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第2幕

第18話 婚約話を白紙に

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(シン様が笑った……)

 その事実に頭が真っ白になってしまった。そうこうしている間に、お互いに挨拶を終えて、シン様の従者であるハク様と母様とジェラル兄様が隣の部屋にそそくさと移動してしまう。
 気を遣った行動だったのかもしれないが、私としては逃げるチャンスを失ってしまった。

(で、出鼻をくじかれてしまった……)

 早々に二人っきりになってしまい、私はソファに座りながら背中から滝汗ながれおちるのを感じていた。
 家事妖精ブラウニーシスターズが楚々とお茶と菓子をテーブルに並べていく。

(シン様が笑うなんて反則すぎる。しかも私に微笑み返すなんて──最初から全力で主導権を握りに来ているんだわ。絶対に絆されない、騙されない、好きにならない!)

 柑橘系の香りに癒されながら、大人っぽい仕草で紅茶を口にする。子供舌なので砂糖とミルクを入れようとしてグッと我慢した。

「どれも美味しそうな菓子だな」
「……はい。みなが用意してくれたのです」

 終始笑顔を振りまくシン様に、心臓がバクバクしているけれど、にこやかに微笑む。
 数分後──テーブルに並べられた焼き菓子や、ケーキの甘い香りの誘惑に負けそうになるのを堪えて、紅茶だけを口に含んだ。

(これから大事なお話をするのだから、呑気に甘いものを食べている場合じゃないわ。……でも、チョコレートケーキ、レアチーズ、プリンにクッキー……ああ、でもレアチーズは新作だって……ううん、駄目よ。後で色々終わったあとに食べるからこそ美味しいのよ!)
「フフッ」
「──っ」

 小さく笑い声が聞こえた気がして顔を上げると、シン様の口元が少しだけ緩んでいる。気のせいだろうか。小首を傾げていると、彼は私のお皿にチョコレートケーキを一口切り取って差し出した。

「私に気にせず食べてください」
「ふぇっ」

 気遣った声に、泣きそうになる。
 表情の機微はあまりなかった人だけれど、優しかった頃のシン様を思い出して胸が痛んだ。

(ダメだわ……。今日は婚約を断るために、ちゃんとお話しなきゃならないのに……)

 シン様と出会って会話を交わすと、やはり気持ちが揺らいでしまう。馬鹿みたいに十二回の時間跳躍タイムリープを繰り返しておきながら諦めきれなかったこと。
 シン様との婚約解消。
 婚約を破棄に動きつつも結局、私からはできなかった。
 今度こそは──と淡い期待を抱いて、今まで玉砕した記憶を思い出す。

(いくら前回とは違っても、ここで運命を変えなきゃ。……信じたら駄目よ。信じて、一緒の時間を重ねれば重ねただけ、裏切られた時に絶望が心を砕く。この人は、私の味方にはなってくれない。なってくれなかった)

 過去の気持ちに蓋を閉じこめる。
 大切な家族を、国を守るため──個人的な気持ちなんて捨ててしまおう。

(だから、言うんだ)

 私は深呼吸する。
 出来るのなら「婚約を白紙にしてもらえませんか」と、口にしようとしたその時、

「ソフィーリア様、どうか私と婚約していただけないだろうか」
「!?」

 切なさすら感じる声音に、心臓の鼓動がドキリと跳ねた。
 いつになく真剣な眼差しで見つめられ、私は早くも顔が熱くなり、しどろもどろになる。

「ど、どうして……ですか。その婚約者に拘らなくても……」
「私では……ダメなのか」
(あれぇ? こんな展開じゃなかったはず……)

 思い返しても、終始ダンマリして何度かのお茶会で数度会話した──記憶しかない。こんなに積極的に話す方ではなかった。

「いえ、えっと……。あ、もしかして王位継承権による内乱を恐れて自国に戻りたくないのであれば、婚約者よりも……留学という形で《クドラク病》改善の研究をするのはどうでしょうか」

 私の意気地なし。
 率直に「婚約できません」と言えばいいのに、留学の話を先に出してしまった。交渉においてどこで手札を開示するかが重要なのに。

「留学……。しかし無学な私が《クドラク病》の研究など、とても──」
「《クドラク病》は鉄欠乏性貧血に近いものだと伺ったことがあります。ですので、研究というよりは鉄分を多く含んだ茶葉や果実をダイヤ王国我が国で発見し、スペード夜王国との橋渡し役を目指された方が、ご自身の地位を確立するのではないでしょうか。幸いにも我がダイヤ王国にはカネレの実以外にも様々な果実があります」

 思いのほかペラペラとまくし立てるように言葉が出てくる。交渉としては手札を最初に見せてしまう愚行を犯したが、もう遅い。予想以上に自分が焦っていたのだと気づく。両手が汗でじんわりと濡れていた。

「なるほど。では貴女の助言から婚約と留学申請、こちらを同時並行で進めたい」
「ひゃ!?」
「ソフィーリア様?」
「(なんで、なんでそうなるの!?)…………婚約の件ですが……」
「留学もすれば貴女に会う機会も増えるだろうし、素晴らしい提案だと思うのだが……駄目だろうか?」
「!?」

 シン様が困った顔で微笑んだ。あのシン様が。
 婚約を白紙に戻すどころか、これでは月一で会うなどと言われかねない。

「留学すれば一緒の時間も増やせるだろう。最初は毎日……いや、三日、……週に一度でどうだろうか」
(月一どころか、毎週!? というか最初に毎日って言った!?)

 時間跳躍タイムリープの時間軸では、隣国ということで三か月に一度会うかどうかだったのに、恐ろしい速度で話が進んでいく。そもそも私はまだ婚約を承諾していないのに、すでに留学と会う期間などが決まっているのはどういう事だろうか。何としても状況を変えなければ、十二回目の時間軸と同じになってしまう。
 ぐっと両手の拳を強く握りしめた。

「す、すみません。……気分が悪くなったので、今日は失礼してもよろしいでしょうか。婚約の件は……保留にさせてください」
「それは大変だ。すぐに気づけなくて申し訳ない」
(シン様が謝った!?)
「貴女と会えて思った以上に浮かれていたようで……強引に話を進めようとしてしまった。もっと冷静に、段階を踏んで話そうと思ったんだが……どうにも、感情が先走ってしまった」
(浮かれていた? 感情が先走る? あのシン様が!?)

 そんな悲しそうな顔をしないで欲しい。
 気持ちが揺らぐから。
 私は日を改めて、席を設けるということで退室した。
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