天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第17章 変化の時

16.花開く鳥

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トラントの首都を出て3日目。空に茜色の気配をなんとなく感じる夕方の早い時刻に、カイゼルベルグという大きな街まで辿り着くことが出来た。
トラントの首都に行く時は、向かう途中で戦いが起こったり、歩いて移動する大人数の兵士のために休憩を取ったりしていたから時間がかかったけど、今は最低限の休憩を取るだけにしているから、あっという間に国境まであと1日という所までやってきた。その移動を可能にしたのは、足が速いだけじゃなくスタミナもすごい軍馬で、その働きぶりには驚かされる。


街を囲む高い壁の近くで馬を下りたけど、周囲にはテントも何も用意されていない。今夜はここで休むと聞いているけど、どこで休むのだろうか。

「ねぇ、ディズ。今日はテントでは休まないの?」

「この街には大きな軍の施設があるので、そこでみんな休みます。案内しますね、こちらへどうぞ」

ファズ様の先導で城門の中に入ると、白で統一された建物が並ぶ街は太陽の光を反射するように輝いて見える。大通りには洋服やお土産、生活雑貨、道具屋さんが並んでいて、どのお店も、大きなガラス窓の前にはベンチが1つ必ず置かれている。そこでは、子どもたちが日向ぼっこしながら読書や刺繍をしていたり、親子連れがジュースを片手に休憩している。そんな姿を見ながら歩いていると、お店の2階の住居スペース辺りからバイオリンやフルート、ピアノといった楽器の音が聞こえてくる。その音は途中で止まったり、音が外れたりしているから練習中のようだ。

戦争が身近にある世の中だけど、民間人の生活に対しては戦争の影響を最低限に押さえ、いつもと変わらない日常があるのは万国共通だ。いつものような旅の途中で立ち寄っていれば何も思わなかったと思うけど、この街の時計塔や壁にウィニストラ国旗が掲げられていたり、ウィニストラ兵が街の中を巡回しているのを見ると、自分の身近なところでトラントという国が事実上滅び、治める国が替わったのだと実感出来る。
アビテードのように戦争のない平和な世界になればいいな、と思いながら街の外れにある軍の建物に案内された。


頑丈そうな大きな建物の2階に上がって長い廊下を歩いていくと、廊下の突き当りにガラス扉があるのが見える。そっちの方に歩いていくと、ガラス扉の向こう側に観葉植物とガーデンテーブル、椅子が置かれたテラスがあった。ファズ様はテラスから2つ手前の部屋の前で立ち止まると、くるりとこちらに振り返った。

「シェニカ様はこのお部屋を。護衛の方はその右隣の部屋をお使い下さい」

「私はこの部屋を使いますので、何かあったら壁を叩いて下さいね」

テラスの真横がディズの部屋、その右隣が私の部屋、そのまた右隣がルクトの部屋で、私の部屋はルクトとディズに挟まれた状態になる。


「それと、ソルディナンド殿から夕食を一緒にどうかと申し入れがありましたが、どうしますか?」

「見届人のお礼はもう言ったし、お断りしようかな」

「分かりました。では、疲れたから休みたいと伝えておきましょう。食事は部屋に持ってくるように手配しますね」

「ありがとう。じゃあ、少し休もうかな」

ソルディナンド将軍には急遽見届人の役目を請けてくれたお礼は言ったし、義理は果たしたと思う。特に用事も聞きたいこともないし、もう食事をする必要はないだろう。


部屋のドアを閉めて薄暗い廊下を一歩進むと、部屋の奥にある横一列に配置された小窓が目についた。差し込む陽の光に誘われるように廊下を通って窓の下まで行くと、私が手を伸ばした高さにあるその小窓は、壁から壁まで一定間隔で並んでいるけど、子供の頭ほどの大きさしかないから陽の光は部屋の中を十分に照らせていない。
魔力の光をいくつか生み出してみれば、ベッドは広いダブルベッド、2脚の椅子と広めのカフェテーブル、2人並んでも大丈夫な幅のある大きな姿見が置いてある。床にはえんじ色の絨毯、壁紙は白、テーブルは茶色、ベッドは白いシーツに掛け布団。色はあるんだけど、生き生きとした色がないからか殺風景だし、他に窓がないから閉塞感を感じる。明るい花とか綺麗な絵画とか飾ると良いのになぁと思いながら、ベッド近くのドアを開けると、ごく普通のトイレとお風呂があった。
夕食の時間まで何をしようかとベッドに腰掛けてぼーっとしていると、ドアをノックする音が聞こえた。


