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偽りの姫は神秘を目の当たりにする 4

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 細い光の向こうにあるのは、レイデーアが休息を取るための場所だった。
 小部屋で昼寝をするレイデーアをアーディレイがひっぱり出してくるのが、執務室でのお決まりのやり取りだった。
 灯りが描いた線の上を辿ろうとしたリリーシャのつま先を止めさせたのは、扉から漏れ聞こえた悲痛な声だった。

「私だって、私だって! 望んでこうなったわけじゃない!」

 レイデーアの声だった。いつも誰より眩しい笑みを浮かべている人の声だとは到底信じられないほどに、その声は涙に滲んでいた。嗚咽交じりに息を乱すレイデーアを宥めるように、アーディレイが何かを囁いている声が漏れ聞こえてくる。

 聞いてはいけない。
 そう思うのに、影を縫い止められでもしたかのようにリリーシャは動けなかった。

「私だって、兄上に生きていてほしかった! でも、そうはならなかった。兄上が死んだのは、私が兄上に注がれる分の愛情を奪ったせいではない……女神は、私などの意のままになる御方ではない!」
「わかっている。レイデーアは悪くない。女神の御意志は人に左右できるものではない。それがたとえ、レイデーアのような女神の愛し子であってもだ」
「そうだ。なら、どうしてカミラは私を責める!? 私を大好きだと言ってくれたカミラが、私を憎むようになった。兄上が死んで、私が生き残ったからだ。挙げ句の果てに、リーデンバーグの手下を王城に手引きした! わ、私を、殺させようとした……兄上を殺した奴らに手を貸したんだぞ!? 誓約書があるから自分では私を直接害せないと知っていて、そうしたんだ」

 レイデーアは心を噛み殺そうとして噛み殺しきれなかったかというように、うなり声ともつかない声を細く震わせた。

 リリーシャの頭の中で、断片的だった情報が組み合わされていく。
 先程執務室の方からやって来たルドンたちが引っ立てていた、貴族の娘。おそらく彼女がカミラで、レイデーアの兄の婚約者か恋人だった娘なのだ。

 今日のお昼、レイデーアは上げられてきたばかりの報告書を読んで、いつもより長く昼休みを取ると言って小部屋に入った。その報告書はアーディレイのところで止められるものだったから、リリーシャは読んでいない。でも、そこに書かれていたのはたぶん……。

「さっき、カミラは兄上ではなく私が死ねばよかったと言ったぞ! そもそも、私があの大うつけの相手をしていれば戦も起こらなかったとも! ……誰より優しいカミラが、あんなことを言うなんて……あんなことを言わせるまで、追い詰めてしまっていただなんて」
「レイデーア。それが人だ。お前が人であるように、カミラもまた人だ。彼女の痛みを慮ることはできる。でも、カミラはその道を選ばないこともできた。でも、選んだんだ。その意思は、レイデーアとは全く関係ない」

 息を殺してじりじりと後ずさるリリーシャの耳に、引き攣れたように笑うレイデーアの声がきんと響いた。

「人か? 私は、人か!? ……笑わせるな。矢を射かけられても死なない、剣が心の臓を貫いても瞬時に息を吹き返す、それどころかこの身には傷ひとつさえ残らない! も、もしかすると、お前よりもうんと長生きして一生死ねないかもしれない、この私が!?」

 レイデーアはそう叫ぶと、痛々しい声を迸らせて泣き噎んだ。

 ――おまえの手は、私に親しみ以上には触れない。おまえの目は、私を気の毒がる。おまえの身体は、私より先に老いる。おまえの心は、私を置いていく。私はたったひとりきりで、永遠に……。

 それ以上聞いていられなくて、リリーシャは扉までにじり寄ると部屋を飛び出して、出来うる限りの静けさでそっと扉を押し込んだ。
 ほかの誰にもあんな悲痛な声を聞かせてはいけないと思った。だから、リリーシャは小さく震えながら扉を守っていた。

 そのまま、じっと扉に身体をおしつけてどれくらい時間が経っただろう。
 ようやくのことで震えが収まってきた頃、リリーシャは不思議そうに名前を呼ばれてびくりと振り向いた。
 リリーシャを迎えに来てくれたマノアは、青ざめた秘書官見習いの顔にまあと瞬いた。
 マノアは「リリーシャ様はすぐに顔色に出ますね」と言いながら具合を心配してくれたが、熱もなさそうだとわかると、すみやかに自室まで送り届けてくれた。もうこの頃にはリリーシャは一人でお湯を使うようになっていたし、着替えも一人で済ませられるようになっていたけれど、マノアはリリーシャがきちんと食事を取って寝台に横たわるまで目を離してはくれなかった。


 翌日、リリーシャは休みだった。
 昼過ぎになって扉が叩かれて、マノアにレイデーアが呼んでいると告げられる。もう何の予定も入っていなかったので、本を読んでいたリリーシャは簡単に身嗜みを整えるとマノアの後に続いた。意図的にしたことではなかったとはいえ、昨日立ち聞きしてしまったことへの後ろめたさを抱きながら。

「執務室ではないのですか?」
「はい。今日は殿下も休暇をお取りになりました」

 気配で、リリーシャがレイデーアの体調を案じたことがわかったのだろう。マノアはつと立ち止まると、違いますと首を振った。

 マノアの先導でレイデーアの私室を訪ねたリリーシャは、寝室に通される。
 リリーシャがおずおずと寝台の傍に置かれた椅子に腰かけると、扉が閉められた。ややあって、閉ざされていた天蓋の隙間からするりと白い手が伸ばされて、無造作に押し開く。
 そうして現れたのは、ふかふかの上掛けに包まって、顔の上半分だけを覗かせているレイデーアの姿だった。そんな状態であっても尚、レイデーアの輝きは失われていない。

「殿下、御加減がわるくていらっしゃるのですか?」
「いや、むしろ気分はすこぶるよい。
 ……聞いたぞ、私の用意した男どもを振ったそうだな。可哀相に、ルドンなんか特に落ち込んでいたぞ」

 レイデーアのじっとりとした視線を受けて、リリーシャはああ……と声を漏らした。そういえば、結局レイデーアには報告しそびれていたのだった。

「聞いたところによると、好きな人がいると言ったらしいな。男どもは誰がリリーシャを射止めたのか突き止めるために、わざわざ五人で集まりを開いたそうだぞ。だが、どうもリリーシャの好きな人は自分たちの誰でもないという答えに至ったと報告してきた」

 リリーシャは、つい苦笑してしまった。
 ほんとうはもっと早くお伝えするはずだったのですと囁いて。

「うん。私は、リリーシャから聞きたかった。ほかならないお前のことだもの」

 つと差し伸べられた白い手に頬を撫でられて、リリーシャはくすくすと笑った。

「お忙しくしていらっしゃったくせに。本当は、お目覚めになったら一番に報告しようと思っていました」

 この頃のリリーシャには、いっそ無防備なほどに示されるレイデーアの親愛に対して軽口を叩けるくらいのゆとりがあった。

「義兄との約束は、私の縁談を世話するものでしたよね。殿下は約束を守って、殿方を集めてくださいました。
 でも、私には欲しい方がいるのです。お願いしたら、お許しくださいますか?」
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