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絵葉書
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さすがに、ぞっとした。
(え、なんで──?)
絵葉書を持つ手が、震える。
ここの住所を知っているのは、今のところ家族だけ──そして、この字に見覚えはない。
なにより。
(なに、これ……)
楢村瀬奈様。
そう書かれた宛名の、「楢村」のところ──何度もボールペンで縦に消された痕がある。
なんとか「楢村」と判別はできるけれど……
ぞっとして、背後を振り向く。
誰もいない。息が浅くなる。
(……結婚したのは、まだ誰にも知らせてない……)
式の招待状を送るときに、また改めて連絡しようとしていたのだ。だから、私が「楢村」になったのを知っているのは、家族の他には、会社の人くらい。
そして、やっと──気がつく。
(消印、消印は……)
また、ない。
「……っ」
ぞっとした。前回届いた葉書にも、消印は無かった──楢村くんが、気づいてくれたのだ。
(あれ以前のやつ、は!?)
──覚えていない。ちょっと怖くて捨ててしまっているから、確認のしようもない。
(消印が、ないってことは……)
この絵葉書は、送り主が直接ここに入れたものだ。
その事実に気がついて、手の先が冷たく冷たく氷のように冷えて行く。
「──っ!」
反射的に、絵葉書をレターボックスに戻した。は、は、と肩で息をする。何が──起こっているの!?
銀色の郵便受けが並ぶそこから、足を無理やりに動かして離れた。ちらりと防犯カメラを見上げる。
(……あれの録画を、見せてもらえば)
エレベーターホールのソファに座り込んだ。入り口の自動ドアの横に、警備員室もある。
(変な手紙が入っていたから、──で見せて……もらえる?)
私は唇を噛む。おそらく無理だろう。それが明らかな脅迫状だった、とかならばともかく、一見普通の絵葉書なのだ。
と、うぃーん、とエレベーターの稼働音がエレベーターホールに静かに響いた。
「……っ」
反射的に身体を硬らせる。
エレベーターホールの液晶画面──エレベーター内の様子がエントランスで見られる──の様子をうかがう。
そこに映るのは、小さな子の手を引く母親。
ほ、と息を吐いた。さすがにこの人じゃないだろうし……。
エレベーターのドアが開いて、楽しげな親子の笑い声。
(どう、しよう……)
あの絵葉書の近くに、いたくなかった。怖かった。
私は立ち上がる。警備員室の前を抜けて、自動ドアを二つ潜って、外に出た。
午後の秋の陽射しが、やわらかく落ちてきている──のに寒くて寒くて仕方ない。
「楢村く、ん」
スマホに楢村くんの番号を表示させながら、私は頭をフル回転させる。
(いつから?)
前の絵葉書も──直接、届けられていたということ? あの、一人暮らしのマンションに──
「帰ってきて」
はやく、はやく──
けれど、電話は通じない。仕事中だ。蔵にいるのかもしれない。
(会社にかける……?)
それなら繋いでもらえるだろうけれど──いま忙しい時期なのに、わざわざ出てもらって、何を言うの……? 変な絵葉書が、直接届けられてるみたいなのって……
(だから? とか言われたら、どうしようもない……)
だって、実際その通りなのだ。
絵葉書が届けられて──それだけ、で。
私は何度目かのコールを諦めて、架電を切る。
(でも、一体……誰が?)
分からない……
と、ふと思いつく。
「大鴉……」
前回の絵葉書、絵柄はポーの「大鴉」という詩をモチーフにしたものだった。
今回も、烏──
ということは、そこにヒントがある──かも?
私は足を図書館方面に向けた。
図書館で、私はポーの詩集を一冊、借りる。
そのまま閲覧用のソファに腰掛けて、ページをめくる。
エドガー・アラン・ポーの「大鴉」という詩は──ざっと要約するならば、こんな内容だった。
(恋人と死別した主人公が、そのことを嘆き悲しんでいるときに、窓から舞い降りてきたのが、タイトルにもなってる「大鴉」──)
主人公は喚き散らす。その度にカラスは繰り返す。Nevermore。大鴉に恋人と再会できるか尋ねる主人公に、大鴉は何度も繰り返す。Nevermore。Nevermore。二度とない──
(……なんでそんな詩の絵葉書を?)
