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4.金曜日と初めてのお泊り
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「ハルナ、一緒に帰ろう」
「うん」
あの日から、三週間。わたしはハルナと一緒に過ごすことが多くなっていた。
四六時中一緒にいるとしんどいときもあるかもしれないので、毎日ずっと一緒にいるわけではない。ハルナも時々はひとりの時間がほしいと話していたので、彼女の意思も尊重したかった。
一緒にお昼を食べる日もあれば食べない日もあるし、真結ちゃんたちと食べたあとにおしゃべりだけしにハルナのところへ行く日もある。帰るときも、ハルナと一緒のときもあればひとりのときもあるし、真結ちゃんたちと帰るときもある。
その、適度な距離感が心地よかった。
ハルナと仲良くなってから、真結ちゃんたちのグループからはハブられるかと思ったけれどそんなことはなかった。「最近、なんか清水さんと仲良いね」とは言われたけれどそれだけで、用があれば普通に話をするし、特別な用事がなくても話す機会は以前よりも増えていた。
いままでみたいに、人と話すのが、あんまり苦しくなくなった。
べつに面白いことを言えなくても構わないし、好きな人の話をする必要もないし、黙ってしまうことがあってもいいのだと、ハルナと関わるうちにようやくわかってきた。
変なことを言ってしまったら謝ればいいし、嫌なことは嫌だと、少しずつ言えるようになっていた。
「由貴、最近なんか明るくなったね」
と、一度真結ちゃんから言われたこともある。本当か自分ではよくわからないけれど、そうだとしたら嬉しいし、きっとハルナのおかげだと思った。
生きるのがしんどいという気持ちは、日に日に薄れていた。
***
「ハルナ、冬休みってどこか行く?」
「んー、とくに行かないかなぁ。ユキちゃんは?」
「うちは年末年始おばあちゃんち行くよ。毎年行ってるから」
「……そうなんだ」
何気ない会話をしながら帰り道を歩く。コートを着てマフラーを巻いていても、十二月の風は冷たくて早く家に帰りたかった。
今日は金曜日で、明日からは土日で休みだ。とくに予定はないけれど。
来週は三者懇談があって、それが終われば終業式があって、すぐに冬休みになる。
長期休みは好きな気持ちと嫌いな気持ちが半々だった。学校に行かなくていいのは良いけれど、その分休み明けに行くのがより億劫になる。お母さんは忙しいから、年末年始に帰省する以外は遠出することもなかった。友達に誘われて遊びに行くようなこともほとんどないし、自分から誰かを誘ったこともない。
けれど、今年の冬休みは。一度くらい、ハルナと遊べたらいいなとひそかに考えていた。彼女と仲良くなりはしたが、休みの日に会ったことはまだ一度もない。
「……帰りたくないなぁ」
歩きながら、ふいにハルナが呟いた。あともう少しで彼女とは帰り道が別れるところだった。
どうして、帰りたくないのだろう。気になったけれど、なんとなく理由を訊く気にはなれなかった。だから、理由を訊く代わりに。
「じゃあ、うちに泊まる?」
なんてことを、思いきって言ってしまった。
「ただいまー」
「お邪魔します……」
ハルナはどこか緊張した面持ちで玄関に入った。
普通のアパートだしそんなに緊張する必要ないと思うが、わたしだって急にハルナの家に行くことになったら緊張するだろうなと思った。リビングのドアを開けると、先に帰っていた小学生の弟がテレビの前でゲームをしていた。「おかえりー」とこっちを見ることもなく雑に言う。
