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25.元カレ
しおりを挟むチューリップの花束を貰った数日後、私はドラマ撮影の現場へと来ていた。
最近はメディアに顔出しするようになったおかげで少しずつ顔を覚えられてきており、共演者の方にも話しかけて頂くことが増えていた。
とは言っても映画の撮影に参加すことは数年ぶり。しかも今回は主演への抜擢である。プレッシャーは尋常ではなく、現場に来る前から心臓は早鐘を打っていた。
けれども同時に楽しみでもあった。
母のような偉大な役者たちが活躍する場所。私もそこに足を一本踏み入れることとなったという事実に高揚していた。
「意外と平気そうですね、こはる様」
「はい、緊張はしてるけど……それ以上に楽しみで……というか、内山さん。こはる様はやめてください! なんだか居た堪れないです」
「そう、ですね。現場でマネージャーが様付けだなんて側から見ればおかしいと思われてしまいますね。申し訳ない、直します」
内山さんはわざわざ頭を下げてきたので余計に恐縮してしまった。彼は見た目に反してとても真摯な男で、私も自然と頼ってしまうところがあった。
そんな中、私たちは現場への扉を開ける。まだ打ち合わせには誰も来ていない様子で、どうやら一番乗りのようだった。
ふぅと小さく息をつき、持ってきていたペットボトルの水を口に含んでいると扉が開く気配がした。
自然と背筋が伸び、そちらへ視線を向ける。するとーー。
「……あ」
そこにはひさしぶりに直接みる顔ーー遠藤朝陽がマネージャーと共にいた。こちらに気づいた遠藤は目を大きく開け、スタスタとこちらへ足を向ける。その様子にたじろいでいる私に不意に話しかけてきた。
「久しぶり。元気にしてた?」
「……あ、うん。元気だよ。…………遠藤くんはどう?」
「俺もまあこんな感じかな。……ほんと、久しぶりだな……」
どこか懐かしむような双眸に笑いかけた。
「……最初、遠藤くんも出演するって聞いたときは本当に驚いたよ。まさかって」
「俺も! こんな偶然あるんだってびびった。……花宮はまだ劇団に?」
「うん。事務所に所属しつつ、劇団も時間が許す限り参加してもいいって」
遠藤は「そっか」と短く言い切り、遠い眼差しをした。
彼の退団は彼自身の意思ではなかった。所属する事務所が彼をスカウトした際、『劇団を退団しすること』という条件出したのだ。芸能界に進出するというのが昔からの夢であった遠藤は惜しみながらも辞めることとなった。
「また時間があれば観に来て……って遠藤くん忙しいから難しいか」
「それは花宮も同じだろう? ルナトーンの広告から一気にテレビで観るようになったよな。びっくりした」
私は苦笑いをこぼす。
それもこれも夫である玲二のおかげではあったが、迂闊に口に出すことは憚られる。どこで誰が聞いているかわからないから、変な憶測でも経てば面倒なことになると玲二に言いくるめられているからだ。
「……これからよろしくね、遠藤くん。いっぱい勉強させてもらうね」
「ああ! こちらこそ、よろしく。芸能界の先輩として、いいところ見せなきゃな!」
そういって爽やかに微笑む。雑誌で見るような笑顔と変わりない姿は表裏のなさを伺わせ、彼はずっと変わらないんだと安心した。
ほっと一息ついていると、ぞくぞくと今回の映画に出演するキャスト陣が入室してきて。私はそれぞれに挨拶をしていたのだだがーー。
「…………っ」
ふと扉に視線を向けた私は息を呑んだ。
見覚えのある人物が視界に映ったからだ。彼女はたった今ここへ来たばかりのようで、周りのスタッフや共演者たちに「おはよう、よろしく」と挨拶をしていた。
その姿を見ながら、自然と口からぽつりと溢れる。
「…………お母さん」
そう。
この映画には母親である花宮いつきが出演する予定だった。
私が主演に抜擢された大きな理由の一つに花宮親子の共演というのがあった。だからこの映画の制作自体、私と母を共演させるために作られたと言っても過言ではないのだ。
私の視線を感じたのか、母の双眸がこちらを向く。ひさしぶりにあった彼女は以前と変わりなく、むしろ時を経るにつれて益々美しくなっているような気がした。
スター性なのか、その場にいるだけで場が華やぐというのは母のために作られた言葉のようで。
気後れした私はうまく声を出すことができず、母は私の方へと足を向ける。
そして眼前に立つと顔を綻ばせ、ゆっくり話し出した。
「久しぶりね、こはるちゃん。一人暮らしを始めてから全然会うタイミングがなかったわね」
「お母さん……うん、メール送ったけど気づいた?」
「……えっ? 本当に? 全然見ていなかったわ……連絡は全てマネちゃん任せだから」
相変わらず天然な母は柔らかく微笑んでいた。普段はまるで大女優には見えないけれど、いざ演技をすれば別人のように変わるのだ。
「ふーん」
「こはるちゃん……色々あったと思うけど、何かあったら電話してね」
素っ気なくなってしまうのはどう対応していいか分からないからだった。この人は母ではあるが、仕事のせいで一緒にいた時間はそう多くない。
それを彼女自身も分かっているのか、常に一線引いたような、傷口に触れるような態度で。成長するに従って、母との接し方が分からなくなっていった。
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