「シェニカ、ちょっと良いですか?」

私が扉に近付くと、返事をする前にディズの声がかけられた。扉を開けると柔和な表情のディズと、壁に凭れた無表情のルクトがいた。


「シェニカ、約束のローブを買いに行きませんか?」

「うん、良いよ」

私が返事をすると、ディズは後ろを向いてルクトに向き直った。


「シェニカと買い物をします。私がいるので護衛は不要ですが、貴方がついてくるのは構いません。どうしますか?」

「俺も行く」

ルクトは抑揚のない言葉で返事をすると、無言のまま3人で建物を出た。フードを被り、ディズの案内に従って大通りから一本入った小道を歩き始めると、そこから繋がる市場の方からは、夕食の買い物をする女性達の笑い声が聞こえてくる。入り組んだ路地では子どもたちが鬼ごっこ、少し広めの空き地ではボール遊びをしていて、何とも和やかな風景があった。でも、見るのは若い家族ばかりでおじいちゃん、おばあちゃん世代がいないような気がする。


「ねぇ、ディズ。この街って若い世帯しかいないの?」

「この街は『若者の住む街』というコンセプトで大きく発展させたそうで、孫がいる年代は居住することを禁止されていたそうです。なのでここは若い世帯ばかりが住んでいますが、その殆どは大商人や成り上がりの商人を親に持つ人達なので、高級住宅街として扱われています」

「高級住宅街でもおじいちゃん、おばあちゃん世代を禁止しなくても良いと思うけど、なんでそんな街にしたかったんだろう?」

「ここは国境から一番近い拠点街なので、ウィニストラから越境してきた商人や旅人達に『トラントは若者の活気で満ちている』『裕福な者たちが住む国』だと思わせたかったのではないでしょうか」


ディズと他愛のない話をしながら歩いていると、

「シェニカ、ここは段差があります。良かったら手を」

隣にいたディズがそう言って私の手を繋いだ時、後ろで歩くルクトが大きな舌打ちをしたのが聞こえた。繋いだ手を放そうとすると、ディズはギュッと強く握って私ににっこりと微笑んだ。


「シェニカは私と手を繋ぐのは嫌ですか?」

「そんなことないんだけど……」

「シェニカが嫌でないならば、ルクトさんに気兼ねする必要なんてありません。シェニカが旅に戻ってしまったら、こんな風に2人だけの時間は取れなくなります。ですからそれまでの間、私との時間を下さいませんか?」

「う、うん」

私が小さく振り返った瞬間、ルクトはふいっと顔を横にそらした。その時、彼は悲しそうな表情をしていたような気がした。


「このお店にしましょうか」

ディズがそう言って立ち止まったのは、住宅街の中にぽつんとある洋服屋さんのガラス扉の前だった。そこからチラッと店内を覗くと、お客さんはいないけど私が安心する店構えではなさそうだったから、一気に不安が湧き上がってきた。


「ねぇ。あの……。この街、高級住宅街だからすごくお高いと思うんだ。私、安いローブの方が安心するから、こういうお店はちょっと合わなくて」

「お店の中に大きなクマさんがいますよ。可愛いですから見に行きませんか?」

「え、クマさん?」

ディズはそう言うと、お店のガラスドア越しに見える店内の真ん中辺りを指さした。それに釣られるようにもう一度覗くと、そこにはドドン!と大きくて可愛らしいクマのぬいぐるみが、椅子にお行儀よく座ってこちらを見ていた。


「可愛い~!」

「シェニカに似合うローブ、私にも見繕わせて下さいね」

ディズがお店のドアを開けるとカランカランと軽い鐘の音がして、お店の奥にいた3人のお姉さんが笑顔を浮かべながら深いお辞儀をした。

私が真っ先にクマのぬいぐるみに行くと、隣に立つディズの軍服のボタンの辺りがモゾモゾ動いている。彼がボタンを外した途端、ぬいぐるみよりも断然可愛らしいユーリくんがひょっこり顔を出した。