リビングを通り過ぎてわたしの部屋へ行く。ベッドと勉強机、クローゼット以外にはカラーボックスくらいしか置いていない殺風景な部屋。これといって趣味も好きなものもないから面白味がない。小さい頃に誕生日プレゼントとしてもらったうさぎのぬいぐるみとテディベアだけがかろうじて女の子らしさを醸し出していた。
「飲み物とか持ってくる。適当に座ってて」
暖房をつけて折りたたみのテーブルを置く。友達を部屋に招くのは小学生以来だった。慣れないことをしているなと自覚しながらキッチンに向かう。
紅茶とかないかなと思ったけれどあいにく切らしていた。仕方がないのでマグカップに緑茶を淹れ、カントリーマアムと個包装のチョコを数個トレイに載せて持っていく。他にめぼしいお菓子は見当たらなかった。
部屋に戻ると、ハルナはこちらに背を向けてきちんと正座していた。
「ごめん、お待たせ。たいしたものないけど……」
「ありがとう。おかまいなく?」
「ハルナ、なんか緊張してる? 足崩していいよ、正座疲れるでしょ」
「うん……友達の家とか、あんまり行ったことなくて」
ほんの少し苦笑しつつ、ハルナは足を崩して座り直した。なんだか意外だった。わたしは人付き合いが苦手だから友達の家で遊ぶようなことはほとんどなかったけれど、ハルナはそんなことないと思っていた。
部屋に招いたもののとくにすることがない。なんとなく宿題を片付ける流れになり、お菓子をつまみつつ数学の問題集を進めた。
「おうちの人ってお仕事?」
ふとハルナに訊ねられて、うんと頷いた。
「うち親が離婚して、お母さんしかいないの。帰ってくるの七時とかかな」
「……そうなんだ。うちもそんな感じ」
「えっ、そうなの?」
ハルナは小さく頷いて、それからなんでもないことのように言葉を続けた。
「小さい頃にお母さん死んじゃって、ずっとお父さんとふたり暮らしなんだ。だから、家事とか結構私がやってて……」
「そうだったんだ」
意外と重そうな家庭環境に、内心驚く。ハルナがしっかりしているのはそれが理由なのかなと思った。もしかしたら、家に帰りたくない理由も父親と暮らしていることに関係しているのかもしれないと思ったけれど、やっぱり触れることはできなかった。
「ねえ、つい来ちゃったけど、急だし泊まるのって迷惑じゃない?」
心配そうに訊いてくるハルナに、自分も考えなしだったなと気付く。お母さんが帰ってきてから、急にだめだと言われるかもしれない。
「……お母さんに聞いてみる」
まだ仕事中だろうなと思いながらも、『今日、友達泊めてもいい?』とメールすると、数分後に電話がかかってきた。
驚いている様子の母親になんとか説明しようとするが上手く言葉が出てこない。しどろもどろになっていると、ハルナがノートに何かを書いて見せてきた。文字を目で追い、その通りに口を開く。
「えっとね、ハルナのお父さんが、今日急に会社に泊まり込みになったんだって。で、鍵忘れて家入れなくて困ってるから、うちに泊めてもいいでしょ?」
そういうことなら、と承諾が下りた。ただし親御さんにきちんと連絡をしておくようにと。わかった、と返事をして電話を切った。
「なんとか、大丈夫みたい。お父さんに連絡しておきなさいって」
「うん。メールしておくから大丈夫。ありがとう、ユキちゃん」
安心したようにハルナは微笑んだ。
友だちを家に泊めるなんて初めてのことだった。
***
「お風呂ありがとう」
見慣れた部屋着に身を包んだハルナが、微かに火照った顔で部屋に入ってきた。
スウェットもその下のキャミソールもわたしのものを身に着けていると思うとなぜかドキドキした。さすがにパンツを貸すのは抵抗があるなと思っていたから、お母さんがコンビニで買ってきてくれていて助かった。
中学生になってから初めて友達を連れてきたからか、仕事から帰ってきたお母さんは妙に張り切っていた。夕飯は鍋だったけれど普段は買わないような高そうなお肉や海老が入っていたし、デザートにケーキまで用意してあった。
