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 手のひらを頬に当てた。手がとても冷たく感じる──

「……買い物、行かなきゃ」

 小さく深呼吸した。
 晩ご飯作らなきゃだし、暗くなる前に──帰りたい。
 あの絵葉書が、怖くないと言えば嘘になる。けれど、いままで何も起きてない──のだから、きっと今日も大丈夫。そう自分にいいきかせて、歩き出す。
 スーパーで買い物を済ませて、足早にマンションに辿りついた。暗証番号とカードキーが必要な、二重ロックのマンション。

(明日からどうしよう……)

 仕事が終わる頃には、とっくに日が暮れているし──防犯ベルでも買う? その前に警察? でもなんて言えばいいんだろう、絵葉書が届くんです──?
 カードキーをさしてから、エレベーターのボタンを押す。
 斜め後ろに、買い物帰りっぽい女の人と、ランニング帰りっぽい男性が並ぶ。ふたりとも目深に帽子をかぶっていて──お互いに、軽く会釈をした。
 があっと開いたエレベーターの扉。乗り込んで、階数を押す。
 私は八階。女の人は四階。男の人は、七階。

(ご飯、喜んでくれるかな──)

 エコバッグに詰め込んだ食材を見下ろして、思う。同時にさっきの声を思い出して、また心臓がうるさく鳴った。
 あんな声だけ、で「本気で私のこと、好きなの?」なんて思ってしまう……
 ……いやでも、本気でそんなはずは──だって、学生の頃はあんな風に私を扱ったくせに──ああもう、わかんない! わかんなくなるから楢村くん嫌いなんだって!

(──声だけ)

 頭のどこかに、ふと閃く。
 声だけ、聞いていた──ことがある。なにか、重要なことを見落としているような。
 女の人が、降りていく。
 斜め後ろに、男の人が黙って立っている。

(エリさんの、牛乳の話?)

 ──違う。
 Nevermore。Nevermore二度はないぞ
 時──先輩からストーキングされていた、あのとき。
 玄関の薄い扉越しに聞いていた、楢村くんと先輩の口論──

(楢村くんは聞き取れなかった、って言っていたけれど……)

 廊下の反響のせいだろうか、換気口から聞こえたのかもしれない──玄関にいた私には微かに聞き取ることができた。
 先輩が最後に言った、言葉を。

『からす』

 聞き間違いかと思っていた。だって、意味が不明すぎて──そんなこと、言うはずがないと、そう思って。
 だから、楢村くんには伝えていなかった──
 血の気が、ゆっくりと引いていく。
 視線を感じる。
 息がねばついた。肺にうまく酸素が入らない。
 すぐ背後に感じる体温。
 す、とその人が私のトートバッグから図書館の本を抜き出した。

「カラスは殺すべきだと、そう思わないか?」

 震える指先で、緊急ボタンを押そうとして──手を握られた。

「っ、あ──」

 叫ぼうとして、出来なかった。指先に感じる痛み。折られそうなほどに、いや明らかな害意を持って、その人は指を掴む。

「や、やめ」
「やっとオレだって気がついてくれた? ──瀬奈」

 とさ、と詩集が床に落ちる音。
 震えながら振り返る。
 目を三日月みたいにして笑っていたのは、──その先輩。

「な、んで」

 先輩は私の手を引く。先輩のパーカーのポケット越しに、なにか鋭利なものがあると気がついて、頭が真っ白になった。

「傷つけたくないんだけど……」

 傾ぐ身体。ポケットの入り口から、きらりと光る刃物の銀。
 七階で開く扉。

(だ、め!)

 逃げなきゃ──そう思うのに、刃物の銀色が私の思考を奪う。
 手を乱暴に引かれ、よろめきながらフロアに出た。

「見ているだけでいいかなと思ったんだ」

 先輩は静かに話す。声が頭の中で反響して、うまく聞き取れない。

「転勤で二年前にこっち帰ってきて──瀬奈みかけて」

 先輩は話し続ける。

「瀬奈、彼氏作るでもなく、毎日仕事ばっかだったから──オレへの気持ちに気がつくまで、何年でも見守りながら待てばいいって思ってたんだ」

 見守る?
 ずっと──ずっと、見張られてたの? この人に?

「絵葉書、たくさん送ってただろ? 本の表紙の絵葉書。瀬奈、本が好きだもんな。いっつもさ、大学の図書館で瀬奈見かけてたんだよ。オレの好きな本、借りていく瀬奈──」

 先輩は私の手を引く。
 私は踏ん張って、手を離そうと必死にもがく。靴の底が、内廊下の絨毯に擦れる音──それが、静かに響く。

「やめ、離し、て……!」

 肩で呼吸しながら、誰か来ないかと期待してエレベーターホールを見やる。
 ……あれ?

(このフロア……)

 やけに、しんとしている。

「この階な、まだ未入居なんだ」
「……え」
「売り出したのな、ウチの会社。このフロアに人が入居するのは来週以降、かな……」

 新築の──マンション。
 私は喉が張り付いたような感覚を覚える。

「なのに」

 先輩の声が、硬くなる。

「なのに、あのカラスと──付き合うだなんて。結婚するなんて──裏切りだ」

 先輩は笑ったまま、続ける。

「そうだろ? でも大丈夫、オレは瀬奈を愛してるから──」

 耳元で、彼はささやく。

「脅されたんだろ? あのカラスに」
「──か、カラスって」
「オレから瀬奈を奪うわるぅいやつだよ」

 ぼんやりと、理解する。
 先輩はあの詩と、私たちをなぞらえてて──
 冥界の使者たるカラスが、楢村くん。
 主人公が、先輩で。
 私は──

「かわいそうな瀬奈」

 先輩の手に、力が入る。
 折れそうなほど痛いのに、声が出ない。

(こわい、こわい、こわい──)

 しゃくりあげる。
 先輩が私の手を引く。足がもつれて、その場に倒れ込んだ。廊下で、身体をしたたかに打ち付ける。
 先輩は笑う。
 ゆっくりと、私にのしかかって、きて。

「もうオレのものになってしまおう? 瀬奈」

 先輩の息が、首筋にかかって──私は泣くしかできない。少し離れたところにナイフが置かれる。

「愛してる」

 その言葉に、血の気がざあっと引いていった。
 
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