7 / 100
政宗
1
しおりを挟む
「政宗。ピアノ室付き合ってくんない?」
午後の講義が終わり帰り支度を整えている政宗に、聖が甘えた声で訊いた。
「ピアノ室くらい一人で行けよ」
デイパックを肩に担ぐと、「じゃあな」と政宗が片手を上げた。
背中に背負われたばかりのデイパックを聖が掴む。その拍子に身体が仰け反り、「おいっ!」と政宗が聖を睨んだ。
「やだよ。お化け出るし」
琥珀色の瞳を潤ませ、聖は縋るように政宗を見つめた。
「はあっ? お前、あんな噂信じてんのかよ?」
口をあんぐり開けながら、政宗は呆れた顔で聖を見つめ返した。
ピアノ室とは、ピアノの練習室の事で、畳二畳分くらいの小部屋に、アップライトのピアノが一台とスツールが二脚あるだけの簡素な部屋だ。
部屋には入り口と小さな窓が一つずつ。わかりやすく言うなら、刑務所の独房のような部屋だ。
そこに、昔自殺した女生徒の霊が出るというのだ。
なかなか課題曲をクリアできないことを苦にした一人の女生徒が、ピアノ室で首を吊ったという話が、代々実しやかに語り継がれているのだ。
ピアノ室は全部で二十室。
噂によると、自殺した部屋は九号室とも十三号室とも言われ、はっきりしない。
「九か十三に入らなきゃいいだろ?」
「そこしか空いてないかも知んないじゃん。それに、もしかしたら自殺したの違う部屋かも知んないじゃん」
「知るか」
「もう夕方だし。暗くなると怖いじゃん」
「まだ四時過ぎだろ?」
「でも……」
「だったら、午前中の空き時間に練習すれば良かっただろ? どうせ今日なんて二限からだったし」
「そんなん、今更言ったって……」
二人の進展しない押し問答に痺れを切らし、「明日の授業中に練習すれば?」美乃里が横から助け舟を出した。
「無理。だって明日テストだろ?」
政宗のデイパックを掴んだまま、聖が美乃里の提案をバッサリ斬り捨てた。
「しかも、明日は女帝が来る」
「女帝かぁ……」
ご愁傷様とばかりに、三人揃って肩を落とした。
港北短大のピアノ授業は、一人一台電子ピアノが与えられる。
マイク付きのヘッドホンを付け、出された課題曲をひたすら練習していると、突然その日の担当教師とマイクが繋がり、そこから個別レッスンが始まるという流れだ。
女帝こと大崎教授は、三人いるピアノ教師の中で一番の大御所。その厳しい指導に、泣き出す生徒が続出している。
その女帝が、明日の聖の担当教師なのだ。
「そんな付け焼き刃が通用する相手だと思う?」
「んー……」
聖の問いかけに、三人は返す言葉もなく黙り込んでしまった。
「よりによって、テストの日に女帝が当たるなんて……」
聖がわざとらしく泣き顔を作った。
「日頃の行いだろ?」
ははっと乾いた声で、政宗が笑った。
「お前らはいいよな。ピアノも歌も巧くて」
聖は恨めしそうに三人の顔を順に見回した。
保育士は基本、歌いながらピアノを弾く。つまり、弾き語りだ。
聖を除く三人は、幼い頃からピアノを習っていたので、聖よりは幾分有利だ。
それでも歌いながら弾くのは意外と難しいもので、さすがの三人も、入学当初は随分苦労したものだ。
「そんなこと言われたって……。ねぇ」
楓が困った顔で、政宗と美乃里に同意を求める。
「ああ」
「うん」
相槌を打つ二人も、どうしたものかと頭を悩ませた。
聖は時々、こんな風に駄々をこねる。
また始まったか、と少々うんざりしながら、三人はアイコンタクトを取り合った。
「政宗、明日だけ席代わってくんない?」
個別レッスンは、六列あるうちの二列を一人の教師が受け持ち、一人ずつ順番に指導していく。
席は予め決められており、出席番号順で横並びになっている。
「アホか。そんなんバレるに決まってんだろ」
溜息まじりに、政宗が聖を睨んだ。