礼儀正しくてしっかりしているハルナのことも随分気に入ったらしい。「またいつでも遊びに来てね」と笑顔で話していた。普段は生意気な弟も、ハルナの前では緊張していたのかおとなしかった。
「隣、座っていい?」
訊かれて、こくんと頷く。ベッドの隣に布団を敷いたから狭い部屋の中には座る場所がない。わたしが腰かけているベッドのすぐ横にハルナが腰を下ろした。同じシャンプーを使ったはずなのに、ふわり、といいにおいがしたような気がした。
「いいお母さんだね」
「……うん」
「悲しませちゃだめだよ」
「そう、だよね」
静かなハルナの声に、わたしは頷くことしかできない。
「ねえ、いまでもまだ死にたい?」
そう問われて、小さく首を振った。
いまは、あんまり、死にたくない。そう呟くと、ハルナは「そっか」と柔らかな声で囁いた。
「……ね、ユキちゃんは、高校どこ行きたいか決めてる?」
突然そんな質問をされて、わたしは少しだけ考えてから首を振った。
だって、ほんの少し前まで死ぬことしか考えてなかったのだから。高校にも、行きたくないと思っていた。
「まだ全然決めてない。ハルナは?」
「んーと……私、中卒で働こうかな」
「え、うそ」
あまりにも予想外すぎる返答にびっくりした。この前の期末テストの成績もよかったみたいだから、てっきり進学校に行くことを考えているのかと思い込んでいた。
「だめかな?」
「だめじゃないと思うけど……難しくない? 雇ってもらえるの?」
「やっぱりそうかなー」
「そうだよ。わたし、高校行くならハルナと一緒のとこがいいな。それなら頑張って行くから」
あ、でも、すごい頭いいところとかは無理だな……と付け加えると、ハルナはくすくすと笑った。
「頑張ればいけるんじゃない? 南高とか」
「えーそんなとこ無理だよ、頭の出来が違うよ」
「ユキちゃんだって頑張ればできるよー」
そんな話をしているうちに時間はあっという間に過ぎてしまって、気付くと眠気に襲われてうとうとするようになっていた。
「そろそろ寝ようか?」
「そうだね。ハルナ、寝るとき真っ暗で平気?」
「大丈夫だよ」
電気を消してベッドに入った。さっきまであんなに眠かったのに、真っ暗な部屋で横になっていると急に目が冴えてきてしまった。暗闇の中でハルナの様子を窺うけれど、彼女もまだ眠ってはいないみたいだった。
「……ねえ、どうして、家に帰りたくなかったの?」
理由は訊かないつもりだったのに。どうしても気になってしまって、口を開いていた。
「……なんとなく、だよ」
静かな声が返ってくる。それ以上、ハルナは何も言おうとはしなかった。少しだけ迷ってから、わたしはそっと呟いた。
「わたし、いまは死にたくないけど、……もしもハルナが死にたいときは一緒に死んでも、いいよ」
「……ほんとに?」
ハルナが、おもむろに布団から起き上がったのがわかった。ゆっくりと、ベッドの上に乗ってきて――そして、わたしに馬乗りになった。
ハルナの手が、首筋に伸びてくる。
冷たい両手に首を掴まれて――一瞬、呼吸が止まった
「……なんてね、冗談だよ。ユキちゃんを殺すなんて、そんなことできないよ」
微かに笑ったような声が聞こえて、手が離れていった。暗がりに目が慣れてきたけれど、彼女がいま、どんな表情をしているのかは見えない。
ハルナは何事もなかったかのように布団に戻っていった。
心臓が、バクバクしている。嫌な汗が額に浮かんでいた。少し、こわかった。だけど、それ以上に。
――ハルナが、何を抱えているのか、知りたいと思った。
きっと、すぐには教えてくれないだろうけど。
ハルナ、と小さな声で名前を呼んだ。
「話したいことがあったら、言ってね。わたし、なんでも聞くから」
「……ありがとう。おやすみ」
