色のない虹は透明な空を彩る〜空から降ってきた少年は、まだ『好き』を知らない〜

矢口愛留

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第五章 橙

第78話 「もう、独りじゃない」

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 どうしても眠れなかった私は、セオと少し話をしようと思い、廊下に出る。
 セオの部屋の前に立ち、小さくノックをすると、すぐさま部屋の扉が少しだけ開いた。

「セオ、お邪魔していい?」

 セオは困ったような顔で、扉の隙間から小声で話しかけてきた。

「……ちょっと散歩しよう。上着、着ておいで」

「うん、わかった。ちょっと待っててね」

 私は一度自分の部屋に戻って、外套を羽織り、再び廊下に出る。
 セオも暖かそうな外套を身につけて、廊下で待っていてくれた。

「お待たせ」

「ううん。さあ、行こうか」

 セオは、自然と手を差し出してくれる。
 そのまま指を絡ませて歩き出すと、とくとくと鼓動が早まってくる。

 隣を歩くセオは、私よりほんの少し背が高い。
 再会してすぐの頃は、同じくらいの身長だったのに――このまま背が伸びたら、いつか見上げるくらいの身長になるのだろうか。

 どんどん頼りになっていくセオ。
 一緒の目線で見る景色も素敵だけど、こうして自然とリードしてくれるセオと一緒にいると、まるで自分が物語のプリンセスになったみたいに、ふわふわした気持ちになる。
 けど、セオは物語の王子様より、ずっとずっと――




「この街には、空がないんだ」

 イーストウッド侯爵家の庭にある、小さな森。
 手を繋いで散策していると、セオはそう呟いた。

「世界樹に覆われているから?」

「そう。でも、光はちゃんと入ってくるし、誰も不満に思ってない。世界樹は、この街を悪いものから護ってくれるから」

 セオはふと立ち止まって、上を見上げる。
 世界樹の葉を透した月明かりが、その美しい顔を照らしている。
 金色の瞳は、月のある方向を見ていた。

「聖王都で暮らしていた時、僕は、街の中なら自由に飛べた。けれど、アル兄様と一緒に帝都に行く時以外は、街の外には出られなかった」

「そっか……」

 空の神子であるセオは、本来、空を飛んでどこへでも行ける。
 空は繋がっていて、風は自由だ。

 そんなセオにとってこの街は、自由を奪う鳥籠のようなものだったのだろう。

 失われた感情。いなくなってしまった家族。奪われた翼。

 ――寂しかったんだ。
 たとえ、それを理解する感情が失われていたとしても。

「セオ……寂しかったね」

 私は、繋いでいる手を持ち上げ、もう一方の手でセオの手の甲に触れる。
 私より大きくて、しっかりした手。
 儚く美しい容貌をしていても、やっぱり男の子の手だ。

 セオは、私の方に顔を向ける。
 その表情は、優しくあたたかい。

「今は、寂しくない。パステルがいて、お祖父様がいる。もう、独りじゃない」

 優しい声には、満たされた響きが確かにあった。
 セオは私の髪に手を伸ばし、甘やかすようにゆるゆると髪を梳く。

「パステル――ありがとう」

「――ううん。こちらこそ、ありがとう」

 髪を梳いていたセオの手が、頬に伸びてくる。
 甘やかな熱が、その瞳には宿っていた。
 私は、ねだるようにゆっくりと目を閉じる。

 頬に触れていた手が、頭の後ろへと回る。

 そして――

 優しい感触が、ひとつ。

 唇にそっと、落とされたのだった。



 翌朝。
 私は少し寝坊してしまい、侯爵家の使用人に起こされることとなった。

 昨日は結局なかなか寝付くことが出来ず、ようやく眠ることが出来たのは、空が白み始めた頃だったのだ。
 あの後すぐに部屋に戻ったのたが、セオはきちんと眠れたのだろうか。


 今日は地の神殿に入る予定だ。
 イーストウッド侯爵の手配によって、観光客として見学させてもらうことになったのである。

 聖王都南側の三施設。
 すなわち、『地の神殿』『精霊の祭壇』『豊穣の祭壇』は、観光名所にもなっているらしい。

 特に『地の神殿』は国内外問わず人気の観光地で、神殿内部は四つの区域に分けられている。

 一つ目は、一般の見学区域。
 神殿の外周や、入り口にほど近い場所がこれにあたる。
 重厚な美しい建築様式で、歴史を感じられる造りになっているとのことだ。

 二つ目は、権力者や富豪など一部の者だけが立ち入れる特別開放区域――いわゆるVIPエリアである。
 この区域は、一般開放区域の倍以上の広さがあり、金ピカの豪華絢爛ごうかけんらんな装飾がされていて、サロンまで付いているそうだ。
 金ピカの場所でお茶なんて落ち着かないと思うのだが、お金持ちはこれで大抵満足して帰るらしい。

 三つ目は、王族や神官、聖王都で要職につく者が立ち入れる関係者区域。
 特別開放区域のゴテゴテした装飾に紛れて目立たない場所に、関係者専用の通路が用意されていて、そこを抜けるとこの区域に入る。
 この区域へ至る道は、一般区域とも特別区域とも異なり、一転して質素で簡易的な造りになっているそうだ。
 明かりも設置されていないので、ランタンが必要らしい。

 そして四つ目は、関係者区域のさらに奥――地の精霊の神子とそれに連なるものだけが入れる場所だ。
 私たちの目的地は、この最深部にある『真なる』地の神殿である。


「地の神殿は観光名所になっているからのう、昼間はけっこう人が多いんじゃよ。しかも社交シーズンの首都じゃからのう、普段よりも混雑していると思うぞい」

「そんな混んでいるところに行って、大丈夫なのですか? フレッドさんも、セオも有名人ですよね」

「はっはっは、超超超有名人じゃぞい! さらに最近はワシが生きてたという噂が出とるからの、話題沸騰絶賛トレンド入りじゃぞ。見つかったら大変じゃのう」

 私の質問に、フレッドはカラカラと笑う。
 こうやって本人がおどけていると、大した問題ではないのかもと勘違いしそうになるが、そんな訳はない。

「えっと……じゃあ、どうするんですか?」

「二通りの方法があるのう」

 フレッドは、そう言って指を二本、ピッと立てた。

「一つは、閉館間際に入ること。もう一つは、一番混んでる時間に堂々と入ること。ワシは後者がいいと思うのう」

「……? 混んでる時間にって、大丈夫なんですか?」

「うむ。木を隠すなら森の中と言うじゃろう。観光客の多い時間帯なら、紛れ込むのも容易じゃ。大半の人間は、他人に興味なぞないじゃろうからな。
 反対に閉館間際に入れば、不特定多数の人間に見られることはない。じゃが、逆に悪目立ちする可能性が高いのう。
 その上なかなか出てこないとなると、守衛や係員に怪しまれて問い詰められるやもしれん」

「そういうものですか?」

「まあ、ワシを信じなされ。イーストウッド侯爵も一緒じゃし、大丈夫じゃよ」

 フレッドは自信たっぷりに胸を叩き、ニカっと笑ったのだった。
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