「ユーリくん!やっぱりユーリくんが一番だよ~♪」

「ぬいぐるみと聞いて、ユーリも出てきました。でも、ユーリにはこのぬいぐるみは大きすぎますね」

「ユーリくんって、ぬいぐるみが好きなの?」

「ユーリと同じくらいの大きさのぬいぐるみを与えると、噛み付いて遊ぶんです。噛み付いたまま振り回したりするので、すぐボロボロになってしまって。だから、古着屋で売ってる小さなぬいぐるみを買っていたんですが、どうやら人間には分からない臭いが嫌いらしく、私の元同僚のニドニアーゼルやストラといったバルジアラ様の副官や、私の副官のアヴィスにぬいぐるみを作って貰っています。何度も作ることになるので、彼らのぬいぐるみ作りのレベルはどんどん上がっています」

「そうなんだ!ユーリくんはみんなに可愛がられてるんだね。私も作ってみようかな」

私がユーリくんの小さな頭を指で撫でていると、突然フードが外れた。びっくりしてフードを探そうと手を頭に当てると、ディズの大きくてあったかい手が重なった。


「フードを被っていると見にくいでしょう?ここは私達がいますから額飾りを隠さなくても大丈夫です」

「あ、う、うん。ありがとう」

ディズと一緒にローブが並べられた棚の前にいくと、目の前に置かれたローブを手にとって値段を確認しようとした。でも、どこを見ても値札がない。他のローブも値札がないから、「予想を超えた高級品しかないのでは」と不安が一気に押し寄せてきた。こんな高級なお店だと、触ったら手垢がついたということでお買い上げ、という流れにならないだろうか。確認のために触ったローブには、浄化の魔法をかけておかねば。


「ね、ねぇディズ。やっぱり、ちょっとこのお店はお値段が…」

「良い物は丈夫ですから長持ちしますよ。私の感謝の気持ちですから遠慮なく選んで下さいね」

「ちょ、ちょっと待って。ちょっと触っただけでもお買い上げ、ってことにならないように浄化の魔法かけるね」

「大丈夫だと思いますけど。色々考えてくれてありがとうございます」

私が自分とディズに浄化の魔法をかけると、ディズはそう言って、ニコニコと嬉しそうにローブを手にとりはじめた。時折私とローブを見比べ、私と目が合うと青い目を閉じて幸せそうに微笑む。その微笑みから、彼がこの時間を本当に幸せな気持ちで過ごしているのだと伝わってくると、私もローブを選んでみようかなと思えるようになった。
ローブが並ぶ棚をゆっくりと動きながら見てみると、可愛いもの、機能性重視のシンプルなものなど、色んなデザインがある。近くには旅装束の陳列棚もあって、そっちも目を引くような可愛いデザインや、着こなせたらいいな~と思える上品なものもあった。
ルクトはどうしているかな?と思って姿を探してみると、無表情でローブの陳列棚の隣りにある旅装束コーナーを見ている。

こうしてはいられない。彼が何か手に取る前に浄化の魔法をかけてあげないと、大変なことになってしまう!
そう思って、私は慌ててルクトに近寄った。

「ルクト、何か手にとってみた?」

「いや、見てただけだけど」

私が自分から近付いて声をかけたのが意外だったのか、彼は少し困惑したような表情だった。緊急を要する事態だったからか、彼に近付いても前のように怖いと思わなかったことに私自身も驚いたけど、とにかく彼が旅装束に触る前に間に合って本当によかった。


「間に合ってよかった!両手を出して」

「手?」

ルクトは不思議そうな顔をしながらも、素直に両手を出してくれた。その時、彼にあげた指輪の石の色が透明になっていることに気付いた。


「浄化の魔法をかけたから、これでもう手で触っても大丈夫だよ。ちょっと触っただけで買い取りとか大変だもんね。それと、指輪に治療魔法いれてあげるね」

「触っただけで買い取りなんて、そんなことにならねぇと思うけど」

「じゃあ私はローブ見てくるね。ルクトはつまんないかもしれないけど、ちょっと待っててね」

またローブ売り場に戻った私は、ルクトをチラッと見てみた。彼は相変わらずの無表情だけど、旅装束を手にとって興味深そうに眺めている。その様子を見る限り、嫌々ついてきたわけではなさそうな感じで少しホッとした。私もルクトも、この買い物が良い気分転換になればいいなと思い始めると、何だか次第にワクワクしてきた。


