天使な狼、悪魔な羊

駿馬

文字の大きさ
上 下
182 / 258
第18章 隆盛の大国

14.恋するクルミの木

しおりを挟む
■■■前書き■■■
web拍手、コメントをありがとうございます。頂いた応援は更新の励みになっております。
今回はディスコーニ視点です。

■■■■■■■■■



「ヒマだな」
「そうですね」

シェニカと妃殿下が噴水前のベンチでお喋りをして、1時間くらい経っただろうか。
朝特有の爽やかで涼しい空気から、あたたかくて眩しい日差しが降ってくる頃合いに変化してきても、2人のお喋りは続いている。
ただ見守るだけの状態に飽きた殿下は、もう10回目になる「ヒマだな」の発言をすると大きなアクビをした。『赤い悪魔』といえば、目を閉じて足を組んだ姿のままで、まったく口を開かないが、やはりヒマらしく時折大きなため息を吐く。
少し離れた場所に控えるファズや、夫妻の護衛の兵士も時間を持て余していると思うが、流石にアクビや溜息を吐かない。

シェニカと妃殿下以外でこの時間を堪能しているのは、シェニカの普段の姿を見れて幸せな自分と、2人に撫でてもらっている2匹の老猫くらいのようだ。


「シェニカって苦手な動物あるの?」

「トカゲとかは大丈夫なんだけど、蛇が苦手なの。なんだか首を締められそうでちょっと怖くて」

「私も蛇は苦手。蛇って音もなく近付いてくるし、木の上から襲ってくる時もあるから、狩りの時は注意してないと大変なことになるもの」

「スァンの一番怖い動物って蛇?」

「うーん。一番怖かったのは、狩りの拠点で出会っちゃった鬼熊かなぁ」

「ウィニストラに鬼熊がいるの?」

「うん、ウィニストラとキルレをまたぐ山にいるの。
鬼熊って今は生息地が限られているけど、昔は寒すぎない地方なら世界中のどの山にも住んでいたんだって。食糧不足になったり縄張りを人や別の鬼熊に取られたりすると、山を降りて、新しい住処を求めてあちこち移動するらしいよ。
私が見た鬼熊もそういう移動中だったみたいで、何もしないまま突っ立ていたら、私には興味なかったみたいでどこかに行っちゃったの。
初めて見た鬼熊はすごく身体が大っきくて強そうで、光を反射する角がシャキーン!って鋭くて。山の王者って感じで怖かったんだけど、この話を殿下にしたら『鬼熊かっこいい!一度見てみたい!』ってワクワクしちゃうの」

「うんうん!鬼熊って、かっこよくて、可愛くて、強くて優しいんだよ」

「鬼熊を見たことあるの?」

「うん!お友達なの」

「ど、どういうこと?」

妃殿下がシェニカの顔をマジマジと見つめた時、子供の大きな声がこちらに近付いてきた。


「母さま~!ヒマ、ヒマ、ヒマ~!」

「こら、アビシニオン!」

ベンチから立ち上がった殿下は、妃殿下に真っ直ぐ駆けてくる王子の行く手に立ちふさがると、スピードを落とさないまま突進してきた王子を受け止め、片手で抱き上げた。
殿下は愛おしそうに王子の黒い頭を撫でると、妃殿下と同じオレンジの目をじっと見つめた。


「部屋で大人しくしてろって言っただろ?」

「だって母さま全然帰ってこないじゃん。一緒に弓矢の練習するって言ったのに!」

「ごめんね。母さまにお友達が出来て、おしゃべりに夢中になっちゃった。ごめんね」

妃殿下とシェニカは膝の上の猫をベンチにおろし、王子を抱く殿下に歩いてきた。
ふくれっ面の王子は、妃殿下と一緒に居るシェニカを邪魔者と認識したのか鋭く睨むと、妃殿下は微笑むシェニカに「ごめんね」と小さく謝った。


「トモダチ?トモダチって何?」

今はアビシニオン王子が未成年で、陛下の子が殿下1人しかいないから、例外的に宰相様が殿下に次いで2番目になっているが、ウィニストラの王位継承順位は正妃が生んだ子の年齢順に与えられ、側室が生んだ子は正妃の生んだ末子の次にしかならないのが原則だ。

