番シリーズ 番外編

伊織愁

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『白カラスにご慈悲を!!』〜番外編 結婚編 壱〜

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 窓際に置かれた白薔薇のブーケが光り輝く。 毎朝の日課であるブーケに魔力を注ぎ、息を吐く。

 「うん、今日も綺麗だわ」

 流れる様に銀色に光るブーケを見つめ、リィシャは暫し考える。

 もうそろそろコサージュを作った方がいいかしら。 まだ、半年あるけどちょっとくらいら練習したいしっ。

 「シア、出る時間だよ」

 扉の外から番であるユージーンの声が耳に届く。 優しい声音に、リィシャのエメラルドの瞳が明るく輝く。

 「はい、今、行きます」

 扉を開けると、愛し気な色を紫の瞳に滲ませ、リィシャを見つめるユージーンが待っていた。 瞳を細め、優しい声がリィシャの耳に届く。

 「おはよう、シア」
 「おはよう、ジーン」

 馬車は既に玄関先に停められ、サイモンが扉を開けて二人を待っていた。

 リィシャとユージーンが馬車へ乗り込むと、馬車はゆっくりと出発する。

 婚約式に贈られたユージーンの手作りのブーケは、いつもリィシャの部屋の窓際で二人を見守っている。 窓際から朝日が差し、白薔薇のブーケから花びらが一枚、淡く光りながら床へ落ちた。

 もう一枚、花瓶の側にひらりと落ちる。

 ◇

 朝の生徒会室では、授業が始まるまで、今後の学園行事予定と、進捗具合が話し合われていた。

 難しい表情で眉間に皺を寄せているエドワードに、ガラス張りの壁に差す朝日が注がれる。 朝日が後光の様に見え、とても神々しいお姿だ。

 しかし、逆境でエドワードの表情は分かりにくいが、少し機嫌が悪そうだった。

 「……進捗情報の報告……」

 黒髪の前髪の隙間から、金色の瞳がキラリと光る。 リィシャとサイモン、リトルの三人に緊張が走る。 ただ一人、ユージーンだけは平然としている。

 サイモンが代表して、エドワードに答える。

 「……はい、えぇ、芸術祭に引き続き、武術大会も、参加者が中々、集まらずっ」

 エドワードが小さく息を吐く。

 「こればかりは仕方ないかっ……出ても勝てないからなっ」
 「ですね……」

 武術大会は、実力主義で高位貴族になるほど能力が高い。 上位の殆どが高位貴族で争われる。 偶に下位貴族や平民出身生徒が上がって来る時があるが、ほぼベスト16には入れない。

 生徒会メンバーは今回も主催なので、出場しない意向ではあったが、出ざるを得なくなりそうである。

 ジーンとエド様が出たら、殆どの生徒が瞬殺ね……。

 リィシャの右側で立っているユージーンに視線を送る。 視線を感じたユージーンが、相好を崩してにこりと笑う。

 全身の熱が顔に集中して頬が熱くなり、リィシャは視線を逸らした。

 「ジーン、お前は……出ない方がいいか。 サイモンとブラン嬢はどうだ?」
 「私は無理ですっ! 攻撃魔法を持ってませんのでっ。 残念ながら猫族のダンスしか出来ませんっ」
 「そうか」
 「私の能力も契約魔法ですからね……出来る事が限られてますし、出ても何とか勝てる程度、盛り上がりに欠けるので無理でしょうね。 ジーン様は……出たら皆が瞬殺されますしっ」

 リトルとサイモンは何色を示した。

 リィシャは治療魔法を保持しているので救護係だ。 最初から数に入っていない。

 「俺も出ない方がいいなっ」
 
 カラス族って、意外にも能力高いよねぇ。 ジーンとエド様、あ、サイモンも頭いいし。

 自身の成績を思い出し、リィシャの顔色が悪くなる。 卒業まで、あと半年だ。

 嫌な事を思い出したっ! 10番以内で卒業しないといけなかったっ。

 リィシャの父親の遺言で、コモン子爵の爵位を譲る条件に、学園を10番以内で卒業する事とあった。

 卒業の事を思うと、リィシャから深い溜め息が吐き出される。

 百面相をしているリィシャを蕩ける瞳で見つめるユージーンは、甘い空気を漂わせている。 二人の様子に話が中座してしまい、エドワードたち三人は、呆れた様に頬を引き攣らせていた。

