きんだーがーでん

紫水晶羅

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美乃里

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 指先から篠崎の熱が伝わってくるような気がして、美乃里は点々と散らばる紅い刻印に指を這わせた。
「はぁ……」
 美乃里の口から吐息が漏れる。
 つい今し方まで激しく愛されていた身体は、篠崎の熱をまだ鮮明に覚えている。
「ふうぅぅっ……」
 ゆっくり息を吐き出すと、美乃里は部屋着に腕を通した。

 篠崎は、見える所に証を残すようなヘマはしない。
 全ての刻印が閉じ込められたのを確認し、美乃里はベッドに身体を横たえた。

 目を閉じると、篠崎の優しく垂れ下がった目尻が浮かび上がる。
 美乃里は、その目が大好きだ。
 全てを包み込んでくれるような、優しい瞳。
 さほどイケメンではないが、その目が穏やかな人柄を強調し、全体的に暖かい雰囲気を醸し出している。
 初めて会った日から、美乃里は篠崎のその瞳に強く惹かれていた。


 篠崎は、港北短大で造形表現を担当している。
 三十五歳の准教授で、妻と子どもの三人暮らし。
 つまり、不倫ということになる。

 美術に興味のある美乃里は、一年生の頃から事あるごとに篠崎の元へと通い、絵画や造形について学んでいたのだ。
 親しくなった二人が男女の関係になるのに、さほど時間はかからなかった。
「お母さんが知ったら怒るだろうな」
 天井をぼんやり眺め、美乃里はポツリ呟いた。

 美乃里の両親は、同じ公立高校で教師をしていた時に知り合った。
 父は数学教師、母は音楽教師だ。
 結婚を機に母は一度退職したが、美乃里が小学五年生の年に、非常勤講師として、私立高校に再就職したのだ。

 転勤のない私立高校と違い、公立の高校教諭は転勤族だ。
 二年前、自宅から離れた地域に異動した父は、現在異動先の職場近くにアパートを借り、単身赴任をしている。

 しかし、どうやらそこに、女の影があるらしい。

 以前、休日を利用して帰宅していた父に母が詰め寄っているのを、美乃里は偶然聞いてしまった。
 夜中にトイレに起きた美乃里は、夫婦の寝室から漏れ聞こえる口論の声を聞いたのだ。

 母は確かに、「あの女」と言っていた。

 以来、母は、父のアパートを訪れていない。

 それでも月に一度、父は泊まりがけで帰って来る。そして、何食わぬ顔で家族団らんのひとときを過ごすのだ。

 仲の良い夫婦を装っている二人の姿を見るたび、美乃里は無性に、大声で叫んで全てを壊してしまいたくなる。
 今はまだ美乃里に何かと金が掛かる為、お互い我慢しているのだろう。家のローンもある。
 だが、美乃里が就職し、家のローンを完済したら?
 離婚するのはきっと、時間の問題だろう。
 いつ壊れるかわからないガラス細工の城の中で、美乃里はたった一人、恐怖に怯えていたのだった。

 そんな時、美乃里の心を救ってくれたのが、篠崎だった。
 篠崎は何も聞かず、ただただ側にいてくれた。
 美乃里の中にある寂しさも、不安も、やるせなさも、全てを暖かく包み込んでくれた。
 篠崎の存在だけが、美乃里の拠り所なのだ。

 しかし、所詮は不倫だ。
 この事実を知った時に母が受ける衝撃は、並大抵のものではないだろう。
 夫に浮気された妻の気持ちを一番理解できるのは、他でもない、美乃里の母なのだから。

「お母さんにだけは、知られちゃいけない」

 両腕で身体を抱き締めると、美乃里は目蓋をきつく閉じた。

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