死にたがりのユキと死神のハルナ

志月さら

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3.席替えと昼休み

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 朝のホームルームのあと、急遽席替えが行われた。担任の先生は突然思いつきで行動することがたまにあるから、またいつものことか、と思いながらみんな文句を言うこともなくくじを引いた。
 わたしが引いた席は、真ん中の列の前から三番目。正直、あまりいい席ではないなと思いながら机を移動したのだけれど、隣の席の子を見て目を丸くした。

「あれ、ユキちゃん。隣だね」

 ――ハルナが、隣の席だった。

「これからよろしくね」

 ふわりと微笑んだハルナに「うん、よろしく」と返して席に着く。まさか、昨日の今日でこんなことになるとは思っていなかった。
 すごく、嬉しい。隣の席なら話す機会も増えるから、きっとハルナのことをもっとよく知れる。そう、思っていたのだけれど。
 隣の席になったからといって特別何かが変わるわけではなかった。

 休み時間になるとハルナは仲の良いらしい女の子に囲まれているし、わたしもなんとなく真結ちゃんたちと一緒に行動してしまう。すでにグループができあがっている教室の中で、いままで関わりの少なかった子と積極的に関わるのは容易ではなかった。
 昼休みになって、あわよくばハルナとお弁当を食べられたらと思っていたのだけれど、授業が終わった途端に彼女は小さなトートバッグを持って教室を出ていってしまった。
 仕方なく、普段通り真結ちゃんたちのグループに混ざってお昼を食べる。

「そういえばインスタ見た? あのショップの新作ー」
「見た見たー! めっちゃかわいいよね、絶対ほしい!」

 賑やかな会話を聞きながら箸を動かす。こういうときの会話には、話を振られないとなかなか入れない。けれどわたしに話を振られることは滅多になくて、いつも聞き役に徹した結果、いてもいなくてもいいような存在になってしまう。
 いつもはなんとなく居心地の悪さを覚えてしまうのだけれど、今日は他のことで頭がいっぱいだった。
 どうすれば、ハルナともっと話せるのか。ハルナともっと仲良くなれるのか。
 つい、そんなことばかり考えてしまう。こんなにも誰かと関わりたいと思ったのは初めてだった。保育園の頃からなかなか友達を作れなくて、すっかり自分から声をかけるのは諦めるようになっていたというのに。

 真結ちゃんたちの話を聞くともなしに聞きながら、なんとなく教室の中に視線を巡らせる。男子も女子も、思い思いのグループでお昼を食べている。
 ハルナとよく一緒にいる女子たちも集まってお弁当を広げていたけれど、その中に彼女の姿がないのが不思議でならなかった。
 そういえば、いつも昼休みに教室の中でハルナを見た覚えがない気がする。一体どこにいるのだろう。一度気になると、そればかりが気になって仕方なかった。ほとんど食べ終わっていたお弁当箱に蓋をして、思わず立ち上がる。

「由貴、どうしたの?」
「えっと、ちょっとトイレ行ってくる」

 真結ちゃんたちの視線が集まり、少し気まずい思いを感じながらもとっさに適当な理由をつけて教室から飛び出した。
 ――ハルナはどこにいるのだろう。他のクラスを軽く覗いてみたけれど彼女の姿はなかった。下級生や上級生の教室に行っているとは思えないし、お昼は基本的に教室で食べることになっているから外にいるということもないだろう。まさかと思ってトイレにも行ってみたけれど個室はどれも無人で、便所飯なんてことをしているわけでもない。
 じゃあ一体どこに……途方に暮れそうになりながら廊下を歩いていると、校舎の端にある階段が目についた。もしかして、と半信半疑で階段を上っていく。
 三階から四階へ。四階も通り過ぎて、普段は生徒が立ち入ることがない更に上へ、少し足早に階段を駆け上がっていく。

「な、んで、こんなとこにいるの……っ」

 立ち入り禁止の屋上、その手前の踊り場に腰を下ろして、ハルナは本を開いていた。
 ほんの少し階段を駆け上がっただけで、わたしはすっかり息を切らしていた。

「わっ、ユキちゃん。どうしたの、なにか用事あった?」

 ハルナは顔を上げると、少しだけ目を丸くしていた。本を閉じて立ち上がる。
 彼女に言いたいことがあるのに、すぐに言葉が出てこない。口を開くことができず、顔を下げてただ荒い呼吸を繰り返していると、ハルナはわたしの傍まで階段を降りてきた。首を傾げて顔を覗き込んでくる。

