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03 旅立ち
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翌朝、愛馬テローの背に乗ったアリアネは、ベンを相手にダージア領の今後についての最終確認をしていた。
「ヘルベルト様に会って婚約破棄していただいたら、私はそのまま旅の剣士として放浪して暮らすつもり。
もう戻ることはないから、近隣の領主に掛け合って併合してもらってちょうだい。
誰が一番いいかはあなたのほうが知っているでしょう?」
「そりゃ分かりますが、何もすべてを手放すことはないでしょうに。
お嬢様の帰りを何年でも待つっていう領民も、ここにはごまんと――」
「その議論はゆうべしたわ。
いいわね、婚約破棄の知らせが届きしだい、ちゃんと言うとおりにやりなさい」
この狭い領地でごまんは言いすぎだが、たしかにアリアネの境遇を思い、両親が亡くなった後でも忠誠を誓ってくれている民はそれなりにいる。
だが、アリアネが戻ることはもうないのだ。
アリアネの心残りは、もはや婚約の件しかない。
両親の復讐を果たした彼女に残ったのは、顔も知らぬヘルベルト辺境伯と父が交わした結婚の約束だけ。
約束どおりに結婚するのが父への手向けになるのは間違いないが、顔に醜い傷を持ち、両の手を血で真っ赤に染めた「ダージアのアリアネ」が相手では、辺境伯の評判も地に落ちるというものだ。
おそらく父に恩義か何かがあって断りづらいのだろうが、直接この顔を見せれば、さすがに考えを改めて婚約破棄を言い渡してくるに違いない。
(そうすればもう、思い残すことはなくなる)
アリアネは死ぬつもりでいた。
旅の剣士になるなんて口から出まかせだ。
エディサマルが去ってからも独自に訓練を続けたことでやたらと強くなってしまったが、本当は戦うことが好きなわけではない。
降りかかる火の粉を払ってきただけで、隻眼の女剣士の名が勝手に広まってしまった。
婚約破棄されたらその足でどこか景色のいい崖にでも登って、両親を思いながら飛び降りる。
まるで傷心した乙女のように。
ダージアのアリアネも心は女だったのかなんて、笑い話にしてもらえるいい最期かもしれない。
「じゃあね、ベン。
今まで尽くしてくれて感謝してるわ」
「お嬢様……。
それで、ヘルベルト様のところへは真っ直ぐに?」
「え? ベスピアに寄るつもりだけど」
「ベスピア領!」
ベンはニヤニヤといやらしい表情をした。
ゆうべ会話した時にも感じたのだが、この老人はどうも今回の旅を楽観視している節がある。
今生の別れとまでは思っていないにしても、アリアネの真剣な覚悟が伝わっていないのだろうか。
「ベスピアがどうかしたの?
ただ少し寄るだけよ」
「初恋の騎士にお会いできるといいですねえ」
「はあ?」
初恋?
ついに耄碌したのかもしれない。
昔からずっと老人だったので気にしていなかったが、苦労つづきの生活で無理が祟ったということか。
「エディサマルは剣の師匠よ。
初恋なんてしてないわ」
「おや、おかしいですねえ。
あっしはエディサマル様のことなんてひと言も口にしておりませんのに」
「ちっ」
調子が狂う。
アリアネは黙ったままベンをにらみつけてテローを進ませると、軽く手を挙げて屋敷をあとにした。
(初恋だなんて悪い冗談。
もしそうなら、8年間ずっと剣術を続けてた私が、まるで未練たらたらの情けない女みたいじゃない)
背中に乗せた主人の体温をいつもより高く感じたのだろうか。
テローは足を進めながら、ぶるるると軽くいなないた。
「ヘルベルト様に会って婚約破棄していただいたら、私はそのまま旅の剣士として放浪して暮らすつもり。
もう戻ることはないから、近隣の領主に掛け合って併合してもらってちょうだい。
誰が一番いいかはあなたのほうが知っているでしょう?」
「そりゃ分かりますが、何もすべてを手放すことはないでしょうに。
お嬢様の帰りを何年でも待つっていう領民も、ここにはごまんと――」
「その議論はゆうべしたわ。
いいわね、婚約破棄の知らせが届きしだい、ちゃんと言うとおりにやりなさい」
この狭い領地でごまんは言いすぎだが、たしかにアリアネの境遇を思い、両親が亡くなった後でも忠誠を誓ってくれている民はそれなりにいる。
だが、アリアネが戻ることはもうないのだ。
アリアネの心残りは、もはや婚約の件しかない。
両親の復讐を果たした彼女に残ったのは、顔も知らぬヘルベルト辺境伯と父が交わした結婚の約束だけ。
約束どおりに結婚するのが父への手向けになるのは間違いないが、顔に醜い傷を持ち、両の手を血で真っ赤に染めた「ダージアのアリアネ」が相手では、辺境伯の評判も地に落ちるというものだ。
おそらく父に恩義か何かがあって断りづらいのだろうが、直接この顔を見せれば、さすがに考えを改めて婚約破棄を言い渡してくるに違いない。
(そうすればもう、思い残すことはなくなる)
アリアネは死ぬつもりでいた。
旅の剣士になるなんて口から出まかせだ。
エディサマルが去ってからも独自に訓練を続けたことでやたらと強くなってしまったが、本当は戦うことが好きなわけではない。
降りかかる火の粉を払ってきただけで、隻眼の女剣士の名が勝手に広まってしまった。
婚約破棄されたらその足でどこか景色のいい崖にでも登って、両親を思いながら飛び降りる。
まるで傷心した乙女のように。
ダージアのアリアネも心は女だったのかなんて、笑い話にしてもらえるいい最期かもしれない。
「じゃあね、ベン。
今まで尽くしてくれて感謝してるわ」
「お嬢様……。
それで、ヘルベルト様のところへは真っ直ぐに?」
「え? ベスピアに寄るつもりだけど」
「ベスピア領!」
ベンはニヤニヤといやらしい表情をした。
ゆうべ会話した時にも感じたのだが、この老人はどうも今回の旅を楽観視している節がある。
今生の別れとまでは思っていないにしても、アリアネの真剣な覚悟が伝わっていないのだろうか。
「ベスピアがどうかしたの?
ただ少し寄るだけよ」
「初恋の騎士にお会いできるといいですねえ」
「はあ?」
初恋?
ついに耄碌したのかもしれない。
昔からずっと老人だったので気にしていなかったが、苦労つづきの生活で無理が祟ったということか。
「エディサマルは剣の師匠よ。
初恋なんてしてないわ」
「おや、おかしいですねえ。
あっしはエディサマル様のことなんてひと言も口にしておりませんのに」
「ちっ」
調子が狂う。
アリアネは黙ったままベンをにらみつけてテローを進ませると、軽く手を挙げて屋敷をあとにした。
(初恋だなんて悪い冗談。
もしそうなら、8年間ずっと剣術を続けてた私が、まるで未練たらたらの情けない女みたいじゃない)
背中に乗せた主人の体温をいつもより高く感じたのだろうか。
テローは足を進めながら、ぶるるると軽くいなないた。
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