ウィニストラに行ったら、国王に会わないといけないのが少し億劫だけど、楽しみなのはオオカミリスの生息地に行けることだ。ナンパの成功確率を上げるために、ここはオオカミリスになりきれるようなローブを探さないと!

そう思って時間をかけてオオカミリスになりきれるようなローブを探していたけど、ここはオオカミリスの保護国のウィニストラじゃないからか、全然見当たらなかった。なら、クルミになりきれるローブがいい!と思って探したけど、私の望むデザインのローブは見つからなかった。
オオカミリスにどうやったら親近感を持ってもらえるだろうかと悩んでいると、ディズが1着のローブを手に私に向かってきた。


「シェニカ、こういうのはどうですか?」

「それ、ベルチェピンク?すごく綺麗……」

ユーリくんをリスボタンにしたディズが持ってきてくれたのは、独特の薄ピンクのグラデーションが美しい生地に、紫と白の糸で襟や裾などにスミレが上品に刺繍された綺麗なローブだった。


「このローブはカッパと同じ生地ですし、リバーシブルですから使い勝手も良さそうです。それに、シェニカのイメージにもピンクと白は合いますし、この紫のスミレが可愛らしさの中に大人っぽさも出しているように見えませんか?」

ディズの選んでくれたローブは、裏地を表にすると、白い生地に数羽の赤い小鳥がさりげなく刺繍されている。その小鳥は口に銀色の木の実や金の稲穂を咥えていて、実りを喜ぶ幸せそうな表情まで感じられる精密な刺繍で、絵画のようでとても綺麗だ。


ーーこのデザイン、実家で見たことある!

この鳥のデザインは、実家のリビングに飾ってあるタペストリーの柄と良く似ている。それは、両親が新婚旅行のお土産に買った『豊穣を知らせる鳥』というもので、鳥が木の実や稲穂を咥えていた。違うのは、刺繍をした人の技量なのか、鳥の表情がこちらの方が豊かなことくらいだ。

綺麗なベルチェピンク、懐かしさを感じる鳥のデザイン。何だか偶然が偶然じゃないように思えたからか、今までなら「綺麗だなぁ。でも私には身分不相応かな」としか思わなかったであろうローブが、なんだかとても魅力的に感じた。


「素敵!試着してみるね」

その場で白魔道士のローブを脱ぎ、鏡の前でディズにベルチェピンクのローブを羽織らせて貰った。着る前は「素敵だけど大人っぽい感じに負けてしまうかも」と思ったけど、着てみると思ったほど違和感なく見えるし、なにより軽くてさらりとした生地の感触が気持ち良い。


「ど、どうかな?」

「すごく似合っています。思った通り、この紫の刺繍がピンクの生地に映えて良いですね。白地の方も見てみましょう」

ローブを脱いでひっくり返し、白地に赤い小鳥のローブを羽織ってみた。すると、大人っぽいデザインだと思うのに、こちらも違和感なく見えた。まるでローブが私に合わせてくれてるみたいだ。


「こちらも良いですね。白と鳥はシェニカのイメージにも合いますし、似合っています」

「本当?ユーリくんはどう思う?」

「チチッ!!」

ユーリくんは顔を出したまま元気よく鳴くと、偶然なのか頭を縦に振るような素振りをした。オオカミリスやクルミになりきれなくても、ユーリくんが良いというならこれが良い。


「ユーリも似合ってると言ったようですね。では、これにしましょう」

ディズは私にローブを羽織らせたまま、店員のお姉さんを呼んで会計を済ませてしまった。値段は分からないけど、金貨10枚以上はしそうな気がする。大事に扱わないと死んでも死に切れない。毎日、浄化の魔法を使って大事に使おう。


