小説探偵

夕凪ヨウ

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Case2.邂逅

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 思わず顔を歪めたが、気にする様子はなかった。この男らしいと思うが、出会いたかったわけではない。だが、こうなった以上、引き下がる人間でないことは分かっていた。
「捜査を手伝え。興味は?」
 答えなど分かりきっていたが、念のため尋ねた。男は爽やかとすら感じる笑みを浮かべて頷き、口を開いた。

       ーカイリ『捻れた正義』序章ー

            ※

 警視庁、刑事部捜査第一課。
「警部! これ読みました?」
 新聞に目を通していた男は、不思議そうに顔を上げて部下を見た。
「何だ? それ」
 答える代わりに、部下は手に持っている本を見せた。表紙には大きく、血のような赤色で『恨み』と印刷されており、呪いの本のように真っ暗なカバーがかけられている。警部と呼ばれた男は、作者名の『カイリ』の3文字を見つめ、溜息をつく。
「ああ、カイリの本か。それなら知ってるよ。でもな、それは実際の事件がモデルなんだぞ? 俺たち捜査一課が担当した事件を嬉々として読めるほど、俺は読書好きじゃない」
「えーもったいないですって。何も考えずに読めば、結構楽しめますよ?」
 部下の言葉に、東堂龍とうどうりゅうは呆れた笑みを浮かべた。同じようなことを口にする部下や同僚は一定数いるが、龍には彼らの楽しみが分からず、いつも同じ答えを返していた。
 30代前半の龍は体躯がよく長身で、大勢が想像する刑事像を体現していた。一方、オールバックに整えられた短い黒髪と黒い瞳、筋の通った鼻と、精悍な顔立ちの一言が似合う男でもあり、手入れの行き届いた顎鬚や皺一つないスーツ姿は、彼の性格を表していた。


 面白いですけどねえ、などと溢す部下を見ながら、龍は口を開く。
「小説家、ね。そういえば、お前は知らないんだったな」
「はい?」
 部下が首を傾げた。龍は続ける。
「そいつ、ただの小説家じゃねえよ」
「そうなんですか?」
「ああ。おかしいと思わないか? その本に書いてある警察の捜査も、推理の様子も、その場にいたかのように描写されている。目の前で全てを見聞きしたかのようにな」
「・・・はい、そうですね・・?」
 部下の鈍感さに龍は苦笑した。新聞を畳み、言葉を続ける。
「そいつ・・・カイリは現場にいたんだよ。カイリこと江本海里えもとかいりは、探偵でもある」
「ええ⁉︎」
 大袈裟なほど部下は驚いた。しかしこれは当然の反応で、全く同じ挙動をした同僚たちが龍の頭をよぎった。
「小説探偵なんて呼ばれて、今じゃ世間の人気者さ。俺は気に入らないけどな」
 龍はそう言って肩をすくめた。新聞を畳んでデスクに置き、パソコンに手を伸ばす。同時に忙しない足音がして、上司が部屋に飛び込んで来た。
「Y町で遺体が発見された。現場に急行してくれ」
 捜査一課全員の顔色が変わった。龍はすぐさま立ち上がり、小説を見せてきた部下の机にある書類を指し示す。
「整理が終わったら連絡しろ。何か頼むことがあるかもしれない」
「分かりました」
 部下が答えるなり、龍を含む刑事たちは足早に駐車場へ行き、パトカーに乗り込んだ。助手席に座った龍が頷くと、刑事はエンジンをかけ、勢いよくアクセルを踏み、サイレンを鳴らして東京の街を走り抜けた。


 少し道が混んでいたため、予定より数分遅れて龍は現場に到着した。
 現場は路地裏の廃屋で、駆けつけた警察以外の気配は皆無だった。
「東堂警部!」
「悪い、遅れた。殺人か?」
「はい。こちらへ」
 部下に連れられて歩きながら、検死は既に終わり、鑑識作業の途中であると説明を受けた。廃屋に龍が姿を現すと、数人の刑事たちが敬礼し、遺体に視線を移す。
 龍も同じように視線を動かし、すぐさま眉をひそめた。
「バラバラ死体か」
「はい。しかも手首・足首から先が切り取られています。指紋照合を避けるためかと」
「手の込んだ犯人だな。ここにあるのは胴と腕、太腿から膝下だけか?」
 淡々と尋ねる龍だったが、現場は凄惨なものだった。
 廃屋の中心には、首と膝から下がない遺体がある。室内は薄暗いのに、切断面の肉と露出した骨がやけに生々しく、血の通っていない肌は作り物のように青白い。幸い、腐臭はほとんどなかったが、代わりに血の臭いが充満していた。
 しかし、若い刑事たちが顔を背けたり、鼻口を押さえたりしている中、龍は眉を顰めた以上の反応を見せなかった。遺体の側に屈んで観察し、口元に手を当てて思案する彼が、この場にいる誰よりも慣れていることは明白だった。


