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第肆話──壺

【廿弐】不死ノ血

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 ハルアキは続ける。
「賢者の石とは、この世で最も硬い物質。それを壊すには、同等以上の硬度のものをぶつける必要がある。そのため、賢者の石を作る際には必ず精製するように、と」
「…………」
「もしナナシがあのホムンクルスから賢者の石を奪ったとしても、現状、それを壊す方法はない」

 しばらく沈黙した後、ハルアキも鴉揚羽と背中合わせに腰を下ろす。
 重い空気に耐えられなくなったのか、鴉揚羽は敢えて軽い口調で言った。
「それは参ったね……」

 ハルアキは膝を抱えて考える。
 二年前の戦闘……もう一度アレをやったところで、ホムンクルスの力を削ぐまでにしか至らない。そして再び封印するにしても、封印の年月が長ければ長いほど、再び力を蓄えてしまう。
 災厄の連鎖……それを食い止める方法は、ないというのだろうか?

 ――すると突如、鴉揚羽の横で伏せていた小丸が顔を上げたから、ハルアキの思考は遮られた。
 そして彼はタタッと屋根を走ると、天井の中――結界内に飛び込んだ。

「何か動きがあったのかな」
 鴉揚羽が立ち上がる。その途端――

 パリン。

 硝子が割れる音がした。
 反射的に鴉揚羽が屋根を蹴る。人間業ではない速度で軒まで走ると、そのまま宙に身を躍らせた。
 ハルアキも後からそちらに向かう。そして軒を覗き込んだ途端、鴉揚羽のケープが目の前を飛び抜けたから
「うわっ!」
 と尻もちをついた。
 漆黒の翼を目で追う。すると、その手に何かが抱えられているのが見えた。

 彼女は屋根に着地し、そっとそれを寝かせた……桜子である。
 零が使う太陰太極図の呪符を額に貼られて、眠っているようだ。
「悪魔から彼女を開放したんだ」
 と、鴉揚羽が乱れたワンピースの襟元を直した。
「――さて、ここからが本番じゃの」
 ハルアキがそう言った時。

 ――ズシン。

 屋根が激しく揺れた。中で何か大きなものが暴れているようだ。ハルアキはグラリと足元を掬われ、転がり落ちぬように身を屈めた。その後も、突き上げるような衝撃が何度も屋根を揺らす。
「このままでは建物が保たんぞ……」
 ハルアキはそう考え、四枚の式札を取り出すと、それぞれに式神を召喚する。

「――四神の陣」

 東に青竜、南に朱雀、西に白虎、北に玄武。
 それぞれの守護神を配置した結界である。
 これは、現在貼られている結界のだから、重ね掛けとはならないのだ。
 建物を維持するだけでなく、より強力に外部への影響を封じ込めるためのもの。
 式神の作り上げる領域が光の壁となって強固に建物を支える。
 ……だが今のハルアキの力では、この結界を維持しているうちは、他に力を割く事ができない。

 再び屋根が激しく揺れた。桜子が転げ落ちないよう、鴉揚羽が彼女を抱える。
「そなたはここを離れよ」
「でも……」
「その女子に何かあれば、余がタダでは済まん」
 鴉揚羽は軽く笑うと、
「分かったよ」
 と、桜子を抱えて結界の隙間――空へ向かって飛び上がった。


 ◇


 ……それより少し前。
 零と桜子もどきとの対峙は苛烈を極めた。

 二階の手摺りに立つ彼女に向けて、零の投げた鎖の鞭が飛ぶ。
 それを宙に身を躍らせて避けると、彼女は一階の床に転がる天秤棒を手に取る。かつては両端に桶などを吊るし、肩に担いで荷運びをする道具だったもの。六尺(約百八十センチ)の長さの頑丈な棒である。桜子の得意とする得物である薙刀には足りないが、形状が近い事から脅威と言える。
 零が放つ鎖を棒に巻き取り、桜子もどきは腕を振る。零と繋がった鎖が大きく振られ、彼の体が宙を浮いた。
 咄嗟に鎖と手放し、その勢いのまま天井の梁を蹴る。そして頭上から桜子もどきを狙うものの、再び振られた鎖が強かに背中を叩く。
「――クッ!」
 叩き落とされた零は、土煙を上げてタタキを滑り、壁に衝突してようやく止まった。
 息が止まる。だが呼吸を整えている余裕はない。
 次なる鎖を避けるため、零は跳ね上がる。そして壁を走って二階に逃れ、そこでようやく一息ついた。

「……さすが桜子さん、一筋縄ではいかないようですね」
 攻守がすっかり入れ替わってしまった。しかし、これでは目的を達せられない。

 彼の目的は、桜子の体から悪魔を追い出す事。
 本来、その役目は小丸だが、この悪魔の性質を見るに、彼の手には余ると零は考えた。

 悪魔が、人間の「器」を捨てたくなるように導く――それが、今回の作戦である。
 桜子に憑依しているホムンクルス。彼女がこの二年で力を取り戻した過程を考えるに、その力の根源を「怨念」とすれば説明が付く。
 その怨念を具現化する方法として、とりあえず桜子の体を借りているのだが、狭い壺に無様に閉じ込められていた怨念が、人ひとりに納まる程度のものであるとは思えない。
 ――こうして対峙している間にも、怨念は加速度的に増していく。
 それが桜子の身の内に納められなくなった時、彼女は解放されるだろう。