宰相様はアビシニオン王子が成人したら継承権を放棄すると公言しているため、妃殿下が第二子を懐妊されていない間に側室が殿下の寵愛を奪い、事実上殿下に次ぐ王位継承権を持つ王子を『わんぱく過ぎて不幸な事故で死去』にしようと考える貴族たちがいる。
そんな事態が起きないようにするため、アビシニオン王子には遊びの相手をする護衛の兵士はいても、同じ年頃の子供は周囲にいない。

一緒に遊ぶ子供が居ないのは情操教育に悪いからと、殿下や妃殿下と一緒に地方視察に行った時に、殿下が興じる釣り大会の隅で同じ年頃の平民の子供と遊んでいる。しかし妃殿下がシェニカの後見を得た今、もう王子の身の安全が脅かされることはなくなるから、貴族の子供たちとも遊ぶ機会が出てくるだろう。

ただ、殿下に似たのか部屋でジッとしているのが嫌いな王子は、護衛の兵士と一緒に中庭でボール遊びをしたり、鬼ごっこをしたり、かけっこをしたりと1年中日焼けするほど遊び回っている。そんな民衆の子に近い王子が、上流階級としての所作などを叩き込まれた子供と合うのか謎だ。


「友達っていうのはね、一緒に楽しい時間を過ごせる人のことよ。シェニカ、この子が私と殿下の息子アビシニオンよ」

「はじめまして、シェニカ・ヒジェイトです」

「ふん!」

「こら!挨拶はちゃんとしろ!」

殿下が抱えたままの王子の額にデコピンをすると、王子は額を擦りながら口を尖らせそっぽを向いた。


「いつも練習してるでしょ。ほら頑張って」

見かねた妃殿下が声を掛けると、王子は殿下の腕からゆっくりと降り、妃殿下の足元にくっついてシェニカの方を向いた。


「あっかんべ~~っだ!」

真面目に挨拶するかと思ったら、両手で両目をひっぱって舌を出す見事なあっかんべーをすると、中庭の奥からこちらに向かってきていた陛下の方へと逃げ出した。
王子は陛下の隣を通り過ぎようとしたが、殿下がジェスチャーで捕まえてとアピールすると、王子は陛下の連れる護衛に捕まえられた。


「もう!シェニカごめんね」
「あははは!すっごくおもしろい顔だったね。私も小さい頃に、男の子にあっかんべーされてたの思い出した。懐かしいなぁ」

楽しそうに笑っているシェニカに申し訳なさそうにする殿下と妃殿下は、陛下に手を引かれて戻ってくる王子を見て、肩を大きく落とすような溜息を同時に吐いた。


「まったくお前はどうしてそう素直じゃないんだ。もうすぐ4歳になるんだから、もうちょっとしっかりしろ」

殿下に抱き上げられた王子は、怒られることをしたことは分かっているらしく、殿下のシャツに顔を押し付けて黙ってしまった。


「アビシニオンが何かやらかしたのかな?」

「ちゃんとご挨拶が出来なかったんです」

妃殿下から報告を受けた陛下は、抱き上げた王子に困った顔をする殿下を見て小さな溜息を吐いた。


「小さい頃のファーナストラと同じだな。賓客にスカートめくりをしないだけ、アビシニオンの方がマシだ」

「ちょ、ちょっと!陛下、それは内緒にしてくれてもいいだろ」

「お前がイダニスの王女にやらかしたら、それは見事なビンタを食らって泣いてたな。そのあとの処理は大変だったんだぞ」

「スカートめくり……」
「ビンタ……」

シェニカと妃殿下が顔を見合わせると、困ったように笑いあった。
妃殿下の表情がいつもよりも明るく、シェニカと距離が近くなっていることに気付いた陛下は、穏やかな笑みを浮かべた。


「シェニカ殿とスァンは随分と親しくなったのかな?」

「はい!友達になって、カケラも交換したのです」

妃殿下がそう話すと、流石の陛下も驚いたようで目を少し大きく見開いたが、すぐに嬉しそうな顔になった。


「それは素晴らしいことだな。シェニカ殿、スァンは素直で優しくて気配りが出来て、ガサツで大雑把で年中狩りと漁のことしか考えていないファーナストラにはもったない女性でね。これからは純粋な友人としてどうか末永く付き合って欲しい」