午後の講義が終わり帰り支度を整えている政宗に、聖が甘えた声で訊いた。
「ピアノ室くらい一人で行けよ」
デイパックを肩に担ぐと、「じゃあな」と政宗が片手を上げた。
背中に背負われたばかりのデイパックを聖が掴む。その拍子に身体が仰け反り、「おいっ!」と政宗が聖を睨んだ。
「やだよ。お化け出るし」
琥珀色の瞳を潤ませ、聖は縋るように政宗を見つめた。
「はあっ? お前、あんな噂信じてんのかよ?」
口をあんぐり開けながら、政宗は呆れた顔で聖を見つめ返した。
ピアノ室とは、ピアノの練習室の事で、畳二畳分くらいの小部屋に、アップライトのピアノが一台とスツールが二脚あるだけの簡素な部屋だ。
部屋には入り口と小さな窓が一つずつ。わかりやすく言うなら、刑務所の独房のような部屋だ。
そこに、昔自殺した女生徒の霊が出るというのだ。
なかなか課題曲をクリアできないことを苦にした一人の女生徒が、ピアノ室で首を吊ったという話が、代々実しやかに語り継がれているのだ。
ピアノ室は全部で二十室。
噂によると、自殺した部屋は九号室とも十三号室とも言われ、はっきりしない。
「九か十三に入らなきゃいいだろ?」
「そこしか空いてないかも知んないじゃん。それに、もしかしたら自殺したの違う部屋かも知んないじゃん」
「知るか」
「もう夕方だし。暗くなると怖いじゃん」
「まだ四時過ぎだろ?」
「でも……」
「だったら、午前中の空き時間に練習すれば良かっただろ? どうせ今日なんて二限からだったし」
「そんなん、今更言ったって……」
二人の進展しない押し問答に痺れを切らし、「明日の授業中に練習すれば?」美乃里が横から助け舟を出した。
「無理。だって明日テストだろ?」
政宗のデイパックを掴んだまま、聖が美乃里の提案をバッサリ斬り捨てた。
「しかも、明日は女帝が来る」
「女帝かぁ……」
ご愁傷様とばかりに、三人揃って肩を落とした。
港北短大のピアノ授業は、一人一台電子ピアノが与えられる。
マイク付きのヘッドホンを付け、出された課題曲をひたすら練習していると、突然その日の担当教師とマイクが繋がり、そこから個別レッスンが始まるという流れだ。
女帝こと大崎教授は、三人いるピアノ教師の中で一番の大御所。その厳しい指導に、泣き出す生徒が続出している。
その女帝が、明日の聖の担当教師なのだ。
「そんな付け焼き刃が通用する相手だと思う?」
「んー……」
聖の問いかけに、三人は返す言葉もなく黙り込んでしまった。
「よりによって、テストの日に女帝が当たるなんて……」
聖がわざとらしく泣き顔を作った。
「日頃の行いだろ?」
ははっと乾いた声で、政宗が笑った。
「お前らはいいよな。ピアノも歌も巧くて」
聖は恨めしそうに三人の顔を順に見回した。
保育士は基本、歌いながらピアノを弾く。つまり、弾き語りだ。
聖を除く三人は、幼い頃からピアノを習っていたので、聖よりは幾分有利だ。
それでも歌いながら弾くのは意外と難しいもので、さすがの三人も、入学当初は随分苦労したものだ。
「そんなこと言われたって……。ねぇ」
楓が困った顔で、政宗と美乃里に同意を求める。
「ああ」
「うん」
相槌を打つ二人も、どうしたものかと頭を悩ませた。
聖は時々、こんな風に駄々をこねる。
また始まったか、と少々うんざりしながら、三人はアイコンタクトを取り合った。
「政宗、明日だけ席代わってくんない?」
個別レッスンは、六列あるうちの二列を一人の教師が受け持ち、一人ずつ順番に指導していく。
席は予め決められており、出席番号順で横並びになっている。
「アホか。そんなんバレるに決まってんだろ」
溜息まじりに、政宗が聖を睨んだ。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる