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エピローグ
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「キリカ、早く起きなさい!」
女性の声で眠りを妨げられた。人に起こされるなど何年ぶりだろう。半分寝ぼけながら寝巻代わりのジャージ姿で部屋を出ると、懐かしい匂いが漂ってきた。
キッチンへ行くとエプロン姿の猪瀬京香、いや母が立っていた。テーブルの上には味噌汁にゴハン、いわゆる昔ながらの朝食が並んでいる。そしてテーブルで新聞を読んでいるのは山鹿行成、私の父だ。
「早くご飯食べなさい。今日は大切な日だろ」
テレビや漫画でしか見たことが無かった一般的な日常風景がそこにはあった。ただし、私はもうすぐ30歳になるいい大人で、しかもこの村の村長だ。
「やっぱり、なんか恥ずかしいんですけど」
猪瀬京香のたっての願いで、一週間だけという約束で私達は山鹿の家で一緒に暮らしている。国の視察が猪鹿村に来ることになり、その為の準備や村人への説得に二人は協力してくれている。一緒に住む必要は全く無いと言ったのだが、失われた時間を少しでも取り戻したいのと請われ仕方なく了承したのだ。二人の事を両親と実感するには、まだ時間がかかることだろう。
「おはようございます!」
「おはようございます」
チャイムが鳴ると二つの声が同時に聞こえてきた。
「二人とも、上がって」
猪瀬京香が玄関に声をかける。あの声は青井さん、そして赤木さんだ。
「ちょっと、私まだこんなかっこなんだけど!」
「早く起きないからでしょ」
文句を言いながら部屋へと引き返すと、急いで着替え簡単なメイクをする。眉くらい描かせてもらわないと、すっぴんで男の前に出れる年齢でもないのだ。
慌てて整えてくると、既にテーブルには青井さんと赤木さんが座っていた。
「相変わらず、ぎりぎりですね。もう少し村長としての自覚を……」
「いえ、それくらいどっしりと構えて頂かないと、キリカさんは名実共にこの村の長なのですから。些末な事は私達がやりますので」
青井さんはもちろんだが、赤木さんも今では第2秘書として私をサポートしてくれている。猪瀬家に仕える赤木家の人間としては、猪瀬の後継ぎになる私に仕えるのは当然の事ですと言われた。色々と黒い噂のある人物だけに全面的には信用できないではいるが、青井さんが「彼は自分に利のある限りは裏切らないと思います」と言うので仕方なく了承した。
気になるのは、やたら赤木さんが私に寄せてくることだ。
5人揃ったところで、朝食になった。なんというか不思議な光景でもある。
「これが、本日、国からの視察に来られる方の名簿です」
朝食後、青井さんがコーヒーを淹れてくれている間に、赤木さんが名簿を渡してくれた。そこには経歴から趣味、好みまで個人情報だろうと思われる事まで詳細に書かれてあった。
「これって?」
「名前さえわかっていればSNSやツイッターを利用して調べることができますから。もちろん、それ以外のつてもありますが」
「私、忖度するつもりはないわよ」
「わかってます。これはあくまで、おもてなしの為ですので」
最近わかってきたが、彼はこういう抜け目の無いところがある。目的の為なら手段を選ばず、自分の感情さえコントロールできる人だ。政治の世界は綺麗ごとだけでは無いのも、選挙を通じてわかったことなので、頼もしいといえば頼もしいのだが。
「キリカ、先日渡したローカル5Gの資料、ちゃんと読んでおいたか?」
「ちゃんと読んでますよ」
スーパーシティ構想にも欠かせない通信環境の整備の為、猪鹿村では年内には行われるローカル5Gの免許の取得も目指している。ローカル5Gとは次世代通信規格5Gの電波帯をドコモなどの通信キャリアとは別に自治体や工場などの土地の所有者が利用できる仕組みで、地域限定のネットワークをできる。パナソニックや東芝といった電気メーカも獲得を狙って動いている。
もちろんだが、村の人達が全員賛同してるわけでも、協力してくれているわけではない。私に対しての陰口や、前村長や猪瀬京香の関係、いや私達家族に対しての否定的な意見も耳にする。
時代が変わる時、それを否定する人達は常にいる。変らないことを選ぶのだって、生き方の一つだ。変化とは恐怖だし、多様性を認めるというのは言葉で言うほど簡単な事じゃない。変わりたくても変われない人達だっている。
それでも、昔のように信仰によって隠れることは無い。400年前「神の前に人は平等である」という信仰が迫害されていた時代の人達、この猪鹿村を作ったご先祖様は何を考えてこの村を作り、維持してきたのだろう。この村が400年という歴史を生きながらえてきたのは、何か希望があったからではないだろうか。
絶望は人を殺すというのなら逆に希望こそが人を活かすんじゃないか。そんな事を考えてしまう私は、結局あの人の娘なのだろうか。
成功は約束などされていないし、世の中には失敗のほうがありふれている。それでも、挑戦し続けることでしか希望は維持できない。
だから私はまず初めに、自分の希望を失わないでいこうと思う。それが、村長に選んでくれた人達への責任ではないかと思う。
「キリカさん、行きますよ」
青井さんが私を呼ぶ。きっと今日が村の未来への第一歩になる。