 その為に、零は全力で、桜子もどきを攻撃し続けなければならないのだった。

 桜子もどきは赤い目で、零の居場所を確認する。
 それから軽く助走を付け、梁の滑車から垂れる鎖に掴まる。そして振り子の要領で、二階の零の頭上に来襲した。
「これは……」
 彼女の天秤棒を素手で受けては、零と言えども無事では済まない。かと言って、二階の床には何ひとつ落ちてはいない。
 咄嗟に零は手摺りを掴む。バリバリッと木材を剥がし、頭上に掲げた瞬間、天秤棒がそこを直撃した。

「――――!」

 天秤棒よりも手摺りの角材の方が太さがある。しかしそれは、現状意味を為さない。芯を捉えた一撃は、本来のそのもの以上の力を発揮し、角材にめり込んだ。
 踏みしめる足元が軋む。木の床が悲鳴を上げて裂けていく。
 抜けた天井から、二人は重なり合うように一階に落ちた。
 床を背に、零は殺気立った赤い目を見上げる。首のすぐ上に辛うじて角材を支え、天秤棒の圧を受け止めるが、上にいる桜子もどきの方が圧倒的に優位な状況だ。

 赤い目がニッと細まる。
「面白い事をするわね、ゾクゾクするわ」
 ……まだまだ余裕があるという事だ。
「仕方ありませんね……」
 と、零は膝で彼女の腹を蹴り上げた。
「グッ――!」
 と呻いた隙に天秤棒を押し返し、角材で横っ面を殴れば、桜子もどきは壁際まで飛んでいった。

「……桜子さんに、怪我をさせたくはないのですよ……」
 と呟きつつ、零は立ち上がる。傷が残らないよう手加減はしたが、起き上がった桜子の鼻から血が流れている。
「おのれ……」
 桜子もどきは、壁を這う鉄の配管を引き千切る。それを薙刀のように構え、光の速さで突進する。
 辛うじて避けつつ、角材で勢いを流したものの、零の手の中で角材は木片となって散り散りになる。
 そして、返す一撃を強かに脇腹に受け、今度は零が壁際にまで吹っ飛んだ。
「……ゴホッ」
 息と同時に血を吐く。肋骨が何本か砕けたようだ。

 何とか身を起こした瞬間。
 鋭い殺気が零の心臓の上にあった。
 鉄の配管の破れた先端が、彼の胸元で制止している――咄嗟に両手で配管を掴んだため、そこで止まっているのだ。
 着物に赤い染みが広がっていく。上から体重を掛けられているため、容易にそれは引き抜けない。
「初めから言ってるでしょ? 血を無駄にしたくないの。大人しくしてくれない?」

 ……まぁ、零が不死である以上、心臓を貫かれようが、体を八つ裂きにされようが、死ぬ事はない。
 ただ、ホムンクルスと違うのは、相応の痛みを伴う事と、回復までの間、行動不能になる事。
 恐らく、桜子は痛みを感じていないだろう。感じたとしても衝撃程度……とはいえ、悪魔が彼女の体を離れた瞬間、負傷が彼女を苦しめる事になる。
 桜子をできるだけ傷付けないよう、悪魔に彼女の身を捨てさせる。
 初めから分かってはいたが、それは非常に困難なものであると、零は痛切に感じた。

 でも、やるしかないのだ。

「――――!!」
 掴んだ配管を唐突に振り回す。力の向きを変えられた桜子もどきの体が横に飛ぶ。
 彼の手に残った配管を握り直し、零は床を蹴る。
 そして上段の構えで桜子もどきの頭上を狙う……危機を悟った悪魔が、桜子の体を捨ててくれる事を願って。

 ところが。
 桜子もどきは防御すらせず、軽く微笑んで零を見上げたのだ。

「…………⁉」

 渾身の一撃を逸らすには、強引に体勢を変える必要があった。
 体をねじって勢いを逃す。足がもつれて体が宙に浮く。その勢いで床に叩き付けられた。
 ――その拍子に、手前側の配管の先端が腹を貫く。
 声もなく、零は床に身を預けるしかなかった。

「やっぱりつまらないわ、殺す気のない人とやり合うのは」
 桜子もどきが零に歩み寄る。彼の腹から伸びる配管を手に取り、ぐいと押し込む。
「うぐ……ッ!」
「でも、これで大人しくなってくれたかしら。どうせすぐに回復するんでしょ? ちょっと眠っててもらうわ」
 配管がグリッと捩じられる。内臓を掻き回される苦痛に、零の意識は薄らいだ。
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