3 / 13
02 師匠の教え
しおりを挟む
「はッ! てやッ! たーッ!」
屋敷の裏に広がる森に、アリアネのかけ声が響きわたる。
稽古用の木剣のカコンカコンという打撃音とともに。
アリアネは一心不乱に鍛錬をしていた。
日課ではあったが、今日は一段と激しい。
森のあちこちに仕掛けた罠をわざと作動させて、彼女めがけて飛んでくる矢を演舞のように華麗に次々と叩き落としている。
飛んでくる矢は本物で、もし1本でも打ち漏らそうものなら大怪我を負うことになるだろう。
彼女の剣術は貴族が習いごとでやるようなお遊戯ではなく、ただひたすらに実戦に重きを置いている。
両親の命を奪った盗賊に復讐するために教わったのだから当然だ。
師匠の名は、ベスピアのエディサマル。
親と片目を失い絶望に暮れていたアリアネの前に突然現れた、旅の剣士だった。
「あの人は本当に厳しかったな」
剣で矢を落としながら、アリアネは8年前を思い出す――
8歳の少女の腕はか細く、それ以上に心も弱い。
普通の女の子だったアリアネは、当初、悪夢のような記憶におびえるばかりで復讐など考えることもできなかったが、エディサマルと出会い、なかば命令されるように剣の稽古を始めた。
エディサマルは素振りをさせない。
木剣を振る時は必ず「手ごたえ」を意識するように指導し、手にした薪を投げつけてきた。
空振りすればそれが身体に当たる。
当然痛い。
痛みは恐怖をともなう。
アリアネがやめてと叫んでも、エディサマルは腕に抱えた薪の数だけは絶対に投げるのをやめなかった。
恐怖に足がすくんでも、木剣を振るしかない。
打ち落とさなければ痛い思いをするだけだ。
「アリアネ、恐怖は力になるんだ。
怖さを知らないやつは強くなれない。
どんどん怖がれ、そして対処法を覚えろ」
眉間、あご先、こめかみ、みぞおち、肘、脇腹、膝、すね、身体のあらゆる場所の痛みを知った。
しだいにエディサマルが投げる瞬間、当たるであろう身体の部位がピリピリと反応するようになった。
木剣が自然と動き、薪を叩き落とす。
身体が恐怖をおぼえたことで、それに対処するための力をアリアネに与えてくれたかのようだった。
恐怖と対処。
エディサマルの修行は一貫していた。
薪に慣れてきたら硬くとがった石を投げ、それにも慣れてきたら、彼はとうとう本物の剣を持ち出してきた。
想像できるだろうか。
自分より確実に強い大人の男が、容赦なく刃物を振るってくる恐怖を。
今なら分かるが、エディサマルは急所を避けて斬りつけていた。
最悪でも死にはしない、そういった斬り方だ。
だが8歳の少女にそんなことが分かるはずもなく、アリアネは自分がパンパンに膨らんだ水風船であるかのように、一撃でも受けようものなら破裂して死ぬという恐怖と戦うことになった。
剣を振り上げたエディサマルの視線から予測して、それを受け流す方向に剣を構える。
できなければ死ぬ。
皮膚が裂けて血が吹き出して骨が砕けて死ぬ。
恐怖。
恐怖恐怖。
恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
――。
濃密この上ない10ヶ月の特訓が終わった頃、アリアネは自分の中の最大の恐怖に「対処」したくなった。
場所はエディサマルが教えてくれた。
彼はこうなることを分かっていたのだ。
「ああ? なんだこのガキ。
その傷はもしかしてダージア領の貴族の娘か?
もう片方の目も潰されにきたってわけか」
両親を殺した盗賊と対峙すると、見えなくなった左目の傷がズキズキと痛んだ。
斬られた時の光景が思わずフラッシュバックしたが、記憶の中の男の剣筋は、エディサマルのものとは比較にならないほど鈍く、まるで止まっているように見えた。
盗賊は大人でアリアネは子どもだったが、こと剣の腕に関しては、アリアネのほうがずっと大人になっていた。
身体のどこを傷つければ痛いのか、それこそ痛いほど身をもって知っているアリアネの手によって、盗賊は最大の痛みと恐怖を味わいながら絶命することになった。
「ベスピアのエディサマル……」
16歳になったアリアネは剣を振る手を休め、かつての師匠の名をつぶやいた。
ダージアのアリアネ。
出身地つきでそう名乗るようになったのも、もちろんエディサマルに憧れてのことだ。
アリアネが9歳の誕生日を迎える前に彼は再び旅に出てしまったが、それからも何度か、彼の活躍は風の噂で耳に入っている。
「ヘルベルト様の領地はかなり遠い。
どうせ長旅となるのだ、せっかくだからエディサマルのところにも寄って、あいさつのひとつでもしておこう」
そう決めると、急に旅支度を急ぎたくなった。
アリアネは執事長ベンを大声で呼んであれこれ指示すると、出発を遅らせるためだけに熱中していた特訓を切り上げ、跳ねるような足取りで屋敷へと帰っていった。
屋敷の裏に広がる森に、アリアネのかけ声が響きわたる。
稽古用の木剣のカコンカコンという打撃音とともに。
アリアネは一心不乱に鍛錬をしていた。
日課ではあったが、今日は一段と激しい。
森のあちこちに仕掛けた罠をわざと作動させて、彼女めがけて飛んでくる矢を演舞のように華麗に次々と叩き落としている。
飛んでくる矢は本物で、もし1本でも打ち漏らそうものなら大怪我を負うことになるだろう。
彼女の剣術は貴族が習いごとでやるようなお遊戯ではなく、ただひたすらに実戦に重きを置いている。
両親の命を奪った盗賊に復讐するために教わったのだから当然だ。
師匠の名は、ベスピアのエディサマル。
親と片目を失い絶望に暮れていたアリアネの前に突然現れた、旅の剣士だった。
「あの人は本当に厳しかったな」
剣で矢を落としながら、アリアネは8年前を思い出す――
8歳の少女の腕はか細く、それ以上に心も弱い。
