隻眼令嬢は婚約破棄してほしい

monaca

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02 師匠の教え

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「はッ! てやッ! たーッ!」

 屋敷の裏に広がる森に、アリアネのかけ声が響きわたる。
 稽古用の木剣のカコンカコンという打撃音とともに。

 アリアネは一心不乱に鍛錬をしていた。
 日課ではあったが、今日は一段と激しい。
 森のあちこちに仕掛けた罠をわざと作動させて、彼女めがけて飛んでくる矢を演舞のように華麗に次々と叩き落としている。

 飛んでくる矢は本物で、もし1本でも打ち漏らそうものなら大怪我を負うことになるだろう。
 彼女の剣術は貴族が習いごとでやるようなお遊戯ではなく、ただひたすらに実戦に重きを置いている。
 両親の命を奪った盗賊に復讐するために教わったのだから当然だ。

 師匠の名は、ベスピアのエディサマル。
 親と片目を失い絶望に暮れていたアリアネの前に突然現れた、旅の剣士だった。

「あの人は本当に厳しかったな」

 剣で矢を落としながら、アリアネは8年前を思い出す――

 8歳の少女の腕はか細く、それ以上に心も弱い。
 普通の女の子だったアリアネは、当初、悪夢のような記憶におびえるばかりで復讐など考えることもできなかったが、エディサマルと出会い、なかば命令されるように剣の稽古を始めた。

 エディサマルは素振りをさせない。
 木剣を振る時は必ず「手ごたえ」を意識するように指導し、手にした薪を投げつけてきた。
 空振りすればそれが身体に当たる。
 当然痛い。
 痛みは恐怖をともなう。

 アリアネがやめてと叫んでも、エディサマルは腕に抱えた薪の数だけは絶対に投げるのをやめなかった。
 恐怖に足がすくんでも、木剣を振るしかない。
 打ち落とさなければ痛い思いをするだけだ。

「アリアネ、恐怖は力になるんだ。
 怖さを知らないやつは強くなれない。
 どんどん怖がれ、そして対処法を覚えろ」

 眉間、あご先、こめかみ、みぞおち、肘、脇腹、膝、すね、身体のあらゆる場所の痛みを知った。
 しだいにエディサマルが投げる瞬間、当たるであろう身体の部位がピリピリと反応するようになった。
 木剣が自然と動き、薪を叩き落とす。
 身体が恐怖をおぼえたことで、それに対処するための力をアリアネに与えてくれたかのようだった。

 恐怖と対処。
 エディサマルの修行は一貫していた。
 薪に慣れてきたら硬くとがった石を投げ、それにも慣れてきたら、彼はとうとう本物の剣を持ち出してきた。

 想像できるだろうか。
 自分より確実に強い大人の男が、容赦なく刃物を振るってくる恐怖を。

 今なら分かるが、エディサマルは急所を避けて斬りつけていた。
 最悪でも死にはしない、そういった斬り方だ。
 だが8歳の少女にそんなことが分かるはずもなく、アリアネは自分がパンパンに膨らんだ水風船であるかのように、一撃でも受けようものなら破裂して死ぬという恐怖と戦うことになった。

 剣を振り上げたエディサマルの視線から予測して、それを受け流す方向に剣を構える。
 できなければ死ぬ。
 皮膚が裂けて血が吹き出して骨が砕けて死ぬ。

 恐怖。
 恐怖恐怖。
 恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。
 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 ――。

 濃密この上ない10ヶ月の特訓が終わった頃、アリアネは自分の中の最大の恐怖に「対処」したくなった。
 場所はエディサマルが教えてくれた。
 彼はこうなることを分かっていたのだ。

「ああ? なんだこのガキ。
 その傷はもしかしてダージア領の貴族の娘か?
 もう片方の目も潰されにきたってわけか」

 両親を殺した盗賊と対峙すると、見えなくなった左目の傷がズキズキと痛んだ。
 斬られた時の光景が思わずフラッシュバックしたが、記憶の中の男の剣筋は、エディサマルのものとは比較にならないほど鈍く、まるで止まっているように見えた。

 盗賊は大人でアリアネは子どもだったが、こと剣の腕に関しては、アリアネのほうがずっと大人になっていた。
 身体のどこを傷つければ痛いのか、それこそ痛いほど身をもって知っているアリアネの手によって、盗賊は最大の痛みと恐怖を味わいながら絶命することになった。

「ベスピアのエディサマル……」

 16歳になったアリアネは剣を振る手を休め、かつての師匠の名をつぶやいた。
 ダージアのアリアネ。
 出身地つきでそう名乗るようになったのも、もちろんエディサマルに憧れてのことだ。
 アリアネが9歳の誕生日を迎える前に彼は再び旅に出てしまったが、それからも何度か、彼の活躍は風の噂で耳に入っている。

「ヘルベルト様の領地はかなり遠い。
 どうせ長旅となるのだ、せっかくだからエディサマルのところにも寄って、あいさつのひとつでもしておこう」

 そう決めると、急に旅支度を急ぎたくなった。
 アリアネは執事長ベンを大声で呼んであれこれ指示すると、出発を遅らせるためだけに熱中していた特訓を切り上げ、跳ねるような足取りで屋敷へと帰っていった。
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