 「今朝はもういい。 また、放課後に話そう」
 「分かりました」
 「じゃ、エド、放課後に」
 「エド様、失礼します」
 「ああ」

 リィシャはジーンに背中を押され、生徒会室を出た。

 ガラス張りの扉が小さく音を鳴らして生徒会室の扉が閉められる。 ガラス扉の向こう側で三人の姿が屋上の扉を開け、校舎へ消える様子をエドワードは眺めていた。

 「生徒会長、失礼します」
 「ああ、ブラン嬢」
 
 ユージーンたち三人を見送った後、リトルも生徒会室を出て行った。 見えていないが、彼女の背中には番の偽印が刻まれている。 猫族の長であるケットシーからの命令で、彼から紹介された白猫族の子爵子息と番になった。

 まぁ、あんな事をしたんだから仕方ないよな。

 生徒会メンバーを見送り、武術大会の事を思うとエドワードから溜め息が吐き出された。

 しかし、予期せぬ事で武術大会が大惨事になる事を、エドワードも生徒会のメンバーも予想だにしていなかった。

 ◇

 ビュッフェ形式の昼食は、リィシャの好きな料理が食堂に並んでいる。 沢山の料理が食欲を唆る匂いを漂わせていた。

 大きなガラス窓からは午後の日差しが差し、煌めいている。 多くのお腹を空かせた生徒たちがトレイを手に持ち、並んでいる料理に目移りしている。

 ふふんっ、今日もカスタードプリンは外せないわね。

 リィシャは鼻歌を歌いながら、カスタードプリンを手に取った。 三つ目をトレイに乗せて四つ目に手を伸ばすと、横からユージーンの手が重なる。

 白くて長い綺麗な指に、リィシャの鼓動が跳ねる。 耳元でユージーンの声が優しく囁く。

 「シア、それ以上は駄目だよ」
 「ジーンっ……」
 「太ってウエディングドレスが入らなくなるよ。 まぁ、サイズの微調整は常にしているけどね」
 「えっ……」
 
 ウェディングドレスっ……もう出来上がってるのっ?! 全然、気づかなかったっ。 しかもサイズの微調整してるってっ、いつサイズを測ってるのっ?!

 リィシャの反応で察したのか、ユージーンが困った様な苦笑をこぼした。

 「シア、結婚式まで後半年だよ? 当然、ドレスは用意出来ているよ」
 「……そうっ」

 問題はそこじゃないのよ、ジーン?! サイズを知っていて、当然なのっ?!

 チラリと背後に立っているサイモンへ視線を移す。 リィシャの視線を受けたサイモンは鷹揚に頷いた。 どうやら常識らしい。

 そんな常識、恥ずかしすぎるっ!!

 「……っ」

 小さく息を吐いたリィシャは、他の料理に視線を移す。 結婚式までヘルシーなメニューで我慢を強いられる事が決定してしまった。

 大好きなカスタードプリンを羨ましげに見つめるしかない。

 放課後は直ぐに来た。 放課後での話し合いでも武術大会の答えは出なく、引き続き出場者を募る事に落ち着いた。

 生徒会業務も終わり、クロウ家のタウンハウスに帰り着く。 直ぐにリィシャは自室へと向かった。 既に夕刻で、夕餉の時間だ。 急いで着替えなくてはならない。

 リィシャが部屋へ入って先ずする事は、白薔薇のブーケが無事か確認する事だ。

 窓際に置いたブーケに近づき、リィシャの瞳が見開かれる。 花瓶の側に一枚の花びらが落ちていたからだ。

 そして、足元の床にも一枚、花びらが落ちていた。 たった二枚の花びらだが、リィシャの心に不安が過ぎる。

 「……うそっ、花びらが……落ちてる」

 リィシャの気持ちに何もなければ、花びらは落ちたりしない。 花びらを摘んで掌に乗せると、リィシャは首を傾げた。

 ユージーンへの気持ちは一つも揺らいではいない。 愛情が増える事はあっても減る事は無かった。 どうして花びらが落ちたのか、暫く考えても思い浮かばなかった。 チラリとブーケに視線をやる。

 二枚の花びらが落ちただけなので、見た目には分からない。 こめかみからタラリと冷や汗が流れ落ちる。

 「どうしょう、ジーンにバレたら……」

 絶対に恐ろしい目に遭うっ!!