 しばしの間があった後、鼻口を押さえている刑事の1人が、龍の質問に答える。
「はい。室内にあるかもしれないと思い探しましたが、見つかりませんでした。隠し扉もありませんし、犯人がどこかに持ち去ったのでしょう」
「バラした挙句、遺体の一部を・・・・何がここまでさせるんだろうな」
 龍は深い溜息をついて立ち上がった。
 被害者は男性で、体つきからしてそう歳は取っていない。20代後半から、30代前半と思われた。胴の側には茶色い髪の毛が散らばっており、首を切断した時に落ちたと想像できた。
「その辺の髪の毛、血液が付着してる。鑑識に回してくれ」
「はい」
「死亡推定時刻は?」
「昨夜の午前2時~3時頃です。それと、こちらの窓枠に血痕が残されていました。犯人が逃走時に通ったと思われます」
 部下が指し示したのは、出入り口を内から見た時、左側にある大きな窓だった。小柄な人間なら通れるほどの大きさである。
 龍は一旦部屋を出て、血痕が残された窓の前に立った。窓の上枠とその付近には微かな血と縄を擦ったような跡があり、大方、逃走ルートが把握できた。
「一部とはいえ、男の体を持って逃亡とは、ご苦労なこった」
 溜息混じりに告げた龍に、部下は苦笑いで同意し、続けた。
「屋上を調べたところ、やはり血痕が残されていました。靴跡もあります。断言はできませんが恐らく運動靴、サイズが小さいので女性かもしれませんが、遺体を持ち去ったとなると男性かもしれませんね。ここら辺はこれから調べます。
 ただ、入り口付近に血痕がないので、逃走ルートは窓であり、犯人が小柄であることは確定して良いかと」
 部下の要約を聞き、龍はおもむろに頷いた。
「やけに証拠を残すな。初犯か」
「可能性は高いと思われます。愉快犯は存在を隠すか、極端に誇示することが多いですし」


 初犯でここまでやるとなると・・・過去に何らかの影響から、思考が捻じ曲がったと考えるべきか? だが、これは愉快犯にも当て嵌まる。それを除外した場合は、複数人の犯行か、よほどの怨恨。
 遺体の切断面は荒く、形状から見ても鋸だ。被害者は相当な苦痛だったはず。叫ばないわけがない。
 深夜とはいえ、誰も気がつかなかったのか? 頭部がない以上、猿轡さるぐつわの有無が不明なのは仕方ないが、ここは大通りからそう離れてもいないのに。


 そんなことを考えていると、本庁と連絡を取っていた刑事が龍に声をかけた。
「東堂警部。容疑者と思われる人物が数人挙げられたとのことです。警視庁に呼び出しますか?」
「そうしてくれ。取調べは俺がやる」

            ※          

 警視庁に戻った龍は、容疑者たちと顔を合わせた。特定した人物は3人おり、最後の1人は少し時間がかかると言うことだった。
「最後の1人が到着したら教えてくれ。では、まずあなたから」
 龍は20代前半の女性を指し示した。体の前で手を組み、視線が泳ぐ様子は怪しいが、警察相手なら誰もが同じ反応をすることがほとんどであったため、気にすることなく取調室の扉を閉めた。
「昨夜の午前2時~3時頃、事件現場付近を通られましたか?」
「ええ。友人に会いに行っていたんです。疑うなら、これを」
 女性はそう言いながらスマホの写真を見せた。友人らしき女性と並んだ写真があり、時間は深夜2時半を指している。
「なぜこんな時間に、ご友人に会いに行ったのですか? この写真を見たところ、ご友人は寝巻き姿です。驚かれたのでは?」
「彼氏から逃げてきたんです。彼、お酒を飲むと暴力を振るう癖があって。
 彼女は、いつも助けてくれて、昨日も迎え入れてくれました」
 龍は写真に写る女性を見た。化粧もしており、服装は部屋着ではない。寧ろお洒落と言ってもいいワンピースである。
「・・・逃げてきたわりには身なりが整っていますね。外出中だったのですか?」
 龍の言葉に女性は動揺しつつ叫んだ。
「・・・そんなこと、聞かなくてもいいじゃありませんか! 私は彼のことを思い出すだけで怖いんです‼︎ それなのにっ・・・!」
「失礼は承知の上で聞いています。あなたにアリバイがあったことを証明するため、必要なことと思って答えてください」
 龍は冷静にそう言い、いくつかの問答を経て、女性の取調べを終えた。