「もちろんです。治療の依頼もお受けいたしますので、遠慮なく言って下さい」

シェニカの申し出に、陛下は微笑を浮かべたまま首を横に降った。


「シェニカ殿に治療を頼むとすれば、それは貴殿にしか解毒出来ない毒が使用された時のみと決めた。これからは、羽根を伸ばすような気持ちで気軽に立ち寄って欲しい。
さ、これがシェニカ殿の希望の品だ」

陛下は近くに控えた文官から膨れた革袋を受け取ると、シェニカに手渡した。


「ありがとうございます!早速見ても良いでしょうか?」

「もちろん。シェニカ殿は生息地でそれをリスたちにあげるのかな?」

「はい!ですが、火を通していないようなので、いくつかは育ててみようかと思います」

シェニカは早速袋から小さな薄桃色のクルミを1個取り出すと、嬉しそうな笑顔で色んな角度から眺め始めた。

すると、ユーリはクルミの匂いを嗅ぎ取ったのか、普段なら警戒する王太子殿下が近くにいるのにも関わらず、ポーチから出て軍服を伝い、自分の手のひらの上に乗ってシェニカの方をジッと見ている。


「かわいすぎだろっ!」
「小さいのが服着てる!」
「きゃぁ!スクワットしてる!」

ユーリが小さな両手を忙しなく擦り、身体を上下に揺らし始めると、彼を見ていたご夫妻と王子から興奮した言葉が出てきた。
警戒心が強いはずのユーリは、『恋するクルミ』を前にすると危険や敵のことなど忘れてしまうようで、殿下と妃殿下、アビシニオン王子が目をキラキラと輝かせて凝視しても、隠れることなくシェニカに向かって熱心におねだりしている。


「学者に育てさせても芽が出なかったが。シェニカ殿は、どうやって芽を出させてみるつもりかな?」

「試してみたいのですが、どこか植えてもいい場所はありますか?」

「どこでも構わんが……。その辺りはどうかな?」

「では、そこで試してみます。ユーリくんのために頑張るから、ちょっと待っててね」

陛下が指をさしたのは噴水から少し離れた芝生が植えられた場所で、昨晩シェフ達が使っていたテントの支柱を埋めたために、芝生が一部めくれて土が少し見えている場所だ。
彼女はユーリの頭を指先で撫でると、旅装束やローブが芝生に触れるのも構わず膝をつき、指で小さな穴を掘って、クルミを入れて土を被せた。そして、埋めた場所を挟むように地面に両手を当てて目を閉じ、聞き取れないほどの声で呪文の詠唱を終えたが、シェニカはそのままの状態で微動だに動かないし、何の変化も起きない。
見た目には何の変化もなく、そよそよと風が吹き抜ける時間が数分過ぎて、なんとも言えない空気が漂い始めたその時。


「芽、芽が出た…」
「こんな魔法があるの?」

目を開けたシェニカが右手のひらをゆっくりと地面から剥がすと、その手を追うように埋めた場所から黄緑色の若芽がニョキニョキと出てきた。
シェニカを囲むようにして状況を見守っていた陛下や王子を抱いたままの殿下、妃殿下。数歩離れた場所に控えるファズや文官、陛下やご夫妻の護衛の者達も、信じられない顔をして小さな声で呟き始めたが、彼女は気にすることなく膝をついたままだ。

発芽させる魔法があるなんて、聞いたことも見たこともなかった自分は声が出ないほど驚いたのだが、唯一『赤い悪魔』だけが表情を変えない。誰もが驚くような状況なのに、当然のように見ているということは、この光景を見たことがあるからなのだろうか。


「一体、どうなっているんだ?」
「何かの魔法……?」

周囲で小さな呟きが続く中、シェニカは左手で額に滲む汗を拭い、若芽を愛おしそうな表情で撫でた。そして若芽から手の平1つ分離れた地面に両手を当てると、再び目を閉じて意識を集中し始めた。

すると、一番上の葉や、ヒョロリとした茎の途中から濃い緑の小さな葉が生まれ、そこから新たな茎や葉が生えてくる。それらが手を広げるように枝分かれしながら、早送りしているようにぐんぐん伸びるのを、誰もが絶句して見つめている。
ふと、さっきまでヒョロリと頼りなさそうだった地面付近の茎を見れば、いつの間にか黄緑色から茶色に変化して、自分の人差し指くらいに太くなっていた。

先端の茎が上に横にと広がりながら徐々に太くなると、茶色に染まった茎の途中に小さく丸まった若葉の塊がたくさん生まれ、まばたきを1度した間に弾けるように大きくなって、僅か数秒で鮮やかな深緑色の葉を茂らせた。
そして、あちこちに伸びた茎が細い枝になると、膝をついたシェニカの頭を超える苗木に育った。

