山鹿キリカの猪鹿村日記

伊条カツキ

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猪鹿村の未来

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「天草四郎は、数々の奇跡で村人を救ったと言われています」

 島原で天草四郎は奇跡の技を使い病人を癒したという。その奇跡はこの村でも行われた。
 それは彼に対する信仰となった。彼はキリシタンの奇跡と叛乱のシンボルであった。だからこそ、幕府は彼の存在を恐れた。そして、彼の存在を匿うことがこの村の伝統となった。

 私は茶色のガラス瓶を取り出すと、それを逆さにする。一滴ずつしずくが机の上に落ちる。周囲にラベンダーの香りが漂った。

「おそらく、これがその奇跡の正体です」
「この匂い……アロマ?」

 植物の油を抽出して使用するアロマは、現在では様々な効能が化学的に判明している。炎症をおさえたり、呼吸器系の疾患を和らげたりとだ。それが、雨雲さんが巨石の近くで見たという割れた陶器から推測した奇跡の結論だった。

「アロマというより薬草学と言ったほうが正しいのかもしれません。中世ヨーロッパではアロマオイルは白魔術とも呼ばれていました」

 今では当たり前の効能も、時代によっては奇跡となる。過去、魔術や奇跡を思われていたものが解明された事は多い。

「だからと言って、私は奇跡を否定したいのではありません。信仰を否定する気もありません。ただ知って欲しいんです」

 村長になってからずっと考えてきた。どうして人は変化を嫌うのか。伝統という名のもとに考えることをやめてしまうのか。それは知らないからだ。知ろうとしないからだ。だから、私は全てを明らかにしようと思った。それは、私自身の事についてもだ。


 数日前、青井さんの家で彼の作ったパスタを食べ終えた後、ビールを飲みながら私は彼にこう切り出した。

「ねぇ、私に隠してること全て教えてくれない」
「私が、ですか?」
「あんたや村長……いや、今は私が村長だから、前村長か。そんな細かいことはどうでもいいとして、埋蔵金の事やこの村が隠れキリシタンの里だったこと、誰かを祀っていること、それから……とにかく他にもいろいろよ」
「しかし……」

 私は村長だ。この村の全てを知る権利がある。いや、知らなければ本気でこの村の事なんか考えることはできない。雨雲さんから聞いたが前村長の病気はガンだったそうだ。少しでも早く手術したほうがよかったのに、知らせればみんなが心配するからと誰にも告げずにいたという。

 はっきり言って大馬鹿だ。

 あの人は自分の命より村の事が大切なのだ。それだけの価値がこの村にはあるのだ。

「本当にいいんですか?」
「覚悟ができてるとは思わないけど、知らない事を後悔するより知って後悔することを私は選びたいの」
「……わかりました。知っていること、全てお話します」

 村長選挙での対立候補であった猪瀬京香。私が彼女に何となく感じていた感覚の正体、そして私が、村長の後継ぎに選ばれた本当の理由。それを私は知った。もちろん文句の1つ二つ、いやもっとたくさん言いたい事はある。でもそれは、後回しでいい。理由はどうであれ、私はこの村の村長に選ばれたのだ。半年前の私だったら、決してこんな風に思わなかった。選ばれるという事は人を変えるのかもしれない。

 私は雨雲さんから聞いた村の成り立ちから歴史、全てを話した。傍聴に来ていた村の人達の反応もそれぞれだ。ここからが、私達にとって本当の勝負だ。議員の一人が立ち上がって意見を述べる。

「村長のお話は、いくつかの事実と思われる部分もあるが、所詮は空想の昔話だ。それに、これからの村に必要なのは過去の歴史ではなく、これからどうするかでしょう」

 伝統に縛られ、余所者を排除してきたあなた達がそれを言うかと思ったが、歴史から学ぼうとしない人達は「過去は過去、今は今だと」言う。

「私も村に必要なのはこれからだということには賛成です。だからこそ皆さんにこの村の歴史を知って欲しかったのです」
「村長、もうお喋りはそこまでにしてください。私達はあなたに対して……」

 その発言を手で制して、私は声高に告げた。

「私は、ここに議会を解散し、地方自治法94条において村民総会を設けることを提案します」
「94条?」
「なんだ、それは」

 私の発言に会場内が騒然となる。
 地方自治法94条にはこう書かれている「町村は条例で、第89条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」と。これは議会を置かず、選挙権を持つもの全員の総会によって自治体を運営していくという直接民主主義の在り方だ。

 日本では歴史上、町村議会が置かれたのは神奈川県の芦之湯村と東京都宇津木村の2例しかない。2017年に高知県の大川村が検討を行っているが、いまだ実施はされていない。

「村民総会だって!」
「どういう意味だ」

 傍聴席の中でただ一人苦い顔をしている男を見つけた。かつて猪瀬京香の秘書だった赤木さんだ。彼は頭が切れる。おそらく、私の発言の意図も理解しているはずだ。彼にはこの場で発言権はない。それは、表に出ず裏で事を運んできた彼の落ち度だ。

