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(謙一視点)

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 麻衣の頭にキスを落とし、髪を梳いた。
 少し顔色が戻って、俺を見上げて微笑む彼女の睫毛は、まだ濡れていた。
 苦しい。
 悔しい。

(なんで、なんで麻衣が?)

 そんな思いが、頭と胸で黒い靄となる。
 麻衣からはまだショックが抜け切れていないはずだ、と──そう思う。
 胸がはち切れそうに痛い。苦しい。なんで彼女がこんな目に遭わないといけないんだ?
 麻衣を発見したカフェ、ガラス窓の向こうで真っ青になって小さく震える彼女を見つけた瞬間、頭が真っ白になった。

(──元ダンナだけじゃなかったのか?)

 女を連れている。
 足早に店に入る。
 急げ。早く。気ばかりが急く。入り口から、麻衣の青白い頬を伝う涙がハッキリと見えた。
 同時に聞こえた、信じられないような内容。店に響く、キンキンとした女の声。他の客たちは平静を装いながらも、興味津々に麻衣たちを気にしている。

(見るな!)

 こんな状況に、麻衣を陥らせてしまったことが悔しい。
 狭い席の間を縫って、あと一歩のところで──女がマグカップを掴んだ。
 とっさに、隣の席に放置されていたトレイを掴み、麻衣を庇う。
 息ができているようで、できていない。
 この場でこの2人を殴り倒して、跪かせて麻衣に謝罪させたい。
 マグマのような激情を押し隠して、近くのホテルにチェックインした。こんな状態の麻衣を電車に乗せるわけにもいかないし、タクシーに乗せるのも嫌だった。とにかくどこかで落ち着かせたかった。
 あまりに、痛々しくて。
 ビジネスホテルだけれど、スイートはそこそこに広いそのホテル。
 抱きしめて、顔色が戻ってきた麻衣に俺は言う。

「どこか旅行に行かないか?」

 気分転換──ではないけれど、したほうがいいと思う。傷があまりに深すぎる。
 健気に笑う麻衣が愛おしくて辛い。

(一度、忘れさせたほうがいい)

 麻衣が壊れてしまうことを想像して、ゾッとした。かき抱く。その柔らかな髪の香りをかいで、そのまま口付けた。

(麻衣は強い)

 麻衣は、自分でもそう言う。
 でも本当は「強くあろうとしている」が正解だ──と、俺は思っている。
 強くあろうとする麻衣は美しい。綺麗だ。でも、……悲しい。
 俺に頼って欲しい。弱いところを、もっと見せてくれてもいい。
 おそらくは庇護欲と呼ばれるそれに、俺は時々気が狂いそうになってしまう。

「いつにしますか?」

 麻衣の言葉に、しばし考える。
 仕事のスケジュール。営業部の日程……。
 麻衣が現実を忘れられる場所。とにかく早く、……今からでもいいくらいなのだけれど。

「……明後日から4日ほど、とれるか?」
「あ、明後日からですか!?」

 驚く麻衣に、俺はスマホでカレンダーを見せた。

「土日を挟んで6連休」
「え、いい……の、かな」
のスケジュール的には問題ないはずだが」
「……なぜ把握されてるんですかね」

 麻衣は肩をすくめて、小さく頷いた。

「……係長からは少し休んでいい、って言われてるんです」
「なら問題ないはずだ」
「知ってて言ってますよね?」

 腕の中で、麻衣が身をよじる。
 素直に可愛いと思った。愛おしいと思った。大切だと、そう思った。

(理解、できない)

 なぜこんなに素敵なひとを手に入れて、名実ともに自分の妻にして、あんな女にうつつを抜かしたのか。

(もっとも──やっと気がついて、縋ったところで無駄だが)

 もう、手放す気はない。
 未練たらたらの夫の顔を脳裏からかき消しながら、そっと麻衣の唇にキスを落とした。
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