普通の女の子だったアリアネは、当初、悪夢のような記憶におびえるばかりで復讐など考えることもできなかったが、エディサマルと出会い、なかば命令されるように剣の稽古を始めた。
エディサマルは素振りをさせない。
木剣を振る時は必ず「手ごたえ」を意識するように指導し、手にした薪を投げつけてきた。
空振りすればそれが身体に当たる。
当然痛い。
痛みは恐怖をともなう。
アリアネがやめてと叫んでも、エディサマルは腕に抱えた薪の数だけは絶対に投げるのをやめなかった。
恐怖に足がすくんでも、木剣を振るしかない。
打ち落とさなければ痛い思いをするだけだ。
「アリアネ、恐怖は力になるんだ。
怖さを知らないやつは強くなれない。
どんどん怖がれ、そして対処法を覚えろ」
眉間、あご先、こめかみ、みぞおち、肘、脇腹、膝、すね、身体のあらゆる場所の痛みを知った。
しだいにエディサマルが投げる瞬間、当たるであろう身体の部位がピリピリと反応するようになった。
木剣が自然と動き、薪を叩き落とす。
身体が恐怖をおぼえたことで、それに対処するための力をアリアネに与えてくれたかのようだった。
恐怖と対処。
エディサマルの修行は一貫していた。
薪に慣れてきたら硬くとがった石を投げ、それにも慣れてきたら、彼はとうとう本物の剣を持ち出してきた。
想像できるだろうか。
自分より確実に強い大人の男が、容赦なく刃物を振るってくる恐怖を。
今なら分かるが、エディサマルは急所を避けて斬りつけていた。
最悪でも死にはしない、そういった斬り方だ。
だが8歳の少女にそんなことが分かるはずもなく、アリアネは自分がパンパンに膨らんだ水風船であるかのように、一撃でも受けようものなら破裂して死ぬという恐怖と戦うことになった。
剣を振り上げたエディサマルの視線から予測して、それを受け流す方向に剣を構える。
できなければ死ぬ。
皮膚が裂けて血が吹き出して骨が砕けて死ぬ。
恐怖。
恐怖恐怖。
恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
――。
濃密この上ない10ヶ月の特訓が終わった頃、アリアネは自分の中の最大の恐怖に「対処」したくなった。
場所はエディサマルが教えてくれた。
彼はこうなることを分かっていたのだ。
「ああ? なんだこのガキ。
その傷はもしかしてダージア領の貴族の娘か?
もう片方の目も潰されにきたってわけか」
両親を殺した盗賊と対峙すると、見えなくなった左目の傷がズキズキと痛んだ。
斬られた時の光景が思わずフラッシュバックしたが、記憶の中の男の剣筋は、エディサマルのものとは比較にならないほど鈍く、まるで止まっているように見えた。
盗賊は大人でアリアネは子どもだったが、こと剣の腕に関しては、アリアネのほうがずっと大人になっていた。
身体のどこを傷つければ痛いのか、それこそ痛いほど身をもって知っているアリアネの手によって、盗賊は最大の痛みと恐怖を味わいながら絶命することになった。
「ベスピアのエディサマル……」
16歳になったアリアネは剣を振る手を休め、かつての師匠の名をつぶやいた。
ダージアのアリアネ。
出身地つきでそう名乗るようになったのも、もちろんエディサマルに憧れてのことだ。
アリアネが9歳の誕生日を迎える前に彼は再び旅に出てしまったが、それからも何度か、彼の活躍は風の噂で耳に入っている。
「ヘルベルト様の領地はかなり遠い。
どうせ長旅となるのだ、せっかくだからエディサマルのところにも寄って、あいさつのひとつでもしておこう」
そう決めると、急に旅支度を急ぎたくなった。
アリアネは執事長ベンを大声で呼んであれこれ指示すると、出発を遅らせるためだけに熱中していた特訓を切り上げ、跳ねるような足取りで屋敷へと帰っていった。
15
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
断罪された薔薇の話
倉真朔
恋愛
悪名高きロザリンドの断罪後、奇妙な病気にかかってしまった第二王子のルカ。そんなこと知るよしもなく、皇太子カイルと彼の婚約者のマーガレットはルカに元気になってもらおうと奮闘する。
ルカの切ない想いを誰が受け止めてくれるだろうか。
とても切ない物語です。
この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。
「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することはない!」「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! 最っ低!」
仕事大好き女が「お飾りの妻最高!」と恋愛感情無しで結婚したらこうなるよね、というお話。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
こうして私は悪魔の誘惑に手を伸ばした
綴つづか
恋愛
何もかも病弱な妹に奪われる。両親の愛も、私がもらった宝物もーー婚約者ですらも。
伯爵家の嫡女であるルリアナは、婚約者の侯爵家次男ゼファーから婚約破棄を告げられる。病弱で天使のような妹のカリスタを抱き寄せながら、真実の愛を貫きたいというのだ。
ルリアナは、それを粛々と受け入れるほかなかった。
ゼファーとカリスタは、侯爵家より譲り受けた子爵領へと移り住み、幸せに暮らしていたらしいのだが。2年後、『病弱』な妹は、出産の際に命を落とす。
……その訃報にルリアナはひっそりと笑みを溢した。
妹に奪われてきた姉が巻き込まれた企みのお話。
他サイトにも掲載しています。※ジャンルに悩んで恋愛にしていますが、主人公に恋愛要素はありません。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる