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第四章
88. 通達
しおりを挟む帝国軍が目指しているフュメルージュ砦の周囲には、四つの監視塔があった。
その四つの塔のうち三塔を、すでに帝国軍が制圧した。
「残り一つ、か。手ごわいと予想していたが、思っていた以上順調だな」
「むしろ怖いくらいです。まさか皇国軍があの砦から退くとは思えませんが……」
「何か裏があるのか。罠かもしれないな」
シモンたち特攻隊は、残りの一塔を制圧するために、夜の森を進んでいた。
三つの塔を制圧したのは、第八部隊および第九部隊の隊長と副隊長、それから各隊の班長をはじめとした先鋭によって作られた特攻隊だ。エドゥアールが第八と第九部隊の総指揮官として下した命が、皇国領にあるフュメルージュ砦の制圧に向け、その四塔を特攻隊で制圧することだった。
帝国と皇国の戦いの場は引き続き、帝国の南を流れるサブルデトワール川付近を主戦場にして行われている。
はじめは、帝国もその戦いを制して、皇国へ反撃するつもりだったらしい。しかし、皇国の圧倒的な軍事力を前にして戦局を覆すことは困難と判断した帝国軍上層部は、あろうことか帝国の東側から皇国へと攻め込む作戦に切り替えた。昨夏、皇国が東の森の先にあった拠点を放棄したということを思い出したのだろう。
しかしあれは、皇国が拠点を放棄したところで痛手にもならないだけであって、決してその地が手薄になっているわけではない。現にその後も、ファレーズヴェルト要塞周辺は皇国からの牽制攻撃は続き、帝国から放っていた斥候が手酷い怪我を負って帰ってきたことも一度や二度ではない。皇国側から見て、攻め入る価値がないために大規模な戦闘になっていないだけなのだ。
シモンとて、とっくに気づいている。
このまま帝国が武器を取り続けても、勝利の二文字を得ることは未来永劫ないことを。
さりとて、退けずにもいる。
革命を起こすにも、この国はもはや余力がない。栄華を極めていた帝都は僅か一年半で衰退した。前線を駆ける我々が武器を向ける矛先を帝都にしたところで、疲れ切った民を巻き込むだけだ。
進めもせず、退けもしないのならば、せめて民の盾となろうとシモンは武器を手にしていた。
「隊長……! シモン隊長っ! ああっ、ボドワン班長もいましたか!」
思考に耽っていたシモンの意識を戻したのは、ここ最近では耳にしなかった声だ。
特攻隊には選ばれなかった第九部隊斥候班の兵士が血相を変えて、馬を走らせてきた。
「いったい、どうしたんだ? お前、斥候班はどうした」
馬から転げ落ちるようにして、ようやく止まった兵に疑問を投げかけたのは、斥候班の班長を務めていたボドワンだ。彼もまた、特攻隊として命じられたためシモン同様、第九部隊の本体とは離れて活動をしていた。
ボドワンの口調から察するに、馬でやってきた兵士は自分が不在となっている斥候班を任せていた相手なのだろう。
「どうしても隊長たちにお伝えしたいことがあって……! 別のやつらに班を任せて、隊長たちを探してました」
「伝えたいこと?」
かなりの時間、周囲を探したのかもしれない。馬にも兵にも、疲労の色が浮かんでいた。
「それが……帝都から来たやつらのことなんですが」
上がっている息を整えながら斥候班の兵はシモンとボドワンを見つめて、躊躇いながらも口を開いた。
「あいつら、うちのオメガたちに『禁じ手』を使っているかもしれないです」
「なんだって?」
「おい、詳しく話せ」
怪訝な声を上げたボドワンを制して、シモンは兵に詳しい話をするように促す。
『禁じ手』というのは、こと国同士や部族間等で争いに発展した際に禁止されている様々な決め事のことだ。
無論、戦争や争い自体が起きなければそれが一番ではあるが、人は愚かしいものでそれぞれの正義を掲げて争ってしまう。はるか昔では決め事などは一つもなく、残虐な殺戮は当たり前。兵も民もお構いなし、戦術戦略も使えるものは何でも使って勝利に突き進んでいる時代があった。
しかしいつしか、軍隊という概念ができたり、武器や戦闘技術の多様化や発達をきっかけとして、武力紛争の際に守るべき事柄が決められていった。大陸に属する多くの国や少数部族は、それらを違反してはならないという国際的な決め事だ。
その多くは、傷病者や捕虜、文官などを保護する内容となっており、端的に言えば争いによる被害をできるだけ最小限に止めることを目的にしている。また、第二の性にも考慮したものが含まれており、人権を無視するような行為を固く禁じてもいる。
兵が話している「オメガたちに対する禁じ手」となれば、真っ先に思い浮かべるのはオメガの特性を利用した囮作戦を禁止した事項だ。
発情期を迎えたオメガは、彼らを兵器として見れば有用性がある。オメガのフェロモンにあてられると、アルファやベータはなす術がないからだ。二次性の本能を利用して敵を引きつけ不意打ちをする。罠に嵌めて味方ごと葬る。フェロモン一つで、オメガは残虐な罠として存在できてしまう。
アルファやオメガの本能を考えれば、そのような使い方を思いつくのは残虐な人間の道理なのかもしれない。
しかしそれは、オメガの人としての権利を踏みにじるものであり、同時にそれに誘引されるアルファやベータの尊厳をも蔑ろにする行為のため、国際的に禁止されている。
その禁止されている行為を、第九部隊のオメガたちに課されている可能性がある、というのが斥候班の兵によってもたらされた話であった。
「いつからだ?」
「正確には不明ですが、昨日の朝からクープラン指揮官たちの動きが不審でした。それで自分はこっちに」
「それで今、レオンスたちは?」
「アメデとオーレリーは我々と共に行動していたんで、少なくとも自分がこっちへ来るときまでは無事を確認してます。ですが、レオンスは山を越えたときから指揮官直属の偵察隊に組み込まれて、その後どうなったのかわからず……」
偵察隊を組むなんて、シモンたちは聞いていない。
「悪い予感がしたんで、指揮官に見つからないように抜けてきたんです」
「なるほど……。報告ご苦労」
兵の話す悪い予感に、シモンも同様にして背筋を凍らせていた。
最悪な予想があたってしまうのならば、レオンスは今まさにこの瞬間、皇国兵を誘引する囮にされているかもしれない——。
「エジット! 私は数名を連れて、野営地へ向かう。ここはお前たちに任せてもいいか」
「もちろんです。レオンスたちを頼みます、シモン隊長」
四つ目の塔の制圧はエジットたちに任せ、シモンは第九部隊騎馬班班長のロランドと、同じく騎馬班のアルファの兵を一人連れて、報告をくれた斥候班の兵士と共に野営地へと急ぐことにした。
特攻隊を離れることはエドゥアールの指示に背くこととなるが、それよりもシモンにはやるべきことがある。上官の命令に背いたとしても、男には護るべきものがあった。
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