「村民総会を設置し、村長や議会に任せるのではなく村人一人一人がこの村を運営し、村の為にできる事を考えるんです」

 会場内全て人達が騒然としていた。村の人達からしたら当然だ。村民総会を設置するということは、他人事だと思っていた村の政治を自分達も担うことになるからだ。

「人はなぜ考えることをやめるのでしょう? 知ることを諦めるのでしょう? それは他人事だからです。私もそうでした。村の未来など私には関係ない。他の誰かがやってくれるから任せておいて、何となく文句だけ言ってればいい。そうじゃないですか?当事者意識がなければ、考えることも知ることもない。だからこそ、村の未来を皆さんが考える為には、議会そのものが邪魔なのかもしれないと思いました」

「なにを馬鹿なことを!」
「無責任じゃないか!」
「そうだ! 村長に就任して二カ月も経たないうちに放りだすのか!」
「前村長の政策はどうするんだ!」

 傍聴席から罵声が飛ぶ。

「そうだ、辞めるな!」
「村長の責任を果たせ!」

 会場内の空気は解散を許さないものになってきた。先ほど発言しようとしていた村議員の顔が青ざめている。こんな状態では、村長の不信任決議、議会を解散させる案など出せるわけがない。その雰囲気に飲まれてか、議員の多くが会場の意見に賛同して声を上げた。

「ありがとうございます!」

 私は声を張り上げ、会場に向かって深く礼をした。潮が引くように静けさが戻ってくる。チラリと青井さんのほうを見る。彼が小さく頷くのが見えた。

「皆さんのお声が無ければ、私は村長という立場を放り出してしまうところでした。先ほどの提案は取り下げます。それでは私に、このまま村長としてこの村の将来を託してくださいますか?」

 苦い顔をしている議員に笑顔を見せる。ここからが本命だ。

「それではもう一つの案を提案させて下さい。私はこの猪鹿村を、国家戦略特区「スーパシティー」構想の選定地域として名乗りをあげます!」

 私の合図で会場内の明かりが落ちる。プロジェクターに映し出されるのは《猪鹿村スーパーシティ構想》の映像だ。自然と共生しながら、ハイテク技術が使用されているその光景は、未来の村の姿だ。

 スーパーシティ構想とは2018年11月に構想案が出され、2019年4月に提示された。GW後に国会に提出される予定の国家戦略特区法改正案に盛り込まれた一案だ。

 世界最先端の技術の実証実験、第4次産業革命後の未来社会を先行実現するショーケースとなる小さな地域が選定される。
 その地域では、車の自動走行、ドローンでの配達、完全キャッシュレス化、その他、オンライン治療、AI教育、ロボット介護、自然エネルギーなど様々な分野で実験的な未来の地域作りが行われる。その地域内は国、自治体、企業で構成するミニ独立政府が運営の主体となることが決められている。2030年頃に実現される未来社会を地域内限定で完全実施する取り組みだ。

 スーパーシティ構想の根幹を成すのは通信環境だ。全ての技術や物がネットワークに繋がる事が前提となる。そういう意味ではこの猪鹿村は最適だ。高齢者が多い半限界集落というのも、この場合は強みになる。前村長はここまで考えていたのだ。

 前村長は言っていた。集落や組織が生き残っていく為に必要なのは変化し続けること、希望だと。未来への希望が人々を団結させ、前に進ませると。希望の前では過去の過ちや人間関係のいざこざも、全て薄れてしまうのだと。

「スーパーシティ構想は住民が自ら合意し参画すること。そして強いリーダーシップを持った首長、それを支える組織が求められます。皆さん、私と一緒にこの猪鹿村を限界集落から、最先端のスーパーシティに蘇らせましょう!」

 そう言って私は拳を振り上げる。移住してきた人や、戻ってきていた若い人達が中心となり、それに答えてくれた。

 盛り上がる会場を不満気に見ていた村議員が大きな音を上げて立ち上がった。

「村長! 未来を見すえた提案もよろしい。ですが、一つだけ答えて頂きたい。あなたは前村長、山鹿行成の娘だという事で選挙に出た。だが、それが嘘だという噂がある。これについてはどう思われますか!もし、それが事実ならば経歴詐称にあたります」

 私が声を発しようした時、会場の戸が開いて一人の男が入ってきた。

「その質問には私が答えよう」

 前村長、山鹿行成だ。タイミングはバッチリだ。入院生活で随分痩せているし、少し足取りはおぼつかない。会場内の視線を受け、彼は私に向かって歩きだす。するとまた一人、立ち上がった女性がいた。それは、猪瀬京香だった。
 お互い顔を見合わせて頷くと、二人は一緒に私のとこに来た。口を開いたのは猪瀬京香だった。

「村の皆さん。村長は私達にこの村の全てを教えてくれました。だから、私達も隠し事はしません。彼女は間違いなく、山鹿行成の娘です。そして同時に、私の娘でもあるのです」

 彼女の告白に会場内は再び騒然とした。その後に前村長、山鹿行成が続く。

「猪瀬と山鹿、両家の血を継ぐ彼女こそ、この猪鹿村の未来を託すのにふさわしい。そうは思いませんか!」

 私は、この二人に言いたいことが山ほどある。どうして幼い私を置いていったのか、どうしてすぐに実の親だと名乗ってくれなかったのか。どうして、どうして……。
 でも、そんな過去はもう関係ない。私達は、これから未来に向かっていくのだから。
 だから私は黙って山鹿行成、いや父の前に立った。

 そして、思いっきり頬を平手打ちした。

 小気味の良い音が響いた。それは、20何年分の思いがこもった平手打ちだった。

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