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第三章

77. 諦念とともに

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 新年を迎えてから何日もしないうちに起きた発情期から、ひと月ほど過ぎたこの日。
 レオンスを再びのヒートが襲っていた。

(もうほんと、ぐちゃぐちゃだ……)

 もはや発情周期はめちゃくちゃで、レオンスも構えることに疲れてしまった。
 クロードからは、周期を整えるために服用している市販の抑制剤を止めて、しばらく休養できる環境に身を置いたほうがいいと言われている。しかし抑制剤の服用を止めるのも、休養できる場所へ行くのも、無理な話だ。

 昨年の初秋、抑制剤を使わずに迎えた発情期は、レオンスにとって壮絶なものだった。我を忘れて隔離部屋を飛び出して、そこに居合わせたアルファであるシモンに縋りついて、欲を満たしてと浅ましく誘い入れた。そして前後不覚になるほどに発情した。
 結果的に、あれから何度かシモンと体を重ねることになってしまったが、それでもなお、あの感覚はもう味わいたくなくて抑制剤を飲まないという選択は到底受け入れられない。——本能に支配された体が怖いのだ。

 かと言って、休養できる場所へ身を置くなど夢物語だ。
 レオンスは徴兵され、ここで兵役を課されている身なのだ。この要塞にいる面々は心優しい者ばかりで、第八部隊にしても第九部隊にしても隊長や班長たちもオメガへの理解が深く、多くの心配りをしてもらっている。だから、もしかしたらクロードの進言であれば、この地を離れることは叶わずとも、隔離部屋のような形で長期休養をとれるのかもしれない。
 だが、その形で心が休まる気はしなかった。

 つい半月ほど前に、シモンが帝都へ向かったことで、オメガへの重圧は強くなったように思う。
 レオンスは帝都にいるわけではないし、この要塞に帝都にいるようなお歴々がいるわけではないのだが、どうにもシモンやクロードの空気が重いのだ。それに、通信兵が受け取る内容にはオメガの様子を報告しろという指示が以前よりも頻繁に届いている。こちらから伝える内容もオメガに関するものが増えた。通信のすべてにレオンスが関わっているわけではないので、その内容をつぶさに知ることはできないが、通信業務を主とする兵たちが眉根を寄せて話していたのを通りがけに耳にしてもいる。
 帝都は、徴兵したオメガたちが十全に働いているのかを気にしているようだった。

 そのような状況で、いつ明けるともわからない休養を取ることなどできない。
 オメガが役に立たないという判断を下されるわけにはいかないのだ。

 そのようなことをクロードに伝えれば、軍医は渋々ながらも休養という話を取り下げてくれた。どこにいても心の負担が変わらないのであれば、と苦渋の決断だとも言っていた。

 唯一の救いでいえば、以前起こした突然のヒートのように急激に熱が高まるという症状は、あの日以来起きていないことだ。緊急時用の抑制剤はあれ以来、使わずにいられている。周期はめちゃくちゃではあるが、やってくる発情期は日数の短さを除けば通常のものと症状はほぼ変わらず、徐々に体の火照りや怠さが増えてくる。そのため、「そろそろ発情期が始まる」という予測をつけることができていた。だから、もう構えることを止めたのだ。

 来るときは来てしまう。
 いつ来るかもわからないものに振り回されたくなくて、レオンスは日々の任務をこなすことに頭をいっぱいにした。

 そして、やってきたのが今回の発情期だ。
 近日中に発情期が始まることをジャンに報告したあと、その足でシモンの執務室を訪れた。どうせ一人で耐えられないのだ。だから、最初からシモンを頼ることにしたのだ。一人で部屋にこもって自慰を繰り返したところで、シモンに助けを求めることは何となく理解できていた。

「シモン隊長、お疲れ様です」
「……発情期ヒートか?」
「はい。前回から期間も空いてないのに、おかしいですよね。ひと月の間に何度も発情しっぱなしって感じで……はは。……まったく嫌になります」

 突然の来訪者に驚かないのは、レオンスのフェロモンが少しずつ強くなってきているからだ。シモンならば、レオンスの匂いを扉を隔てていようが、意識をしていれば気がつくことができる。レオンスがシモンの執務室を訪ねたとき、ほかに人はいなかった。シモンは大きな机に向かって事務仕事をしているところだった。だから、レオンスが近づいてきたことを扉が開かれる前からわかっていたようだ。
 発情期ヒートか? と問われて、レオンスはなるべく大ごとにしたくなくて、天気の話を語るようにして笑った。めちゃくちゃな周期に落ち込む気持ちがないわけではないが、落ち込んで発情が収まるわけでもない。

「体は? いつもと違うところや、いつも以上に苦しいところはあるか?」
「ありがとうございます。でも、ご心配なく。いつも通りの発情期ヒートです」
「そうか。いつから本格化しそうだ?」
「たぶん、明日の夜にでも。今日はまだ大丈夫だと思うんですけど、ほっつき歩くわけにはいかないので、シモン隊長の部屋で隔離してもらおうと思いまして。お願い、できますか?」

 レオンスの心情を汲んでか、道端で話す雑談のような重苦しくない口調でシモンはレオンスを気遣う言葉をかけてくれた。深刻になりすぎないように対応してくれるシモンの態度が有り難かった。

(シモン隊長は、俺のこと……たぶん、大切にしてくれてるって、思う……。その気持ちに、ちゃんと答えられてないのは、申し訳ないけれど……)

 お願いできるかという問いに、シモンは一も二もなく頷いてくれる。そうして執務室から続く彼の個室へ通されて、その日は一日彼の匂いに満ちたベッドで気怠い体を横たえた。男の匂いに満ちた部屋は、レオンスの本能をじわじわと刺激し、秘めたる官能を少しずつ引き出すようだった。

(あの人は……大きいな。俺にとって……隊長は、どんな存在なんだろう)

 シモンはレオンスへの配慮を欠かさない。だから、彼はその夜、個室へは入ってこなかった。「明日の夜にでも」と伝えたレオンスの言葉を理解して、尊重してくれたのだ。もしかしたらシモンには、執務室の椅子で座りながらの仮眠をとらせてしまったかもしれない。けれど、シモンは文句の一つも言わずにレオンスの発情期に付き合ってくれる。
 そこから無償の愛を感じずにはいられなかった。

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