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 十月の半ば──昼間はまだ夏みたいな日もある──そんな晴れた日に、私と楢村くんは新居に引っ越した。
 新築の2LDK。新しくて綺麗なだけじゃなくて、かなりセキュリティがしっかりしてる。
 いきなりそんなところが借りられたのは、ここの持ち主が楢村くんのご親戚の方だったからだ。

「忙しくなると泊まり込みとか出てくるからな、危ないやろ」
「……昨日まで一人暮らししてたんだけど」

 新しい家の、真新しいソファに座って私はぼうっとすっかり暗くなった空を眺めた。
 ……引越しって、疲れる。
 ぼうっとしていると、ふと抱きしめられた。

「瀬奈」
「……なに?」

 楢村くんは私を膝に横抱きに乗せて、そっと手を取る。それから──左手を撫でる。

「似合っとる」
「ゆ、指輪に似合うも似合わないもないよ」
「ある」

 左手薬指に嵌めているのは、楢村くんが(入籍してるにも関わらず)プレゼントしてくれたエンゲージリング。いらない、と言ったのだけれど──半ば強引に選ばされて、でも、……嬉しくて。

(楢村くんから初めてもらったプレゼント……)

 実は彼のいないところでは、ずうっと眺めている。嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて──
 指輪が、じゃない。
 彼からの初めてのプレゼントだから。
 きっとこれが全然別の──熊のぬいぐるみとかでも、私は一日中眺めていたと思う。

(……私、ちょろいなー)

 自分でも呆れてしまう。
 隠しているけれど、どうせ、顔に出てるんだろうな……
 楢村くんはなぜだか、私の髪をすこしクシャクシャに撫でたあと、ちゅ、とこめかみにキスを落とす。
 そのあと、髪の毛に、頬に、手を取って指に、手首に──とにかく、いま触れられるところ全部に。
 ぺろっ、て頸動脈あたりを舐められて、びくりと肩を揺らす。

「──可愛い、瀬奈」

 楢村くんが、低く言って──
 お腹の奥が、ずくりと疼く。
 私は自然と、彼の背に手を回して──いて。

 ぱちり、と目を覚ますと、コーヒーのいい香りがした。

「……あれ?」

 半分寝ぼけた頭で、ぐるぐると考える──朝日がさしこむ見慣れないカーテン、広いベッド……

(どこここ……)

 ぽすんと真新しい枕に顔を埋めた。
 どこ──って、新しい家だ。私と、……楢村くん、の。
 ぼっと頬が熱くなる。

「~~~!」

 顔を埋めたまま、枕をぎゅっと握りしめる。
 籍は入れていたけれど──結婚した、って実感はなかった。
 でも今日から──昨日からか、一緒に暮らす、ことになって……

「耳まで真っ赤やで、瀬奈」

 ふと声がして、布団を自分に巻き付けながら振り向く。

「おはよう」

 ぎし、と楢村くんがベッドに乗ってくる。
 さらり、と髪の毛を撫でられて、なにこれ新婚さんみたい! なんて思う。……いや新婚なんだけれど。
 楢村くんは私のおでこにキスをひとつして、そのまま離れていく。

「朝、パンでええ?」
「あ、うん……」

 さっさと寝室を出て行く楢村くんの背中を、ぼうっと見つめた。
 ……朝ごはん、できてるらしい。

「……ぱんつ、どこ」

 たしかに昨日脱がされたはずなのに──となんとか発見して、とりあえず部屋着を着てリビングへ向かう。
 まだ段ボールが少しあるリビングのテーブルには、トーストとサラダ。

「簡単やけど」
「あ、ありがとう……」

 楢村くんの前には、ブラックコーヒー。
 私の前には牛乳たっぷりのカフェオレで……前にブラック苦手、って言ったの覚えててくれたらしい。
 胸がきゅんとした。
 たったそれだけで、きゅんとした。

「行ってくるけど……知らん人来ても開けたらあかんで」
「開けないよ……」

 日曜日だというのに、楢村くんはお仕事みたいだった。秋から二月あたりまで、楢村くんのところは忙しくなる。寒さと比例して、忙しさも増していく──とのこと。
 なんとなく見送りに玄関まで行って(決して離れたくなかったとか、ちょっとでも一緒にいたかったとか、そんなんじゃないんだから!)楢村くんにお留守番みたいな注意を受ける。

「約束やで」
「わかったってば!」

 私の顔を見て、楢村くんはしばらく黙る。

「な、なにかついてる?」

 顔をペタペタ触る。
 パン屑がついてるとか、そんなことはなさそうだけれど……

「瀬奈、いっこだけお願いしていい」
「なに?」
「キスして欲しい」

 とても真面目な顔で、まっすぐに言われた。
 ──え?

「ど、どうしたの? なんでっ」
「いってらっしゃい、で……」
「どうして」
「どうして?」

 楢村くんはいたって真っ直ぐに言う。

「憧れてたんや」
「憧れ……」
「ケーキ買って帰ったるから」
「……」

 別に、ケーキに釣られたわけじゃない。
 けど、私は言う。

「け、ケーキ、ケーキ貰えるからだからねっ」
「分かった分かった」

 楢村くんの「わかってる」って顔に悔しく思いながら、つま先をのばして軽く唇を重ねる。
 触れただけで、ぱっと離れようとした私の腰を、ぐいっと楢村くんは引き寄せて、キスを深くする。
 舐められる歯列と歯茎、上顎をつんつんと突かれて、がくりと力が抜けて──

「いい子で待っといてな」

 楢村くんはそう言って、玄関に佇む私を残して、出て行ってしまう──ああもう、多分私、真っ赤だよ。

 その日の午後、私は買い物に行こうとして、郵便受けに「それ」を見つける。

「──え?」

 新しい住所を、まだ誰にも伝えていないのに──
 転送届のシールも貼られていない、一枚の絵葉書。
 一羽のカラスが描かれたそれに、消印は──なかった。
 
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