頭を抱えそうになる。目的が分からない。誰がそんなことをしているのか、見当もつかない──
ふと、図書館の大きな嵌め殺しのガラス窓を見つめる。ゆっくりと暮れていく秋の陽──
と、スマホが震える。
(楢村くん──)
私はトートバッグに本をいれて、足早に図書館を出た。煉瓦造りの壁に寄りかかって、息を整えてから、通話に出る。
「楢村くん」
『瀬奈、どうしたん? なんかあった?』
「──ううん。晩ご飯、なにがいい?」
『え』
楢村くんはしばらく黙り込む。それから口を開いて──
『作ってくれるん……?』
「え、うん。べつにいいけど」
『まじか、めっちゃ嬉しい』
その声に──私は頬がぽうっと熱くなるのを覚えた。
(あれ?)
あれ、あれ、どうして──?
なんだか楢村くんが、とても嬉しそうに思えて……
(……っ、カオがないからだ!)
あの仏頂面がないから、声のトーンだけだから……
ん、てことは楢村くん、本当に嬉しいの?
「か、簡単なものしか作れないよ!?」
『なんでもいい。嬉しい。ほんまに──瀬奈』
背中にぞくぞくと期待、みたいのが走る──多分、この先に続くのは。
『瀬奈、愛し──』
「ま、ままままたねっ!」
反射的に通話を切る。
切れた通話のディスプレイを眺めながら、唇をむにゃむにゃさせた。
『愛し──』
楢村くん、愛してる、って言おうとしてた。
柔らかな、声、で。
(こ、声だけ、ずるい)
どっどっどっどっ、と心臓がうるさい。
(ずるいじゃなくて──え?)
思考が混乱していく。
あれ?
いやだって、そんなはずない──ないよね?
楢村くんが私のこと、──本当に?
(え、なんで──?)
絵葉書を持つ手が、震える。
ここの住所を知っているのは、今のところ家族だけ──そして、この字に見覚えはない。
なにより。
(なに、これ……)
楢村瀬奈様。
そう書かれた宛名の、「楢村」のところ──何度もボールペンで縦に消された痕がある。
なんとか「楢村」と判別はできるけれど……
ぞっとして、背後を振り向く。
誰もいない。息が浅くなる。
(……結婚したのは、まだ誰にも知らせてない……)
式の招待状を送るときに、また改めて連絡しようとしていたのだ。だから、私が「楢村」になったのを知っているのは、家族の他には、会社の人くらい。
そして、やっと──気がつく。
(消印、消印は……)
また、ない。
「……っ」
ぞっとした。前回届いた葉書にも、消印は無かった──楢村くんが、気づいてくれたのだ。
(あれ以前のやつ、は!?)
──覚えていない。ちょっと怖くて捨ててしまっているから、確認のしようもない。
(消印が、ないってことは……)
この絵葉書は、送り主が直接ここに入れたものだ。
その事実に気がついて、手の先が冷たく冷たく氷のように冷えて行く。
「──っ!」
反射的に、絵葉書をレターボックスに戻した。は、は、と肩で息をする。何が──起こっているの!?
銀色の郵便受けが並ぶそこから、足を無理やりに動かして離れた。ちらりと防犯カメラを見上げる。
(……あれの録画を、見せてもらえば)
エレベーターホールのソファに座り込んだ。入り口の自動ドアの横に、警備員室もある。
(変な手紙が入っていたから、──で見せて……もらえる?)
