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トリヤマケイ

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川崎市夜光編

スグル

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   オレはいま、京急川崎駅より乗り換えた太子線の車内でサングラスをかけ、ダークグリーンに染まる世界を眺めるともなく眺めている。

  このごろやけに祐天寺にサキと一緒に住んでいた頃の事をよく思い出す。そういえばサキのクラスメートだったか、確かナルミが部屋に忍び込んで来たのにはたまげた。

   女の子みたいな綺麗な顔立ちと華奢な身体にムラムラし、住居不法侵入を不問にする代わりに言うことを聞けと、一発ヤッてしまった。

   あれは、我ながらシビレたが、棚から牡丹餅というのはああいうことをいうんだろう。もしアイツがゴリラみたいな面相と体躯だったならば、取っ組み合いの喧嘩になり流血沙汰になっていたに違いない。

   ま、それはともかく、実際、必死に何ものも見逃すまいと、目を凝らして窓外を見つめているのだが、それは、被写体を捜しているからであって、殆どがらがらといっていいほどに空いている後ろからふたつめの車輌のシートにどかりと腰をおろして、おおげさでなく発車のベルが鳴るまで興奮して胸中は居ても立ってもいられないくらいに、大騒ぎだった。

   というのも、人によっては鼻もひっかけないような類いの被写体といえども、怖いもの見たさの憧れとでも表現すればいいだろうか、そんな想いに引きずられてこの路線の電車に乗り込んだのだから、興奮するなというほうが無理なのだ。

 常識的な判断に照らすと、美しくもなく温かみもない無機物は、被写体足り得ない、ということになるのだろうが、好きなものは仕方ない。いや、実のところ好きなのかどうなのかさえ、はっきりわからない。が、ともかく強く惹かれるのは確かだ。

 何故惹かれるのか。考えてみるに全くの的はずれかもしれないが、高校が工業高校だったから。そんなことくらいしか思い浮かばない。

   当時は、鋳造、旋盤、溶接等等、工業系の授業の実習が、いやでいやで仕方なかった。それ故か、当時の思い出は鮮烈に胸に刻みこまれている。

   今でもダライコだとか、油まみれの作業服、あるいは、安全靴なんかを思い出すと、その独特な臭いすら鼻腔内に蘇ってくるくらいだ。

 そんな高校生活が楽しかろう筈もなく、登校拒否を訴える自分との闘いの毎日だった。

   B4判のスケッチブックに一枚一文字で『絶対学校に行くこと』と大書し、壁に掲げてあったことを思い出す。

   遊びに来た友達連中にそれを見られ、よく笑われたものだが、登校拒否生徒は、好きで登校拒否しているわけではない。ギリギリと歯軋りするほど苦しんでいるのだ。

   それほど工業系統のものが嫌だったにもかかわらず、今となって写真を撮る際の被写体として惹かれる、ということは、考えてみるにやはり高校の頃に工業系の勉強や実習をしていなかったならば、斯様に被写体として選択しなかったのではなかろうか、と思うのだ。    

   とまれ、何らかの影響を受けているのは先ず間違いのないところだろう。そして、もう一点。大学では、畑違いの畜産経営なるものを学んだことになっているが、サークルはジャズ研に在籍し、どっぷりとジャズに浸かっていた4年間だった。

   そして、ジャズにも飽きたらなくなり、ついにはインダストリアル・ノイズへと突き進んでいった。

 そんなわけで、これはあからさまなこじつけと思われてもしかたないのだけれど、ノイズ、それもインダストリアルなノイズに惹かれて自分でも演奏というか、いわばぶちまけていたこともあるその音形態にはまっていたのは、ルートを辿れば高校時代に聞いた金属的な音塊が、記憶されていたからこそのインダストリアル・ノイズ、なのではないか。

   しかし、こう考えて来ると、それでは俺が所謂工業的なものに興味を持つのは、単なるノスタルジーなのか、とも考え得られるのだが、幼年期ならいざ知らず高校生という既に人間が出来かけている年頃の経験が、後々になって色濃く精神に影響を及ぼすものなのだろうか。

   つまりそれは、俺にとっての工業的なものとの接触が、負のベクトルを有するものであり、それ故に強固に記憶に刷り込まれている、ということなのかも知れない。

 では何故それが、インダストリアル・ノイズとして、あるいは被写体として立ち現れてくるのか、という点となると、やはりシンプルな見方ではあるけれど「怖いもの見たさ」これに尽きると思う。

   高校のときに、工業とは汚いもの、危険なもの、臭いものという3Kそのものを強く印象づけられているからだ。それは、一旦入れたら拭えない刺青のようなものだ。 

   怖いものといえば、港区の巨大な清掃工場を眼前にしたときにも、それこそ叫びたくなるほどの恐怖を覚えたことを思い出す。

   その清掃工場という名称、そして、やたらにモダンな設計と相まってイメージの刷新に吝かでないといった印象を受けた。

   確かに〇〇工場というと、何かを生産している事を連想するが清掃工場は実際のところ、ゴミを焼却しているに過ぎない。

   もっともダイオキシンはゴミ焼却時に発生するので、大規模なダイオキシン工場といっても誤りではないのだから、〇〇工場というネーミングもあながち的外れではないのかもしれない。

 話しは脱線してしまったが、とにもかくにも、その工場のとてつもなく巨大な煙突を発見したときの、叫びそうになるほどの恐怖に戦慄した自分という存在は、いったいなんなのだろうか。

   ここでもまた工場全体が、現代建築の粋を集めたようなモダンなつくりとなっていたが、なんといっても、いっとう異様なのは一輪ざしの化け物のような煙突だった。

   その日はたまたま休炉中で煙も上がっていなかったし、別に巨大でモダンなデザインの清掃工場が工業的なものを直接連想させるわけではないが、自分のなかでは聳え立つ巨大な煙突、これで決まりだった。

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