 何か不満があるのかと、詰め寄られるのは必至だ。 リィシャの顔からサッと血の気が引いて青ざめる。 音の出ない吐息が開閉させる口元から吐き出された。

 何度か口を開閉させている間に、ユージーンは着替えを済ませたのか、リィシャの部屋の扉を数回、ノックした。

 ノックで我に返ったリィシャは、脳内のパニックが治らないうちに返事をしてしまった。

 「シア? まだ、着替えてなかったの?」
 「あ、うん。 直ぐに着替えるから、待ってて」
 「ゆっくりでいいよ」
 「うん、ありがとう」

 ユージーンの視界に入らない様に、二枚の花びらを制服のポケットへ忍ばせる。

 紫の瞳を細めるユージーンは何も気づかなかった様に見える。 リィシャの喉が上下に動く。

 き、気づかれてないよねっ?

 衣装部屋の扉をしっかりと閉めたリィシャは、ポケットから二枚の花びらとハンカチを取り出し、丁寧に二枚の花びらを包む。 

 他に誰も居ないが、挙動不審になりながら周囲を確かめ、花びらを包んだハンカチをチェストの引き出しに隠した。

 三段目の引き出しが静かに音を鳴らして閉じられた。

 素早く着替えを済ませたリィシャは、出来るだけ表情には出さず、ユージーンが待つ居間へ向かった。

 ◇

 翌朝、状況は変わらなかった。 寧ろ、散った花びらが増えていた。 目に見えて花びらが減っている白薔薇が目立っている。 リィシャの顔から血の気が引いていく。

 「どうしょっ! このままじゃ、花びらが全部散ってしまうっ!」

 誰かに相談をしたいが、リィシャには相談出来る友人がいない。 リィシャに近づく者をユージーンが排除しているからだ。

 魔力を注ぐだけ、ブーケの白薔薇は散っていく。 しかし、魔力を注がなければ、白薔薇は直ぐに枯れてしまうだろう。

 完全に悪循環になってしまっている。

 ユージーンの母親クロウ辺境伯夫人、リィシャの養母である彼女には相談出来ない。 ユージーンに知られる恐れがある。

 ジーンとお母様、結構な頻度で情報共有してるからなぁっ。

 放置しておくと、リィシャが無茶をしてトラブルに見舞われるからである。

 じっと考え込んだリィシャの脳裏に、ある人物が思い浮かんだ。 ユージーンが唯一、排除しなかった人物だ。

 「そうだ、あの人なら何か理由が分かるかも知れないっ! でも、今は王都に居ないのよねぇっ」

 リィシャの表情が困った様に歪んだ。

 「シア、そろそろ行くよ」
 「はいっ、今行きますっ」

 ユージーンが迎えに来たので、取り敢えず考えは後にして、散った花びらを全て拾ってポケットへ突っ込んだ。

 生徒会室では、相変わらず来たる武術大会に向けての準備が進められていた。

 リィシャとリトルは、会議を行うスペースに置かれている丸テーブルで作業をしていた。

 本日はトーナメント表作りをしている。

 ユージーンも入れての武術大会の参加者は何とか集まった。 各自の対戦相手も決まり、参加者は気合十分だと聞いている。

 結局、ジーンは出る事になったのねっ。

 トーナメント表に参加者の名前を書いていくリィシャの口元から溜め息が漏れた。

 目敏く気づいたリトルがリィシャに何かあったのかと、尋ねてくる。

 視線を上げてリトルの顔を見て思い出す。 リトルも婚約をしていて、ブーケを枯らさずに綺麗な状態を保っている事に。

 「ねぇ、リトル。 貴方もブーケを結婚式まで保たせているのだったわね?」
 「はい、私のは黄色い小花のブーケですけど。 それが何か?」
 
 リトルはリィシャの言っている意味が分からず、首を傾げた。

 「や、綺麗な状態をちゃんと保っているのかなって……ちょっと気になったから」
 「はい、綺麗に咲いてますよ。 私の場合、魔力を注ぐのを忘れる事があるから、彼も手伝ってくれてますけれど」
 「そうなんだっ、」
 「はい!」