苗木が大きな何かを飲み込んだようにドクンと全体が波打つと、養分が行き渡るのか、幹も葉も枝も一回り大きくなる。心臓の動きのように何度も繰り返すその動きを見ていると、まるで苗木から人間が生まれてくるのではないかと錯覚してしまう。

そんな光景に絶句している内に、細かった苗木は生命力にあふれる若木に成長し、あっという間に立ち尽くす妃殿下の背を追い越してしまった。


「木になったぞ!」
「す、すごい」
「父さま、ぎゅって痛いよ」
「あ、ごめんごめん」

周囲から歓声が漏れ出しても、シェニカは成長を続ける若木の根元に手を当てて動かない。
目を閉じたまま動かないのは最初と変わらないのだが、魔力と集中力をかなり使っているのか、汗が顎を伝ってポタポタと落ちているし、苦しさを耐えるような表情をしている。
シェニカを心配している間にも、若木は空に向かって枝を伸ばし、幹と枝はどんどん太くなって、あっという間に全員の背を超え、茂らせたたくさんの葉で眩しい太陽を遮って影を作った。

そして若木が建物の2階を超えるくらいまで育った頃、成長は止まったが、葉の深緑色と枝の茶色の2色だったところに、小さな淡桃色の点のような蕾が加わり始めた。


「蕾が……」
「ど、どうなってるの?」

薄桃色の蕾が木の全体を覆うように広がると、小さかった蕾は存在を誇示するように膨らみ続け、やがてポンという小さく弾ける音があちこちで聞こえ始めた。
あっという間にマーガレットのような形の淡桃色の花が緑の葉っぱを覆い尽くせば、中庭に流れ続けるそよ風に気持ちよさそうに揺れた。


「は、花が咲いた!!!」
「こんなすぐに成長するなんて……」
「チチチッ!チチチッ!」

花の匂いを嗅いでいるのか、手の平のユーリはクンクンと忙しなく鼻を動かすと、興奮したように鳴いて自分の腕から肩を走り抜け、首の後ろを回って、反対側の手の平まで駆け抜けて匂いを嗅ぎ、また同じ様にして反対側に戻るという行動を繰り返し始めた。こういう行動を取るのは滅多にないが、かなり興奮しているようだ。

ようやく目を開いたシェニカは両手で汗を拭うと、太い幹に手をつきながらゆっくりと立ち上がって、呆然と木を見上げていた陛下に向き直った。


「まだあっちの木には及びませんが、花が咲いたのでここで成長を止めてみました。あとは実がつくといいんですが」

「シェニカすごい!!白魔法でこんなことが出来るの?」

「ううん、これは特別な魔法で……。私以外には使えない魔法なの」

シェニカがそう言った時、後ろに引っ張られるように倒れそうになったが、まるでそうなることを予想していたように動いた『赤い悪魔』がすかさず身体を支えた。


「魔力切れか?」

「あ、ごめん。ありがとう。結構使ったけど、魔力切れまではいってないよ。ただ、一気に使い過ぎて少し疲れちゃった。陛下、そこのベンチで休ませて頂いて良いでしょうか」

「もちろんだ」

噴水前のベンチを見れば、さっきまでいた猫はどこかに行ったようだ。
シェニカが一番近いベンチの真ん中に座ると、彼女の左手側に陛下が座り、『赤い悪魔』は彼女の後ろに静かに控えた。


「シェニカは凄いですね。ユーリが大興奮で見ていました」

「ユーリくん、美味しい実がなるといいね」

「チチッ!チチチッ!」

シェニカの右手側に座ると、手の平の上にいるユーリは興奮しているのか、クルリクルリと器用に宙返りしている。今まで宙返りをするほど興奮する姿を見たことがなかったから、とても喜んでいるようだ。


「ユーリくんのためなら、これくらいお安い御用だよ。えへへ~♪」

「ねぇシェニカ!小さいけど、もういくつか実がなってるわよ!」

殿下と王子と共に花を咲かせた木を見上げていた妃殿下は、興奮した様子で木の上の方を指さした。


「まさか一瞬で実が木になってしまうとは。学者もビックリの結果だ。この木が絶滅するのは時間の問題と思っていたが、国だけでなく木までシェニカ殿に救ってもらえるとは思わなかった。この木は大事に育てさせてもらおう」