それ以降、彼女が言葉を発することはなくて。わたしもいつの間にか、深い眠りに落ちていた。
「うん」
あの日から、三週間。わたしはハルナと一緒に過ごすことが多くなっていた。
四六時中一緒にいるとしんどいときもあるかもしれないので、毎日ずっと一緒にいるわけではない。ハルナも時々はひとりの時間がほしいと話していたので、彼女の意思も尊重したかった。
一緒にお昼を食べる日もあれば食べない日もあるし、真結ちゃんたちと食べたあとにおしゃべりだけしにハルナのところへ行く日もある。帰るときも、ハルナと一緒のときもあればひとりのときもあるし、真結ちゃんたちと帰るときもある。
その、適度な距離感が心地よかった。
ハルナと仲良くなってから、真結ちゃんたちのグループからはハブられるかと思ったけれどそんなことはなかった。「最近、なんか清水さんと仲良いね」とは言われたけれどそれだけで、用があれば普通に話をするし、特別な用事がなくても話す機会は以前よりも増えていた。
いままでみたいに、人と話すのが、あんまり苦しくなくなった。
べつに面白いことを言えなくても構わないし、好きな人の話をする必要もないし、黙ってしまうことがあってもいいのだと、ハルナと関わるうちにようやくわかってきた。
変なことを言ってしまったら謝ればいいし、嫌なことは嫌だと、少しずつ言えるようになっていた。
「由貴、最近なんか明るくなったね」
と、一度真結ちゃんから言われたこともある。本当か自分ではよくわからないけれど、そうだとしたら嬉しいし、きっとハルナのおかげだと思った。
生きるのがしんどいという気持ちは、日に日に薄れていた。
***
「ハルナ、冬休みってどこか行く?」
「んー、とくに行かないかなぁ。ユキちゃんは?」
「うちは年末年始おばあちゃんち行くよ。毎年行ってるから」
「……そうなんだ」
何気ない会話をしながら帰り道を歩く。コートを着てマフラーを巻いていても、十二月の風は冷たくて早く家に帰りたかった。
今日は金曜日で、明日からは土日で休みだ。とくに予定はないけれど。
来週は三者懇談があって、それが終われば終業式があって、すぐに冬休みになる。
長期休みは好きな気持ちと嫌いな気持ちが半々だった。学校に行かなくていいのは良いけれど、その分休み明けに行くのがより億劫になる。お母さんは忙しいから、年末年始に帰省する以外は遠出することもなかった。友達に誘われて遊びに行くようなこともほとんどないし、自分から誰かを誘ったこともない。
けれど、今年の冬休みは。一度くらい、ハルナと遊べたらいいなとひそかに考えていた。彼女と仲良くなりはしたが、休みの日に会ったことはまだ一度もない。
「……帰りたくないなぁ」
歩きながら、ふいにハルナが呟いた。あともう少しで彼女とは帰り道が別れるところだった。
どうして、帰りたくないのだろう。気になったけれど、なんとなく理由を訊く気にはなれなかった。だから、理由を訊く代わりに。
「じゃあ、うちに泊まる?」
なんてことを、思いきって言ってしまった。
「ただいまー」
「お邪魔します……」
ハルナはどこか緊張した面持ちで玄関に入った。
普通のアパートだしそんなに緊張する必要ないと思うが、わたしだって急にハルナの家に行くことになったら緊張するだろうなと思った。リビングのドアを開けると、先に帰っていた小学生の弟がテレビの前でゲームをしていた。「おかえりー」とこっちを見ることもなく雑に言う。
リビングを通り過ぎてわたしの部屋へ行く。ベッドと勉強机、クローゼット以外にはカラーボックスくらいしか置いていない殺風景な部屋。これといって趣味も好きなものもないから面白味がない。小さい頃に誕生日プレゼントとしてもらったうさぎのぬいぐるみとテディベアだけがかろうじて女の子らしさを醸し出していた。