こんな大人っぽいローブを身につける日が来るなんて。ローズ様のような凛とした女性に、半歩だけでも近づけただろうか。いつか、ローズ様のような芯が強くて、凛々しい女性になれるといいな~と思いながら鏡の前で白いローブ姿を見ていると、支払いを終えたディズがニコニコしながら戻ってきた。リスボタンだったユーリくんは軍服の中に隠れていたのか、ディズが私の前で立ち止まった時にひょっこりと可愛いお顔を出した。

「こんな大人っぽいデザインの物って、いつか着れたら良いなって憧れてたけど、私にはまだ似合わないかなって思ってたんだ。素敵なローブをありがとう。大事にするね。このローブに負けないように、外見も内面も大人の女性になれるように頑張るね」

「シェニカは誰か憧れる人がいますか?」

「うん、ローズ様に憧れてるんだ。ローズ様は怒ると怖くて、芯が強くて、優しくて、凛とした素敵な人なんだよ」

「理想や目標があるというのは良いことです。その理想を心の中に秘め、ローズ様ならこうするだろうと予想した選択や行動をしてみたり、今までの自分自身なら耳を貸さなかった意見や考え方を聞いてみたり。試行錯誤を繰り返し、経験と実績を積み重ねていけば、いつかローズ様を超える素敵な女性になります。私が保証します」

「あ、ありがとう。なんかそう言われると、頑張ろうって思えたや」

私がディズにお礼を言うと、ルクトがズカズカと足音を立てて近寄ってきた。


「旅装束買ってやるから、好きなの選べ」

「え?どうしたの?」

「俺からの詫びだ」

「でも、このお店は高級品ばっかりで…」

「構わねぇよ」

ルクトはそう言うけど、このお店のものは全て値札がない。高級品に間違いはないけど値段の見当がつかないから、選んだものがすごく高くて彼の所持金で足りない事態になったら、恥をかかせてしまうかもしれない。そう思うと、とても申し訳がない。


「彼がこう言っているのですから、遠慮せずに貰ってはどうですか?」

「う……ん。じゃあ、ルクトよろしくね」

「私は他のところを見ていますね」

私の返事を聞いたルクトは、すぐに旅装束のコーナーに行ってしまった。そして隣にいたディズも、私にニッコリと微笑んでお店の奥の方へと進んでいった。
ルクトに奢ってもらうことになった申し訳無さを感じつつ旅装束コーナーに向かうと、目の前に並ぶ陳列棚を眺めながらゆっくりと歩き始めた。


「どれにしよう。どれも高いし……」

「値段は気にしないでいい」

私の小声の独り言は、少し離れた所で旅装束を見ていたルクトに聞こえていたらしい。相変わらずお客さんは私達以外にいないし、店内は静かだから聞こえてしまったのだろうか。


「でも、お金は大丈夫?」

「酒代にしか使ってないから貯まってる。そんなこと心配しなくていい」

旅装束を見て回りながらルクトをチラリと見てみると、彼は真剣な眼差しで旅装束を手にとって考え込んでいる。私の視線に気付いた彼はまたふいっと視線をそらしたけど、そこに寂しさや悲しみは見えなかった。そのことに、少しだけ安心できた気がした。

ディズはというと、旅装束選びはせずに帽子や髪飾り、ピアスやネックレスといった小物のコーナーでニコニコしながら興味深そうに手に取って眺めている。
ディズとルクトも買い物を楽しんでいる様子を見ながら、私も真剣に旅装束を選び始めた。


ーーそういえば洋服の流行はどうなんだろう。そうだ。たしか、カーランと一緒に買い物をしていた時、店内の入口の近くとか、目立つ場所に陳列されている服のデザインがその場所の流行だと言っていた。

さっそく入り口近くの旅装束コーナーに行って流行を調べてみれば、赤やピンク、水色といった上下セットの旅装束はたくさんのデザインがあるけど、どれも上着は膝下までの長さがある。どうやって着るのかと観察してみると、首元から裾までボタンがずっと続いているけど、それらは正面から見えないように、合わさる部分の布地は二重になっている。


「そちらの旅装束は、胸の下でたくし上げてズボンを見せるスタイルと、腰の位置でベルトを留めるワンピーススタイルの2つの着方が出来るんです」

丈の長いワンピースの旅装束なのかな~と思っていると、いつの間にか綺麗なお店のお姉さんが近くにいた。


「胸の下でたくし上げる?」

「このような着方です」

お姉さんが着ている服に注目してみると、黒い生地に白と赤の蝶がさり気なく刺繍されている上着は、太ももまでの丈になるようにたくし上げられていて、落ちないように胸の下で茶色の細いベルトで留められている。ベルトに挟まれた上着は、アイロンをかけたようにきっちり折られているから、折っているのが分からないほど自然な見た目だ。


「折った上着はごわついたりしないんですか?」

「この旅装束に使われている生地は、縦糸と横糸の太さを変えて横に折りやすいように出来ていますから、どなた様がお召になっても簡単に横に折ることが出来ます。もしお気に召すものがありましたら、ご試着下さいませ」

「はい、ありがとうございます」

ワンピーススタイルとズボンを見せるスタイルが1着で出来るのか。こういう旅装束もなんだか面白いなと思って、陳列棚をよく見てみることにした。
可愛らしい山吹色の旅装束を見てみると、後ろも前も一面に赤とオレンジで小さなバラが刺繍されている。可愛いなと思ったけど、襟元と袖、裾についている豪華過ぎる白いフリルがなんとなく気に入らない。その旅装束を棚に戻してまた探し始めると、今度は青と水色のグラデーションが綺麗な旅装束が気になった。
それを手にとってみると、ディズの青い目と水色の空を連想させるその生地には、襟元と裾、袖口を縁取るように白いバラと黄緑色の茎が繊細に刺繍されている。刺繍は控えめなんだけど、それを見ているとディズだけでなくローズ様も一緒に居るような親近感を感じた。

試着してみようかな、と思っているとルクトが訝しげな顔をして近付いてきた。


「良いのがあったのか?」

「うん。ちょっと試着してみようと思って」

「どんなのだ?」

ルクトに旅装束を渡すと、それを広げた彼は意外そうな顔をして私を見た。


「この店に変なやつはないが、まともな選択ができたんだな」

「変な奴?なんか怪しい人がいるの?」

「そういう意味じゃない。試着してこいよ」

ルクトの言葉に、もしやトラントの生き残った将軍達が様子を伺っているのかと心配になった。でも、この場にいるルクトもディズも警戒している感じがしないから安全なんだろうと思って、お姉さんが手で「こちらです」と案内してくれている試着室に入った。

試着室に足を踏み入れると、外にいるお姉さんに失礼のないように静かに扉を閉めて鍵をかけた。玄関のような場所でブーツを脱ぐと、木目が綺麗な化粧台にオシャレな籐の椅子、木枠に蔦の葉が彫られた大きな姿見、可愛らしい天使を何体も彫り込んだオシャレなハンガー台、壁側には私と高さが変わらない緑の観葉植物がある。5人が入っても余裕なこの個室には窓はないけど、魔力の光が煌々と照らされてとっても明るい。


「うぅ…。高価なものだから、着る時は爪を引っ掛けないようにしないと」

慎重にローブを脱いでハンガーにかけ、見慣れた旅装束を脱いだ。下着姿のまま旅装束を畳んでいると、上着の肩部分やズボンの膝頭や脛の辺りの生地が薄くなっていることに気付いた。この状態だと破れるのは時間の問題だったから、今が買い替え時期だったのかもしれない。

上着に爪が引っかからないように慎重に袖を通し、立ち上がって姿見の前で慎重にボタンを留めようとすると、ネームタグにつけていた青とピンクのガラス玉の光の反射具合に違和感を感じた。


「あ。これ、2つともヒビが入ってるや。色々と交換時期なのかな」

ツルッとした手触りに変わりはないけど、稲光のようにヒビ割れが走っているから割れる一歩寸前だ。ガラス玉もここで処分したほうがよさそうだ。
ガラス玉をネームタグの鎖から外し、上着のボタンを首元から裾まで全て留め、腰の位置で白いベルトを締めた。胸元は調整せずともゆったりとしていて、凄く肌触りが良いし通気性も良くて着心地が良い。久しぶりのスカート姿にワクワクして、鏡を見ながら何度かくるりと回ってみた。


「ワンピーススタイル、結構好きかも」

回ると少し膨らむスカートを堪能した後、ブーツを履いて試着室の外に出ると、ディズは穏やかに微笑んでくれたけど、ルクトは驚いた顔をして私を出迎えた。素敵な旅装束だと思うけど、似合ってないのだろうか。


「どうかな…?」

「とっても似合っていますよ」

「良いんじゃないか?」

「あのね、こうやってワンピースみたいに着るのと、ズボンを履いて裾をたくし上げる着方もあるんだ」

「そんな着方もあるんですね。その姿のシェニカも見たいです」

「じゃ、ちょっとズボン履いてくるから待っててね!」

似合ってるって言われたこと、ズボン姿も見たいと言われて嬉しくなって、試着室に戻るとブーツを脱ぎ捨ててズボンを手にとった。


「え~っと、ズボンを履いたら上着を胸の下でたくし上げて、ベルトを留めればオッケーだったよね。確かお姉さんの上着のボタンは、途中からしてなかったから外してみようかな」

お姉さんに教わった通りに着てみると、腰の位置に来るスカートの広がる部分がふっくらしているくらいで今までの旅装束姿と大きな違いはない。上着を折っている部分も、綺麗に折れているからゴワつかない。試着室を出ると、ディズは笑顔、ルクトはすぐに視線をそらしたけど、その目元と口元が少し綻んでいるような感じで迎えてくれた。


「どちらもとっても素敵で似合っています。その時の気分で服装を変えられるのは良いですね」

「ルクトはどう思う?」

「良いんじゃないのか?」

「ありがとう。なら、これにしようかな」

「じゃあ払ってくる」

そう言ってルクトは店の奥に歩いていった。その背中を見送った後、ディズの胸元を見ても可愛いユーリくんは出てこない。是非ユーリくんにもこの旅装束を見てほしかったけど、服の中に隠れているのだろうか。


「ユーリくんは服の中にいるの?」

「お店の方を警戒して、ポーチに戻ってしまいました」

「そっか。じゃ、荷物とローブを取ってくるね」

最初こそ警戒されたけど、ユーリくんはすぐに私に懐いてくれたから人懐っこい子だと思っていた。でも、ユーリくんだって警戒心の強いオオカミリスだったのだと今更ながら思い出した。
ユーリくんには後で見てもらおうと思いながら試着室に引っ込むと、鞄を背負ってローブを羽織った。
鏡に映った新しい姿を見ると、ソルディナンド将軍が言っていたように心機一転した気がする。良い機会だから、これが過去の私とのお別れの儀式をしよう。


「今までありがとう。これからは大人の女性に。もっと強い女性になれるように頑張るね」

古い旅装束の上に置いたガラス玉が転がり落ちないように、丁寧に折り畳んでギュッと抱きしめた。それだけで、なんだか少しだけ胸が軽くなった気がした。


「あ、すみません。これ、処分をお願い出来ますか?」

「かしこまりました」

試着室の近くにいた店員さんに旅装束と欠けたガラス玉を渡すと、店の奥に消える店員さんと入れ違うようにルクトが戻ってきた。


「ディズもルクトも良い物をありがとう」

2人に向かって改めてお礼を言うと、ディズは柔和な笑顔を浮かべたけど、ルクトはまた顔をそらした。どうして普通に見てくれないのだろうか。


「シェニカ、あとこれをどうぞ」

ディズはそう言うと、綺麗に畳まれた淡桃色の丸飾りがついた白い布を手渡した。受け取ったその布はとても軽く、絹特有のさらさらの手触りで、触っているだけでも気持ちが良い。
広げてみると、布の中心部から端にかけて伸びる蔦を銀糸で、ぽつぽつと茂る葉を金糸で刺繍した柄が広がっている。黒い糸で布の端を縁取る部分には、貝殻のような手触りの小さな丸飾りが重ならないように縫い付けられた大判の絹のスカーフだった。


「スカーフ?」

「額飾りを隠すために、フードを被って街中を歩いているでしょう?せっかく楽しい街中を散策するのですから、これで額飾りを隠すように巻いたらシェニカの視界が広がるかなと思ったんです。まず額飾りを隠すように巻き付けて、少し上にずらしてもう1周巻き付けて、頭の後ろや横でリボン結びするとオシャレだそうです。是非つけてみて下さい」

「でも私、ローブ貰ったから貰いすぎだよ」

「ローブは私から、このスカーフはユーリからの感謝の品です」

「ユーリくんが?」

「えぇ。たくさんのスカーフの中から、ユーリがこれを選んだんです。その桜貝の飾りが気に入ったようです」

「ユーリくんが選んだものなら、貰っちゃおうかな。えへへ。ディズありがとう。ユーリくん、選んでくれてありがとう」

ポーチにお礼の言葉を言ったけど、ユーリくんは出てくることはなかった。少し残念に思いながら鏡の前に移動して、ディズに教えてもらった通りに身につけてみた。


「こんな感じ?」

「あぁ、とっても素敵です。可愛いです」

鏡を見てみると、額飾りから前頭部あたりまで覆われていて、右耳の後ろで結んだ大きなリボンがとても可愛らしい。隠れた額飾りの代わりに丸い形に整えられた桜貝の飾りが見えるようになって、何だか普通の女の子になったみたいだ。額飾りのチェーンや宝玉を留めている爪が引っかからないか心配だから、今度からはハンカチを当ててから巻くとしよう。


お店を出ると、随分長い時間お店にいたのか、西の空はまだ少し赤いけど星の瞬きが見えるほど暗くなっていた。軍の建物に向かって来た道を戻り始めると、隣を歩くディズは私の方を向いてニコニコしながら歩いている。通り沿いの民家の窓から漏れる光や、街路樹に灯された魔力の光で照らされたディズは、金の髪がキラキラ輝いている。月は出ていないけど、彼がまた月の使者のように見えた。


「あの、私の顔に何かついてる?それとも、なんかおかしい?もしかして似合ってない?」

「いいえ、とっても似合っていますよ。やっぱり顔が見えるのは良いな、と思ったんです。
とっても素敵です。好きです。愛しています」

「ディ、ディズ…!」

ディズはそう言うと、歩きながら私の頬に軽くキスをした。その行動に驚いて、思わず立ち止まってしまった。
暗くなっているとはいえ、ここは人通りのある道で周辺には歩いている人が結構いる。その人達はこちらをチラッと一瞬だけ見たけど、ディズの行動に驚く人や冷やかす人、立ち止まる人すらいなかった。こういうのは、みんな見て見ぬ振りをするものなのだろうか。


「こいつに気安く触れんじゃねぇよ」

「親愛の挨拶の1つですから、そんなに目くじらを立てないで下さい。この程度ならば誰も気にしませんよ」

私がドギマギしていると、ルクトが後ろからドスの効いた低い声を出した。私はその声だけで萎縮してしまうけど、ディズはルクトの方に振り向くことなく、視線を私に固定したままニッコリと微笑みながらルクトに返事をした。


「人前で好きだの、愛だの言って恥ずかしくねぇのかよ」

ルクトが吐き捨てるようにそう言うと、ディズはゆっくりと彼の方に向いた。その顔には相変わらず穏やかな表情が浮かんでいて、ルクトと目が合うと幸せそうに目を細めた。


「悪いことなら褒められたものではないですが、良いことをそのまま言葉にして何が悪いのです?思っているだけでは相手に何にも伝わりませんし、伝えたくないことは口を開かなければいいだけの話です。
私はシェニカに自分の気持ちを伝えたいから、こうして言葉にしていますし、シェニカのこうした可愛らしい表情を見ることができて私は嬉しいです。将軍なんか辞めて、私もシェニカと一緒に世界中を自由に旅したいです」

「ディズ……」

ディズは将軍という責任のある立場の人だから、国から出ることは出来ないと思う。でも、そんな彼が一緒に旅をしたいと思っていると知ると、なんだか胸がぽかぽかしてきた。



■■■後書き■■■

今回はお洒落な高級住宅街の街なので、シェニカがよく利用するダサいお店はありませんでした。
ディズはシェニカのダサさをまだ知らないと思いますが、そのうち発覚するでしょう。その時、ディズはどんな反応をするのやら……。

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