 嬉しそうに話すリトルは、とても幸せそうに見える。 ケットシーの族長命令だったにも関わらず、リトルは満面の笑みを浮かべている。

 偽印の効果って事ね。 リトルが幸せなら、何も言う事はないのだけどっ。

 偽印は相思相愛の恋人同士にはいいものだが、政略結婚の場合、あまり良い印象は受けない。 特に他に想い人がいた場合だか。

 「……そうっ」
 「シア先輩もクロウ先輩に手伝ってもらってるんですよね?」
 「……ううん、私一人でやっているわよ」
 「えっ、そうなんですか? クロウ先輩は手伝う派だと思ってました」

 リトルの話を聞いて、ブーケの管理の話をユージーンとしていない事に気づいた。

 ブーケの管理をするにあたり、人は二つに分かれるらしい。 二人で管理する派と、片方に任せる派だ。 毎日、ブーケに魔力を注ぎ、結婚式までブーケを最良な状態に保つのだ。 実は地味に大変で、魔力を注ぐ方の精神状態を直で受けるブーケは、如実に心を現す。 故に喧嘩の原因にもなり得る。

 リトルの言う通り、ユージーンならば率先して手伝ってくれそうである。

 そう言われてみれば、そうよね。 ジーンだったら手伝ってくれそうよね。

 「きっと、忙しいのよっ」

 多分だけど、私が張り切ってやってるから、ジーンは何も言わなかったんじゃ、というよりは見守る派?

 意図せず、『見守る派』の第三派を作ってしまった。

 リトルは少し納得が行かないのか、首を傾げていた。

 リィシャとリトルがトーナメント表を作成している頃、ユージーンはエドワードとサイモンの三人で大広間に集まった武術大会に参加する生徒へ説明会を行っていた。

 エドワードが説明している間、ユージーンはリィシャの事を考えていた。

 昨夜も今朝もシアの様子がおかしかった。 何かあったのか? お昼はカスタードプリンでご機嫌だったのに。

 今朝の何かに焦った様な様子を思い出す。 馬車の中でリィシャは、とても落ち込んだ様子だった。

 「少し調べる必要があるか」

 考え事をしているユージーンに周囲の声は届いていなかった。

 ◇

 そして、生徒会の業務を終え、タウンハウスに帰って来たリィシャは、顔を青ざめさせた。

 更にブーケの花びらが散り、キャビネットの上や床の上に白い花びらが落ちている。 窓際に置かれたブーケは一回り小さくなった様に見える。

 心なしか、銀色の光も弱い様に見える。

 エメラルドの瞳が見開かれ、静かに喉が鳴らされる。

 「シアお嬢様、お着替えをお持ちしました……っ!」

 侍女に見られてしまったが、リィシャには取り繕う余裕が無かった。 頭の中で、悲しそうに笑うユージーンの顔が思い浮かぶ。

 「ど、どうしてっ……」
 「あ、あの、シアお嬢様、大丈夫ですよっ。 こういう事はよくありますので、お気になられませんよう……」

 リィシャを慰めようと侍女が言葉を紡いだが、リィシャの耳には届いていなかった。 リィシャが予想よりもショックを受けている様子に、侍女が驚きの表情を浮かべている事にも気づいていない。

 「シアお嬢様っ」

 侍女の呼び掛けも聞こえていない。

 ど、ど、どしようっ! このままじゃ、半年後の結婚式まで持たないっ!

 リィシャの脳裏に結婚式で、花びらが散ったブーケを持つ花嫁の姿が思い浮かんだ。 隣では悲しそうに微笑む花婿であるユージーンの姿。 胸にはコサージュは飾られていない。