「飲み物とか持ってくる。適当に座ってて」
暖房をつけて折りたたみのテーブルを置く。友達を部屋に招くのは小学生以来だった。慣れないことをしているなと自覚しながらキッチンに向かう。
紅茶とかないかなと思ったけれどあいにく切らしていた。仕方がないのでマグカップに緑茶を淹れ、カントリーマアムと個包装のチョコを数個トレイに載せて持っていく。他にめぼしいお菓子は見当たらなかった。
部屋に戻ると、ハルナはこちらに背を向けてきちんと正座していた。
「ごめん、お待たせ。たいしたものないけど……」
「ありがとう。おかまいなく?」
「ハルナ、なんか緊張してる? 足崩していいよ、正座疲れるでしょ」
「うん……友達の家とか、あんまり行ったことなくて」
ほんの少し苦笑しつつ、ハルナは足を崩して座り直した。なんだか意外だった。わたしは人付き合いが苦手だから友達の家で遊ぶようなことはほとんどなかったけれど、ハルナはそんなことないと思っていた。
部屋に招いたもののとくにすることがない。なんとなく宿題を片付ける流れになり、お菓子をつまみつつ数学の問題集を進めた。
「おうちの人ってお仕事?」
ふとハルナに訊ねられて、うんと頷いた。
「うち親が離婚して、お母さんしかいないの。帰ってくるの七時とかかな」
「……そうなんだ。うちもそんな感じ」
「えっ、そうなの?」
ハルナは小さく頷いて、それからなんでもないことのように言葉を続けた。
「小さい頃にお母さん死んじゃって、ずっとお父さんとふたり暮らしなんだ。だから、家事とか結構私がやってて……」
「そうだったんだ」
意外と重そうな家庭環境に、内心驚く。ハルナがしっかりしているのはそれが理由なのかなと思った。もしかしたら、家に帰りたくない理由も父親と暮らしていることに関係しているのかもしれないと思ったけれど、やっぱり触れることはできなかった。
「ねえ、つい来ちゃったけど、急だし泊まるのって迷惑じゃない?」
心配そうに訊いてくるハルナに、自分も考えなしだったなと気付く。お母さんが帰ってきてから、急にだめだと言われるかもしれない。
「……お母さんに聞いてみる」
まだ仕事中だろうなと思いながらも、『今日、友達泊めてもいい?』とメールすると、数分後に電話がかかってきた。
驚いている様子の母親になんとか説明しようとするが上手く言葉が出てこない。しどろもどろになっていると、ハルナがノートに何かを書いて見せてきた。文字を目で追い、その通りに口を開く。
「えっとね、ハルナのお父さんが、今日急に会社に泊まり込みになったんだって。で、鍵忘れて家入れなくて困ってるから、うちに泊めてもいいでしょ?」
そういうことなら、と承諾が下りた。ただし親御さんにきちんと連絡をしておくようにと。わかった、と返事をして電話を切った。
「なんとか、大丈夫みたい。お父さんに連絡しておきなさいって」
「うん。メールしておくから大丈夫。ありがとう、ユキちゃん」
安心したようにハルナは微笑んだ。
友だちを家に泊めるなんて初めてのことだった。
***
「お風呂ありがとう」
見慣れた部屋着に身を包んだハルナが、微かに火照った顔で部屋に入ってきた。
スウェットもその下のキャミソールもわたしのものを身に着けていると思うとなぜかドキドキした。さすがにパンツを貸すのは抵抗があるなと思っていたから、お母さんがコンビニで買ってきてくれていて助かった。
中学生になってから初めて友達を連れてきたからか、仕事から帰ってきたお母さんは妙に張り切っていた。夕飯は鍋だったけれど普段は買わないような高そうなお肉や海老が入っていたし、デザートにケーキまで用意してあった。
礼儀正しくてしっかりしているハルナのことも随分気に入ったらしい。「またいつでも遊びに来てね」と笑顔で話していた。普段は生意気な弟も、ハルナの前では緊張していたのかおとなしかった。