「是非お願いします。あ、もし実が落ちてきたら、このユーリくんに少し多めにあげてもらいたいのですが」

「シェニカ殿がその子のために育ててくれたのだから、当然だ」

「この木のクルミはユーリくんが多めにもらえるよ!良かったね」

「チチチ~♪」

ユーリは相変わらず興奮しているようで、嬉しそうに鳴きながら宙返りを続けている。


「ふふっ!今日の葉っぱのシャツ、このクルミの木みたいね。とっても似合ってるよ。さ、クルミをどうぞ」

「チチチ~ッッ♪♪」

シェニカが革袋の中から薄桃色のクルミを1つ取り出すと、動きを止めたユーリはそれはもう必死に手をすり合わせ、身体を上下に動かしておねだりをしている。慌てて近付いてきた妃殿下と王子を抱いた殿下は、ユーリの必死な様子を興味深そうに眺め始めた。


「スクワット姿も可愛いっ!」
「父さま、この小さいの何?」
「これはオオカミリスといって国で保護してる超かわいいリスなんだ。陛下、アビシニオンへの教育も兼ねて、俺達もシェニカ様と一緒に生息地に行く許可を!」

殿下はユーリをにこやかに見ていた陛下に訴えたが、陛下は興奮した様子の殿下を険しい顔で睨みつけた。


「アビシニオンをダシに使うな。可愛いリスはいるわ、猪や鹿、兎が居るわで、お前は狩りがしたくなるに決まってる。絶対帰ってこなくなるから、私が国王のうちは許可しない」

「横暴だ!」

「横暴じゃない。的確な判断だ。特に今はトラント領の統治や領主の選定などで、忙しいのは分かってるだろ!
お前はフェアニーブから戻れば、次はトラント領に行くと決まっているんだから、今からトラントのことをしっかり勉強しろ。手を抜けばヴェンセンクに直接指導させるからな!」

「はーい……」

陛下に現実を突きつけられた殿下は、シュンとなってユーリを見続ける腕の中の王子を抱きしめた。その様子を見た妃殿下が苦笑いを浮かべて見守っていると、どこかに行っていた2匹の猫が戻ってきて、メスのリンゴは妃殿下の足に擦り寄り、オスのビワは陛下の足元にすり寄ってニャーと鳴いた。
普段ならこれほど近くに猫がいれば、ユーリは襲われないように警戒するのに、その存在に気付いていないほど恋するクルミに夢中だ。猫の方はユーリに興味を示しているから、ちょっかいをかけられないように、猫の動きに注意を払った。


「そういえば。以前、王宮に犬や猫がたくさんいたそうですが、陛下がお好きだからですか?」

「それはね、犬派の王族と猫派の王族がいたからなんだよ。シェニカ殿は、犬と猫どっちが好きかな?」

「どちらも大好きです」

「私は小さい頃から無類の犬好きでね。体格の良い大型犬や小さくて可愛い愛玩犬も好きだし、若い頃は猟犬を連れて狩りをしたんだよ」

「陛下も狩りをなさっていたんですか!」

「ファーナストラを狩りに連れて行ったのが間違いの始まりでね。
すっかり狩りに夢中になった挙げ句、『帰りたくない!俺は王子を辞めて狩人になる』って登った木の上で駄々こねるから、まったく困ってしまったよ」

「それだけ狩りが楽しかったのですね。では猫派は?」

「猫派は亡き妻でね。幼少の時から、彼女は王宮のサロンに来ていたんだが、その時から猫と犬のどちらが人気か、どちらが優れているかを言い合ってね。彼女は気が強かったから、時には取っ組み合って本気の大喧嘩をしていたら、いつの間にか婚約者に決められていたんだよ。

まぁ、最初は本気で犬か猫かで喧嘩していたけど、時間が経つとお互いにどっちも可愛いと思うようになっていたのに、素直にそう言い出せなくてね。顔を合わせれば喧嘩腰で犬と猫の話ばかりだったが、実のところ仲が良くて、意識しあっているのは見透かされていたようだ」