私は唇を噛む。おそらく無理だろう。それが明らかな脅迫状だった、とかならばともかく、一見普通の絵葉書なのだ。
と、うぃーん、とエレベーターの稼働音がエレベーターホールに静かに響いた。
「……っ」
反射的に身体を硬らせる。
エレベーターホールの液晶画面──エレベーター内の様子がエントランスで見られる──の様子をうかがう。
そこに映るのは、小さな子の手を引く母親。
ほ、と息を吐いた。さすがにこの人じゃないだろうし……。
エレベーターのドアが開いて、楽しげな親子の笑い声。
(どう、しよう……)
あの絵葉書の近くに、いたくなかった。怖かった。
私は立ち上がる。警備員室の前を抜けて、自動ドアを二つ潜って、外に出た。
午後の秋の陽射しが、やわらかく落ちてきている──のに寒くて寒くて仕方ない。
「楢村く、ん」
スマホに楢村くんの番号を表示させながら、私は頭をフル回転させる。
(いつから?)
前の絵葉書も──直接、届けられていたということ? あの、一人暮らしのマンションに──
「帰ってきて」
はやく、はやく──
けれど、電話は通じない。仕事中だ。蔵にいるのかもしれない。
(会社にかける……?)
それなら繋いでもらえるだろうけれど──いま忙しい時期なのに、わざわざ出てもらって、何を言うの……? 変な絵葉書が、直接届けられてるみたいなのって……
(だから? とか言われたら、どうしようもない……)
だって、実際その通りなのだ。
絵葉書が届けられて──それだけ、で。
私は何度目かのコールを諦めて、架電を切る。
(でも、一体……誰が?)
分からない……
と、ふと思いつく。
「大鴉……」
前回の絵葉書、絵柄はポーの「大鴉」という詩をモチーフにしたものだった。
今回も、烏──
ということは、そこにヒントがある──かも?
私は足を図書館方面に向けた。
図書館で、私はポーの詩集を一冊、借りる。
そのまま閲覧用のソファに腰掛けて、ページをめくる。
エドガー・アラン・ポーの「大鴉」という詩は──ざっと要約するならば、こんな内容だった。
(恋人と死別した主人公が、そのことを嘆き悲しんでいるときに、窓から舞い降りてきたのが、タイトルにもなってる「大鴉」──)
主人公は喚き散らす。その度にカラスは繰り返す。Nevermore。大鴉に恋人と再会できるか尋ねる主人公に、大鴉は何度も繰り返す。Nevermore。Nevermore。二度とない──
(……なんでそんな詩の絵葉書を?)
頭を抱えそうになる。目的が分からない。誰がそんなことをしているのか、見当もつかない──
ふと、図書館の大きな嵌め殺しのガラス窓を見つめる。ゆっくりと暮れていく秋の陽──
と、スマホが震える。
(楢村くん──)
私はトートバッグに本をいれて、足早に図書館を出た。煉瓦造りの壁に寄りかかって、息を整えてから、通話に出る。
「楢村くん」
『瀬奈、どうしたん? なんかあった?』
「──ううん。晩ご飯、なにがいい?」
『え』
楢村くんはしばらく黙り込む。それから口を開いて──
『作ってくれるん……?』
「え、うん。べつにいいけど」
『まじか、めっちゃ嬉しい』
その声に──私は頬がぽうっと熱くなるのを覚えた。
(あれ?)
あれ、あれ、どうして──?
なんだか楢村くんが、とても嬉しそうに思えて……
(……っ、カオがないからだ!)
あの仏頂面がないから、声のトーンだけだから……
ん、てことは楢村くん、本当に嬉しいの?
「か、簡単なものしか作れないよ!?」
『なんでもいい。嬉しい。ほんまに──瀬奈』
背中にぞくぞくと期待、みたいのが走る──多分、この先に続くのは。
『瀬奈、愛し──』
「ま、ままままたねっ!」
反射的に通話を切る。
切れた通話のディスプレイを眺めながら、唇をむにゃむにゃさせた。
『愛し──』
楢村くん、愛してる、って言おうとしてた。
柔らかな、声、で。
(こ、声だけ、ずるい)
どっどっどっどっ、と心臓がうるさい。
(ずるいじゃなくて──え?)
思考が混乱していく。
あれ?
いやだって、そんなはずない──ないよね?
楢村くんが私のこと、──本当に?
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