「隣、座っていい?」
訊かれて、こくんと頷く。ベッドの隣に布団を敷いたから狭い部屋の中には座る場所がない。わたしが腰かけているベッドのすぐ横にハルナが腰を下ろした。同じシャンプーを使ったはずなのに、ふわり、といいにおいがしたような気がした。
「いいお母さんだね」
「……うん」
「悲しませちゃだめだよ」
「そう、だよね」
静かなハルナの声に、わたしは頷くことしかできない。
「ねえ、いまでもまだ死にたい?」
そう問われて、小さく首を振った。
いまは、あんまり、死にたくない。そう呟くと、ハルナは「そっか」と柔らかな声で囁いた。
「……ね、ユキちゃんは、高校どこ行きたいか決めてる?」
突然そんな質問をされて、わたしは少しだけ考えてから首を振った。
だって、ほんの少し前まで死ぬことしか考えてなかったのだから。高校にも、行きたくないと思っていた。
「まだ全然決めてない。ハルナは?」
「んーと……私、中卒で働こうかな」
「え、うそ」
あまりにも予想外すぎる返答にびっくりした。この前の期末テストの成績もよかったみたいだから、てっきり進学校に行くことを考えているのかと思い込んでいた。
「だめかな?」
「だめじゃないと思うけど……難しくない? 雇ってもらえるの?」
「やっぱりそうかなー」
「そうだよ。わたし、高校行くならハルナと一緒のとこがいいな。それなら頑張って行くから」
あ、でも、すごい頭いいところとかは無理だな……と付け加えると、ハルナはくすくすと笑った。
「頑張ればいけるんじゃない? 南高とか」
「えーそんなとこ無理だよ、頭の出来が違うよ」
「ユキちゃんだって頑張ればできるよー」
そんな話をしているうちに時間はあっという間に過ぎてしまって、気付くと眠気に襲われてうとうとするようになっていた。
「そろそろ寝ようか?」
「そうだね。ハルナ、寝るとき真っ暗で平気?」
「大丈夫だよ」
電気を消してベッドに入った。さっきまであんなに眠かったのに、真っ暗な部屋で横になっていると急に目が冴えてきてしまった。暗闇の中でハルナの様子を窺うけれど、彼女もまだ眠ってはいないみたいだった。
「……ねえ、どうして、家に帰りたくなかったの?」
理由は訊かないつもりだったのに。どうしても気になってしまって、口を開いていた。
「……なんとなく、だよ」
静かな声が返ってくる。それ以上、ハルナは何も言おうとはしなかった。少しだけ迷ってから、わたしはそっと呟いた。
「わたし、いまは死にたくないけど、……もしもハルナが死にたいときは一緒に死んでも、いいよ」
「……ほんとに?」
ハルナが、おもむろに布団から起き上がったのがわかった。ゆっくりと、ベッドの上に乗ってきて――そして、わたしに馬乗りになった。
ハルナの手が、首筋に伸びてくる。
冷たい両手に首を掴まれて――一瞬、呼吸が止まった
「……なんてね、冗談だよ。ユキちゃんを殺すなんて、そんなことできないよ」
微かに笑ったような声が聞こえて、手が離れていった。暗がりに目が慣れてきたけれど、彼女がいま、どんな表情をしているのかは見えない。
ハルナは何事もなかったかのように布団に戻っていった。
心臓が、バクバクしている。嫌な汗が額に浮かんでいた。少し、こわかった。だけど、それ以上に。
――ハルナが、何を抱えているのか、知りたいと思った。
きっと、すぐには教えてくれないだろうけど。
ハルナ、と小さな声で名前を呼んだ。
「話したいことがあったら、言ってね。わたし、なんでも聞くから」
「……ありがとう。おやすみ」
それ以降、彼女が言葉を発することはなくて。わたしもいつの間にか、深い眠りに落ちていた。
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