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父の思惑とアリアナの気持ち

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「神の森……ですか?」
「そう。私たちの領地にある森は、『神の森』として崇められているのは知っているな」

 アリアナは小さく首を縦に振る。

「私たちの世界では、ナディーン神を崇めているけれども、実はそれは関係ない」
「……え?」

 その事実に、アリアナは頭を殴られたような衝撃を受ける。それならば自分の存在はいったい。アリアナの疑問が顔に出ていたのか、バジリオとジュディが悲しげに微笑む。

「……アリアナが私たちの元に帰ってきてくれた理由はわからない。けれども、君が私達の娘にはかわりないよ」
「ですが……」

 何か言いたげなアリアナの前に一枚の地図が差し出される。グラティッド領を中心に、王都周辺までが描かれた地図だった。

「神の森とは、ノンヴェール王国に必要な水源を総称したものだ」

 地図上のグラティッド領を支配する森を中心に、細い管が四方八方へと伸びていた。森から扇状に伸びている管が地下水資源だ。バジリオが地図を指さしながら説明する。

 冬に雪が降り、山に積もる。それがじわじわと地下に染み込み、水源を作る。森の恵みを受けた雪解け水は地中を通り、国中に地下水として届けられる。水は生命に直結する。飲水、生活用水、農業、工業……様々なものに利用される。グラティッド領は国の中心付近にありつつも珍しい地形を有していた。国の中心部にある水源のため、他国からの侵略はほぼ無い。ノンヴェール王国が、豊かで疫病の流行りが他国よりも少ないのは、ここに理由があった。

 地図をじっと見つめながら、アリアナは概要を理解した。けれども、バジリオの伝えたいことはこれだけでは無かったようだ。

「このことを知っているのは、私たちと王族の直系のみ。つまり、国王夫妻と殿下達……」

 殿下、という言葉にアリアナの手が小さく震えた。バジリオはそれを見逃さなかった。罪人でも見つめるかのような視線をアリアナに送ってくる。

「ルドルフ殿下と親しいと噂に聞いた」

 抑揚のない声でバジリオがアリアナに詰め寄った。震えの収まらない手を、アリアナは握りしめる。答えようにも、バジリオの空気にアリアナは圧倒されてしまった。

 (これが森を守る責務を負った人物)

 頬にたらりと汗が流れる。震えが全身に周り、アリアナを苦しめた。

「……は、い」

 やっとの思いで絞り出した声に、バジリオが大きなため息をついた。

「そうか……」

 バジリオが目頭を押さえ、眉間に皺を寄せる。政治に詳しくないアリアナでも、理解出来た。アリアナとルドルフが親密な仲になることは、政治的に芳しくない。生きとし生けるもの全てにおいて水は重要な役割を持っている。それを王族のひとりが握るということは、政治的に利用されてもおかしくない。もし、ルドルフが手中に収め、悪用したとしたら……。簡単な事だ。地下水を使用するにあたって、王都に有利なように整備してしまえば誰も手出しは出来なくなる。
 
 水を利用するために、税金を上げる。
 満足な生活用水が使用出来ない。
 生活に支障が出る。
 生産活動の低下、疫病の罹患率上昇。

 アリアナが考えつくだけで、様々な弊害が出現していた。

「王族が不可侵とはいえ、私達も貴族だ。いざとなったら、出来ることは少ない。私達は危うい均衡の上に成り立っているんだ」
「……おとうさま」
「……それに、ルドルフ殿下は側妃の御子だ。アリアナを利用し、国の実権を手に入れたいと思っているのかもしれない。親として、グラティッド領を護るものとして、アリアナの交際は認められない」

 バジリオの決定的なに、アリアナは言葉と顔色を無くした。人は大きなショックを受けると、震えすら収まるらしい。
 アリアナは一人、時間の狭間に置いていかれたように、身動き一つ出来なかった。

「……ルドルフ殿下は、時々我が領土に王族代表として視察に来ていた。傾斜角度や水源などを確認し熱心に森の中を見て回っていた」

 苦虫を噛み潰したように、バジリオ続ける。

「……私はその時は、熱心に見てくれてありがたいとしか思っていなかった。アリアナと親しいと聞くまでは。これ以上近づくのは危険だ」

 バジリオの目には、ルドルフへの疑いがありありと浮かんでいた。

 ルドルフが熱心に見ていたことなど知っている。アリアナは心の中で呟く。鳥として生きていた時、何度も見ていた光景だった。誰よりも森に詳しく、誰よりも一番に行動していたルドルフをアリアナはずっと見ていた。

(いやだ、わたし、どれだけルドルフの事が好きなの)

 反対されて気がつくなど、滑稽すぎる。固まった時間が動き出したとき、アリアナの瞳から涙が一筋流れた。それを見たアリアナ以外の誰もが息を呑んだ。
 
「アリアナっ!」

 がたん!と椅子の倒れる音が聞こえたと思ったら、アリアナは豊かな胸に包まれていた。母であるジュディに抱きしめられていた。

「可哀想に。お父様ったら勘ぐりすぎなのよ。辛いわよね……」
「ジュディ! 私は!」
「バジリオ。あなたの言っていることは正しいわ。でも、この子はまだ『アリアナ』として短い時間しか生きていないのよ。そんな威圧的にものを話して! ああ怖いったらありゃしない!」

 ぎゅむぎゅむと豊かな胸を押し付けられ、アリアナは別の意味で苦しさを覚えた。酸素の取り込み量が減るほど圧迫され、アリアナはジュディの腕を力なく叩く。あら、とジュディが言って気がつくまで、時間を要した。

「ぶはっ」

 酸素を求めて激しく肩を上下するアリアナが落ち着くのを待って、ジュディが口を開く。

「アリアナ。私達は、貴族よ」
「……はい。お母様」
「責任があるわ」
「はい」
「こうなった以上、貴女をお城に置いておくわけにもいかないの」
「……はい。お母様」
「侍女は辞めてもらうわ」
「……はい」

 両親は完全にルドルフとの接点を断たせるようだ。もうルドルフに会えない。そう思うと涙がじわりと浮かぶ。零さないように、アリアナは目に力を込める。
 けれども、得体の知れない『湯元麻衣』という存在を受け入れ、愛情を注いでくれた両親を大切しなければならない。それが、これからアリアナとして生きていくために必要なことだ。頭では理解していても、心が追いつかない。アリアナの涙がそれを物語っていた。

「だから、きちんとお別れしてきなさい」
「ジュディ?!」

 今度はバジリオが立ち上がり、椅子を倒した。アリアナは、瞬きを大きく瞬かせながらジュディと向き合う。

「お別れ……」
「そうよ。次に進むためにね」
「……はい」

 月がてっぺんに昇ったら、会いに行くよ。その約束が果たされることは、もう無い。
 次に会うのが最後だ。

 アリアナはそっと瞳を閉じる。そして、『湯元麻衣』としての恋心にもそっと蓋をした。
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