パスティーシュ

トリヤマケイ

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川崎市夜光編

小島新田

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   そういえば、強風吹きつのる京浜大橋を渡って京浜島に行ったときにも、かなり怖かった。橋を渡り終えて左に折れ、道をつっきてゆくと、左手に背はそれほど高くはないが、無気味な通低音を響かせて、まるで生き物のように密かに息衝いている建築物を発見した。またぞろ清掃工場だ。稼動中の暗く重い地の底より響いてくるような音は、まさに巨大な生き物の心臓の鼓動に違いないように思えた。

   大田区のこの清掃工場は、広大な敷地面積を有し、一気にやり過ごすこともままならない。誰一人歩いていない夕闇迫る大通りを何者かに追われでもしているかのように、先を急いだ。やっと建物が切れ、道路の突き当たりにあったつばさ公園なる緑地へとゆるやかなスロープを上がってゆくと、そこには別世界が待ち受けていた。

 海と見紛うばかりの雄大な京浜運河だ。その運河を隔てた遠く向こう岸には、羽田空港の明かりが瞬いている。ここは飛行機の離着陸を見ることの出来る有名なポイントらしく、多くの人たちが、今や飛び立たんとする旅客機を待ち望み、飽くことなく対岸に視線を注いでいた。

 眼前に青々と広がる運河よりの風に身をなぶらせていると、いかに水辺というものが環境と人の心の浄化に不可欠であるものなのかを思い知らされる気がした。考えるまでもなく、多くの清掃工場が河川や海際に建造されている事実は、ゴミの焼却灰を海なり河川に垂れ流していることを物語っている。それ故に、魚にダイオキシンが多量に摂取されているというわけだ。

 話しはだいぶ長くなってしまったが、またぞろ怖いもの見たさで被写体を求めて電車に乗っているというわけで、当初の予定としては、大田区蒲田方面より徒歩で川崎に入り、周辺を撮りながら工場地帯へなどと考えていた。だが、一等好きな食べ物を最後までとっておくことなどできない性分の私は、いきなり敵前へと切り込んでいきたくて、うずうずしていた。地図を見ただけでも金属、機械、化学工業が中心の工場、工場、また工場の嵐であって、京浜島の京浜工業団地よりも更にスケールの大きい工業地帯なのだ。

   私にとっての非現実性を体感出来得る最高のロケーションといっても過言ではないかもしれない。それほど私は、以前からこの場所に恐怖しつつ、期待を寄せていたのだ。

 ところが、予定がちょっと狂った。電車は小島新田という駅で終点であるが、再びそこより乗り継いで浮島なり、夜光なりへと電車で行けるものとばかり思っていた。地図の上では、しっかりと鉄路が走っていた筈でだった。ということは、貨物車のみの運行ということなのだろうか、とまれ、駅員さんが、浮島町への道順を教えてくれるのを上の空で聞きながら、少々落胆せずにはいられなかった。

   予想では、電車の窓という窓いっぱいに煤煙を吹き上げる煙突が立ち並び、天を摩す巨大なクレーンが唸リを上げ、石油コンビナートの白いタンクの群れがどこまでもどこまでも続いている、そんな悪夢のような世界の真っ只中に頭から突っ込めるとばかり思っていたのに、どうやら歩いてゆくしかないようだ。だが、歩くことは嫌いではない。

   いや、むしろ好きな方だ。ゆっくりと自分のペースで進むことによってのみ、見えてくるものもあるから、撮影は、歩くことが基本と考えている。

   では何故また、このとき多少なりとも落胆したのだろうか。摂氏35度の炎天下を2時間以上も歩かねばならないからでもないだろうし、単に自分の考えていたように電車で浮島方面に行けなかったからでもないだろう。

   何か工業地帯へと立ち入るのを阻まれたような気がしたからか、あるいはまた、一刻も早くぞくぞくするような屹立する煙突群を見たかったからなのか、その辺のところがよくわからないのだが、ともあれ、私は小島新田の駅を後にした。

 確か駅員さんは、跨線橋を渡って左へと言っていた筈だ。公衆便所の脇の階段を上って、錆びて赤茶けた金網ごしに眼下を走る鉄路を眺めながら、スロープを降りてゆく。そのままスロープは、大きな幹線道路にぶちあたり、自販機で買った缶ジュースをがぶ飲みしながら左方向へと進む。

 何台も大型トラックが路肩に停まっている。ドライバーだろうカーキのカーゴパンツを穿いた若い男が、街路樹に向け放尿しているのを横目に百メートルほど行くと、十字路にぶつかり、右を指し示す矢印の上に浮島町とかかれた標識を見つけた。

 もう既にここら辺から尋常でないトラックの多さと、その荒っぽい運転に、いよいよ魔窟への入口らしい気配が濃厚に漂っているのだった。となると、この十字路はまるでロバート・ジョンソンの唄に出てくる四つ辻ではないか。

   無意識のうちに『クロスロード』のメロディを口ずさみながら、十字路を右に折れてゆく。しかし、とにかく暑い。じりじりと音をたてて肌が焦げてゆく感じ。もう写真なんてどうでもいいといった気分だ。惰性のみで足を運んでいる。

   やがて左にいすずの工場が見えて来る。物色するも何もなし。ただやたらにでかいだけで、無気味さは皆無。そして、いすずをやり過ごした頃から道は緩やかにカーブしてゆく。カーブが終わると歩道が不意に狭くなる。人ひとり分の幅しかない。

   それに、地下を工事中なのか、歩道寄りに鉄板が敷き詰められていて、トラックが通る度に凄まじい音が強迫的に頭から降って来る。というのも、左車線側の歩道を歩いているためで、ひきもきらずに疾走してくる大型トラックが、あたかも背後から襲ってくるようで、落ち着いて歩いてなどいられないほどだ。

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