 突然、リィシャの口から大きな奇声が上げられた。 奇声を上げた後、リィシャはしゃがみ込み、花びらをかき集めて制服のポケットへ突っ込んでいく。

 「シアお嬢様、片付けでしたら私が」

 全ては収まり切らず、数枚の花びらが足元に落ちる。

 「に、逃げないとっ……」
 「えっ? シアお嬢様っ」
 「ジーンにお仕置きされるっ!!」
 「えっ……」

 窓を開けたリィシャは、窓枠に足をかけた。 身体を外に出して白カラスの翼を広げる。 リィシャは完璧にパニックを起こし、我を忘れている。

 飛び立つリィシャを止める為、侍女が手を伸ばしたが、間に合わなかった。

 リィシャは空高く飛び上がり、タウンハウスを飛び出した。

 「……っな、物凄いスピードで飛んで行ってしまったわっ! 大変っ」

 侍女は白カラスの翼を数枚引き抜き、白い小鳥に姿を変える。

 リィシャと夕食を共にする為、リィシャを迎えに廊下を歩くユージーンへ緊急事態が報告された。

 『緊急事態発生、緊急事態発生! シアお嬢様がご乱心の末、タウンハウスを飛び出しましたっ』

 「シアっ!」

 急いでリィシャの部屋へ向かったユージーンは、部屋に侍女しかおらず、窓が大きく開かれていた。 傍にはキャビネットの上に、銀色の光が鈍くなった白薔薇のブーケが置かれていた。 床に数枚の花びらが落ちていた。

 「そうか、シアが落ち込んでいた理由はこれかっ」

 白薔薇の花びらを拾い上げ、ユージーンは花びらを見つめて不敵に微笑む。

 「シアは僕が責めると思ったのか、見くびられたものだね」

 ユージーンは花びらに口付けを捧げ、サイモンに指示を出す。

 「シアの行きそうな場所に連絡をしろ」
 「はい、直ぐに」
 「逃がさないよ、シア」
 
 ◇

 パニックを起こしたリィシャが向かった先は、アバディ伯爵領だった。

 一日掛けて、リィシャは猛スピードで数領の領地を飛び越えたのだ。

 アンガスがアバディ伯爵位を父親から譲られ、結婚したばかりの新妻であるローラと暮らしている。

 リィシャの口から小さく『おおっ……』と漏れた。

 グイベル領はブリティニアの端にあり、カウントリム帝国との国境に位置している。 アンガスとローラが暮らすアバディ領は、グイベル領の下の方にある。

 リィシャの視界が真っ赤に染まっている。 アバディ伯爵の屋敷は、小高い丘の上に建てられていた。 領主の屋敷は大概、丘の上や一段高い場所に建てられている。

 今は夕刻で夕陽が屋敷を赤く染めている。 と、思ったが違った。

 「あっ、赤い塀なんだ」

 何も考えず、微かに感じるローラの魔力を察知して猛スピードで飛んできた。

 アンガスとローラの結婚式から手紙のやり取りをし、アバディ領の何処に屋敷があるか、リィシャは聞いていた。

 学園が休みになれば、ユージーンと二人で遊びに行きたいと言っていた。

 グイベル領はカウントリム帝国の建物が多く異国情緒に溢れ、観光業が盛んだ。

 結婚式の時はゆっくり出来ず、あまり観光が出来なかった。

 丘の上へ降り立ったリィシャは、屋敷の門を探した。 落ち着いた赤茶の塀が長く続いていて、勿論、門も赤いので、塀と同化してしまっている。

 高い塀を見上げ、門を探す。 足元には石畳が敷かれ、キチンと整備されている。

 靴が石畳を鳴らし、ゆっくりと歩くと、左側に門が見えた。

 門には看板が掲げられ、領主館と書いてあった。

 「という事は、ここは仕事場ね。 流石にここで生活してないわよね」
 
 両側に赤茶の塀が続いて、リィシャは領主館の門前を通り過ぎた。 再び高い塀を見上げ、歩き出す。 少し歩くと、右側に新たな門が現れる。 看板には迎賓館と書かれていた。 要人や王族など、高貴な方を迎える館だ。

 「……ここも違うわね」

 溜め息をついて前を見ると、突き当たりに立派な門が見えた。 リィシャの顔が目的地を見つけて明るく輝く。 しかし、掲げられた看板を見て、エメラルドの瞳が細まった。

 「……剣道場っ……確実に違うわねっ」

 右側にも道があり、視線を向けたが、行き止まりで、迎賓館の裏に続く舗装されていない小道があった。

 「あっちも違うわね。 何処に屋敷の門があるの?」

 やはり連絡を入れようかと思い、白カラスの翼を抜こうとした時、左側にあった大きな門が開けられた。

 門から馬車がで出来たと同時に、目の前の剣道場の門も開いた。

 「ローラ師範、また明日っ!」
 「また、明日!」
 「はい、朝の鍛錬を忘れずにね」

 元気よく返事をした子供だちが門から出て来る。 門前で馬車の位置を変え、子供たちが馬車に乗る為、競って馬車に乗り込んで行く。 一人の少年が所在無げに立っているリィシャに気づいた。

 「お姉ちゃん誰?」

 一人気づくと、皆が集まって来る。

 「おおっ、お姉ちゃん、白カラスなんだ! 白い翼初めて見た!」
 「本当、綺麗っ、」

 あっ! 仕舞うの忘れてたっ!

 羽根を抜こうとしていたので、閉じるのをすっかり失念していた。 リィシャが白カラスの翼を仕舞うと、子供たちはもっと見たかったのか、残念そうに眉を下げて声を上げた。

 「駄目でしょう、貴方たち。 お姉さんが困っているわ。 それに早く帰らないと、お母様に怒られるわよ」
 「ローラ師範! でも、白い翼、初めて見ました!」
 「とっても綺麗だった」

 子供たちは皆が頷き、もう一度見たいと、金色の瞳を煌めかせていた。

 「うっ」

 リィシャは子供たちの圧に負け、後退りする。

 流石にヘビ族の子供たちだわっ! 目力の圧が凄いっ!

 子供たちの圧に負けてだじだじになっていると、ローラが助け舟を出してくれた。

 「貴方たち、馬車に乗り遅れますよ」

 にっこりと微笑んでいるローラだが、全身から殺気が溢れていた。 思わず獣人の血が刺激され、臨戦態勢に入ってしまうほどだ。

 子供たちからは小さい悲鳴があがり、慌てて馬車へ乗り込んで行った。

 子供たちが全員、馬車に乗った事を確認してから、馬車は出発した。

 馬車の車輪が石畳を鳴らし、丘を下って行く様子を見つめる。

 子供の扱いに慣れていないリィシャは、素直に子供たちが帰ってくれてホッと胸を撫で下ろした。

 「お久しぶりです、シア様」
 
 ローラの優しげな声色から、先ほどの殺気が混じった気配は消えている。

 臨戦態勢も静まっていた。 ローラの方へ向き直り、リィシャも挨拶を返した。

 「お久しぶりです、ローラ様。 突然、伺ってしまって申し訳ありませんっ」
 「大丈夫ですよ、この時間は空いてますから。 それと、子供たちが騒いでしまってごめんなさい。 グイベル領では翼がある獣人は珍しくて」
 「いいえ、大丈夫です。 ローラ様が子供たちに剣を教えているんですか?」
 「ええ、ブレイク家は武家なので、私は師範の位を持っているんです。 子供たちは未来のグイベル家の騎士です」
 「ああ、なるほど。 では、楽しみですね」
 「ええ、本当に」

 にっこりと微笑んだローラの目線がリィシャの様子を観察している。

 リィシャは気づいていないが。

 「シア様、お疲れでしょう。 屋敷へどうぞ」
 「すっ、すみませんっ! 何も持たずに来てしまってっ」

 今更ながら、手土産も持たずに来てしまった事に後悔した。 猛スピードで飛んだ為、制服の白いワンピースが擦り切れている事にも気づいていなかった。

 序でに言うならば、白銀の髪もボサボサである。

 屋敷へ通されて気づく。 最初に辿り着いた領主館が正式の門だと。 領主館の裏にアンガスとローラが暮らす屋敷があるのだ。

 領主館と住居の建物は渡り廊下で繋がっている。 玄関に入ってすぐ左側の部屋がアバディ領の役人たちが仕事をする部屋だ。 玄関とは別に入り口があり、役人たちは皆、そちらの入り口を使っている。

 右側が応接間で、リィシャが通された部屋だ。 外壁が赤茶で統一されていたので、部屋の中も赤いのかと思ったが、違った。

 「中まで真っ赤ではないのね。 飾り格子は赤茶だけと、壁は白だわ。 まぁ、全部赤だと、視界が煩いものね」

 ローラは、メイドにお茶の準備を命じている様なのだが、中々戻って来ない。

 「どうしたのかしら? ……やっぱり迷惑だったよねっ」

 シュンと誰も来ない応接間で、リィシャは肩を落とした。

 ◇

 突然、訪れたリィシャの様子に、ローラは何かあったのだと察して、アンガスの元へ報告に行った。 内緒にはしておけないからだ。 リィシャには本物の番であるユージーンがいる。 確実に面倒な事が起きる。

 領主館の部屋へノックしてから入り、真っ直ぐにアンガスの執務机がある場所へ進んだ。 行きすがら、役人たちに「お疲れ様です」と、声をかける事を忘れない。

 アンガスの執務スペースは、領主館の部屋の一番、奥に作られている。

 木枠の仕切りで作られ、窓や飾り格子が取り付けられているが、扉が無いため、開口口が取り付けられている。

 長方形のスペースなので、入り口に入って左側が執務机、右側には資料棚が並んでいる。 入り口の正面には中庭へ続く両扉がある。 中庭は奥の住居用の建物に繋がっている。

 アンガスの執務スペースの隣は補佐官の机が置いてある。 補佐官と視線が合うと、にっこりと微笑み合う。

 「お疲れ様です」
 「若奥様もお疲れ様です、道場の方は終わりましたか?」
 「ええ、いましがた」
 「そうですか。直ぐに夕食の用意を」

 「今、ローラに色目を使いましたか?」

 アンガスの低くて恐ろしい声が領主館の部屋で響いた。 役人たちが全員、ヘビに睨まれたカエルの様に竦んでいる。

 補佐官とローラだけは慣れているので、苦笑をこぼす。

 「私は色目なんて使ってませんよっ!」
 「ローラに微笑んだでしよう」
 「……愛想よくくらいしますよ、常識ですけどっ」
 「ローラ、君も他の男に微笑みかけないで下さい」
 「えっと、それは」

 アンガスは席を立ち、ローラの側へ行って手を取る。 切なげに笑むアンガスは何とも色気がある。

 「……心が狭すぎます、若旦那さま」
 「煩い。 それで何かありましたか? 用があって来たんですよね?」
 「はい、実はシア様が来られていて」
 「……コモン子爵令嬢が?」
 「はい」
 「訪問予定はまだ先ですよね?」
 「はい、しかもお一人で来られているんです」
 「ユージーン君は来ていないんですか?」

 力強く頷くローラにアンガスは呆気に取られ、補佐官は眉を跳ねさせている。

 「ここと、王都ではギリギリですね」

 顎に手を当て、深刻そうに考え込むアンガス。 更に続けたローラの話に二人は慌てふためいた。

 「大丈夫ですよ、アンガス様。 猛スピードでこちらに来られたから、身嗜みが乱れただけですわ」
 「そうですか、その様子だと何かあったんでしょうね」
 「はい、そうだと思います」
 「しかし、王都からここまでだと四日くらいかかりますよ?」
 「まぁ、彼ら鳥獣人にしたら、簡単に来れる距離ですよ。 それに本気で飛ばしたのなら、一日くらいだったでしょう」
 「ひゃー、凄いんですねえ」
 「ええ、でもあまり飛ばないと言っていましたけどね」
 「おや、その力をあまり使わないんですか?」
 「ええ、偶に襲撃だと間違われて領の騎士に攻撃を受けると聞いてますし、他領の上空を飛ぶわけですから、領空戦犯になるんですよ。 ですから、緊急以外は手続きが必要なんです」
 「あぁ、それは面倒ですねっ」

 小さく息を吐き出したアンガスは、補佐官とローラへ指示を出す。

 「直ぐにユージーン君に連絡します。 で、迎えはコモン子爵令嬢に話を聞いてからにしましょう。 ローラ、貴方の服を貸してあげて下さい」
 「はい」
 「貴方は客室の用意とお風呂、夕食の支度をお願いします」
 
 補佐官に視線を向けて指示を出す。

 「はい、直ぐに妻と取り掛かります」
 「あ、後、饅頭と紅茶を忘れずに」
 「はい、畏まりました」
 「はぁ、ユージーン君をどうやって止めましょう」

 少し困った様な表情を見せるアンガスだが、ローラは気づいている。 アンガスが本当はほんの少し、面白がっている事に。

 『仕方ない人ね』と、ローラは苦笑をこぼす。 こういう所は、幼馴染みであるジェレミー殿下に似ているなと思ったことは内緒だ。
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