「ユキちゃん?」
「……わ、たし」

 意を決して、顔を上げる。息を吸ってから、震えそうな唇を開いた。

「わたし、ハルナと、もっと仲良くなりたい」

 まるで告白のようなことをしてしまったと気が付いて、急に頬が熱くなった。
 普通の友達はこんな宣言をしないような気がする。

「あっ、ち、違うの、変な意味じゃなくて、友達として、もっとハルナのこと、知りたいっていうか……」

 慌てて言葉を続けたけれど、しどろもどろになって自分でも何を言っているのかよくわからなくなってくる。
 ハルナは少しだけぽかんとしたあと、急にくすくすと笑い始めた。変なことを言ったせいで笑われてしまったのかと恥ずかしくなったけれど、ふいに柔らかく微笑んだ。

「いいよ。私も、ユキちゃんともっと仲良くなりたいな」

 彼女の返答に安心する。

「でも、三石さんたちと一緒にいなくていいの?」
「……平気。いつも、なんとなく一緒にいただけだから」
「そっか。私もおんなじ。昼休みはひとりになりたいからここにいるの」
「えっ……じゃあ、わたしがいたら邪魔じゃない?」

 そんなことないよ、とハルナは小さく首を振った。

「ユキちゃんならいいよ」

 座ろうかと促されて、階段に並んで腰を下ろした。廊下は少し肌寒いけれど、そんなの全然気にならない。
 予鈴のチャイムが聞こえてくるまで、ハルナとふたりでずっとおしゃべりを続けていた。
 昼休みを楽しいと思えたのは、生まれて初めてだった。

***

(……どうしよう)

 机の下でこっそりと膝を擦り合わせる。お腹の奥にはずっしりとした重しが乗っかっているかのような感覚があった。その重しは、少しでも気を抜いたら溢れ出してしまいそうで――。
 五時間目の授業中、わたしは、耐えがたい尿意に襲われていた。
 なぜかというと理由は単純で、昼休みにトイレに行きそびれたからだ。いや正確にいうとトイレには行ったのだが、用は足さずに出てしまった。ハルナを探していたから。
 あのときも少なからず尿意はあったのに、済ませておくという発想はまったくなかった。何かに集中していてトイレに行くのを忘れたなんて子どもみたいだ。

 ちら、と時計に視線を移す。授業時間は残り二十五分。
 我慢できるだろうか、と自分の膀胱に問いかけてみる。恐る恐るお腹を手のひらで軽く押してみて、すぐにその行動を後悔した。返ってきた弾力と一瞬強くなった尿意に一抹の不安がよぎる。
 もしも、もしもだけれど。ありえないけれど、万が一。
 中学二年生にもなっておもらしなんてしたら――それは、きっと社会的に死ぬ。
 足元に広がる生温かい水溜まりとクラスメイトから突き刺さる視線を想像してしまい、ぞっとした。先生からも「どうしてトイレに行かなかったのか」と叱責されるに違いない。

 昨日、生きようと思い直したばかりだけれど、そんな辱めを受けたら間違いなく死にたくなる。もう明日から学校に来られないし、家にもどんな顔をして帰ればいいのかわからない。
 そもそも小学生のときだって授業中におもらしした子なんていなかった。中学生になってからなんてますますありえない。
 べつに漏らすまで我慢する必要なんてない。先生に一言、言えばいいだけだ。「トイレに行かせてください」と。授業中にトイレに立ったことのある子は何人かいるし、それを咎められたことは一度もなかった。からかうようなことを言う子もいなかった。
 わかっているのに、声が出せない。
 恥ずかしい。ただそれだけだった。
 授業中にトイレに行きたいと発言することが、ただただ恥ずかしい。それだけでなくて、昼休みにトイレに行かなかったことを先生や生徒に気付かれることも、おしっこが我慢できないから授業の途中でトイレに立つのだと知られることも。

 いつも、そうだ。授業中にどうしてもトイレに行きたくなったことはいままでもあったけれど、恥ずかしくて言い出せなかった。いつもいつも、授業が終わるまで必死になって我慢していた。
 いままではなんとか間に合っていたけれど、今日はほんとにやばいかもしれない。
 太腿をきつく寄せて時計を睨み付ける。さっきから、秒針が僅かにしか進んでいない。歴史の授業は耳を素通りしていくばかりで、いま、教科書のどの部分を説明しているのかもまったくわからなかった。
 頭の中を占めるのは、ただ、おしっこがしたいということばかり。
 どうしようどうしよう。このままだと絶対に漏らしちゃう。