 続けて、初老の男性を取調室に入れた。男性は少し歪な形の杖を突きながら入室し、補助の刑事が体を支えながら椅子に座るのを手伝った。男性が礼を言って一息つくと、龍は取調べを始めた。
「昨夜の午前2時~3時頃、事件現場付近を通られましたね? 近くの監視カメラに、あなたの姿が写っていました。」
 男性は監視カメラの映像を見て、自分であると頷いた。
「なぜこんな時間に外出されていたんですか? 見たところ、夜に出歩く格好ではないように思えますが」
 龍がそう言うのも無理はなかった。男性は古びた黒いジャージと長袖のシャツという姿で、上着らしきものは羽織っていなかった。春とはいえ、まだ夜は寒い季節である以上、明らかな薄着である。
 男性は龍の言葉に頷きつつ、しばらくして小さな声を出した。
「・・・・妻を・・探しておった」
「妻?」
 龍はわずかに眉を顰めて質問した。男性は頷いて続ける。
「認知症なんじゃよ。思い出の地を徘徊しておるようでの・・・。昨夜も居なくなって、探し回っていたところ、偶然現場付近を通っただけじゃ」
「・・・そうですか。それは・・失礼しました」
 どこか納得していない様子を見せつつ、龍は軽く頭を下げて謝罪した。男性は朗らかな笑みを浮かべる。
「よい、よい・・・。刑事さんも、見たところ、良い年じゃ。家族がいるんじゃないのか?」
 龍はわずかに目を見開き、机の上で組んだ自分の両手に視線を落とした。しばらく沈黙した後、彼は乾いた笑みを浮かべ、呟く。
「私の家族は、もういません。ずっと昔に・・・・死にましたから」

            ※
                    
「東堂警部」
「ん?」
「最後、ご老人と何を話していたんですか? 長い間、黙っていましたけど」
 外で様子を見ていた部下の質問に、龍は顔色を変えず、しかし間を開けて答えた。
「・・・・他愛もない話さ。それより、3人目の容疑者はまだか?」
「そろそろ来るはずです。あ、噂をすれば。こちらですよ!」
 手招きをする部下の視線を辿り、龍はギョッとした。
 優しげな笑みを浮かべ、銀髪を揺らし、碧眼へきがんを輝かせながら歩く、嫌になるほど整った顔立ちをした若い男。龍は思わず名前を呼んだ。
「江本・・・⁉︎」
「おや、東堂さん。お久しぶりです。お元気そうですね」
 海里は優しげだが、腹の内が読めない笑みを浮かべた。龍は右手で眉間をつまみながら口を開く。
「まさか、3人目の容疑者ってーーーー」
「はい、私のようです」
 龍は深い溜息をついた。この男が殺人をしないことなど、はなから分かっている。被害者の交友関係を洗っていても、海里の名前は出て来なかったのだから。
 仕方がないと思いつつ、龍は言った。
「どうせお前は容疑者から外れるだろう。その代わりと言ったら何だが、捜査を手伝え。この事件、興味あるか?」
「ええ。バラバラ事件なんて、非常に興味深いですよ。初犯でそれをやって除ける、犯人の度胸も」
 海里の言葉に龍は顔を歪ませた。初犯云々は話していないはずなのに、部下の口から又聞きしただけで理解してしまうところが、気味悪かった。嬉々として物語の構想を練っているであろう、頭の中も。
「・・・・お前って、そこらへんの殺人鬼よりタチが悪いと思うよ」
 思わず漏れた龍の言葉に、海里は不貞腐れた表情を浮かべた。
「失礼ですね。私は小説家であり、探偵。物語を創作するため、事件に向かっているだけですよ」
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