「犬と猫がキューピッドなんて、素敵ですね」

「結婚式が近くなったら、私は犬、妻は猫が好きと知った民から、祝いにと競い合うように犬と猫が献上されてね。繁殖させたわけじゃないのにあっという間に増えて、占領された王宮は毎日犬猫の喧嘩で煩いし、誰かの叫び声と美術品が割れる音が聞こえていた。
収拾がつかない状態になっても、妻は『王太子が可愛がった犬、王太子妃が可愛がった猫って箔が付いたから、里親はすぐ見つかるでしょ。静かな生活が恋しくなったら、陛下も里親を探して下さいね。この子をもらってくれないかと陛下に言われたら誰も断れませんもの』と、父と母にまで言ってのけたんだよ。

それから本格的に里親探しが始まったんだが。時間に厳しかった父は、子猫と子犬の昼寝の時間になると、寝顔の時間と言って仕事を中断するようになってね。お洒落に敏感だった母は、犬と猫の風呂や毛の手入れに凝って、身ぎれいさなんて忘れたように毎日ドレスを毛だらけにして生活するようになった。それはそれは大変な状態だったが、毎日が騒がしくて、時間があっという間に過ぎて楽しかった。

そして献上された犬と猫の多くが里親の元に行ったら、妻は国中の飼い主の居ない犬猫を王宮で引き取り始めてね。王族が可愛がった犬、猫ということで里親は決まるんだが、数が少なくなると私達だけでなく父や母、使用人まで無性に寂しくなってね。行き場のない犬猫を王宮で保護するのはそれ以降の慣習になったんだが、最近はそういう犬や猫は減ったから王宮はこんなに静かだ」

「行き場のない子たちを王宮で保護するなんて、素敵な話ですね」

「陛下!俺、良いこと考えたぞ!中庭に木を植えまくって、ここをオオカミリスの第二の生息地にしよう!」

「リス自身がここを住処と認めるなら良いが、無理やり移住させることは許さん」

「嫁さんが出来たら、ここで子育てしていいんだぞ~。生息地に行ったら、ここは安全だよって仲間に言いふらして、みんなで移住しよう!な!」

「あ、逃げちゃった」

殿下が嬉しそうに手の平の上で毛繕いをしていたユーリに声を掛けると、彼は慌てた様子で自分の服を伝ってポーチに戻ってしまった。恋するクルミを食べて興奮が落ち着いたから、殿下は再び警戒されてしまったようだ。
この結果にガッカリした殿下は、ユーリを興味津々で見ていた王子を抱いたまま、肩を落として落ち込んだ。


「ファーナストラ、そろそろ会議の時間になる。行くぞ」

「俺もオオカミリスと仲良くなりたいのになぁ……。アビシニオン、母さまと一緒に部屋で良い子にしてるんだぞ」

殿下は腕の中の王子に話しかけると、珍しく大人しい王子は無言で頷いた。その返事に満足した殿下は、王子を下ろすと大きく育ったクルミの木を見た。


「じゃあ、私達も出かけようか」

「休まなくて良いのか?」

「うん、大丈夫だよ」

「シェニカ殿は城下の散策だったな。是非楽しんできておくれ」

「はい!陛下、殿下、楽しい時間をありがとうございました。アビシニオン様、またお会いしましょうね。リンゴちゃん、ビワくん、またナデナデさせてね。スァンまたね!」

シェニカは妃殿下と親しげに手を振り合うと、陛下と殿下にそれぞれ一礼した。
王子はシェニカをジーッと見ていたが、妃殿下に釣られるようにシェニカに控えめに手を振った。


「では城門まで案内しますね」

そう声をかけると、離れた場所に控えていたファズが先導するために自分の前に立った。


「あんな風に植物を一気に成長させる魔法があるなんて。初めて見ました」

「無事に芽が出て良かった。生息地でもやってみるね」

「生息地のクルミの木は実がならないので、リスたちは大喜びすると思います」

「こ、これで私を認めてくれる子がいたりするかな……」

「ユーリも大興奮でしたから、いるかもしれませんね」

シェニカとそんな話をしていると、後ろを歩く『赤い悪魔』は、声を出さなくても喉の奥まで見えそうな大あくびをした。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

AV嬢★OLユリカシリーズ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:142

ほっといて下さい 従魔とチートライフ楽しみたい!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,669pt お気に入り:22,242

ヒマを持て余したブラン家のアソビ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:256pt お気に入り:1

元自衛官、異世界に赴任する

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:1,936

怠惰すぎて冒険者をクビになった少年は魔王の城で自堕落に生活したい

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:30

処理中です...