伸びているような気がした。注視してみれば、若干頬や耳が紅潮しており直ぐに思い至った。
(…………わぁ、ヘレンってこういう人がタイプなのね……)
マスターはヘレンに比べてかなり歳が上のように見える。おそらく20近くは離れているだろう。少し悪そうな風貌な渋さを醸し出しているのだが、どうやらヘレンのお眼鏡に叶ったようで。
「マスターって呼ばれていらっしゃいましたが、このお店の責任者の方なんですか!?」
「あ、ああそうだが……」
「一度もお見かけしたことが無かったんですが、接客は担当されていない? もしかして基本は厨房を担っているんでしょうか?」
ヘレンはマスターを質問攻めにしており、身を乗り出して興味津々なのが伝わってくる。対してマスターはというと、ハキハキとした若い女の詰め寄りにたじたじなのが見てとれた。置いてけぼりになってしまった私は口元を緩ませてその光景を見守る。
けれど、しばらくしてマスターの限界が近そうに感じたので割って入ることにした。
「そこまでよ、ヘレン。マスターが引いてるわ」
「……っ、あっ! ご、ごめんなさい……私っ」
「お、俺は気にしてねぇけど……っ、おっとすまねぇ。そろそろ戻らねぇと厨房が大変なことになっちまうから、もう行くわ。またな」
マスターは逃げるようにして走り去っていった。その後ろ姿を眺めていたヘレンはうっとりとしたため息をつき、頬に手を当てていた。
「もしかしてヘレン、好きになったの?」
幼馴染の初めての変貌に驚く側面もあったが、何事もさっぱりしているヘレンは分かりやすい。彼女は私へと顔を向けるとこくりと首を縦に振った。
「…………うん。一目惚れって初めてよ…………」
「そ、そうなのね…………ヘレンってああいう人が好みだったのね。初めて知ったわ……」
驚愕の事実を知ってしまった私は、食事を終えても店内から出ようともしないヘレンの腕を無理矢理引いて外に出た。
お昼時で人の入れ替わりの激しい中でずっと居座るのは迷惑だと伝えれば渋々席を立ってくれたのだが、もしそれを伝えなければどのくらいの間あの場に居座り続けたのか考えるだけでも頭が痛くなる。
外に出ると、今度は私が質問攻めにあった。内容は勿論マスターについてで。
正直私も彼について知っていることは少なく、「本人に直接尋ねた方がいいんじゃないかしら」と告げればやる気を出したようだった。
そんなヘレンの様子を見て、私はどこか懐かしく思った。
(私も前のときはこんなふうに恋に一生懸命だったのよね……パーティーのみんなに相談したりして)
頬を赤らめて幸せそうな表情をするヘレンはとても輝いて見えた。
(羨ましい……)
幸せとは言い難い状況に置かれた私とは正反対で。まるで私とヘレンの間に何かとてつもない壁のようなもので分たれているかのように思う。
黄昏ていれば、ヘレンは突如思いがけないことを呟いた。
「マスターはタヴェーノ商会で長年働いていたのよね」
「そ、そうだけど…………それがどうしたの」
先程ヘレンにマスターについて詰め寄られた際に、テオドルスから聞いたタヴェーノ商会の話も伝えていた。
私は頭を傾けながらヘレンに尋ねる。すると当の彼女は口元に弧を浮かべ、何かを企むような面持ちで呟いた。
「行きましょう、タヴェーノ商会に! あそこからマスターのことよく知ってる人がたくさんいるかも知れないし!」
「えっ、いきなり!?」
「当たり前でしょ? 恋は押せ押せが私のモットーなのよ。それに勢いが一番大事なんだから!」
私の答えを聞く前に、ヘレンはずいずいと突き進んでいく。私は焦りながらも彼女についていく。
(……だ、大丈夫かしら……確かタヴェーノ商会はいくつも店舗を持ってる大商会って聞いてるけれど。とりあえず、暴走中のヘレンを見張るためにもついていく必要はありそうね)
ヘレンを見失わないように勇み足で道を突き進みながら私はそう思った。
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