猪鹿村の未来は、その時が来たらまた書いていきたいと思う。
女性の声で眠りを妨げられた。人に起こされるなど何年ぶりだろう。半分寝ぼけながら寝巻代わりのジャージ姿で部屋を出ると、懐かしい匂いが漂ってきた。
キッチンへ行くとエプロン姿の猪瀬京香、いや母が立っていた。テーブルの上には味噌汁にゴハン、いわゆる昔ながらの朝食が並んでいる。そしてテーブルで新聞を読んでいるのは山鹿行成、私の父だ。
「早くご飯食べなさい。今日は大切な日だろ」
テレビや漫画でしか見たことが無かった一般的な日常風景がそこにはあった。ただし、私はもうすぐ30歳になるいい大人で、しかもこの村の村長だ。
「やっぱり、なんか恥ずかしいんですけど」
猪瀬京香のたっての願いで、一週間だけという約束で私達は山鹿の家で一緒に暮らしている。国の視察が猪鹿村に来ることになり、その為の準備や村人への説得に二人は協力してくれている。一緒に住む必要は全く無いと言ったのだが、失われた時間を少しでも取り戻したいのと請われ仕方なく了承したのだ。二人の事を両親と実感するには、まだ時間がかかることだろう。
「おはようございます!」
「おはようございます」
チャイムが鳴ると二つの声が同時に聞こえてきた。
「二人とも、上がって」
猪瀬京香が玄関に声をかける。あの声は青井さん、そして赤木さんだ。
「ちょっと、私まだこんなかっこなんだけど!」
「早く起きないからでしょ」
文句を言いながら部屋へと引き返すと、急いで着替え簡単なメイクをする。眉くらい描かせてもらわないと、すっぴんで男の前に出れる年齢でもないのだ。
慌てて整えてくると、既にテーブルには青井さんと赤木さんが座っていた。
「相変わらず、ぎりぎりですね。もう少し村長としての自覚を……」
「いえ、それくらいどっしりと構えて頂かないと、キリカさんは名実共にこの村の長なのですから。些末な事は私達がやりますので」
青井さんはもちろんだが、赤木さんも今では第2秘書として私をサポートしてくれている。猪瀬家に仕える赤木家の人間としては、猪瀬の後継ぎになる私に仕えるのは当然の事ですと言われた。色々と黒い噂のある人物だけに全面的には信用できないではいるが、青井さんが「彼は自分に利のある限りは裏切らないと思います」と言うので仕方なく了承した。
気になるのは、やたら赤木さんが私に寄せてくることだ。
5人揃ったところで、朝食になった。なんというか不思議な光景でもある。
「これが、本日、国からの視察に来られる方の名簿です」
朝食後、青井さんがコーヒーを淹れてくれている間に、赤木さんが名簿を渡してくれた。そこには経歴から趣味、好みまで個人情報だろうと思われる事まで詳細に書かれてあった。
「これって?」
「名前さえわかっていればSNSやツイッターを利用して調べることができますから。もちろん、それ以外のつてもありますが」
「私、忖度するつもりはないわよ」
「わかってます。これはあくまで、おもてなしの為ですので」
最近わかってきたが、彼はこういう抜け目の無いところがある。目的の為なら手段を選ばず、自分の感情さえコントロールできる人だ。政治の世界は綺麗ごとだけでは無いのも、選挙を通じてわかったことなので、頼もしいといえば頼もしいのだが。
「キリカ、先日渡したローカル5Gの資料、ちゃんと読んでおいたか?」
「ちゃんと読んでますよ」
スーパーシティ構想にも欠かせない通信環境の整備の為、猪鹿村では年内には行われるローカル5Gの免許の取得も目指している。ローカル5Gとは次世代通信規格5Gの電波帯をドコモなどの通信キャリアとは別に自治体や工場などの土地の所有者が利用できる仕組みで、地域限定のネットワークをできる。パナソニックや東芝といった電気メーカも獲得を狙って動いている。
もちろんだが、村の人達が全員賛同してるわけでも、協力してくれているわけではない。私に対しての陰口や、前村長や猪瀬京香の関係、いや私達家族に対しての否定的な意見も耳にする。
時代が変わる時、それを否定する人達は常にいる。変らないことを選ぶのだって、生き方の一つだ。変化とは恐怖だし、多様性を認めるというのは言葉で言うほど簡単な事じゃない。変わりたくても変われない人達だっている。
それでも、昔のように信仰によって隠れることは無い。400年前「神の前に人は平等である」という信仰が迫害されていた時代の人達、この猪鹿村を作ったご先祖様は何を考えてこの村を作り、維持してきたのだろう。この村が400年という歴史を生きながらえてきたのは、何か希望があったからではないだろうか。
絶望は人を殺すというのなら逆に希望こそが人を活かすんじゃないか。そんな事を考えてしまう私は、結局あの人の娘なのだろうか。
成功は約束などされていないし、世の中には失敗のほうがありふれている。それでも、挑戦し続けることでしか希望は維持できない。
だから私はまず初めに、自分の希望を失わないでいこうと思う。それが、村長に選んでくれた人達への責任ではないかと思う。
「キリカさん、行きますよ」
青井さんが私を呼ぶ。きっと今日が村の未来への第一歩になる。
猪鹿村の未来は、その時が来たらまた書いていきたいと思う。
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