 じっと座っているのがつらくなってきたけれど、下手に動くわけにもいかない。できることならスカートの前をぎゅっと押さえつけたいところだけれど、そんなことをしたらトイレを我慢していると周りにバレてしまう。右手は意味もなくシャーペンを握っていて、左手は膝の上でスカートの生地を少しだけ握っていた。膝は時々さりげなく擦り合わせるけれど、気休めにもならない。
 早く言えばいい。恥ずかしいけれど、トイレにさえ行けばこの苦しみから解放される。このまま我慢を続けていたら余計に恥ずかしい思いをすることになる。そんなことはわかっている、のに。悩んでいる間にも時間は過ぎていく。なのに、時計の針はちっとも進まなくて、進んでいくのはわたしの限界へのタイムリミットばかり。
 切羽詰まってきて、何度口を開こうとしても言葉は喉の奥で詰まって声にならない。
 どうしよう、このままじゃ――。

「先生。有村さんが、具合悪いみたいなので保健室につれていきます」

 軽く手を挙げて、隣の席のハルナが、突然そう言った。
 えっ、なに、なんで。
 戸惑っている間にハルナは先生と軽く言葉を交わして、わたしの手を取って立ち上がらせてくれた。お腹に刺激を与えないように、ゆっくりと立ち上がる。その姿が本当に具合が悪そうに見えたのか、わたしに向けられる視線は同情的なものばかりだった。
 ハルナに手を引かれながら教室の後方へ歩いていき、廊下へ出ていく。後ろ手で引き戸を閉めた途端、わたしの左手は勝手にスカートを押さえてしまった。
 前を向いて歩き出すハルナに、慌てて声をかける。

「ハルナ、わたし、あの……」

 具合が悪いんじゃなくて。言おうとしたことは、彼女の言葉に遮られた。

「わかってる。トイレ行きたいんでしょ?」
「な、なんで……」
「だって、私も我慢してるもん。早く行こう」

 そう言うハルナの声からはまだ余裕が感じられたけれど、確かに昼休みが終わるまでずっとふたりで話していたわけだから、彼女もトイレには行っていない。もしかすると同じくらい我慢しているのかもしれない。
 奇妙な親近感を抱きながら女子トイレに向かって必死に歩いていく。
 あと少し、もうちょっと。あとほんのちょっとだけ、我慢して。
 自分自身に言い聞かせながら震えそうになる足を必死に前に進める。女子トイレの扉をハルナが開けてくれる。彼女に続いて中に入り、引かれていた手が離れた途端、わたしは一番手前の個室に飛び込んだ。

「は、あぁ……」

 間一髪、セーフ。
 下着を汚すことなくなんとか間に合った。
 ぱしゃぱしゃと水音が響いている。音消しのために水を流すことを忘れていたけれど、今更という気もした。いつもなら用を足す音を人に聞かれるのが嫌でつい水を流してしまうけれど、今日は気にしている余裕がなかった。――それに、隣の個室からも、気が付けば激しい水音が聞こえていた。やっぱりハルナもかなり我慢していたんだと、なんだかドキドキしてしまう。
 お腹の中がすっかり軽くなって、水を流して個室を出た。出てくるタイミングはハルナとほとんど同時だった。
 手を洗いながら、ハルナがぽつんと呟いた。

「私ね、小一のときに、授業中におもらししたことあるんだ」

 なんでもないことのようにさらっと言ってのけたけれど、その発言はなかなか衝撃だった。

「……死にたくならなかった?」

 思わず、そんな質問をしてしまう。
 蛇口を閉めてハンカチで手を拭きながら、ハルナは苦笑した。

「わかんない。一年生だし、そこまでじゃないよ。恥ずかしかったとは思うけど」
「そっか……」

 そんなものなのかな、と思う。

「いまの話、内緒にしてね?」

 けれど恥ずかしそうに人差し指を立てるハルナに、わたしははっきりと頷いた。
 無事にトイレを済ませることができたけれど保健室に行くと言った手前このまま教室に戻るわけにはいかない。
 保健室の先生に何と言うか小声で相談しながら、わたしたちは静寂に包まれた廊下をゆっくりと歩いていった。
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